坪野哲久のこと
短歌の歌壇で名を成した人です。
日本共産党員です。
今日の赤旗日刊紙(web版には出てない)に最近20年がかりの歳月をかけた「初評伝 坪野哲久ー人間性と美の探究者」(角川書店)を出版された山本司さんのインタビューが出ていた。
山本さんが坪野哲久に興味を持ったのは19歳の時に「短歌」に掲載された塚本邦雄の「坪野哲久論ーあるいは傑作の悲劇について」だった由。
絶叫短歌で有名な月光の会を主宰する福島泰樹も坪野哲久に大きく影響を受けた一人です。
その総合文芸季刊誌誌『月光』に坪野哲久の貴重なインタビュー(1・2号)やその遺稿となる「方丈旦暮」50首(2号)を掲載、哲久再評価の大きな流れの先鞭をつけました。
今、坪野哲久は短歌史の中で忘れさせられようとしています。
歌壇ではほとんど取り上げられることはありません。
作品が紹介されることはあってもその作品の背景のことは全く書かれません。
山本さんはこの本の執筆の動機をこう書いています。
「・・ある有名な歌人はなぜ坪野哲久は共産党員なのかというようなことを書いていますが、彼が戦前から時代と対峙し、戦後も共産党員となって志をつらぬいて苦闘した姿を赤裸々にすることは、今の時代状況のなかで、非常に大事なことだと考えたわけです。」
またこうも書いています。
「・・・戦後の日記では日本共産党との関係など、事情を知らない人が見れば誤解をもつ人も出るかも知れませんし、戦前についても歌壇からは”転向者”と都合のいい解釈がされることも多いので、きちっと解明しておきたかったことも、評伝執筆の動機の一つです。」
短歌実作者にはこの言葉を送っています。
「仲間内だけの評価だけではなく、いわゆる思想信条抜きにしてもこの作品はいいと評価されるものを目指して行く、我々の課題だと思います。」
山本さん好きな哲久の歌としてこの歌をそらんじて挙げています。
春さむきかぜ一陣の花びらがわが頬をうち凝然と佇つ
こんな歌で坪野哲久と山本司を称えます。
寒風に向う歌人の継ぎて行く哲久の魂の底からの歌
以上です。
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水滴の華
村雲さんは新日本歌人協会全国幹事です。
5年前くも膜下出血で倒れ二度の手術後、退院間際に突然、夫を亡くして、療養しながら治療し、主治医から「旅が一番いいリハビリ」と勧められ中国へ旅行。
その中での短歌を紹介します。
われを呼ぶははの声が聞こえくる風がなびける柳の巨木
(旧満州開拓村)
余すなく村中配らんビラ背負う細き近道地下タビ穿きて
(広島県三次市)
短歌についてこう語っています。
「歌は不思議な力を持っています。心の中が澄んで楽になるのです。自分を輝かせる力がわいてくる気がするのです。」
また歌集「水滴の華」についてはこう語っています。
「間違いないことを、自分が一生懸命やってきた思いを凝縮した歌集です。」
間違いない一生を送りたい。
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