韓国 「国民の自尊心に傷」1万人集会
【ソウル共同】元徴用工訴訟の賠償支払いを韓国の財団が肩代わりする案が日韓首脳会談で確認されたことを巡り、韓国野党や市民団体は18日、尹錫悦政権の対日外交を批判する大規模な集会をソウル市庁前で開いた。最大野党「共に民主党」の李在明代表は「(尹大統領が)被害者の血と涙を無視し、国民の自尊心に傷を与えた」と訴えた。
尹氏の訪日後初の週末でもあり、主催者によると約1万人が参加。李氏は「強制動員の被害者の賠償請求権は誰にも侵害することができない人権だ。被害者の同意のない第三者弁済は明白に違法だ」と指摘した。(3月18日、共同通信)
日本では「9条を守れ」という150人の集会も報じられます。それに比べて、1万人の集会とは桁違いに大きい。これから暑くなってゆけば、ローソクを灯して、さらに集会が拡大してゆくのかもしれません。私は別に心配も、驚きもしません。想定されていたのですから。岸田さんはこのような事態を検討していなかったのでしょうか。
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何かと言えば「国民の自尊心」が出てきます。野球でもマウンドに太極旗を立てて自尊心を満足させたのでしょう。その自尊心は病んでいる。
給料をもらっていたお仕事を強制労働だ、謝罪しろ賠償しろと叫ぶのは、自尊心のかけらもありません。
「被害者の同意のない云々」はどこかで聞いたセリフです。慰安婦合意で尹美香が言っていました。そして文在寅が被害者中心主義なんてことを言い、合意を破棄したのでした。尹大統領は文在寅とは違うでしょうが。
李在明代表は本来ならば、逮捕されて塀の中の住人なのでしょう。しかし、韓国にも議員の不逮捕特権があり、今のところ野放し状態です。。議会で決議すれば逮捕出来るようですが、野党が過半数でそれも出来ません。出来なかった。次の選挙まで待たなければなりません。次に与党が勝つとも限りません。不安定、流動的です。日本としては早々と輸出規制を解除すべきではありません。未来パートナー基金も韓国の動きを見極めてからでいいのではないか。韓国国民の自尊心に付き合っちゃおれません。
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島津家史料「征韓録全六巻」。
私はとっくに読了したのですが、ここでの紹介が中途半端になっていました。巻之五にこんな記述があります。
<慶長三年十月一日朝鮮国泗川(そせん)表に於いて討捕首注文
一、首壱万百八 鹿児島(島津家久)方衆打捕也
一、首九千五百二十 帖佐(島津義弘)方衆打捕也
一、首八千三百八十三 富隈(島津義久)方衆打捕也
一、首六千五百六拾 伊集院源次郎(忠真)手打捕也
一、首四千百四拾六 北郷作左衛門(三久)手打捕也
合三万八千七百十七
此外切捨者数を知らず>
後の家久であって、この時は忠恒です。義弘公の二男です。長男は戦死か病死か不明ですが朝鮮で亡くなっています。伊集院家も北郷(ほんごう)家も元をたどれば島津家です。忠真は筆頭家老忠棟の長男。忠真の嫁は義弘公の娘。ちなみに我が一族は伊集院家の家臣でありましたので、ご先祖は朝鮮に出兵していたと思われます。話が逸れました。
島津数千人の兵で十数万の明兵に圧勝です。どのように戦ったかと言えば、島津勢200人が守る城では、1万数千の明兵が攻めて来たそうですが、敵をできるだけ近づけて、鉄砲を撃ったそうです。敵がひるんだときに一斉に切り込んでいった、と書かれています。
本書に書かれていないが、私思うに、当地には示現流、自顕流という最強の剣法があったのです。何百年も戦をやっていて戦慣れしていたのもある。もう少しで九州制覇するくらい強かった。
朝鮮には7匹だったか、猫を連れて行った。これは猫の目の瞳孔で時刻を知ったと言うのです。だから、連携や統制が出来ていたのではないか。それに、恥をさらすな、名を残せ、といった気風もあったのかもしれません。また、逸れてしまいした。
それで、明と和議を整えて、敵将の弟を人質にとって帰朝することになる。本書では帰朝、帰陣と書かれているが、要は太閤殿下の「外土の枯骨となすな」という遺言に沿って、日本勢が半島から引き上げるのです。勿論、”秀吉死亡”は伏せてありました。
ところが11月になり、明の将が<殿下薨御の事を伝え聞き、俄かに和議を変じ、日本の軍兵悉く討果すべきの時至れりと悦んで>日本軍に襲い掛かってきます。
<李統制其勢を見て、牙を噛んで前(すすみ)来ると雖も、和兵囲んで又此船をも乗取る。>
李統制とは朝鮮の全羅忠清慶尚三道水軍統制使李瞬臣であって、11月18日の海戦で弾丸に当たって戦死した、と注釈があります。最後の最期、ここでも日本軍は勝利し、帰朝するという目的を達成した。李瞬臣ねえ、どこをどう読んでも英雄でも偉人でもありませんが。
どこかで読んだが、日本統治時代に朝鮮人の戦意高揚のために朝鮮人の英雄を持ち出そうとしたそうです。誰かいないか?李瞬臣とかいう水軍の将がいました、あ、それにしよう、ということになった。韓国人の大嫌いな日本軍によって作られた英雄のようですよ。
慶長五年八月、警護の者を付けて人質を返しに行く。梅花という港に着き、そこから北京までの長旅です。これにまつわる面白い話が書かれているのだけれども、今夜のところはここまで、ということにさせていただきたく候。
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