「感性でよむ西洋美術」(その3)

81fgylvVx6L_SL1500_.jpg 伊藤亜紗「感性でよむ西洋美術」の3回目。

本書の「はじめに」には次のような文章がある。
 何を美と感じるか、どんな表現をリアルだと感じるかは、単なる趣味の変化、流行のようなものではありません。そこには、その時々の価値観や社会状況も反映されています。たとえば社会における宗教の役割が変われば、それに応じて美術の表現も変わります。つまり、美術作品を見ることでその時代を生きた人の感じ方が分かり、かつ、その感じ方の背後にある社会が見えてくる。これも美術作品を見ることの面白さです。

――先生は美学が専門ですよね? 美学と美術史学は違うんですか?

 質問ありがとうございます。重なるところもありますが、美学と美術史学は違います。美学は感性など言葉にしにくいものを言葉で分析する哲学的な学問です。対して美術史学は歴史学の一種。作品が成立した経緯など実証性が求められます。
 今回の本のタイトルが「感性でよむ」となっているのも、私が美学の専門であることと関係しています。

はじめに
第1章 ルネサンスの夜明け
ワークショップ 比較の練習
第2章 ルネサンス「理性」を感じる
第3章 バロック「ドラマ」を感じる
ワークショップ 「ぽさ」さがし
第4章 モダニズム「生々しさ」を感じる
第5章 キュビズム「飛び出し」を感じる
第6章 抽象画「わからなさ」を感じる
おわりに
美学は美術史学とは違うという一方、人間の感性は社会環境、文化によって異なり、その変化は歴史でもある。そしてその感性は、見る側、描く側の両方にある。だから「美術作品を見ることでその時代を生きた人の感じ方が分かり、かつ、その感じ方の背後にある社会が見えてくる」わけだし、見ている自分の感性との作家の感性のギャップも感じることができるだろう。

つまり美術のスタイルは歴史とは無関係ではない。
本書ではきわめて大雑把に西洋史を次のように区分する。
 西洋の時代区分は大きく言って、古代、中世、近代の三つに分けられます。ものすごくざっくり言うと、古代(~五世紀)は「神々の時代」、中世(五~一五世紀)は「キリスト教の時代」、近代(一六世紀~)は「人間の時代」です。

であるけれど本書の章立ては、やはり美術が建築のオマケでなくなる時代が中心になるので、古代~中世は第1章に詰め込まれている。
   古代の美術
 西洋における古代はギリシア・ローマの時代です。この時代の最も有名な美術作品と言えば、ギリシアのアテネにあるパルテノン神殿でしょう。できたのは紀元前五世紀。神殿であり、宝物庫的な役割も果たしていたと言われています。
 パルテノン神殿に実際に行ってみると、神殿が建っている場所にまず驚きます。街の中に唐突にそびえたつ巨大な岩盤の上に神殿がある。人間的な世界の中に急に神の台座が登場したという感じがあり、その意味でも崇高さを感じます。神殿に行くためには岩場を登らなければならず、自然の造形作用の延長で神殿が生まれたような、不思議な錯覚を覚えます。
 建築に注目するのは、絵画も彫刻も、もとは建築の装飾だったからです。たとえば、パルテノン神殿の脇にある建物を見ると、柱が女神の姿をしています。並ん女神たちが頭に屋根を載せているのは、現代の感覚からするとちょっと笑ってしまいそうになりますが、当時としてはよくある表現でした。神様を数える単位に「柱」が使われますが、ここでは文字通り神様が柱なんです。
 芸術作品というと美術館で見るものというイメージがありますが、それは本来の姿ではないのです。もともとは建築にくっついていたものを無理やりひっぺがして、台座で飾ったものにすぎないのです。ドイツの哲学者アドルノ(一九〇三~六九)は、美術館は墓場だと言っています。確かに、美術館に展示された作品というのはどこか死体のようです。
 見方も違っていたはずです。現代の美術館では作品ひとつひとつの距離が保たれ、静かな空間で、じっくり集中して見るものとされていますが、このような見方はむしろ最近のものです。一七~八世紀にルーヴル宮で開催された展覧会でさえ、巨大な壁に所狭しと絵が飾られていて、とうていひとつひとつじっくり見るものではなかったことが分かります。ましてパルテノン神殿となれば、人々の会話があり、砂埃が舞い、食べ物の匂いがしたかもしれませんね。
 さらに、パルテノン神殿が実はカラフルであったことも重要です。古代ギリシアの芸術といえば「大理石の白」というイメージが強いかもしれませんが、実際には着彩されていたのです。ルネサンスの時期に遺跡から発掘されたときにはすでに塗料が剥落していたため、「白かった」と誤解されてしまったんですね。

「絵画も彫刻も、もとは建築の装飾」というのだけれど、パルテノン神殿にはアテナの神像が置かれていたはずで、それは信仰の対象だったのではないだろうか。上の引用中に、女神たちの像が屋根を支えているとして装飾としたのだろうが、それは神殿を荘厳するためではなく、アテナを荘厳するためではないかと私は思う。
また、他の文化では、例えば仏画などは、描かれたものが信仰の対象になっているのではないか。
さらに遡れば、ラスコーやアルタミラの洞窟壁画はどうだろう。これもまた信仰あるいは祈りの対象だったのではないかと思う。

続く中世=キリスト教の時代では、イエスやマリアの像・絵というのがとりあげられていて、それらは美術品でもあるがそれ以前に信仰の対象であると明確に述べられている。
ただキリスト教は本来は偶像崇拝を禁止しているから、これらは布教上の便宜として慎重に扱われている。

キリスト教は一神教で、古代ギリシアやローマの多神教とは違うのだが、ギリシア・ローマに「〇〇の神」がいたように、キリスト教では「〇〇の守護聖人」というのがいる。というのが塩野七生氏の指摘である。


て、その後は「人間の時代」になる。
第2章はルネサンスで、中世の終わりから近代にわたり、第3章以降は近代に属する。
そのルネサンスだが、ルネサンスの初期美術はまだまだ規範的というか「こう描くもの」というイメージである。

思うに、古代ギリシア、ローマの彫刻類はとても写実的、肉感的であり、素晴らしいものがたくさんある。それがローマの後期からだんだん幼稚なものになっていく。これはギリシア・ローマの神々を否定し、肉感的なものを拒否するキリスト教の影響だろう。そのためそうした素晴らしいものをうみだす技術・技法が忘れ去られ、ルネサンスといえどもその初期においては幼稚なものにとどまったのではないだろうか。
それがルネサンスの天才たちによって、ようやく古代ギリシア、ローマの水準まで戻ることになる。

ついでバロックの時代になる。本書では第3章がバロックにあてられている。バロックは「ゆがんだ真珠」の意というが、破格の美を見出す。
   美術史の根底にある二つの感性
 ルネサンスとバロックの特徴は、対比すると次のようになります。


 ルネサンスバロック
 ・明瞭な輪郭線・曖昧な境界
 ・多数のものの統一感・渾然一体、流動的
 ・層構造・連続的奥行き
 ・左右対称・運動性
 ・永遠・瞬間


 ひと言で言うと、ルネサンスは「理性」、バロックは「ドラマ」と言えるのではないかと思います。法則が重視されていてすべてが明瞭だったルネサンスに対して、バロックはダイナミックな物語を感じさせてくれます。光の効果もあって、画面全体がドラマチックになっていく。バランスよりアンバランスが好まれ、見ていると「これからどうなっちゃうんだろう」とドキドキしてくるようです。
このように比較してもらうとその特徴がわかりやすい。
遅ればせながら、「はじめに」に比較ということのねらいが書いてある。
 言葉を引き出しやすくするために、今回の授業では「比較」という方法を用いて鑑賞を進めていきます。似たような二つの作品を前にすると、Aに対してはこの言葉、Bに対してはこの言葉、と言葉を当てはめやすくなるからです。比較はあらゆる学問の基本です。授業では折々に二つの作品を並べて比較し、その違いを言葉にすることを通して、感じ方と言葉の両方を深めていきたいと思います。
 この授業では約二五〇〇年という長い歴史を扱います。六回の授業で二五〇〇年ですから、とりあげる時代も、紹介できる作品も、当然ながら限られます。ですので、今回の授業はものすごく大づかみで西洋美術の歴史を概観するというスタイルになります。
 大づかみのいいところは、全体像が見えるということです。「この時代の作品は「こんな感じ」というおおよそのスケールが手に入ると、新しい作品を見ても「あ、この感じならルネサンスかな」といったことが分かるようになります。すると、新しい作品に出会ってもひるまなくなり、まず解説を読んでしまうという鑑賞スタイルを卒業できます。
 最後に、美術を学ぶと芸術作品が分かるだけでなく、日常生活の中での感じ方の解像度が上がります。美術で学んだことがツールになり、日常生活で触れるものの見え方が変わるのです。そんな見え方の変化を実感するワークショップもおこなっていきたいと思います。

ところで、ルネサンスとバロックは、現代まで繰り返す趣味・指向の二大傾向なのだそうだ。
 おそらく皆さんそれぞれ、ルネサンス派の人とバロック派の人がいるのではないでしょうか。ルネサンスとバロックの対比はこのあとの美術史を理解する上でも非常に重要です。
 一九~二〇世紀の美術史家ヴェルフリン(一八六四~一九四五)は、美術史の根底にはこの二つの感性がある、と言っています。表面的には、ルネサンス、バロック、新古典主義、ロマン主義、と様式が移り変わっていくように見えるけれど、つきつめると、ルネサンス的な感性とバロック的な感性の間を振り子のように揺れ続けているのが美術史なのだ、と。
 いわば二大政党制みたいなものですね。大統領や閣僚の顔ぶれは変わるけど、根本的には二つの異なる価値を体現する「ルネサンス党」と「バロック党」が交互に政権をにぎっていく。本書では、ひとつひとつの様式を丁寧にとりあげることはできないのですが、この二つの様式の違いを頭に入れておくと、個々の様式が整理しやすくなります(ただし次章で触れるように、一九世紀になると、この振り子理論では説明できない全く新しい表現が出てくるのですが)。

だそうだが、型と型破り(破格)の両方があってこそというのが多くの人が美を感じる要素ではないかと思う。ただ、破格のウェイトがどのぐらいなら良いかということがあるように思う。

さて、第4章からは近代になるが、絵を描くことが藝術として認知された時代だと思う。
それまでは藝術ではなく、職人仕事と考えられていたという。
 ルネサンスを代表する画家にレオナルド・ダ・ヴィンチ(一四五二~一五一九)がいます。彼は絵を描くだけでなく、『絵画論』という本も書いています。その意図のひとつは、芸術家の地位向上でした。
 それまで、絵を描いたり彫刻をつくったりする仕事は、職人の肉体労働だと考えられていました。社会的地位が低く、経済的にも評価される仕事ではなかったんです。
 たとえば、マザッチオの「聖三位一体」は、画家がまだ若かったこともあり一〇フィオリーノ(一フィオリーノは数万円)程度、「ダヴィデ像」を制作するミケランジェ口(一四七五~一五六四)の年俸は七二フィオリーノで、算術の教師の年俸一〇〇フィオリーノよりも安かったと言われています(松本典昭 『パトロンたちのルネサンスフィレンツェ美術の舞台裏』 NHKブックス、二〇〇七年)。今の美術史的価値から考えると、とんでもない安さです。
 レオナルドはこのような状況に対し、絵や彫刻をつくる仕事は、世界をとらえる精神的な活動なのだということを主張しました。彼は最終的にフランス国王からクロ・リュセ城という城を与えられ、そこで晩年を過ごします。絵や彫刻をつくるのは職人の仕事と思われていた時代から考えると、ものすごい出世です。

美術が藝術になり、そして藝術が金になる。それだけなら職人と同じだけれど、藝術が稼ぐ金は、とてつもない額になる。(評価されなければ一文の値打ちもないが)
レオナルドも自分の描いた絵が何億円にもなるとは思ってもいなかっただろうが。

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