たぶん、あの話はどこにも書かないまま一生終えると思っていた。
わざわざオブラートに包む意味もないぐらい、その言葉どおりのことをした。
「いじめてた」とか「いたずらの延長で」とか、そういう言い換えは、逆に猫にも自分にも失礼な気がするからやめておく。
もちろん当時は、そこまで言語化して考えていたわけじゃない。
ただ、今になって振り返ると、あれはどう見ても「殺した」だったとしか言いようがない。
***
暴力を振るうタイプではなかったけれど、いつも口が悪くて、教師に盾突いて、家では親に向かってドアを思い切り閉めて歩く子どもだった。
問題は、そのイライラの行き先を、自分より弱いものに向けることを覚えたことだった。
最初は、ただ、何かを拾った、というだけのことだった。
雨上がりで地面はぬかるんでいて、猫は泥と埃でべたべただった。
片目が少しにごっていて、ああ、たぶん誰も拾わないやつだ、と思った。
家に連れて帰ったわけでもない。
ちゃんと世話をしようと思ったわけでもない。
あの頃の自分に、そんな「責任ある行為」をする能力は、残念ながら備わっていなかった。
尻尾を引っぱって逃げる様子を見て笑ったり、棒を振りまわして脅したり、石を投げたりした。
最初は当たらないように投げていたのに、だんだん「どこまで近くに投げられるか」を試すゲームになっていった。
ある日、石はちゃんと当たった。
足を引きずるようになって、鳴き声が変わって、それでも自分はやめなかった。
なんとなく、止まるタイミングを完全に見失っていた。
それがどんな結末を迎えたのか、細かい描写はここには書かない。
ただひとつ言えるのは、気づいたとき、猫は動かなくなっていて、けっきょく自分は誰にも言わず、そのまま公園を出て家に帰った、ということだけだ。
その後しばらく、夜になるとあの公園のベンチの映像が頭に浮かんだ。
猫の姿そのものより、濡れた木のベンチと、薄暗い街灯の光のほうが、なぜか記憶にこびりついている。
そこから先の道を、あのまま真っ暗なほうへ踏み外していってもおかしくなかったんだろうと思う。
幸運か、不運かはわからないが、自分はその道から外れることができた。
中学に上がってから、担任が怖い人で、殴る代わりにしつこく話を聞いてくるタイプだった。
大学は、たいして目的もなく入って、バイト先で怒られながら仕事を覚えた。
ただ、日々の小さな「やらかし」と「怒られ」と「反省」と、どうでもいい雑談の積み重ねが、自分を少しずつ「普通」に近い場所まで連れ戻してくれたんだと思う。
それでも、猫のことは消えなかった。
何かの拍子に、あの公園の色だけが急にフルHD画質で蘇る感じがある。
時間でぼやけるどころか、「忘れられなかった事実」というタグが付いて、むしろ保存性が上がっていく。
***
30代半ばになって、同棲の話が出た。
相手は、職場で知り合った人で、明るくて、よく笑って、感情の出し方が自分とは正反対だった。
「一緒に住むなら、猫連れて行ってもいい?」と言われたとき、胸の中で何かが硬くなる音がした。
「猫?」
猫が嫌いなわけじゃなかった。
むしろ最近は、道端で見かけると写真を撮るくらいには好きだった。
ただ、そこで連想するのが公園ではなく、マンションの一室になることを、頭がうまく処理できなかった。
白い猫だった。
ふわふわしていて、目が青くて、画面越しでも「この家で一番かわいい生き物です」みたいな顔つきをしていた。
「めちゃくちゃ可愛いじゃん」と口では言った。
それは本心だった。
ぎこちなさが出ていたのかどうか、自分ではまったくわからなかった。
帰り道、電車の窓に映る自分の顔を見ながら、「猫を殺したことがある人間が、猫と一緒に暮らしていいんだろうか」と考えた。
別に、また殺したくなる気がするわけじゃない。
今の自分がそんなことをするとは思えないし、イライラをぶつける対象として猫を選ぶメンタリティでは、少なくとももうない。
それは「飲酒運転を一度でもしたことがある人」とか、「昔、人を殴ったことがる」とか、そういう類の話とは、少し違う気がする。
もちろん猫は何も悪くない。
そして今、自分がこれから「守る側」のポジションに立とうとしている。
そのギャップが、うまく飲み込めない。
***
数日後、正直に話すかどうかで迷った末、かなり薄めた形で打ち明けた。
「子どもの頃、動物をいじめてたことがあってさ」と前置きしてから、
殺した、という単語だけはどうしても口に出せなくて、
相手はしばらく黙っていた。
その沈黙の長さに耐えられなくなって、「いや、今はもう絶対そんなことしないけど」と、いちいち余計な一言を足してしまう。
「……じゃあさ」
「いま、うちの猫を見て、何かしたくなる?」
その質問の仕方が、妙に真っ直ぐで、逃げ場がなかった。
ソファの上で伸びているやつ、キャットタワーから顔だけ出してるやつ、窓辺で丸くなっているやつ。
「ならないよ」
答えは即答だった。
それだけは、自信をもって言えた。
「私もさ、昔、虫とか平気で殺してたし。
今はさすがに猫とか犬に当たる気にはならないけど、
でも“昔の自分”が完全に消えたかって言われたら、そんなことないし」
ただ、「昔の自分が完全に消えたなんてことはない」という言葉だけは、妙に胸に刺さった。
そして今、その大人が、「猫と一緒に暮らすかどうか」を決めようとしている。
***
それからしばらくして、本当に一緒に住むことになった。
引っ越し当日、キャリーケースの中で騒いでいる白い猫を初めて見たとき、
自分の心臓の鼓動が一段階ギアを上げたのがはっきりとわかった。
爪を立てて暴れるその小さな生き物は、自分が昔、公園で追い回した猫とはまるで別の存在だ。
でも、「猫」という種としては完全に連続している。
同じカテゴリの命だ。
ケースの扉が開いて、猫が部屋の中をうろうろし始める。
ソファの下に潜りかけて、途中でやめて、コンセントの匂いを嗅いで、カーテンによじ登ろうとして叱られる。
自分は玄関のところで、靴を片づけるふりをしながら、それをこっそり見ている。
「ほら、なでてあげなよ」と言われて、
ぎこちなく手を伸ばす。
柔らかい毛に指先が触れる。
猫は一瞬こちらを見上げて、「動物的な評価」を下すような目をしたあと、特に何もなかったかのように、また部屋の探索を続けた。
その瞬間、自分の中で何かが、静かに「現在」を上書きした感じがあった。
「ああ、この猫は、俺が昔殺したあの猫じゃない」
「でも、同じ種の、別の一匹として、今ここにいる」
それは許しではないし、償いが済んだという話でもない。
ただ、「過去に猫を殺したことがある人間」が、「今、猫と暮らしている」という事実が、世界のどこかに一つ増えた、というだけだ。
***
こんなことを考えている自分に、果たして猫を飼う資格があるのかはわからない。
それでも毎朝、白い猫が腹の上に乗ってきて、
猫を殺したことがある少年が、大人になってから猫を飼うことに抵抗がない人って、いるのかな。
たぶんずっと、少しだけ怖いままだ。