今回の訪問では、3工場訪問した。いずれも、韓国系米国人や中国企業との「合作工場」である。「合作工場」とはいうものの、どうやら海外資本が工場設立や運営に使われているということで、実質的な経営は北朝鮮側が行っているようである。この辺りについて、細かな質問をする時間もなかったので、かなり大まかな把握である。
まず中国企業と「合作」の「羅津靴工場」である。実は、「靴工場」を訪問したのであるが、その「靴工場」の名前が何なのか分からなかった。この工場では、朝鮮族中国人と朝鮮人民が対応をしてくれた。朝鮮族の方は、香港人同行者と中国語で話をしていたので、私は朝鮮人民と話をした。こちらが質問したことには、きちんと答えてくれた。
工場の建物
この工場であるが、9月3日の「20時報道」の中で紹介された。偶然であるが、驚いた。「20時報道」では、この工場を次のように紹介していた。
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羅津靴工場の幹部と労働者・技術者が、人民に好評な質のよい靴をたくさん生産するために大変努力をしています。彼らは、お互いに創造的な知恵と力を合わせ、これまでよりも軽い靴素材を生産に導入し、靴をスポーツに便利で足に刺激を与えないように新たに改造しました。そして、今、工場では人民の好みに合い、履きやすい多様な靴をたくさん生産しています。
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「羅津靴工場で」
Source: KCTV, 2014/09/03放送
偶然同じ人を撮影していた。「20時報道」で紹介されたときと異なる工程の仕事をしている。単純労働なので多能工というほどではないのかもしれないが、稼働状況次第で色々な工程の仕事をさせているようである。
右側の女性も偶然撮影していた。
Source: KCTV, 2014/09/03放送
この人も撮影時とは別の仕事をしている。
中央の人が「工場長」だと言っていた。この人と話すことはできなかったが、後ろ姿を撮影した。
Source: KCTV, 2014/09/03放送
「工場長」、忙しそうに動き回っていた。
黒い私服を着た女性は、「技術指導員」であろうか。ミシンを使って縫製作業をする労働者に何かを説明していた。
機械類は中国製で使用していない機械にはきちんとカバーを掛けていた。日本の工場でも、このような大切な使い方をしているのであろうか。
生産された靴は内需と輸出両方だという。同行者が運動靴を購入していたが、60元~70元であった。私に靴の質を語る能力はないが、購入した靴を見せてもらった限りでは、日本の靴安売りショップで売っている1000~2000円台で売っている運動靴のような感じであった。「ジャンマダン」での靴価格調査を忘れてしまったが、人民帽が15元だったので、運動靴が60元というのは概ね適切な価格であろう(外国人に対する相対価格割合でも)。
生産実績は下のホワイトボードの数字のとおりである。
8月生産計画
✓子ども用サッカーシューズ 200足 2014.7.30
✓大人用サッカーシューズ 1144足 8.5
運動靴 1000足 8.25
単体靴 2744足 8.30
日産 130足
✓が付いている靴が生産計画を達成した靴なのであろう。8月に全ての靴を生産すると合計で4888足になるが、それを31日で割ると約158となり「日産」よりも少し多い数になっている。ラインへの人員配置や機械の稼働状況を見ると、生産能力はもっとありそうだ。それにもかかわらず、この程度の生産に留まっているのは、需要の関係なのか材料供給の関係なのかは分からない。
労働者は地元の人で、高卒者が多いが、中には大卒者もいるという説明であった。大学を卒業してする仕事ではないと思うが、「合作」会社なので諸条件がよいのかもしれない。
12時になったら電気電気が切られ、14時までの休憩時間に入った。
次に訪れたのが、韓国系米国人が投資した衣類工場である。話を聞くと、この韓国系米国人は「投資」というよりも、実質的には同じ民族を援助するためのチャリティー的な意味合いの「投資」のようだ。同様の「チャリティー的投資」が羅先市のバス運営組織に「キリスト教系団体」により行われたという話を聞いた(同行した英国人ガイドより)。キリスト教の布教は許さないが、「チャリティー活動」は受け入れていくという姿勢のようだ。
羅津駅
衣類工場全景
工場には靴工場と比較にならないほど多くの労働者がいる。この工程以外の別の部屋にも労働者はかなりいいた。
この工程は女性労働者の数が多かったが、このように男性労働者もいた。
男性労働者が多い工程
さらに、小さな部屋ではこのような手作業も行っていた。一般的にアパレル工場でこのような工程があるのかは分からないが、驚いた。
この日は同じデザインの作業服のようなものを生産していた。この工場では、工場長が出てきて色々な話を聞かせてくれた。一見、順調に見えるこの工場でも、問題を抱えているようだ。工場長によると、最大の問題は材料の納入とのことであった。韓国系米国人がチャリティー投資した工場ということもあり、加工する布や製品を入れる段ボール箱は韓国から来るとのことである。ところが、このところこうした資材の納入状況が極めて悪くなっていると言っていた。この工場は、南北和解ムードが高調した盧武鉉時代に設立されたとのことであるが、李明博時代になってから色々と問題が生じていると言っていた。例えば、盧武鉉時代は「Made in DPRK」というタグでの韓国輸入を認めていたが、李明博時代はそれを認めなくなったために「Made in China」というタグで輸出しているという。これに伴い、かつては元山から釜山に直接輸送されていたものが、李明博時代には大連経由で釜山に輸出されるようになったという。
こうした状況は、北朝鮮「政権」が核・ミサイル開発や韓国との衝突で作り出したものなので仕方がないと言ってしまえばそれまでであるが、そのような締め付けをし、ここで働いている労働者が反体制派となり立ち上がるかといえば、そうは思えない。彼らの中では、金大中・盧武鉉ができたのに、李明博・朴槿恵がやらないのは嫌がらせだとしか感じていないはずである。
色々と話をしてくれた工場長の笑顔を見ていると、ますますそう感じてしまう。
3つめの工場は、過去記事でも紹介した琵琶島と半島を繋ぐ橋の近くにある。この工場は金正日が現地指導した工場で、
「沿革紹介室」もあるということで期待していた。ところが、観光会社と工場の連絡が上手くいっていなかったようで、冷たい対応であった。北朝鮮ガイドの努力で工場内部は少し見ることができたが、誰と話をすることもできず、あまりおもしろくなかった。
「偉大な領導者金正日同志が2009年12月16日水産物総合加工場」
北朝鮮では、「現地指導」をさぞかし大変なことのように言っていると常々思っていたが、いくらメルセデスベンツSクラス・リムジンでの現地指導とはいえ、それなりに大変であると今回感じた。というのは、どれだけ高級車であっても、未舗装の道を延々と走り続けるのは相当疲れると思ったからである。運転手も安全性と快適さという点からして、そんなにスピードも出せないはずである。そう考えると、「元帥様」の航空機利用は大正解だし、「将軍様」の拠点間の鉄道利用もベンツで未舗装道路を延々と走り続けるよりも快適だし、時間的にも短縮できると思う。
朝中露三角地帯への未舗装道路
工場はかなり大きいので他の仕事もしているのかもしれないが、我々が見学できたのはイカを竹串に刺す作業場だけであった。工場には漁港が隣接しているので、新鮮なイカを串に刺して冷凍、中国へということのようだ。それにしても、実に労働集約的な作業である。ここにも中国から派遣された人がおり、香港人同行者が話をしていた。
工場に隣接した漁港
ただ、この工場は、水産物加工だけではなく水産物調理直売でも相当に収益を上げているようだ。下の写真は、中国人観光客の注文を受け、ウニやナマコを加工(といってもこれらについては切るだけだが)する販売員
実はこの直売コーナーは、「将軍様」が現地指導した際に提案したアイディアで作られたという。金正日が2009年の時点で羅先を中国人観光客に開放し、多くの中国人が訪れることを予見し、この直売コーナーを提案したとしたら、その眼目はたいしたものである。
3つの「模範」工場を見た感想としては、様々な事情により経営状況は決してよくないように思えた。外国人に見学させ、「20時報道」で紹介されるような「3大革命赤旗を獲得した事業所」ですらこの状況なので、その他の事業所は推して知るべしである。
それでも、羅先は潤っている。「展示会」や「ジャンマダン」での購買力の源泉はどこにあるのだろうか。どうやらそれは製造業ではなく、サービス業にあるようだ。繰り返しになるが、そのことを分かって金正日が「直売コーナー」を作らせたのであれば、それは正しい選択であったといわざるを得ない。
「展示会」は、外国企業の誘致・投資促進説明会でもあった。説明会場では関連部門の「副局長」なる人とも会い話をしたが、「これでは投資する気にもならない」という雰囲気であった。実は、同行した米国人はビジネスマンで、本気で北朝鮮に投資したいと思っているようだが、この「副局長」との話で幻滅したようだ。もちろん、オフィシャルな場でオフィシャルな話をしただけなので、焼酎でも飲みながらゆっくりと話せばよい話もできたのかもしれない。
さて、「将軍様」の提案かどうかは分からないが、サービス業の究極的なもの(北朝鮮の水準ではあるが)を体験した。同行者が「マッサージ」を希望した。私は、マッサージをされると痛いので「どちらでもいい」という感じであったが、北朝鮮ガイドが「受けないと後悔する」というので、一緒に行ってみることにした。連れて行かれた場所は「健康中心」と呼ばれる場所であった。我々が到着したときは、ちょうど中国人団体が途切れたタイミングで直ぐにマッサージを受けることができた。マッサージは「全身マッサージ」と「足マッサージ」がありどちらも100元、「ペッチャン」(勇敢さ)がない私は「足マッサージ」を希望した。
マッサージは個室ではなく、一室に3~4台のベッドが置かれている。我々のグループはいくつかの部屋に分かれ、私は全身マッサージを希望したスコットランド人と同じ部屋に入った(ドアは開放状態、時々、後から来た中国人がのぞきに来ていた)。スコットランド人の方はパンツ一丁になり、全身に薄い毛布を被された。私の方は、ズボンを脱ぎ下半身にタオルを被された。
私を担当したのは、少し年齢が上のオネーサン。スコットランド人の方は、もう少し若いオネーサンであった。私の方は、オネーサンと話をするのが目的だったので、世間話をしていたのだが、このオネーサン、平壌の大学で医学的なマッサージを学んだとのこと、マッサージ経験がほとんどない私には上手いのか下手なのか分からないが、とにかく力はあった。痛いのを我慢していたら、察知して「痛いですか」と聞いてきた。
スコットランド人の方は、朝鮮語が全くできないので、オネーサンの指示を私が通訳していた。そういうこともあり、両名とあれこれ話ができた。オネーサンたちは、中国人観光客相手の商売なので、中国語での指示はできるようだったが、英語はからきし駄目だった。
私のマッサージが先に終わったのだが、オネーサン、「頭のマッサージもいかがですか」と首から頭にかけてのマッサージもしてくれた。全身も足も同じ100元なのでと言ってしまえばそれまでだが、なかなかサービスがよかった。おもしろかったのは、足マッサージの人にだけ「天然水」を出してくれたことだ。「ペッチャン」のない私は、一口飲んでコップを置いたら、オネーサンに「足マッサージを受けた人は、水を全部飲まないと体によくありません」と叱られた。結局、一気に飲み干したのだが、その結果、体調を崩すことはなかった。水がぬるかったので味わいもしなかったが、冷たく冷やしてあれば美味しかったのかもしれない。
というわけで、スコットランド人のマッサージも終わり、オネーサンたちに代金を支払った。サービスがよかったのでそれぞれに10元のチップを渡そうとしたら、初めは断られた。この辺り、社会主義朝鮮の美風なのだろう。そこで、10元を渡す意味をきちんと説明したところ、嬉しそうに受け取ってくれた。
外に出たら中国人の団体が来ており、たくさん待っていた。北朝鮮ガイドに感想などを話していたのだが、この「健康中心」は外人専用で朝鮮人民は利用できないと言っていた。では、朝鮮人民はマッサージを受けないのかと尋ねたら、「医療施設」で「無償」で受けられるとのことだった。「平壌のチャンガンウォンのようなところですか」と聞いたら、「そうだ」と言っていた。
ともあれ、この「健康中心」もサービス業で大成功している事業所といえる。施設だけ作り、あとは朝鮮人民の人件費なので、1人100元でどれだけ儲かっていることだろうか。
と、「素人さん」であれば、ここまでの話である。しかし、友好的日本人民の私にはマッサージ以上に凄い発見があった。写真を撮るのを失念したのが実に残念であるが、私とスコットランド人がマッサージを受けた部屋は、なんと「将軍様の家族」という掛け軸がかかった部屋であった。
2つ前の記事、「人民は呼ぶ、親近なるその名前」で用いられた映像。マッサージ室にあったのは、この縦タイプ。
Source: KCTV, 2014/09/07放送
さすがの「将軍様」も崇高な掛け軸の前で、外国人2人が半裸になり朝鮮人民女性にマッサージを受けることは予期しなかったことであろう。恐らくこの建物、人民住宅を接収して「健康中心」にしたのであろう。その際、さすがに「将軍様の家族」という崇高な掛け軸は撤去することができず、そのまま残したのではないだろうか。
オネーサンを困らせると思ったので、これについては質問できなかった。