「感性でよむ西洋美術」(その2)
伊藤亜紗「感性でよむ西洋美術」の2回目。
前稿では「感性でよむ」という点について勝手な解釈をしたけれど、今日は一応内容に即して紹介しようと思う。
その前に、絵を描く技術について、思うところをひとくさり。
以前、秋田麻早子「絵を見る技術 名画の構造を読み解く」という本をとりあげたが、それでは、フォーカルポイント、視線誘導、バランス、カラースキーム、分割といった画面の組み立てがとりあげられていた。
これらは「絵を見る技術」、つまり鑑賞者が絵から感じる、安定感・不安定感・惹きつけられる感じ・寒暖、そうした感覚を生じさせる画面の「仕掛け」である。
絵の「仕掛け」を知ることで、画家の意図や自分の感覚が何によって生じるのかが理解できるという話だった。
同書には詳述されていないが、遠近法も画面構成の技術だろう。本書では遠近法は奥ゆきを感じさせ、整然とものを配置する技法と評価しているが、おもしろいことにその技法について詳述している。
技術は、感性とは随分はなれているようだが、実は感性を思うように刺激するために技術というものがあるわけだ。
本書には、もっとレベルの低い、つまり物理化学現象というレベルの技術についても言及がある。
そういえば、昔の画家は、顔料鉱石を磨り潰して絵具を作るところからはじめた。絵具をつくる技術をもっていなければ画家になれなかったわけだ。チューブ絵具の発明はそれを自分でつくらずに買ってくるものにしたわけだ。
感性からは全くはずれた技術だけれど、この技術が全く新しい感性を刺激するものを絵の中に実現させたことになる。
しかし現代の美術というのはなんだか違う方向を向いているようだ。
コンセプト・アート?に書いたけれど、そこでは技術はどう考えられているのだろう。
前稿では「感性でよむ」という点について勝手な解釈をしたけれど、今日は一応内容に即して紹介しようと思う。
その前に、絵を描く技術について、思うところをひとくさり。
以前、秋田麻早子「絵を見る技術 名画の構造を読み解く」という本をとりあげたが、それでは、フォーカルポイント、視線誘導、バランス、カラースキーム、分割といった画面の組み立てがとりあげられていた。
これらは「絵を見る技術」、つまり鑑賞者が絵から感じる、安定感・不安定感・惹きつけられる感じ・寒暖、そうした感覚を生じさせる画面の「仕掛け」である。
絵の「仕掛け」を知ることで、画家の意図や自分の感覚が何によって生じるのかが理解できるという話だった。
同書には詳述されていないが、遠近法も画面構成の技術だろう。本書では遠近法は奥ゆきを感じさせ、整然とものを配置する技法と評価しているが、おもしろいことにその技法について詳述している。
はじめに |
第1章 ルネサンスの夜明け |
ワークショップ 比較の練習 |
第2章 ルネサンス「理性」を感じる |
第3章 バロック「ドラマ」を感じる |
ワークショップ 「ぽさ」さがし |
第4章 モダニズム「生々しさ」を感じる |
第5章 キュビズム「飛び出し」を感じる |
第6章 抽象画「わからなさ」を感じる |
おわりに |
遠近法のしくみ
遠近法は、イタリアの建築家ブルネレスキ(一三七七~一四四六)が一四二〇年頃に確立した技法です。
ドイツの画家デューラー(一四七一~一五二八)が、その方法を図解しています。まず、描きたい対象――たとえば女性モデルの前に、格子状の座標が入った器具を立てます。次に描き手は、自分の目の前に剣のようなものを立て、その剣先に自分の視線を固定します。
固定したところから座標越しにモデルを見て、たとえば、肩の位置は座標でいうと何番のところにあるかを確認する。それを、手もとに置いた同じく座標入りの紙に描き写していく。頭のてっぺんは何番にあるかを確認し、描き写す。 遠近法の描き方って、意外とシステマティックなんですよね。
昔、何かの本でも同じような説明を読んだ憶えがあるが、こうしないときちんとした遠近法にはならないのかもしれない。遠近法は、イタリアの建築家ブルネレスキ(一三七七~一四四六)が一四二〇年頃に確立した技法です。
ドイツの画家デューラー(一四七一~一五二八)が、その方法を図解しています。まず、描きたい対象――たとえば女性モデルの前に、格子状の座標が入った器具を立てます。次に描き手は、自分の目の前に剣のようなものを立て、その剣先に自分の視線を固定します。
固定したところから座標越しにモデルを見て、たとえば、肩の位置は座標でいうと何番のところにあるかを確認する。それを、手もとに置いた同じく座標入りの紙に描き写していく。頭のてっぺんは何番にあるかを確認し、描き写す。 遠近法の描き方って、意外とシステマティックなんですよね。
中学校の図画の授業では、消失点を決めてそこから放射状にガイドラインを引き、消失点から等距離にあるものを配置するガイドラインになる水平・垂直線を引くといったやりかたをしたような記憶がある。
技術は、感性とは随分はなれているようだが、実は感性を思うように刺激するために技術というものがあるわけだ。
本書には、もっとレベルの低い、つまり物理化学現象というレベルの技術についても言及がある。
さて、印象派は実は、非常に重要な技術革新によって成立した様式です。何だと思いますか? 画家による描き方の技術ではなく、産業レベルでの技術です。
答えはチューブ絵具の発明です。印象派の何が新しかったかと言うと、屋外で描いたことです。それまでは、屋外のシーンを描くとしても外でやるのはデッサンだけで、それを持ち帰って自分のアトリエで画面構成を考え、絵具を使って実際に描くという手順を踏んでいました。印象派はそうではなく、絵具ごと屋外に持ち出して、その場でキャンバスに描いたのです。
それを可能にしたのがチューブ絵具です。それまでは、絵具が乾いてしまうのでアトリエで描くしかなかったのですが、金属製のチューブができたことで、絵具ごと外に持ち出せるようになったのです。
すると、何が変わるかと言うと、光の描き方が変わるわけです。太陽の光のもとで見える物体の様子を描くことができるようになった。たとえば同じ睡蓮を描くとしても、時間や天気によって見え方は全く違います。つまり光によって対象が異なって見える。その変化を描いたのが、印象派のすごいところなのです。
答えはチューブ絵具の発明です。印象派の何が新しかったかと言うと、屋外で描いたことです。それまでは、屋外のシーンを描くとしても外でやるのはデッサンだけで、それを持ち帰って自分のアトリエで画面構成を考え、絵具を使って実際に描くという手順を踏んでいました。印象派はそうではなく、絵具ごと屋外に持ち出して、その場でキャンバスに描いたのです。
それを可能にしたのがチューブ絵具です。それまでは、絵具が乾いてしまうのでアトリエで描くしかなかったのですが、金属製のチューブができたことで、絵具ごと外に持ち出せるようになったのです。
すると、何が変わるかと言うと、光の描き方が変わるわけです。太陽の光のもとで見える物体の様子を描くことができるようになった。たとえば同じ睡蓮を描くとしても、時間や天気によって見え方は全く違います。つまり光によって対象が異なって見える。その変化を描いたのが、印象派のすごいところなのです。
そういえば、昔の画家は、顔料鉱石を磨り潰して絵具を作るところからはじめた。絵具をつくる技術をもっていなければ画家になれなかったわけだ。チューブ絵具の発明はそれを自分でつくらずに買ってくるものにしたわけだ。
感性からは全くはずれた技術だけれど、この技術が全く新しい感性を刺激するものを絵の中に実現させたことになる。
しかし現代の美術というのはなんだか違う方向を向いているようだ。
コンセプト・アート?に書いたけれど、そこでは技術はどう考えられているのだろう。