<朝鮮映画>『高い教壇』:「第7回朝鮮人民軍軍事教育幹部大会」に合わせたタイムリーな映画 (2015年11月6日 「朝鮮中央TV」)
6日夜、「朝鮮中央TV」で『高い教壇』という「朝鮮映画」が放送された。この映画は、軍官(指揮官)学校教員オム・チュンギルを主人公に彼の家庭と学校での人間関係を中心としたストーリーである。
Source: KCTV, 2015/11/06
韓国・統一部のデータでは、2006年6月19日に放映されて以来、2009、2010、2012、2013、2015に放映されており、今回が5回目の放映となる。2012年と2013年は10月28日、今年は11月6日の放映と、金正恩時代に入ってからは10月末から11月初旬に放映されているのが特徴である。以前の「人民軍教育幹部大会」が開催された時期と関連しているのかも知れない。
主人公のオム・チュンシルは、「軍官学校」教員一筋に生きてきた人物で、彼が教育した学生の中からは「将軍様(金正日)」を喜ばせるような優秀な指揮官もたくさん出ている。オム・チュンシル(左)と学生。学生が「私は、この(軍事の)本をよく勉強したので何でも答えられます」と言うと、オムは「では、君の人生の目標は何か?」と質問し、学生を困らせる。
Source: KCTV, 2015/11/06
そうした中、オム・チュンシルが教えた学生たちはどんどん昇格し高い階級になるが、オム・チュンシルだけは「教員同志」をずっと続けており、自分が教えた上官に敬礼をする場面なども出てくる。下は、元学生が「軍官学校」に副校長として戻ってきたときの場面。元学生とは知らず、敬礼している。
Source: KCTV, 2015/11/06
2人は昔話をする。言葉遣いは、上官の元学生が丁寧語で、「教員同志」が目下に対する言葉遣いで話している。この辺り、「最高司令官同志」演説の中での「階級が上でも師匠を敬え」という部分と符合している。もちろん、年齢的にも「教員同志」が上になる。軍の階級ではないが、工場などの若い「支配人」や「(労働党)責任秘書」が、年長の労働者に対して敬語を使って話すのと同じである。左が上官の「副校長」。
Source: KCTV, 2015/11/06
「教員同志」が指導する山林での訓練中、炊事に使った火の不始末で小さな山火事を起こしてしまう。火事は自分たちで直ぐに消し止めるが、一部の樹木が燃えてしまう。「教員同志」は学生に燃えた場所に木を植えさせるが、ある学生(この学生については、後述)は、「俺たちは、指揮官になるためにここに来ているんだから、木なんて適当に植えとけばいい」と言い、一緒に植えている学生の提案を無視して腐葉土を入れようとしない。右がその学生。
Source: KCTV, 2015/11/06
実はこの学生、「副校長」の甥で、父親も「教員同志」の教え子。さらに、祖父は抗日パルチザンの英雄という家柄。頭も良いのだが、「祖国愛」が足りないという欠点がある。植樹を適当に終えようとするのもその一例。「教員同志」は、この学生を判定試験で学科目成績が優秀であったにもかかわらず、落第とする。
この点に関し、おもしろいことを「教員同志」はいう。それは、「血筋による継承ではなく、思想で継承しなければならない」、「思想は遺伝しない」という台詞であるが、「血筋による継承」を否定すれば「白頭山の血統」も否定されることになる。もちろん、「思想での継承」で逃げられるが、危なっかしい感じがした。
学生は、自分の伯父である「副校長」のところにやって来て、判定試験で落第したことについて不満を言う。「伯父さん」というと、「副校長同志と呼べ」と叱られる。
Source: KCTV, 2015/11/06
「副校長同志」は、自分の兄弟(不満を言う学生の父)が「教員同志」の学生だった頃を回想する。それが、昨夜、放送を見ながら書いた魚を助ける場面である。昨夜書いたとおり、「川の水が乾きかけたところに取り残された魚を泉の水を注いで助けている」のはそうであったが、「魚の生命」ではなく、「植物であれ魚であれ祖国のものは全て愛す」というところがポイントであった。
死にかけた魚
Source: KCTV, 2015/11/06
ヘルメットで水を注いで魚を助ける学生の父親(訓練生時代)
Source: KCTV, 2015/11/06
「将軍様」やってきた部隊を訪問するための列車の中で、過去に教えたことのある今となっては上官(師団長)と遭遇する。右側が道を譲る「教員同志」、左が上官となった元学生。この元学生は、「教員同志」の顔を覚えていて、昔の話をする。
Source: KCTV, 2015/11/06
この元学生は、ジャンプが怖くて1人でできず、「教員同志」が一緒に飛び込んでやった。しかし、「教員同志」はこの飛び込みで足を負傷する。
Source: KCTV, 2015/11/06
元学生は、「教員同志」に、「名節(正月など)や誕生日に教員同志にご挨拶できず申し訳ありませんでした」と詫びる。板門店を案内してくれた北朝鮮の「軍官同志」が、私が教員であることを知り、「正月などは大変でしょう?」と言ったのは、まさにこのことである。ちなみにこの「軍官同志」、私が友好的日本人民だと知るまでは、とても怖い顔をしていた。
そして、元学生に『指揮官 百科常識2』という本をやる。朝鮮人民軍指揮官の「百科常識」だとすると、そこらでは手に入らない本であろうが、表紙だけは見ることができた。
Source: KCTV, 2015/11/06
前にも一度少し登場しているのだが、服務中に腰を負傷して人民軍病院に入院している男性が登場する。この男性は、「教員同志」の娘の婚約者であったのだが、怪我をして歩けなくなったので「教員同志」の娘はこの男性のもとを去ってしまう。その事実を「看護員」から聞いた「教員同志」は悩む。
Source: KCTV, 2015/11/06
「教員同志」の娘は医師で、今は「研究所」に勤務している。「教員同志」に娘は、怪我をした男性と別れた理由を「彼が障害者になったとき、軍服を着た立派な婿を望んでる親を考えたら・・・失望させるようで、最後の一歩を踏み出せなかったの、父さん」と泣きながら走って行ってしまう。
Source: KCTV, 2015/11/06
「教員同志」はさらに悩む。川で顔を洗っていると娘がやってくる。娘は、父の気持ちを理解し、「彼」が入院している人民軍病院に戻り、彼のリハビリを手伝うと話す。また、娘が努めている「研究所」も彼女をサポートするという。
Source: KCTV, 2015/11/06
「教員同志」には、「副校長同志」の甥の「思想・精神状態」を正す仕事が残っていた。ある日、「教員同志」は、訓練生達に甥の父親が戦死したときの話をする。甥の父親は指揮官として前戦に配置されていた。しかし、「教員同志」が彼を訪ねたその日、戦闘が始まり、父親は戦死する。下は、親からもらった「抗日パルチザン」の赤い星を「教員同志」に見せる、甥の父(左)。
Source: KCTV, 2015/11/06
この話を聞いた甥は「思想・精神状態」を正して、勉強と訓練に励む。教室では、「教員同志」から敵のトーチカに手榴弾を持って突撃した李スボク英雄の話を聞く。
Source: KCTV, 2015/11/06
入院していた娘の婚約者は、リハビリの甲斐があり歩けるようになる。
Source: KCTV, 2015/11/06
「思想・精神状態」が良くなった「副校長同志」の甥は、訓練中、土砂崩れを体を張って防ぎ負傷、入院する。「教員同志」は、そんな彼のために、病院にまでやって来て授業をしてやる。下は病室の壁に掛けられた時計。「白頭山、1992.2.16」と文字がある。「将軍様」の誕生日に配られた記念時計だろうか。時刻を見れば12時過ぎ、「教員同志」は、疲れてペンを持ったまま眠ってしまう。学生と病室にやって来た「副校長同志」は、その姿を見て感動する。
Source: KCTV, 2015/11/06
そして、最終判定試験の日、甥は「李スヨン」英雄のように、勇敢な行動に出る。そして、「教員同志」の学生たちは、全員優秀な成績で合格となる。
Source: KCTV, 2015/11/06
「教員同志」は、「党の上部組織」から、年齢的問題もあり、現役教員を引退することを薦められていた。結局、どうなったのかはよく分からないのだが、下の写真を見ると、現役は引退をし、階級が上がっているようである。
Source: KCTV, 2015/11/06
コメントにあるシーンは、判定試験が終わり、学生たちが「教員同志」に駆け寄ってくるシーン。
Source: KCTV, 2015/11/06
そして、最後に「将軍様」の言葉が披露される。「英雄も博士も、立派な軍事・政治幹部も、全て彼らを育てた師匠がいる。そのような教育者こそが、隠れた努力家、隠れた愛国者だ」と「高く評価した」とナレーションが入る。
「第7回朝鮮人民軍軍事教育幹部大会」に合わせたタイムリーな放映であったが、「最高司令官同志」の演説とも関連し、いくつかの事項が確認できた。
Source: KCTV, 2015/11/06
韓国・統一部のデータでは、2006年6月19日に放映されて以来、2009、2010、2012、2013、2015に放映されており、今回が5回目の放映となる。2012年と2013年は10月28日、今年は11月6日の放映と、金正恩時代に入ってからは10月末から11月初旬に放映されているのが特徴である。以前の「人民軍教育幹部大会」が開催された時期と関連しているのかも知れない。
主人公のオム・チュンシルは、「軍官学校」教員一筋に生きてきた人物で、彼が教育した学生の中からは「将軍様(金正日)」を喜ばせるような優秀な指揮官もたくさん出ている。オム・チュンシル(左)と学生。学生が「私は、この(軍事の)本をよく勉強したので何でも答えられます」と言うと、オムは「では、君の人生の目標は何か?」と質問し、学生を困らせる。
Source: KCTV, 2015/11/06
そうした中、オム・チュンシルが教えた学生たちはどんどん昇格し高い階級になるが、オム・チュンシルだけは「教員同志」をずっと続けており、自分が教えた上官に敬礼をする場面なども出てくる。下は、元学生が「軍官学校」に副校長として戻ってきたときの場面。元学生とは知らず、敬礼している。
Source: KCTV, 2015/11/06
2人は昔話をする。言葉遣いは、上官の元学生が丁寧語で、「教員同志」が目下に対する言葉遣いで話している。この辺り、「最高司令官同志」演説の中での「階級が上でも師匠を敬え」という部分と符合している。もちろん、年齢的にも「教員同志」が上になる。軍の階級ではないが、工場などの若い「支配人」や「(労働党)責任秘書」が、年長の労働者に対して敬語を使って話すのと同じである。左が上官の「副校長」。
Source: KCTV, 2015/11/06
「教員同志」が指導する山林での訓練中、炊事に使った火の不始末で小さな山火事を起こしてしまう。火事は自分たちで直ぐに消し止めるが、一部の樹木が燃えてしまう。「教員同志」は学生に燃えた場所に木を植えさせるが、ある学生(この学生については、後述)は、「俺たちは、指揮官になるためにここに来ているんだから、木なんて適当に植えとけばいい」と言い、一緒に植えている学生の提案を無視して腐葉土を入れようとしない。右がその学生。
Source: KCTV, 2015/11/06
実はこの学生、「副校長」の甥で、父親も「教員同志」の教え子。さらに、祖父は抗日パルチザンの英雄という家柄。頭も良いのだが、「祖国愛」が足りないという欠点がある。植樹を適当に終えようとするのもその一例。「教員同志」は、この学生を判定試験で学科目成績が優秀であったにもかかわらず、落第とする。
この点に関し、おもしろいことを「教員同志」はいう。それは、「血筋による継承ではなく、思想で継承しなければならない」、「思想は遺伝しない」という台詞であるが、「血筋による継承」を否定すれば「白頭山の血統」も否定されることになる。もちろん、「思想での継承」で逃げられるが、危なっかしい感じがした。
学生は、自分の伯父である「副校長」のところにやって来て、判定試験で落第したことについて不満を言う。「伯父さん」というと、「副校長同志と呼べ」と叱られる。
Source: KCTV, 2015/11/06
「副校長同志」は、自分の兄弟(不満を言う学生の父)が「教員同志」の学生だった頃を回想する。それが、昨夜、放送を見ながら書いた魚を助ける場面である。昨夜書いたとおり、「川の水が乾きかけたところに取り残された魚を泉の水を注いで助けている」のはそうであったが、「魚の生命」ではなく、「植物であれ魚であれ祖国のものは全て愛す」というところがポイントであった。
死にかけた魚
Source: KCTV, 2015/11/06
ヘルメットで水を注いで魚を助ける学生の父親(訓練生時代)
Source: KCTV, 2015/11/06
「将軍様」やってきた部隊を訪問するための列車の中で、過去に教えたことのある今となっては上官(師団長)と遭遇する。右側が道を譲る「教員同志」、左が上官となった元学生。この元学生は、「教員同志」の顔を覚えていて、昔の話をする。
Source: KCTV, 2015/11/06
この元学生は、ジャンプが怖くて1人でできず、「教員同志」が一緒に飛び込んでやった。しかし、「教員同志」はこの飛び込みで足を負傷する。
Source: KCTV, 2015/11/06
元学生は、「教員同志」に、「名節(正月など)や誕生日に教員同志にご挨拶できず申し訳ありませんでした」と詫びる。板門店を案内してくれた北朝鮮の「軍官同志」が、私が教員であることを知り、「正月などは大変でしょう?」と言ったのは、まさにこのことである。ちなみにこの「軍官同志」、私が友好的日本人民だと知るまでは、とても怖い顔をしていた。
そして、元学生に『指揮官 百科常識2』という本をやる。朝鮮人民軍指揮官の「百科常識」だとすると、そこらでは手に入らない本であろうが、表紙だけは見ることができた。
Source: KCTV, 2015/11/06
前にも一度少し登場しているのだが、服務中に腰を負傷して人民軍病院に入院している男性が登場する。この男性は、「教員同志」の娘の婚約者であったのだが、怪我をして歩けなくなったので「教員同志」の娘はこの男性のもとを去ってしまう。その事実を「看護員」から聞いた「教員同志」は悩む。
Source: KCTV, 2015/11/06
「教員同志」の娘は医師で、今は「研究所」に勤務している。「教員同志」に娘は、怪我をした男性と別れた理由を「彼が障害者になったとき、軍服を着た立派な婿を望んでる親を考えたら・・・失望させるようで、最後の一歩を踏み出せなかったの、父さん」と泣きながら走って行ってしまう。
Source: KCTV, 2015/11/06
「教員同志」はさらに悩む。川で顔を洗っていると娘がやってくる。娘は、父の気持ちを理解し、「彼」が入院している人民軍病院に戻り、彼のリハビリを手伝うと話す。また、娘が努めている「研究所」も彼女をサポートするという。
Source: KCTV, 2015/11/06
「教員同志」には、「副校長同志」の甥の「思想・精神状態」を正す仕事が残っていた。ある日、「教員同志」は、訓練生達に甥の父親が戦死したときの話をする。甥の父親は指揮官として前戦に配置されていた。しかし、「教員同志」が彼を訪ねたその日、戦闘が始まり、父親は戦死する。下は、親からもらった「抗日パルチザン」の赤い星を「教員同志」に見せる、甥の父(左)。
Source: KCTV, 2015/11/06
この話を聞いた甥は「思想・精神状態」を正して、勉強と訓練に励む。教室では、「教員同志」から敵のトーチカに手榴弾を持って突撃した李スボク英雄の話を聞く。
Source: KCTV, 2015/11/06
入院していた娘の婚約者は、リハビリの甲斐があり歩けるようになる。
Source: KCTV, 2015/11/06
「思想・精神状態」が良くなった「副校長同志」の甥は、訓練中、土砂崩れを体を張って防ぎ負傷、入院する。「教員同志」は、そんな彼のために、病院にまでやって来て授業をしてやる。下は病室の壁に掛けられた時計。「白頭山、1992.2.16」と文字がある。「将軍様」の誕生日に配られた記念時計だろうか。時刻を見れば12時過ぎ、「教員同志」は、疲れてペンを持ったまま眠ってしまう。学生と病室にやって来た「副校長同志」は、その姿を見て感動する。
Source: KCTV, 2015/11/06
そして、最終判定試験の日、甥は「李スヨン」英雄のように、勇敢な行動に出る。そして、「教員同志」の学生たちは、全員優秀な成績で合格となる。
Source: KCTV, 2015/11/06
「教員同志」は、「党の上部組織」から、年齢的問題もあり、現役教員を引退することを薦められていた。結局、どうなったのかはよく分からないのだが、下の写真を見ると、現役は引退をし、階級が上がっているようである。
Source: KCTV, 2015/11/06
コメントにあるシーンは、判定試験が終わり、学生たちが「教員同志」に駆け寄ってくるシーン。
Source: KCTV, 2015/11/06
そして、最後に「将軍様」の言葉が披露される。「英雄も博士も、立派な軍事・政治幹部も、全て彼らを育てた師匠がいる。そのような教育者こそが、隠れた努力家、隠れた愛国者だ」と「高く評価した」とナレーションが入る。
「第7回朝鮮人民軍軍事教育幹部大会」に合わせたタイムリーな放映であったが、「最高司令官同志」の演説とも関連し、いくつかの事項が確認できた。