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2016年8月

2016年8月24日 (水)

国大協は「論点整理」で新テストに関して何が言いたかったのか?(2)

「最も考慮すべきこと」として、記述式試験を採用しない自由を認めるのも選択肢だと主張している点が実は重要である。個別試験において、記述式・論述式試験が適切に行われれば、何も拘る必要がないのではないかというわけである。主要な国立大学が、共通試験の記述式試験の結果を利用しないとすれば、文科省の検討・準備グループは、正に労多くして益少ない議論をしてきたことになる。「それを言っちゃあ、おしまいよ。」というような指摘である。しかし、国立大学としては、あくまで個別試験によって入学者選抜を行うことを原則と考えていることは明らかで、文科省もそれを容認せざるを得ないと考えるならば、新テストの検討も再び原点に立ち返って、現実的にオペレーション可能な形に整理し直した方がよい。

 

論点整理という中途半端な文書を公開したことは異例だが、文科省の検討・準備グループが袋小路に入り込んで行くのを、現実に引き戻す効果が得られれば、まんざら悪くもない。恐らく国大協は裏で文科省と調整しているはずだから、今回も、文科省の露払い役として機能しているものと推測できる。今後、政策の方向転換があれば、やっぱりということになる。そうならなかったら、文科省はこの件に関して当事者能力を失っていると見なして良い。そもそも、国大協の論点整理などという婉曲な手段をとらずに、文科省が自力で落とし前を付けられないのだろうか?これまで新テストの迷走気味の検討に費やした年月は、何だったのだろうか?虚ろな真夏の夜の夢だったのなら、早く目覚めるに越したことはない。

 

 

 

 

国大協は「論点整理」で新テストに関して何が言いたかったのか?(1)

2016819日付けで、国大協の入試委員長名で公表された「大学入学希望者学力評価テストの実施時期等に関する論点整理」は、新テストの検討への強烈な牽制とも、あるいは国大協内のガス抜きとも捉えることがきる不思議な文書である。国大協が一枚岩でモノを言うのは無理だというメッセージにもなっている。これまでの個別試験において、記述・論述式問題が出されている大学(学部)とそうでない大学(学部)では、新テストへの関わり方が異なってくるのは、ある意味で当然だと述べている。このような重要事項に関して見解をまとめられない状況に至っている国大協は、存続の危機にあるのかもしれない。論点整理という曖昧な形には、無責任の誹りを免れつつ、分裂回避を図るための窮余の策と見ることもできる。

 

上記の文書では、高校教育への悪影響を排除し、分離分割方式を維持したければ、記述式の採点を遅らせる(第1段階選抜には使用せず、個別試験による選抜に使用する)しかないとしている。その分析を前提に、記述式の採点を個別試験の出願先の大学(学部)で行えばよいという選択肢が提示されている。問題を出した主体と採点する主体が異なるという変則な案であり、受験生や保護者からは受け入れられにくいとは思うが、その第一印象ほど不合理だとも言えない。記述式の採点という大きな負担を出願先の大学への分散によって処理する現実的な案だとも言える。ただし、文書に添付された別紙の指摘を見れば、各大学における採点への疑問、漏洩・紛失のリスクを含む実施上の困難、公私立大学の参加の困難など、もっともな論点が並んでおり、自らの提案を自ら葬っている印象もある。結局ダメだというならば、選択肢にはならないはずである。結論を示していないので、議論の遊びのようでもある。うがった見方をすれば、言質を与えないための狡賢い表現を工夫したものだとも言える。

2016年8月10日 (水)

つくば研究学園都市をどう再生するか?(2)

3に、つくばの研究機関・大学をコンパクトに再配置する計画を持つことである。50年前の研究学園都市の構想は、機関ごとに広々とした敷地を確保するというメリットの一方、離れすぎているために機関間連携による共創の場が作れないという大きな問題に直面している。老朽化に伴う施設への再投資の時期には、つくば内での移転も検討した方がよい。恐らく、国の財政事情から、再投資は規模の縮小になるだろうから、各機関ともこれまでのような広い敷地は要らなくなる。少なくとも、今後の施設整備に当たっては、協働のためのプラザから距離が近い立地に、研究機関の新規の研究開発機能を集中投資することにより、連携企業の参画も含めて、意図して共創の場を作るように工夫することが必要である。こうしたコンパクトな配置は、グルノーブルなどのイノベーション都市では当然になっており、つくばの構造改革においては、最も急がなければならないポイントである。

 

府省の縦割りにとらわれて閉塞感を抱居ても仕方がない。国からの支援を得ることにのみ心を奪われていては、マネジメントの不毛からイノベーション創出にはほど遠い結果になる。新しいビジョンの鍵は、国依存からの卒業が握っていると考える。シーズの宝が持ち腐れになっているのは、関係者の行動原理が大きな障害になっているからである。国の予算は効率的に使わせてもらうが、予算が執行される時点では、プログラムとしては少なくとも2年古くなっている。そんなものを当てにしていて、イノベーション創出への競走については行けるだろうか?もう十分分かっているのだから、財務を含めた国からの自立を覚悟して、自分たちの意思で歩みを進めていくべきだろう。

 

 

つくば研究学園都市をどう再生するか?(1)

つくばは、イノベーション創出拠点として、安部総理からも期待されている。しかし、霞ヶ関の縦割りが研究機関間の連携を難しくしていること、つくば市は人口20万強で自治体としてパワー不足であること、製造業の集積が不十分で事業化・産業化への展開が地元では難しいことなどが、壁になっている。研究学園都市の構想が政府によって決定されてから50年、科学技術万博の開催から30年、つくばエクスプレスの開業から10年の年月が流れ、つくばを再生するには、新たなビジョンが必要になっている。ある起業家からは、「こんなにシーズがあるのに、もっとビジネスになっていてもおかしくないが・・・」と言われている。30年先を見据えたビジョンの骨子を、自分流に発想してみたので、簡潔に述べてみたい。つくばの関係者が、共通のビジョンを持たなければ、30年後は新たな投資も行われることなく、研究学園都市の遺構だけが残ることになってもおかしくない。

 

1に、はっきりしておくべきは、シリコンバレーは目指さないという点である。妄想は捨てて、東京圏の衛星都市として、ロボット、医療・バイオ、ナノテク・材料の分野で、強みを発揮することに集中することである。つくばエクスプレスは、東京から、埼玉、千葉を経て、茨城に達する路線であり、つくば市から成田空港は道路網の整備で近接している。イノベーション創出の連携先を狭い地域から選択する必要はない。

 

2に、つくば全体として、トランスボーダーという性格を強化する。国際的に開く、学問領域を超える、あらゆる縦割りを乗り越えるためである。それを実現するためには、イノベーション創出への支援機能を、機関を超えて一箇所に集約することが望ましい。つくば駅から徒歩圏内に協働のためのプラザを建設して、府省・機関の機能・人材を集めて、サービス窓口を一本化できれば、一皮むけることができるだろう。知財、ファイナンス、成果情報、連携契約などの支援機能が一元化されることで、外部からつくばの研究機関へのアクセスが容易になる。こうしたことが実現しなかったのは、専ら国の縦割りの予算措置に依存していたためである。関係府省が傘下の研究機関を支援するだけでは、全体としてイノベーション拠点都市にはならない。また、他の競合地域と争って得られる補助金の効果はたかが知れている。自治体が中心になって、政治も巻き込んで、プラザ建設、機能一元化を実現する運動を起こすしかない。ただし、国の司令塔が実質的に機能していないので、自ら官邸へ働きかけをするくらいでないと、国からの支援は期待できない。

2016年8月 7日 (日)

国立大学法人の財務をどうしたらよいか?(6)

受講生から、次のような指摘があった。国立は、私学と比較して事務職員の雇用が多い。1人当たりの生産性も低い印象を受ける。こうした点を改善することが、重要なのではないか?確かに、法人化後の事務職員の数は削減されてきているが、事務職員の役割は大きく変わっておらず、構造的な改革への取り組みは遅れている。個人的には、産学連携等の収益が期待できる分野を除き、基本的に私学のモデルへの転換を図るべきだと考えている。教員についても、授業科目が多すぎるくらいなので、教育プログラムの構成の観点からは、人数を削減しても支障はなさそうである。研究力の低い教員を削減することが可能であれば、経営的にも助かる。ただ、絵に描いたようにうまくリストラが進むかどうかはわからない。18歳人口が減少しているために、国立大学の入学定員自体を見直して、全体規模を縮小したらどうかという考えもある。学生の質が上がり、国の予算措置も楽になる。ただし、大学の研究力は大幅に低下するので、国際競争から降りる覚悟が必要であろう。

 

受講生から、施設の耐震工事に要する予算は適切に確保されているのか、質問があった。私学にもIS値が低い施設の耐震工事については補助制度がある。国立も耐震工事はほぼ完了しているが、筑波大学では未改修の施設が残っており、補助金の予算化を待っている。改修は、老朽化対策の面もある。施設整備費予算が抑制されているために、教育プログラムの実施にも影響がある。例えば、国家資格の取得に関連して、間仕切りをしたブースを多数整備したいとの要望があるが、大学としては、耐震工事の予算で行うしかないので、待ってもらっている。予算措置がいつ、どれほどになるのか、国にお願いはするものの、専ら他力本願なので、大学法人としては経営上の見通しは持ちにくい。

 

 

国立大学法人の財務をどうしたらよいか?(5)

受講生から、人件費の膨張を防ぐために、評価制度の導入などの取り組みを工夫すべきだという意見があった。評価制度は存在するが、労多くして益少ない状態である。機能させるには、外部のコンサルタント等の活用によって、しがらみに支配されない衡平な運用を工夫するしかない。中の人間だけでは無理である。今一番検討しなくてはいけない点は、人件費の財源を運営費交付金以外からも持ってくる混合給与の仕組みである。これまでは、国家公務員の給与システムのイメージを引きずってきている。人事院勧告に準拠して賃金がアップするとの期待感がある。しかし、運営費交付金は、人事院勧告とは全くリンクしていない。だから、値上げしようにも財源がない。この点が、分かってもらいにくい。教員の給与システムを年俸制に転換することが前提になる。退職金相当分を前倒しで年俸に乗せていくことになる。なお、国立大学法人会計基準には、退職手当の引当金を積み立てる仕組みはない。承継職員(平成16年度の法人化される以前には国家公務員だった人のこと)については、国が負担すると説明されているが、法人化後に採用された者の退職手当は積んでいないので、隠れた法人の負債(国が義務的に負担する性格のものではない)になっている。年俸制の基礎となる給与に加えて、当人が外部資金を獲得した場合に、その財源から給与を上乗せするような仕組みができれば、運営費交付金の削減が続いても、正規の教員数が連動して漸減していくことを防ぐことができる。外部資金の獲得自体を評価基準にできるので、運用上のコストもかからない。

 

受講生から、寄付金に関して質問があったので、次のように回答した。周年事業として取り組まれてきた従来型の募集ばかりではなく、先進的な私学や東京大学などでは、毎年度の寄付募集に力を入れているところが出てきている。ただし、同窓生の団結力が強くないと寄付募集は伸びない。

 

受講生から、病院経営に関して質問があったので、次のように説明した。病院経営の改革でまず取り組むべきことは、調達コストの削減だとされる。特に、医薬に関しては、多くをジェネリックに切り替えるなどコストを圧縮する措置が取られている。民間病院と同様にはいかないものの、積極的にコスト削減をしないと、赤字から脱却できない。筑波大学でも、PFI契約の見直しを繰り返して、患者さんへのサービスに影響がない範囲で、コスト削減を実行している。設備投資を過度に先送りすると、医師・看護師ほか病院関係者の不満が溜まり士気も落ちるので、注意が必要である。茨城県は医師不足の県だが、医師養成・確保の上で、筑波大学の役割は非常に大きい。附属病院は、人材育成の場でもあり、単に経営面からは語れない。

国立大学法人の財務をどうしたらよいか?(4)

経営的にみれば、国立の看板は薄くなっている。経営の自立化を求められており、受益者負担の強化、産学連携による資金獲得、資産活用の工夫など、私学と同じ課題を背負っている。

 

受講生から、大学の種別による収入構造の違いについて解説を求められたので、規模の大小、病院の有無でかなり相違があることを、次のように説明した。小規模な単科大学では、運営費交付金と学生納付金で大半の収入が賄われており、その他収入の増で、これらの代替は利かない。大規模な総合大学では、運営費交付金は全体の33%程度で、学生納付金と合わせても収入の半分まで行かない。病院に関しては経営状態が悪いので収益源として見込める状況ではないが、外部資金等の自助努力による収入は伸びている。資産活用、収益的な事業を含めて、今後の自助努力の拡大余地はかなりある。運営費交付金については、小規模校に手厚くして、競争的資金の直接・関係経費に係る制度改正で稼ぐ余地を広げてもらえば、大規模校はそちらから収入増を図るという目論見である。

 

受講生から、学生納付金について、国立の役割に照らして、私学並みにはできないのではないかとの意見があった。確かに、20%アップを超えて、自由だから2倍にするというような上げ方は現実的ではないだろう。授業料の金額で、受験生の志望校選択も変化してくる可能性があり、反応を見ながら徐々に上げるしかない。学長らが値上げに慎重な姿勢を取る要因の一つは、国際的に割安な授業料によって、米国・英国等からの優れた留学生を誘引したいという考えがあるからである。私学に言わせれば、ずるいやり方である。米国の州立大学でも、州外からの学生、外国人には特別な料金が設定されており、納税者優先への配慮がなされている。入学定員の中で外国人留学生の割合をどこまで増やして、同じ料金で教育することが許されるのか、きちんと議論しなければならない。外国人留学生を日本企業が採用したいという希望もある。料金設定で抑制するのもどうかとも考えられるので、国立大学の役割論から議論を整理する必要がある。

 

 

国立大学法人の財務をどうしたらよいか?(3)

国立大学法人の財務上の危機をどう乗り越えるのか、収入源の方から考えてみたい。具体的には、国予算、学生納付金、寄付金、外部資金、資産活用、収益的な事業などが収入源である。第1に、国予算は、運営費交付金(文科省)、競争的研究費(直接経費・間接経費)(各省)、委託費・補助金等(各省)である。運営費交付金は政策的に抑制が続いているので、最も好ましい財源ではあるが、予算増は期待薄である。その代替手段として、直接経費から研究者の人件費の一部を支出可能にするという改革案が提案されている。あるいは、間接経費をすべて60%程度に引き上げるという提案もある。米国の一流研究大学と同程度にしようということである。ただし、国として、これらの代替手段の方が容易だとも言えない。国である以上、財政事情に左右されるのは同じである。第2に、受益者負担の増は、20%アップまでは運営費交付金の減額措置はとらないことになっており、もしも実行すれば、確実な収入増になる。私学との授業料の差は、まだ相当あるので、この程度の値上げで志願してくれなくなるならば、そんな大学は退場せよと言われても仕方がない。しかし、学長たちの反応は、一般的に極めて慎重である。英国の国立大学では、競争力を高める財源を得るために、国から許される最高額まで授業料が速やかに値上げされたのとは対称的である。近未来には、我が国でも20%アップ(年間65万円程度)は当たり前になるだろう。第3に、外部資金の拡大については、民間企業との連携によって、研究費及び間接経費を増やすことが狙いになる。我が国では、1件当たりの産学連携の金額が200万円程度と小額なので、高額案件を増やす努力が行われており、成果も出始めている。第4に、資産活用は、制度改正が行われたので、今後、土地の賃貸等の手法で、収益が上がってくるだろう。特に、都内の土地については、収益源になる可能性がある。もちろん、法人として不動産業がメインになるわけではなく、教育研究活動の資金を稼ぐことが目的である。

 

 

国立大学法人の財務をどうしたらよいか?(2)

国立大学法人の財務の特色について述べてみたい。第1に、土地はほとんどが国から出資されたものである。施設も大半は、国の補助金で整備したものである。最近は、目的積立金や寄付金を財源の一部として整備された施設もある。国が施設整備に責務を負っているという建前があり、法人の会計基準でも償却資産を法人の負債と扱わない考えがとらえている。以上の点は、私学と大きく異なる。第2に、国立は、基本的に収益事業ができない。規模の小さい駐車場や会議室等の時間貸しなどは附帯事業として行われている。附属病院は事業として収益を上げることができる。もっとも、その収支状況は特に最近厳しさが増している。例えば、順天堂大学の病院とは、経営の様相が異なっている。附属病院は消費税の値上げ分(5→8%)を実質的に転嫁ができていないので、経営が圧迫されている。筑波大学の附属病院は、PFI事業で病棟整備を行ったために、初期段階では損益計算書上の赤字要因になる。昨年度はようやく現金ベースでは黒字を計上したが、290億円くらいの予算規模でありながら、黒字幅は2000万円程度である。ほとんど誤差の範囲に過ぎず、大企業グループなら組織としてリストラ対象になりかねない。しかし、赤字に陥ったとしても、大学は附属病院をリストラできない。国立大学では医療技術に優れた医師を配置することは優先されていない。研究者であり、かつ教育者としての能力が求められる。経営体としての病院は、伝統的に、収支トントンでやればよいという考えが強い。第3に、暦年で見ていくと、大学法人全体の人件費が上昇気味で、その抑制が経営上の最大の問題となっている。平成24年、25年度は、国家公務員準拠で給与を抑制したが、26年度に元に戻してから以降は、人事院勧告に準拠した賃上げが財源不足で実施できない大学が増えている。アベノミクスの賃上げ作戦の観点からは、落ちこぼれセクターである。第4に、施設整備費について、老朽化や耐震化のニーズを満たす規模が当初予算では確保されていない。補正予算、大学の経営努力で更に財源を上積みしているが、それでも十分とは言えない。私学から見れば贅沢な話だが、受益者負担はされていない。筑波大学では、かつて目的積立金が25億円程度もあった第1期中期計画期間に、学生宿舎の約半分強の改修経費に、その金を使った。改修後の宿舎費を適正に値上げすれば、その増収分で残りの半分弱を改修できたと思うが、そういう計画を立てなかったために、いまだに未改修宿舎がそのまま残っている。学生担当職員の頭が親方日の丸から脱却していなかったためである。受益得者負担の考え方が、やっと最近定着してきたので、受益者負担をもとに残りの改修計画もやっと動き出すだろう。以上が、私学との違いである。

国立大学法人の財務をどうしたらよいか?(1)

担当した教育プログラムの2コマ目の内容を紹介したい。受講生は、私学の大学職員である。したがって、私学との基本構造の違いを理解してもらい、私学と共通のテーマを中心に意見を述べてもらうことにした。大きな相違点は、主たる財源が、私学のように、学生納付金(学生の保護者の負担)ではなく、国からの運営費交付金であることだが、国の財政事情の悪化から、この予算が削減されてきている。そのため、国立の財務の景色も変化している。結局、大学教育の経費を、誰がどれほど負担することにするのかという命題に行きつく。国立大学法人側から見れば、財務の自立性をどう実現するのかということになる。

 

運営費交付金の削減は、誰が悪いという問題ではなく、やむなくという面が強い。そうした政策が選択されているのは、それも仕方がないと国民が考えているからだとも言える。大学の自由を確保するためには、財務の自立が必要であるという理念を、私学の創立者たちも強く意識した。私学も高等教育の大衆化が進む中で、国からの助成制度を充実するよう運動してきた歴史を持つが、昨今の国立大学法人と政府との関係の変化を見ながら、財務の独立の重要性を再確認しているのではなかろうか?

 

 

2016年8月 5日 (金)

大学にとって産学連携はどんな意味があるのか?(5)

大学間での研究人材の獲得競争も激しくなる。経営上の観点から、企業との連携の必要が高まる。事務職員の役割も変化する。産学連携を支えるスーパー職員誕生への期待もある。従来、最先端の研究者は、大学の中からの支援には決して満足していなかった。JSTなどの専門家からの支援を受けてやっと知財戦略等を構築してきた経緯がある。受講生から、基本計画が示唆している大きな変革の実現には、どうしても政治の力が必要になる。既存の司令塔機能は十分働いていないとの意見もあった。確かに、ビジョンから計画立案、実行までをフォローしていく大局を押さえている司令塔が理想である。現実は、施策が関係府省の課レベルで展開されており、内閣府も府省間の利害調整に忙殺されている。総合科学技術イノベーション会議は、内閣総理大臣が議長で最も格の高い構成になっているにもかかわらず、機能していないとの批判がある。官邸に科学技術顧問を置くべきだとの声もあり、安部政権で実現する可能性があるかもしれない。米国の大統領顧問、英国の首相顧問(プラス各省大臣顧問)をモデルにしようというわけである。これが、一つの突破口になることを期待したい。

 

最後に付言するが、産学連携を進める大学にとって、軍事研究への関与には注意が必要である。民生用、軍事用の明確な区分は難しい。デュアルユース問題として日本学術会議でも議論されているが、簡単に結論は出ないかもしれない。大学によっても歴史的に考え方が一様ではない。産学連携において、軍事に応用される可能性がある技術については、注意が必要だという点を認識しておいてほしい。また、企業との関係が密接になればなるほど、大学内部で研究不正や利益相反のチェックを厳格に行わなければならなくなる。

大学にとって産学連携はどんな意味があるのか?(4)

基本計画には記述されていないが、米国との究極の違いは、人間自体かもしれない。国民性かもしれないが、人間同士の関係が違う。日本人は心理的にオープンな関係を作るのに時間がかかる。最近読んだハーバード大学の研究者による心理学の本には、創造力は、知識ではなく、性格に依存すると書かれていた。使う脳の部分が違うのかもしれない。幼児段階での教育が大切になるだろう。会社の中でベンチャーに取り組む手法も採られているが、起業家として成功する人は、企業人としては、はみ出し者になる恐れがあり、中で飼い殺しになるか、本人が飛び出してしまうかもしれない。シリアル・アントレプレナーに向いている人を、大学の卒業生の23%くらいでも育てられれば、随分と世の中が変わる。起業には失敗が付き物であり、素質がある若者でも、人生に躓くリスクを回避したい心理から、大企業への就職を選択する傾向にある。受講生からも、失敗しても、再びチャンスがある社会的な仕組みがないと、挑戦しにくいという意見があった。ベンチャーでは、失敗は成功のもとなのだが、我が国では失敗=ダメ人間だと捉えられがちである。以上の点を改善するには、子供のころからの教育が鍵を握っている。ベンチャーファンドに関しては、かなり普及・拡大してきている。山陰の人口減少の地域での起業にも金を出しているファンドもある。スタート後の事業拡大期を乗り切るのは大変だが、スタート時に関して状況は改善されている。

 

次に、大学側から産学連携を考えてみたい。企業の要請に応じていく必要はあるが、大学と企業とは性格が異なる。文化の違いから企業人が求める反応スピードに至らない面がある。自治体や大学からの人材が調整役の団体に出向したとしても、いきなり役に立つのは難しい。大学や研究機関の窓口が一本化されていない点が解消されれば、企業側からは随分とアプローチがしやすくなる。つくばのような多数の研究機関がある場所では、仮に機関を超えた窓口が機能すれば、企業のトップ層に訪問してもらえるチャンスが増えるので、具体的な連携も早くなる。これは、重要な改善ポイントである。

 

受講生からは、経団連からも人的交流を求める声があるが、教育機関としての大学から人材が流出してしまうと教育力に陰りが出るという意見があった。確かに、人材循環は大切だが、大学でも高額の研究費を獲得している者は多くない。間接経費で貢献してくれる大型研究費を得る力がある研究者が流出すると困る。これまで国立大学の正規教員の人件費は運営費交付金から賄われてきたが、運営費交付金からの支出を、例えば70%にして、間接経費その他外部から獲得した資金によってプラスする混合給与システムに切り替えていくことが検討されている。そうしないと、教員の頭数を例えば30%カットせざるを得ない計算になる。運営費交付金の抑制の影響が、いつまでに、どれほどになるかは分からないが、流れを読めば、国立大学でも年俸制への転換、混合給与の制度化を真剣に検討すべき時期に来ている。

 

 

大学にとって産学連携はどんな意味があるのか?(3)

受講生による討論のポイントは、オープンイノベーションの必要性、産学連携を推進する上での課題の2点である。オープンイノベーションに関して、受講生からは次のような意見表明があった。産業の国際競争力を強化するために有効で、特に、我が国のICT関連のビジネス展開で苦戦しているので、巻き返し策の一環として重要である。ビジネス展開へのスピードアップの方策として我が国の弱点を矯正する意味がある。このままでは、成果の社会実装が促進されないので、産学のステークホルダーの集結が必要である。起業家が活躍する環境を整えるという意味でも、オープンなビジネス情報の交換、協議の場は有効である。

 

確かに、つくばでも、研究機関からのシーズが多い割にはビジネスに繋がっていないと言われている。宝が眠っている状態である。したがって、地域のイノベーション・エコシステム(イノベーション創出が連続的に起こる生態系)を作るべきだと指摘されている。シーズは重要だが、イノベーション創出には、一要素にすぎない。神戸や川崎などでは、自治体や中間法人が、大学や企業の交流の場を支えて、エコシステムを担っている。異業種の人たちを含めて、フランクに話ができるオープンな場の構築が肝心である。人口20万人程度の自治体では、エコシステムを支える役割を担う人材が得られない。自治体の財政力も十分ではない。国からの支援をもらわないと、エコシステムづくりが立ち上がって行かない。駅前にステークホルダーが集まるプラザのようなものがなければ、機関を超えて役者が揃わないので、イノベーションへの化学反応が起きず、エコシステムに至らない。

 

 

大学にとって産学連携はどんな意味があるのか?(2)

日本を代表する企業が米国等の世界的な大学と結ぶ共同研究契約の金額は1件で100億円のケタにも達しており、我が国の大学との契約金額とは、2ケタ以上違っている。また、我が国の共同研究の1件当たりの金額は、平均で200万円程度であり、この規模拡大が悲願になっている。オープンイノベーションの意義は、主にビジネス展開へのスピードを上げること、ビジネスを創出するコストの削減を行うことなどである。資料集の方に、大阪ガスの成功例が出ている。自前主義から脱却しようと考えている企業は多い。大学・研究機関にとっても、資金面で企業と組むメリットは大きい。企業からは、大学等に関して、実用に繋がる成果が少ない、対応のスピードが遅い、産学連携本部等仲介機関の機能が不十分であるなどの問題点が指摘されている。企業に本腰を入れてもらうには、こうした点を払拭しなければならない。

 

我が国の大学での研究体制は博士課程学生(RA)によって、支えられてきた面がある。米国等は、研究活動はPIに雇用されたポスドクが中心で、実験・研究支援などの機能を担う人材を含めてチームを構成して、工場生産のように研究が推進されている。我が国の家内工業的な体制とは差がある。大学の内部に知的財産戦略が分かる人材がいなかったので、最先端で世界と競争している我が国の研究者は、JST等の機関の人材に頼っていた。第5期計画では、世界との差を埋めるために、重点的にオープンイノベーションを強化する方針を打ち出しているが、当然ながらオープン万能ではない。クローズド戦略との最適な組み合わせを工夫することが必要になる。

大学にとって産学連携はどんな意味があるのか?(1)

8月初旬、大学職員を対象にする教育プログラムで話をする機会があった。その概要を紹介したい。第5期科学技術基本計画の第5章「イノベーション創出に向けた人材、知、資金の好循環システムの構築」を読んでいる大学職員は少ないだろう。講義の前に資料集とともに目を通してもらったので、それだけでも勉強になったはずである。国立大学法人は、運営費交付金等の比較的自由に使える金が、実質的に減額され続けている。私学には、学生1人当たりの国からの支援に国立と大差がある点に納得できない差別感がある。大学の現場には、国からの資金供給の先細り感があるので、産学連携で企業からの資金を得て、教員の給与等にも充てることが検討されている。それゆえに、産学連携は、単に研究推進の手段に止まらず、大学経営戦略上の重要課題でもある。それに伴って、事務職員にも新たな役割が期待されている。教員への事務的な研究支援のみならず、自治体や企業とのパイプを築いて、連携の企画・調整役を担える人材が求められる。私学では、学生の募集、就職支援がメインの仕事だろうが、産学連携もそれに並ぶ重要性を持ちつつある。

 

5期の科学技術基本計画の第5章について、ポイントを確認しておきたい。真っ先に取り上げられているのは、オープンイノベーションである。今後5年間に大学・研究機関から企業への人材循環を2倍にする、企業から大学・研究機関への資金供与を1.5倍にするというKPI(目標)が設定されている。このようにKPIが設けられている事項に注目してほしい。設定されている目標は、経団連等との調整の結果なので、達成には努力が必要だが絵空事にならない程度になっている。経団連への参加企業も事実上コミットしていると考えてよい。人の流れ、金の流れを変えていくことで、オープンイノベーションへの構造改革を実現しようという政策である

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