「感性でよむ西洋美術」
伊藤亜紗「感性でよむ西洋美術」について。
「感性でよむ」というタイトルだが、これから2つのことに思い至る。
一つは「感性」で、これは理詰めではなくて、感覚ということだろう。これはすぐわかる。
もう一つは「よむ」という言葉。普通なら「感性で見る」とか「感性で理解する」というような句になりそうなものだが、「よむ」である。
「よむ」というのは普通は文字、ときには地図などのイラストに対して使う言葉で、美術ではこういう表現を今まで見た憶えがない。
どういうことだろうという気持ちを持ちながら読んでいくと、こんな文章があった。
おや、逆だ。感性から言葉へ。
上の文章の前では、作品を見る前にそれに付いている解説文を読んでしまうことがある、それでは書いてあることの確認作業になる、それは作品を目の前にしてちょっともったいない、という趣旨が書かれている。
「よむ」というのは、感性を言葉にすることによって、あらためて作品をよむ、そういう意味を持たせているというのが、この普通と違う言葉遣いの納得のしかたである。
そして著者は親切に次のように誘導してくれる。
本書は著者の大学でのゼミをベースにしているようで、学生がそれぞれの感性にしたがって、それを言葉にしている。
そしてどんな言葉をあてても良いと仰ってくださる。
著者は、どんなよみかたをしても良いのです、と言ってくれているように思える。
テキスト量はあまり多くない本だけれど、ここからいろんなことをよんだ。
それらについてはまた別稿で。
「感性でよむ」というタイトルだが、これから2つのことに思い至る。
一つは「感性」で、これは理詰めではなくて、感覚ということだろう。これはすぐわかる。
もう一つは「よむ」という言葉。普通なら「感性で見る」とか「感性で理解する」というような句になりそうなものだが、「よむ」である。
「よむ」というのは普通は文字、ときには地図などのイラストに対して使う言葉で、美術ではこういう表現を今まで見た憶えがない。
「表情でよむ」というのもある。表情から何らかの意図を推測するというもの。語法としてはこれに近いかもしれない。
どういうことだろうという気持ちを持ちながら読んでいくと、こんな文章があった。
「感性でよむ」というと「センスを磨く」ことだと思うかもしれませんが、感性でよむとは必ずしも直感を鍛えることではありません。むしろ言葉をしっかり使うということです。一般に、言葉と感性は相性が悪いものだと思われています。しかし、だからこそ一緒に使うと、感じ方も深まるし、言葉も磨かれるのです。
はじめに |
第1章 ルネサンスの夜明け |
ワークショップ 比較の練習 |
第2章 ルネサンス「理性」を感じる |
第3章 バロック「ドラマ」を感じる |
ワークショップ 「ぽさ」さがし |
第4章 モダニズム「生々しさ」を感じる |
第5章 キュビズム「飛び出し」を感じる |
第6章 抽象画「わからなさ」を感じる |
おわりに |
上の文章の前では、作品を見る前にそれに付いている解説文を読んでしまうことがある、それでは書いてあることの確認作業になる、それは作品を目の前にしてちょっともったいない、という趣旨が書かれている。
「よむ」というのは、感性を言葉にすることによって、あらためて作品をよむ、そういう意味を持たせているというのが、この普通と違う言葉遣いの納得のしかたである。
そして著者は親切に次のように誘導してくれる。
皆さんの中には、持っているけれど使ったことのないボキャブラリーのストックが意外にたくさんあるはずです。 「崇高な」とか「優美な」とか……あまりスッとは出てきませんよね。
作品を見ると、最初は「すごい」とか「やばい」といった表現しか出てこないと思います。でも、そんなときにちょっとがんばって「持っているけど使ったことのない言葉」を引っぱりだして使ってみると、しだいになじんで使えるようになります。この授業を通してそんな変化が起こるといいなと思っています。
ほかの人の言葉に触発されるようにして、自分にとって「しっくりくる言葉」が見つかることもあるでしょう。今回の授業を、一方通行の講義ではなく、ゼミ形式にしているのはそのためです。立派なことを言おうと思う必要はありません。玉入れみたいにみんなでいろんな言葉を作品にぶつけていきましょう。作品はきっと答えを返してくれるはずです。
作品を見ると、最初は「すごい」とか「やばい」といった表現しか出てこないと思います。でも、そんなときにちょっとがんばって「持っているけど使ったことのない言葉」を引っぱりだして使ってみると、しだいになじんで使えるようになります。この授業を通してそんな変化が起こるといいなと思っています。
ほかの人の言葉に触発されるようにして、自分にとって「しっくりくる言葉」が見つかることもあるでしょう。今回の授業を、一方通行の講義ではなく、ゼミ形式にしているのはそのためです。立派なことを言おうと思う必要はありません。玉入れみたいにみんなでいろんな言葉を作品にぶつけていきましょう。作品はきっと答えを返してくれるはずです。
本書は著者の大学でのゼミをベースにしているようで、学生がそれぞれの感性にしたがって、それを言葉にしている。
著者は東京工業大学の先生だが、美学のゼミってあるんだろうか。私が通った大学でもわずかだが教養課程にゼミ形式の授業はあったように思うけど。
そしてどんな言葉をあてても良いと仰ってくださる。
海に見えたり、お寿司に見えたり、サイズ感もいろいろですね。面白いのは、こうやって人の解釈を聞いていくとそれぞれに納得感があることです。自分はそうは思わなかったけど、聞けば「あ、なるほどね」と思う。これが美術鑑賞のとてもいいところです。
たとえば、会議などではみんなで合意形成をしなければなりませんが、美術鑑賞では合意を形成しなくてもいい。いろいろな意見が共存できるのが面白いところです。さきほど、「時間を使って見る楽しさがある」という感想がありましたが、特に抽象画は人によって見え方に幅があるため、みんなで鑑賞する楽しみはとりわけ大きい様式だと思います。
たとえば、会議などではみんなで合意形成をしなければなりませんが、美術鑑賞では合意を形成しなくてもいい。いろいろな意見が共存できるのが面白いところです。さきほど、「時間を使って見る楽しさがある」という感想がありましたが、特に抽象画は人によって見え方に幅があるため、みんなで鑑賞する楽しみはとりわけ大きい様式だと思います。
著者は、どんなよみかたをしても良いのです、と言ってくれているように思える。
テキスト量はあまり多くない本だけれど、ここからいろんなことをよんだ。
それらについてはまた別稿で。