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日本に伸びしろは存在する〜平田オリザ「三つの寂しさと向き合う」を読んで

 平田オリザ氏が「POLITAS」に寄稿された「三つの寂しさと向き合う」という文章が静かに話題になっている。
 しかし、私は、オリザ氏の主張の大部分には同調するものの、全面的に肯定はできなかった。それは、この文章が「熟年の論理」であったからである。

 オリザ氏と私は同じ世代である。子供の頃に、高度経済成長を経験した。小学校低学年の頃には、日本にはまだ「戦後」の影と「目に見える貧困」が残っていたものが、みるみる豊かになっていくのを見ながら成長してきた。
 そして、社会人になってからバブルを経験した。今から思えば信じられないようなものすごいお金がいともたやすく動き、30そこそこの社員が簡単に億単位のプロジェクトや取引をやっていた。
 そして、バブルがはじけ、日本が長い停滞に入り、そこからまだ抜け出せてはいないことを知っている。
 いかにアベノミクスのが喧伝され、現政権になって経済が持ち直したと宣伝されても、私たちは「本物の経済成長」や「本物の好景気」というものを知っているだけに、いまの「好景気」なるものが実体を伴わない薄っぺらなものであり、それはバブル以上にもろいものであることを体感しているのだ。
 
 だからこそ、オリザ氏は言われるのだろう。
 
もう一つは、もはや、この国は、成長はせず、長い後退戦を戦っていかなければならないのだということ。

 しかし、そんなことがあっさり言えてしまうのは、私たちがすでに熟年と言われる年代に入っているからだ。
 若いときにやりたいことをやりつくし、おいしいものを一通り味わい、行きたいところに行ってきた。そのうえで、その過去の楽しかった想い出を胸に、これからは、生物学的にも抗いようがなく衰えてゆく肉体の殻に閉じ込められているがゆえに、健康に留意し、食事制限をし、貯めてきた貯蓄を取り崩して、静かな余生を送ればいいという感覚に近いものを私は感じる。

 ただ、中高年世代はそれでよくても、若い世代にしてみれば、それはないだろう。
 むろん、現実とは理不尽なのもだと言ってしまえば、それまでなのだが。

 とはいえ、私は別の意味で、「この国は、成長はせず、長い後退戦を戦っていかなければならない」とは思わない。

 なぜなら、世界はたかだか20年程度のスパンで大きく変わるからだ。
 ほんの数年前には誰も予想もできなかった(正確には、その分野の専門家には、予想している人はいたかもしれないが、それは世間一般の常識とは言えなかった)ことが起こるのが、歴史だからだ。

 バブルの時代の日本人は、バブルの終わりと日本の長期停滞をまったく予想できなかった。
 正確には、いつかバブルが終わることは、経済学者なら誰でも予見していたが、その結果として、今の日本経済がこういう状態になることを正確に予測していた人はいなかった。
 
 ソ連と東欧圏の崩壊とそれにともなう世界の勢力図の再編は、その数年前には予想できないことだった。
 正確には、ソ連型社会主義が保たないことを予見している人はいたが、その結果として、現在のロシアの状況と世界情勢までをも正確に予見していた人はいなかった。
 
 現在ほどの、コンピュータの時代が来ることは予想されていなかった。
 正確には、コンピュータの時代が来ること自体は予見されていたが、現在ほどのスピードで、子供でもインターネットに常時接続されたスマホを当然のように持ち、ツイッターやLINEでのやりとりを行うことを予測していた人がいただろうか。

 私は思い出す。

 20年前の阪神大震災の時には、携帯電話は非常に高級な、ごく一部のお金持ちだけが持つものであり、誰もが固定電話で連絡を取り合うしかなかったのだ。パソコン通信は存在したが、インターネットはまだほとんどの人が存在すら知らなかった。

 ソ連東欧圏の崩壊でキューバは孤立し、圧倒的多数の人々は、キューバのカストロ政権の崩壊は時間の問題だと考えていた。20年後に、中南米の多くの国に左派政権ができ、キューバは崩壊どころか米国と堂々と国交回復を行うことになると予測した人が1人でもいただろうか。

 歴史はかくも予見できないものだ。
 ましてや、100年前、500年前の人々が、それぞれに、100年後、500年後の現在を予測し得ただろうか? 明らかに否である。

 いまの科学技術は成熟しきっているように見える。しかし、本当はそうではない。新しい技術は日々開発され、歴史は前に進んでゆく。
 20年前の「苦労」は笑い話となり、「常識」は更新されてゆく。

 新しい科学技術や、新しい理念が、新しい常識が、これから生まれないとどうして言えるのか。
 それが日本から生まれないとどうして言えるのか。

 今現在、日本が停滞しているからといって、20年後に停滞しているとは限らない。
「伸びしろ」がなくなっているとは思わない。
 私は、案外に楽観的なのである。

 とはいえ、日本に活気を取り戻すためには、条件があると思っている。

 その前進とは、明らかに、第二次産業中心の「高度経済成長よ、もう一度」ではありえないし、(おそらく安倍政権が目指している)「バブル景気的なもの、ふたたび」でもないということだ。

 たとえが悪いが、完全に落ち目のパソコンメーカーだったAppleが、90年代の終わりにパソコンにファッション性を採り入れたiMacで持ち直し、2001年に売り出されたiPodが(良くも悪くも)音楽の聴き方を変えてしまったような、いままでになかった新しい価値観・新しい概念を作り出していくということになるだろう。

 そして、その要になるのは、若い世代であり、若い世代を育てる教育だろうと思う。
 それは、目先の「使いやすい労働者」を大量生産するための教育ではなく、いろいろな分野で、すでに存在する多くの可能性を統合し、分析し、新しい価値や概念を思いつき、形にすることができうる可能性のある人間を育て、世に出す土壌を作ることができる教育だ。
 現在の文科省の方針とは真っ向から対立するような教育だが、人間こそが、この国の持つ、最大の資源ではないか。

 格差の縮小も必要になるだろう。新自由主義経済で儲け、ランボルギーニを好んで買う一握りの金持ちは、けっして社会全体を豊かにはしないし、新しい価値を創造もしない。その陰で、貧困に苦しみ、教育費の高騰のために、受けたい教育を受けられない層が増加しているなら、それは、日本が本来持っている貴重な人的資源をみすみす、捨てているようなものだ。

 そして、多様性だ。
 大量生産・大量消費の時代が終わりを告げ、これからは、多様性の時代になるだろう。スマートフォンの世界的な躍進は、その人にあった多彩なアプリを入れてカスタマイズできるということで、異なる習慣、異なる美意識、異なる文化を持つ人々それぞれにフィットしてきたからだ。この傾向はこれからも続くだろう。
 であるならば、社会も多様性を許容することが求められるし、逆に、多様性を大事にしない社会は衰退していくだろう。

 つまり、たとえ、その可能性があるとしても、私は「成長はせず、長い後退戦を戦っていかなければならない」と早々に断定してしまうべきではないと思うのだ。
 歴史はこれからまだまだ続く。そしてなにがあるかわからない。20年後にどんな未来が待っているかは誰にもわからない。50年後、100年後はなおさらだ。

 アメリカ合衆国や中国がいまのままであるかどうかもわからないし、中東やヨーロッパやアフリカの地図が同じかどうかもわからない。世界のどこが戦場になっているかもわからないし、どんなエネルギー資源に依存しているかも、コンピュータ・ネットワークがどうなっているかも、どんな病気で人が死ぬのかもわからない。

 わからないことだらけだからこそ、伸びしろはいくらでもあり、日本にも若い世代にも、他の国と同様に、いくらでも可能性がある。

 そして、言うまでもなく、「良くなる」可能性と同様に、「悪くなる」可能性もある。
 「少しづつの静かな後退」どころではない、「ひどく悪くなってしまう」可能性だ。

 残念ながら、それを予見する方法も私たちにはない。
 ただひとつ言えるのは、日本という国において、「良くなる」ためには、長期的な展望とすぐれた人的資源が欠かせないだろうということと、「悪くなる」ためには、愚かな政治で十分だということだ。
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ラテンアメリカと日本を拠点に活動する音楽家・作家 八木啓代のBlog
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