
こっちのブログは放置していたけど、やっぱりこれの感想は書かなきゃね。
新劇場版3作目。
2作目までは様々な差異はあれど、基本的には旧作の内容を踏襲した内容だったが、今作はガラリと展開を変えてきた。
あの展開は誰も想像できなかっただろう。
テレビで先行放送された冒頭部分もいきなり宇宙戦からのスタートだったけど、まさかあれほどとどは…。
ただ、ストーリー展開自体はまったく新しいものになったけれども、作品を貫くディスコミュニケーションの徹底ぶりは、むしろ旧作の姿勢に近くて、例によってネット上では賛否両論を呼んでいる。
『破』まではエヴァのエンターテインメントな部分を拡大した陽性のノリで、これもまた賛否両論を読んでいたけれども、概ね好意的に迎えられていたようには思う。
時を経て、庵野も大人になったし、我々も大人になったね、と。
私自身、その映像の美しさに目頭を熱くするほどに素晴らしい出来だった。
だが今作は……なんだろうね。
突っ込みどころ満載な設定とストーリーに失笑させられてしまったし、ついに『ヤマト』をやっちゃったか…という呆れる気持ちもあるのだが、それはいい。
展開の粗に対して冷淡になってしまいそうになるのを強引にねじ伏せるほどの説得力を持った作画の緊張感とカメラワークの絶妙さは相変わらずで、眼福としか言いようのない映像を堪能することができたから。
とはいえそうした映像美も『破』のほうが凄かったけど、満足はしている。
でも、やっぱり素直に絶賛していいのか否か、というのは微妙なところだなあ。
もちろん、凡百なそこらへんの映画よりも興味深い作品であるのは間違いないんだけど。
話の内容自体は突っ込みどころが多いと言っても、旧作から17年の時代状況の変化や影響を与えた後続作品からのフィードバックが伺える、意欲的な姿勢には好感が持てた。
なんだけど、なんかまた同じことやろうとしているな、という印象も抱いてしまった。
旧作が賛否両論を呼ぶ形で人気を拡大していったように、今作もあらかじめ賛否両論を呼ぶような計算づくな意図があからさますぎて、そういう部分で好意的に見られるのか、というのがね。
賛否両論の呼び方にしたところで、旧作での自覚のありようと今作での自覚のありようは異なるだろうし、二度もやったらそれはさすがに如何なものかと。
賛否両論を呼ぶことを目的化していないか?という疑念や、炎上マーケティングに近い匂いを感じ取ってしまった。
旧エヴァがあれだけの存在になり得たのは、本編の面白さもさることながら、作品の解釈を受け手に丸投げするようなエンディングを二度も見せたからなわけで、それで味を占めてしまったのかな、と。
もちろん、賛否両論を呼んだからといって『エヴァ』のような存在になれる作品はそうそうないんだけど、当時、その部分は強調して語られていた記憶がある。
それをまたやるのか、と。
むしろそれがいい、という立場もあるだろうけど、それをやるなら設定やストーリーの粗の部分はどうにかしろよ、と。
旧エヴァはそこは一応しっかりやっていたよ、と。
ただ、これはまだ物語の中途ではある。
『序』の前に、誰も『序』があのようなクオリティで仕上がってくるとは想像できなかっただろうし、『序』が終わったとき、誰も『破』があれだけのものになるとは想像できなかっただろうし、『破』を見終わったとき、『Q』がこんなものになるとは誰も想像できなかっただろう。
次作がどんなものになるか、誰が想像できるのだろうか。
最終的な結末がどのようなものであるのか、という「期待」を捨てさせるほどにはひどい出来ではなかったので、まだまだ祭は続くのだろうね。
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