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2024年7月23日 (火)

たのむべき奴もなし

国土を侵食する太陽光発電

 伊勢への列車旅で、太陽光発電の装置が各地で目につきました。雑草が隙間から出ているようなものもあります。元が農地であったと思われるような立地にもあります。耕作する人間がいなくなれば、食糧生産は不可能ですから、やむを得ないのかもしれません。しかし、一旦、パネルが張り巡らされてしまえば、農地に戻すことは難しいでしょう。食糧自給力を高める努力をしなければ、近未来の食糧を巡る争いを乗り切るのが難しくなるでしょう。伊勢神宮は、神様に差し上げる食事は、米や塩を含めて、基本的に自給しているのだそうですが、可能な限り、見習いたいものです。土地をパネルで埋めてしまうのではなく、今後の太陽光発電も、建物自体を新しいタイプ(ペロブスカイト太陽電池)で覆うような形態が望ましいと思います。景観の面からもメガソーラーに歯止めをかける必要があると思います。

 

朝粥

 伊勢市へ行く機会があり、教えてもらった外宮前の「あそらの茶屋」で、朝粥を食べました。7時30分からの営業ですが、7時15分頃に着くと、8組目(1人客が比較的多い)でした。それでも、開店時に入店でき、鯛の朝粥定食(ほかに伊勢海老、鮑、サザエなどもあり)をいただきました。箱型のお膳で1人前ずつ持ってきてくれて、定食の内容を丁寧に説明してくれます。粥(出汁付き)はお代わり自由なので、男性なら2杯くらいは食べるでしょう。焼いた目刺しが2匹ついており、久しぶりに食べました。温泉卵は、そのまま食べてもいいし、粥に入れても味変になります。その他のおかずも味付けのバランスが良く、定食としての完成度が高い粥でした。前夜の酒盛り(而今が特に美味)を受けて、健康によい朝食になりました。朝食後、ペットボトルを2本仕入れて、強烈な日差しの下、大満足で外宮へと向かいました。

 

金剛證寺

 伊勢から志摩方面に向かう伊勢志摩スカイラインを通って車で行く、朝熊山にある臨済宗南禅寺派の寺院です。平安時代には、弘法大師によって、堂宇が整備されて、密教修行の一大聖地になっていたそうです。伊勢神宮の鬼門を守る寺で、虚空蔵菩薩(秘仏)とともに、天照大神をお祀りしています。伊勢音頭で、「朝熊かけねば片参り」と謡われているので、興味を持って、訪ねることにしました。日曜日だったので、少ないながらバス便(片道800円)があります。帰りの便に遅れぬように、境内を奥の院まで足早に見て回りました。奥の院は、高野山の雰囲気で、江戸時代の墓石も苔をまとって並んでいます。特に、太く長い木製の柱型の卒塔婆の列が壮観です。このような形状の先祖供養は始めて見ました。最も太く長い柱は、50万円と書いてありました。本堂など主要な堂宇は、江戸時代に家康の命により池田輝政が再建したものです。朝熊山の頂上付近に開かれた寺院なので、伊勢参りの旅人が急坂を上って参詣するのは、相当大変だったろうと感じます。猛暑の中、朝から、外宮、内宮とかなりの速度で回り、おはらい町での「てこね寿司」の昼食後に、猿田彦神社にも行った上で、へんば餅のお店で時間調整のために休憩して、やっとの思いで金剛證寺に参拝したので、奥の院からバス停に向かう足取りは相当疲労の色が濃かったことを想い起こします。それでも、おかげさまで、伊勢参りを完結することができました。同行してくれた方には感謝です。

 

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