2015年3月14日 (土)

成田空港に無料で泊ってみた

最近、国内旅行にLCCを使うようになったのですが、首都圏からは羽田空港ではなく成田空港からの発着のため、早朝出発便だと家から電車では間に合わない便があります。

空港周辺のホテルに宿泊すると、飛行機代より高くなって本末転倒するし、
空港内にあるカプセルホテルに泊まることもできますが、それだと、数千円の宿泊費がかかってしまい、やはり LCC の激安感が薄れてしまいます。

Ninehours1_2

Ninehours2_2

そこで・・・
成田空港に無料で泊ることにしました。

せっかくなので、お金をかけずに空港ロビーで寝ましょう。
以下は第2ターミナルの様子を紹介しますが、各ターミナルの地上1階ロビーで寝ることができます。
ちなみに、上記のカプセルホテルでシャワーだけを1時間千円で使うことができます。

Lobby1_2

椅子で寝る人のために、空港が肘掛のない椅子を設置してくれています。

Lobby2_2

ロビーには無料WiFiあります。
フリースポットを使う場合は、使う前にセキュリティ確認をお忘れなく。
速度は実測で15Mbpsなので十分でしょう。

Wifi1_2

Wifi2_2

椅子の近くにコンセントがある場所は限られています。
タコ足などを持参して、譲り合って使いましょう。

Lobby3_2

こんなかんじで寝れます。

Lobby4a_2

Lobby4b_2

Lobby5_2

成田空港の最終便は午後10時です。
それまでに椅子を確保しましょう。
椅子を確保できない場合は、床に寝ることになります。
それに備えて、寝袋持参で行くという手もありますが、荷物が増えるので空港に早く行く方がよいでしょう。

Timetable_2

Sleepingbag_2

ターミナル内には24時間営業のコンビニがあります。

Seveneleven1_2

Seveneleven2_2

実際に泊ってみましたが、快適に過ごせました。

以下のようなことをあらかじめ知っておくとよいと思います。

深夜も照明は消えませんので、アイマスクを持参しましょう。
午前3時くらいに深夜バスが到着するため、しばらく騒がしくなります。
深夜バスに備えて耳栓までして寝坊しないようにしましょう。

今回はひとりで泊りましたが、それだとトイレに行くときなどに荷物が不用心になります。
場所取り用の荷物と、貴重品は分けて、貴重品は手放さないようにするなどの工夫をしておく必要がありそうです。

なお、LCCの利用や、成田空港に安く行く高速バスのことは、こちらで紹介しています。

3月 14, 2015 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年7月16日 (火)

SIMロックフリーのiPad/iPhoneを香港で購入

SIMロックフリーのiPad, iPhoneの買い出しに香港まで行きました。

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香港国際空港に到着したら、現地で使えるプリペイドSIMをまず買いました。
到着ロビー階には店舗がないので、ひとつ上の出発ロビー階に行きます。

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現地キャリアの「3」のものを買いました。
写真のような店舗があります。2013年7月時点では写真のとおりGカウンターの裏にありました。

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街の中にはSIMのチャージはどこでもできるようですが、SIM自体の購入ができるところは限られているようですので、購入するなら空港で買うのがお時間節約にお勧めのようです。

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スマフォ用には、このHK$98(約1300円)のものがあります。

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3Gなので低速ですが1日HK$28でデータ量制限なしの使い放題でお手頃です。
WiFiルータ用などいつくか種類がありますので店員さんに用途を伝えて選んでもらうのがよいです。
SIMカードのアクティベーションは英文のユーザガイドを読んで自分でもできますが、店員さんにお願いするのが無難だと思います。

この後、購入するiPhone等をすぐに動作確認したいという場合は、ここでマイクロSIM又はナノSIMを買ってしまってもよいと思います。

空港での用事を済ませたら、街に出ます。
香港はタクシーも安いので、それで行くのも確実ですが、それでも電車の方が安いのは確かです。

Airport Expressという電車に乗って街に行ってから、地下鉄に乗り換えます。
到着ロビーに写真のような販売所があります。

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路線図でいうと写真の左側にある飛行機マークのあるAirport駅から、下側中央にある香港駅まで行くと駅ビル内にアップルストアがあります。

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料金は写真のような内容です。

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右下にあるとおり、香港駅までは片道HK$100、往復HK$180です。
左上のOctopusというのは、香港市内の地下鉄、バス、水上バスなどで使えるSuicaやPASMOのようなICカードです。
HK$150で買うとデポジットがHK$50あるためHK$100使えます。デポジットは帰国するときにこの販売所でHK$9の手数料を払って残額と一緒に払い戻せます。
その右側にあるのは、Airport Expressの往復券に3日間乗り放題が付いてHK$300のトラベルパスです。

販売所が混雑しているときは、すぐそばの自販機で、現金があればAirport Expressの切符だけなら列に並ばずに購入可能です。
Octopusは市内に移動してから到着駅で購入すれば混雑を避けられると思います。
ただし、自販機は現金のみです。クレジットカードで買う場合は販売所の列に並んで買うしかありません。

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今回は、Airport Expressの往復券とOctopusを買いました。

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こちらは帰国時の払い戻しの画面。食事や買い物に毎日何度か使いましたが、帰国時の払い戻しでHK$80くらい戻ってきました。

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パスを買ったら販売所のすぐ奥にあるプラットフォームから電車に乗れば20~30分で市内に行けます。

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香港駅改札を出てすぐの写真です。
アップルストアをめざすなら、出口のAを出ます。
写真の左側奥に見えるエスカレータを上ると駅ビルである国際金融センター・ショッピングモールです。

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この駅ビルの中にアップルストアがあります。

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で、空港到着から1時間ばかりで、お目当てのSIMロックフリーのiPad RetinaとiPhone 5をさっそく購入しました。

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海外で購入するときの注意事項があるそうです。
iPadには対応している電波帯により2機種あります。Model A1459とModel A1460です。
日本で快適に使うには、Model A1460を買う必要があります。
香港では、日本と同じModel A1460だけが売られているようですが、買うときには、箱の裏側のモデル番号をよく確認するのが確実のようです。

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用事が済んだので、腹ごなしにロースト鴨丼を食べました。HK$30くらい。

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買ったばかりのiPhone 5を並べてみました。こちらは、HK$6388。

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ロースト鴨丼が200杯超も食べられる・・・と気づく前にiPhone 5を躊躇なく買うためにも空港からアップルストアに直行することをお勧めします(笑)

残った時間は、市内の暑さを逃れるためにIKEAのソファー売り場で涼んだり、
(IKEAは国内でも海外でも郊外にありますが、ここは繁華街にあるので小物を買うにはお勧めです。IKEAの案内は、こちら

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ラーメンを食べたり、

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餃子園でビールを飲みながら餃子を食べたり、
(餃子園のお店情報は、こちら

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夜景を見たりして、

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香港を満喫しました。

土産は、地元系スーパーで探しました。(これはIKEAの隣りにありました)
香港産のものって意外とないです。別に中国産やシンガポール産でも喜ばれるとは思いつつ、がんばって探してお菓子を買いました。

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ということで、SIMロックフリーのiPadとiPhoneを無事買って帰国できましたが、唯一の問題は電源アダプタのプラグ形状です。
香港のプラグは写真のようなタイプ。

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国内で使うときにいつも変換プラグを使うのは、使い勝手が悪いです。
こんなかんじになってしまう。

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そこで、探したところありました。写真左下のような国内用のプラグ部品。

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税・送料込みで200~300円です。
amazon:Apple MagSafe 電源用 プラグ

ちなみに、こちらの写真右側がアップル純正品で左側が今回購入した部品。
少しだけ、端にプラスチックのバリがありますが、アダプタへの装着にはまったく問題なく、純正品と遜色なく使えています。

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国内では無事にdocomo LTEに接続できています。

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なお、上の写真はiPadですが、iPhone 5についてはiOS6.1からLTEに接続できなくなった(接続は3Gだけ)という情報があります。

かっこつけてドコモでiPhone5を使っていた記者 / ついに弱音を吐く「LTE使えないし重いしコレジャナイ」

iPhone5でLTE接続するための手順とiOSアップデート時の注意点(iOS 6.1にアップデートするとLTE接続できなくなったので注意!)

これらの制限は、SIMロックフリーに対するキャリア縛りのための新たな措置のようでもありますが、単にiOSのバージョンの問題で、今後のバージョンで解消されるのかもしれません。(少なくとも、上の写真にあるとおり、iPadについては、iOS 6.1.2でも追加のコンフィグファイルのインストールなどしなくてもLTEに接続できています。)

あと、SIMロックフリーのものに、最初にSoftbankやauのSIMをさすと、それによってSIMロックがかかるという不確かな情報もあるので、それらをささないのが無難のようです。

ここでは、香港への買い出しを報告しましたが、今回は飛行機会社のマイレージを使って行きました。
アジア圏内なので30000マイルで行けるので、30000マイルでSIMロックフリー機の購入権を獲得できた?みたいなかんじです(笑)
お金をかけずに行こうと思ったので、日帰りも考えましたが、マイレージではうまく空き便が取れず、せめて週末土日の1泊をと思っていましたが、その便も取れず、国内交通費を節約するために羽田空港にこだわった結果は金曜日出発で月曜日早朝帰国便になりました(笑)
ただ、アップルストアの在庫がないときのことも考えると2泊くらいしてもよいのかもしれません。
アップルストアは、ここで紹介した香港駅の他にも市内にあります。

また今回は宿泊費を安く済ませつつ交通の便のよいところということで、繁華街にある重慶大厦(チョンキン・マンション)という1960年代に建てられたという雑居ビル内の(ホテルではなく)ホステルを試してみました。
男の一人旅ならば十分です(笑)
そちらの紹介ビデオをアップしてあるので、参考まで。

重慶大厦(チョンキン・マンション)内のホステル
https://www.youtube.com/watch?v=xPiySZyUO_A

2013年7月は、1HK$が13円でした。この為替だと、価格的には日本で買うのと値段は同じくらいです。
SIMロックフリーであるということ以外にはメリットはありません。初期保証も現地で確認できる範囲だけになるのでリスクがあります。
あと、なんと言っても希望の機種が在庫切れというリスクがあります(笑)
円高になれば値段としては、少しお買い得感があるかもしれません。

海外からの個人輸入代行業者を使えば、手数料送料がだいたい1万円くらいのようですので、仮にマイレージで行ったとしても、国内空港までの交通費や現地宿泊代を考えると、安く済むことはありませんが、香港でおいしいものも食べてこようとか、マイレージの消化をお考えで、SIMロックフリーの購入をご検討のときの参考にしていただければと思います。

7月 16, 2013 | | コメント (4) | トラックバック (0)

2013年7月10日 (水)

iPad2のカバーをiPad Retinaでも使う

iPad 2からiPad Retinaに買い換えたら、やけにバッテリーの減りが早いなぁと思っていたら、iPad RetinaにiPad 2用のiPadカバーを使っているとiPadカバーによるロック/ロック解除が正しく動作しないために、鞄の中で電源が入りっぱなしだったのが原因でした。

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それではバッテリーが早く減るのはあたりまえですね。

しょうがないので、使い終わったら、毎回ちゃんとボタン操作でスリープするようにしようかとも思ったのですが、なんかiPadの使い方としては、いまいち。

なんとかならないかと思って調べて、ちょっと工作したらなんとかなりました(笑)

ネットで調べてみたら、カバーの中の磁石のS極N極がiPad 2からiPad Retinaで逆になったためということでした。

 カバーでロック/解除ができない件

ちなみに、以下のようなチェックの甘い記事もありました。これだけ読んだら、iPad 2用のカバーを買っても問題がないように誤解してしまいそう。これだからネットの情報は危ない、危ない(笑)

 【新しいiPadの検証】新しいiPadでスマートカバーが使えるの?を検証しました!

磁石の極性が逆になったのなら、逆向きの磁石をカバーに追加で接着してしまおうかと最初は思ったのですが、試しにやってみると、その場合には、もとからある磁石とはじき合うので接着が大変そうだし、何より余計な厚みが増して、カバーに隙間ができてしまいそうなのでやめることしました。
その代わりに直球勝負ということで(笑)、手持ちのiPad 2用カバーをカッターナイフで切開して、中の磁石を取り出して、表裏を逆にして戻したら、うまく動作するようになりました。

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切開した傷を元のように復元するのは無理なので、ステッカーを貼ってごまかしました(笑)

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ただ、不思議なこととしては、iPad 2とiPad Retina共通で使えるカバーもあります。
上記のチェックの甘い記事にあるような純正品などがそうです。
S極とN極が逆転したのに、今回磁石の表裏を逆転させたカバーは、iPad 2でも使えることがわかりました。

推測としては、iPad 2では本体の中でカバーの磁石に引き寄せられるのは極性をもたない鉄などの部品だったのが、iPad Retinaではその部品を磁石に変えたのかもしれません。
非純正品排除のためというより、部品を磁石にして、カバーと互いに引き寄せるようにすることで、より安定してロックが動作するようにしたのでしょう。

ということで、iPad 2のカバーをiPad Retinaでも使い続けたい、又は、間違って買ってしまったので使いたいという場合は、磁石が取り出せるようならば、表裏を逆にすれば使えるようです。

なお、カバーによるロックの機構はiPadを縦向きにしたときに、右側の上から3分の1くらいのところにあります。
カバーの中で、これと見合う位置にある磁石だけを反転すればよいです。
逆にそれ以外の位置にも磁石が入っている場合には、それはカバーが閉じるためのものなので、反転させてしまうと、カバーが閉まらなくなるかもしれません。
お試しになる場合は、磁石の位置をよくご確認ください。
普通の丸い磁石を使って、iPadの右側にあててみて、ロックが動作する位置を確認するとよいと思います。

7月 10, 2013 | | コメント (0)

2013年5月11日 (土)

少子化対策は手段であって、解決に必要なのはビジョンである

内閣府が少子化対策のひとつとして、女性手帳というのを提案して物議をよんでいる。

否定するほど悪いアイデアではないと思うが、それがあまりに部分的なことであり、全体が示されていないために、それ以外のことは何もしないつもりか?という風当たりになっているように思う。
恐らく、立案した関係者は、それだけで考えているわけではなく、まずはすぐにできることからを公表したのではないかと思うが、この「まずはできることから」が実は問題であるとも思う。

全体を考えた上で、まずは実施できることから実施する。というのはよいが、全体の考えがまだ固まっていない段階で、実施できることから実施するというのは、裏目に出ることもある。

以下の記事は、約1年前に、消費税増税のときに書いたものだが、その内容が、この少子化対策の件にそのまま当てはまるようなので、再掲してみる。

ここからは、ビジョンの重要性~「孫と元気に遊べる社会」を例題に考えるの再掲です。

最近、日本の政策に足りないのはビジョンだと思う。
手段みたいなことばっかりになってる。
これはマスコミも悪い。
ビジョンを出しても、それの実現方法をすぐに政治家に求めようとする。
ビジョンが選択され共感が得られれば、方策は行政が考えることになるし、ビジョンの実現のために国民も理解・協力しなければならない。

政治家は、マニュフェストとか綱領とか言ったりするが、文書の表題はどうでもよい。
その中身が、ビジョンになっているか否かを見極める能力が国民に問われている。

ビジョンとは何か?
普段、カタカナ言葉を使うのはよくないと思っているが、今回は、あえて、このままにしておく(笑)

そんなビジョンの重要性について、ビジョンの例を挙げながら考えてみたい。

国民はまずビジョンに共感できるかどうかの選別が、まずあるべき。
そして、それがまったく実現不可能なようなことなのかを、ある程度は確認すべき。
実現不可能なビジョンは、妄想に過ぎないのは確か。

でも、ビジョンに相当するようなことが実現可能かどうかは、やってみないと実はわからないことも有り得る。

逆に実現方法がすぐに検証できるような内容は、短期先のことでしかなくなる。
その結果、中長期、長期のビジョンが欠乏することになって、短期的なビジョンしか示されない。とすると悪いスパイラルに陥っていることになる。

ビジョンをカタカナ言葉のままにしているので、それが漠然としたままだ。
そこで、ビジョンの例を考えて、少しビジョンとはどういうことかを考えてみる。

たとえば、
「孫と元気に遊べる社会」
ということにしてみよう。

これは一見、ほのぼのとした抽象的な字句だが、実はそうでもない。
もしかしたら、辛らつですらあるかもしれない。

これの意味は・・・3点ある。

1.孫がいること。
このビジョンの社会では、子供がいて、その子供にも子供がいる必要がある。
とにかく重要なことは少子化対策だ。

2.元気でいること。
孫がいる年齢になっても、疾病への予防を心がけた生活をして健康でいる必要がある。

3.遊べること。
子の親が、自分の子と、自分の親を養う連鎖を築くことで、自分が働けない年代になったら、わが子に養ってもらう必要がある。

実現手段としては、
・医療保険での予防をより重要視し、
そして、
・年金制度を縮小する
・終末医療保険制度を縮小する
というのを、ここでは例としてちょっと考えてみたい。

今の社会保障制度を縮小するとだけ書くと、ネガティブな表現になってしまうが、
ビジョンとしては、
「孫と元気に遊べる社会」を作る。
と書いてみると、なんとなく明るいようにも見えるし、実際にも明るい社会だ。

このビジョンから導き出した実現手段を順に説明してみる。

医療保険での予防をより重要視することとは、たとえば、
定期健康診断を受けている人とそれをサボっている人に、その後の社会保障費使用の差があれば、たとえば、定期健康診断を受けているかで本人自己負担率を変えることなども考えられる。
この辺りは専門家ではないので、定期健康診断の受診が役立つのかわからない、何が具体的に有効かわからないが、何らかの予防を重要視するように仕向けるための仕掛け作りを重視することが重要だ。
こちらについては個人を( 必ずしも特定ではなく)同定することができるID管理は必要だ。
つまり、定期健康診断など何らかの事象と、その人が使用した社会保障費の相関を分析できるようになることが必要だ。

年金について。
もうじき、収入より支出が増えて備蓄がなくなり破綻すると言われているが・・・
そんな静的な話しではない。
払った分が戻らないことが確定してしまっている現状で破綻している。
現状で既に、1960年生まれで、80歳まで生きれば、元が取れる限界で、それ以降の世代は、もう元は取れない。
この状況では、今後、不払い者が増えることを抑えられなくなるのは自明。
年金を払わない人への不利益は、「払わないと年金もらえないよ」ということしかないのに、正しく払っても戻ってこないのだから、払わない人を止められない。
不払い者が増え始めると、備蓄が減る速度が加速し、ますます元が取れないことになり、いっきに誰も払わなくなっても、まったく不思議ではない。

それなら、これを抜本的に見直すこと(そうするかは別として)の検討を始めた方がよい。
いまもらっている人を減額しつつ、これからもらう人も減額して、比較的中長期のたとえば20年くらいかけて縮小することは検討の選択肢としてあってよい。
そのような縮小は、現在、年金だけを頼りに生活している方々に配慮した、長期間での撤廃とすることが必要となる。逆に言うと、そのくらいの期間でどう移行するかの検討をしないと、抜本的なことは変えられないという制約の中での議論しかできず、自ずと何も変えられない、変えないということにしかならない。

そして、終末医療にかかる保険手当てについて。
終末医療とは、回復せずに最後に死ぬまでの最後の医療のこと。
これが所得に関係なく皆保険(かいほけん)で最後まで賄われる国は日本くらいしかない。
逆に言うと、他国では、ある上限に達すると打ち切られる。
つまり、自費で払えない人は、医療を受けられない。つまり、死期は早まるということ。
延命措置を受けるためにお金を払える人は長生きできて、お金がないと受けれない。ということになる。

これは一見、惨いように思える。
だけど、これは、あくまで終末医療のこと。それは、もう回復することはない状態ということ。死を待つだけで回復はない。それが、終末医療。

この終末医療、本当に本人にとって幸せなことなのかは疑問視されている面もある。
尊厳死とか消極的安楽死とか言われたりもする。
そんな終末医療に、日本は、他国より多くの費用がかかっている。
このことも、社会保障費用の支出を増やす一つの要因になっている。

これは病気になったら死ね。と言っているのではない。
現状のように、病気になったら医療や介護を受ければよいと甘んじる前に、まずは病気にならないようにする予防にも自らのお金をかけることを最重要視するように、仕向けていくということだ。
保険会社が、そのことに多額の広報宣伝費をかけていることからも、予防にお金をかける方が経済原理としても合理的であると考えられる。

こちらも、するならば数年などの短期ではなく十分な期間をかけて縮小などしていく算段が必要。
ただ、こちらは予防にシフトできれば、むしろ支出は自然と減るのかもしれない。

では、歳を取ったらどうすればよいのか?

答えは単純で、自分の子供に面倒を見てもらうことを前提にすることだ。
子供がいなければ、面倒をみてもらえない。

この状態を数十年かけて築き上げると、少子化対策に直結する。

まず、子供を作ることは老後のために必要なことになる。
養育費は、まさに年金の掛け金代わりだ。
現状のモデルでは、若年が老年を養うということにしかならない。その点は、こちらも同じだが、それが一般論ではないことがポイントだ。
若年が老年を養うのではなく、子が自分の親を養うということに代わる。
前者より後者の方が、動機付けには有効なはずだ。
そもそも、その子は、親に養ってもらって大人になるのだから。

親は自分の親を養いながら、自分の子も養う。
親が養い損のようにも思えるが、自分が養った子が成長したら、そこで初めて、養ってもらえることになる。
その連鎖が続いていく。
だからビジョンは、「『子供』と元気に遊べる社会」ではなく「『孫』と元気に遊べる社会」とする必要がある。
そこには年金記録も年金機構も必要ないかもしれない。
子供を立派に育てたことが、将来自分が養ってもらえることの証になる。

そう。
日本に今もっとも必要なことは、少子化対策であり、それを優先するために、すべての政策が少子化対策に貢献するという全体像になることを、この例では示唆している。

そのような全体像なくしては、小手先の消費税増税とかをしても、焼け石に水だ。

(先日、知人から飲み屋で聞いたところによると)
いま、独身女性の不倫は少なくないという。
フランスが少子化対策のひとつとして、婚姻制度をやめて成功しているように、日本も、少子化対策のためなら、これまでの常識を否定してもよい。というか、そのぐらいしないと、現在の年齢別人口逆ピラミッド構成は、絶対に正常化しない。
婚姻関係が他の制度上必要なら、一夫多妻制でもよい。それでは女性が納得しないというなら、この際、多夫多妻制でまずは理解を得ることを優先して、なんでもよい。
不倫女性で子供が欲しくない人は、それは仕方ない。でも、生めるし、生みたいけれど、不倫だから生まないということであれば、その障害になっていること。生まれた子供が社会的に差別されたり不利益になるということが障害であれば、その障害を徹底的に排除して、とにかく出生率をあげるためにできることは、なんでもやる覚悟が必要だ。

さらに、単なる少子化対策で出生率があがればよいのか?
そうではない。
育て方も、親を養う努力をしようとする大人になってもらうことが、親の責任になる。打算的に言えば、親はそうしないと、子に養ってもらえなくなるから、そうするしかない。
本来は、国のこと、社会のことを考えてくれる大人になってもらう必要があるわけだが、
恐らく、親を養うことを当然と思う大人になってくれれば、その延長線上に、社会や国のことは考えてくれるに違いない。

ただ、これは全世帯が子供を生むことを強いるものではない。
そもそもそれができるのであれば、現在の制度は破綻しなかった。
子供を生むかどうかの選択肢は、それぞれにあってもよいと思う。
ただし、子供を生まない選択をした場合には、自身の老後は、健康で暮らすことになるべく努め、又は病気に備えた財蓄は自身で計画的にする必要があることになる。
その前提のなかで、子供を生むかどうかを選択することはあってよいと思う。むしろ、あるべきだ。

突き詰めれば、少子化はなぜ問題なのか。
個々人において、自ら子供を作らないと判断して、血筋を絶つと決めたなら、それは仕方のないこと。
他人がとやかく言うことですらないかもしれない。
しかし、社会保障制度が破たんするというのが、社会問題ということになる。
これは端的に言えば、子供を作らない人の老後を、他人の子供が面倒みるモデルの限界と言える。
老後の自分の面倒を、自分で備えるというモデルにすれば、その「備え」の手段として、「子供を作らず、預金を貯めて、他人の世話にならない」のか「子供を養って、その子供の世話になる」のかなどから選択するという中で、子供を作らないという選択の位置づけが決まる。
それでも、なお、本人の想定外のことに、ある程度社会が保障する制度は残ってもよい。というか残さないと社会とは言えなくなるかもしれない。しかし、そのように限られた社会保障制度であれば、あまり大きな負担とはならないはずだ。

もっと書きたいことがあるが、長文になったので、戻ると・・・

ビジョンの例としてあげた 「孫と元気に遊べる社会」は、老年向けのビジョンということになるかもしれない。
ただし、これだけだと若年向けのメッセージがないので、それも同じような方法で掲げてみたいものだ。

しかし、ここで述べたかったことは、この例示したビジョン「孫と元気に遊べる社会」を提唱することではない。
ビジョンの実現方法として書き出した方策も、それを提唱しているわけではない。

上記の具体策の例は、あえて極端な例をあげた。内容の是非を問われれば異論もあるだろう。
しかし、ここではその具体策を提案しているわけではない。(そもそも、それの専門知識はぼくにはない)
どういうアプローチで、それらの具体策を導き出すのかという流れの例として出してみた。

そのような順番で物事を考える必要があるのではないかということ。が、言いたかったことである。

「ビジョンが重要」ということ、「国民が選択すべきはビジョン」であるということが大切だと思う。
政治家が示す、「文言や選択肢がビジョンになっているのか?手段でしかないということはないのか?」を見極めるために、ビジョンに関心を持つということ。を述べたかったのである。

数十年後という長期のビジョンがなければ、その数十年後には、数十年かけないと解決できない課題が累積することになる。
数十年かかる改善は、今日始めれば、気の遠くなるような話しだが、数十年後に解決できる可能性がある。
しかし、始めなければ、百年たっても解決しないことは明白だ。

長期のビジョンを共有して、長期の課題に取り組むことが、今、求められているのではないかと思う。

5月 11, 2013 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年4月11日 (木)

トレードオフという表現より割り切りがわかりやすい

ネットの記事「アメリカ海軍は固体レーザー砲を2014年に配備する」によると、レーザー砲の実戦配備とはすごいな。

これまでの自由電子レーザでの計画をいったん区切って、固体レーザでできる範囲のことをまずはするという割り切りが特徴的。
軍需に限らず、アメリカはこの割り切りが強みだなと思う。日本はついつい完璧をめざしてしまい、次善策を下に見るので、結果的に機会を失う。
トレードオフが大切とよく語られるが、日本語にしたら、ようは割り切りのことなんだよな。
直観的にわかるように、トレードオフと言わずに、割り切りと言った方が背中を押せる気がする。

この固体レーザー砲配備で想像できることは、これでレーザー砲の低価格化が進み、それを小型化したものが開発されればレーザーライフルとして警察なども導入できるようになりそう。
人質立てこもりとかなら、レーザー照準して、すぐにレーザーライフルに切り替えれば、誤射なく犯人を射撃できる(はず)。そうなれば、犯人を射殺せずに、正確に手首だけを撃ち抜くとかできそうだ。
軍需用途では欠点とされる固体レーザーの特徴も、そのような場面では、あまり問題なさそうだし、よい気がする。
ただ、そうなってくると、悪い人も使えるようになるので、その点をどう「割り切る」かが新たな問題だろうか。

4月 11, 2013 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年8月23日 (木)

社会に必要なのは想像力~いじめは想像力の欠如による

はるかぜちゃんこと、春名風花さんが朝日新聞の連載に投稿をしている。

特集連載:いじめと君」の最終回の「記事:《いじめている君へ》君、想像したことある?」がそれだ。

この中で、はるかぜちゃんは、いじめっ子には、いじめをしている自覚はないと、暗に大人たちが「いじめ」そのものを何とかしようという対策をしていることに苦言を呈した上で、「いじめは、いじめる子に想像力を持ってもらうことでしか止まらない。 」としている。


この着眼点が秀逸だ。
はるかぜちゃんって何者と思ったら、こちら:「はるかぜちゃん(10歳)のつぶやき

そんな中、いじめでわが子を失った父親の記事があった。
日本経済新聞:自殺生徒の父「暴力、何も解決できず」 大津教育長襲撃で
(原文はこちら:「大学生による大津市教育長襲撃事件」について

その中で、父親は、学校関係者を殴りたい衝動に駆られたが、「息子は喜ぶのだろうか」を考えて思いとどまった。としている。

こちらも、まさに想像力によるところだ。

いじめは想像力の欠如によるという彼女の指摘は端的な表現で的を得ていると思う。
いじめっ子になるかならないかを、家庭環境や価値観などで量ろうとすることに異論を唱えられたことになる。
さらに、いじめのきっかけとなる原因の有無について考え、どちらかに非があるのかないのかという論点も無意味だという意見でもある。
いじめという行為を実行してしまうか、しまわないかは、想像力のある子か、ない子か。だという仮説は、すばらしい。

また、想像力の有無が未然防止になることに加え、それは再発防止としても重要であることを意味している。
いじめがあったときに、いじめっ子に本人の想像力に訴えかけるということが、事後対応として重要なことになる。
これについては、森口朗公式ブログ:この「いじめ対策」はすごい!で長野県の中学校の先生が実践しているという手法が紹介されている。
その中で、「いじめっ子が泣くまで反省させる」という手法が紹介されており、コメントで賛否両論ある。
この表現をさらっとだけ読んで論じるのはよくない。これについては、上記のブログのコメントまでも、よく読むことで初めて趣旨が理解できることだが、「泣かす」ことと「泣くこと」を区別した表現である。
しかし、そこでのコメントの意見交換に、「想像力に訴えかける」という表現は出てこないが、実はそれを目的と位置付ければ、その手段としてのひとつの手法だと捉えれば、状況に応じた選択肢のひとつとして考えられることだろうと思う。

想像力は、いじめっ子になりうる子供たちだけに必要なことではない。
学校であれば教師にも、それを監督する教育委員会などの関係者にも。
そして、いじめっ子の家族にも、いじめられた子の家族にも。

想像力を養うような環境が減ることが、深刻な、いじめを生み出すのだとしたら、想像力を養うような改善は、いじめ対策以外にも役立つはずだ。

なぜなら、想像力は大人になって働くことになってからも重要なことだからだ。
想像力は産業力の強化にも必要な要素だろう。

多くの人が、さまざまなことに想像力を働かせて向き合っていく社会。それでも、うっかりと想像力を欠いてしまった場面では、互いが互いに想像力に訴えかけてそれを補っていくように促す社会というのは、希望に満ち溢れた明るい未来のひとつの条件だと思った。

以前、ビジョンの重要性~「孫と元気に遊べる社会」を例題に考えるを書いたが、これに、「想像力を活かす社会」を加えたいと思う。

8月 23, 2012 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年8月20日 (月)

「英語ができないと世界に出ていけない」への警鐘

新聞に以下のような記事があった。

120満点のTOEFLの2011年平均点、日本69点、インド92点、韓国と香港82点、中国と台湾77点。海外大学の留学生条件は80点以上が多い。早稲田大学の協定留学生枠はTOEFL得点不足で一部余る状況。
(出典 読売新聞2012年8月20日朝刊の世界で学ぶシリーズ第4回:交換留学 余る「枠」 から抜粋)

気になるのは平均点よりも標準偏差。
上下格差が広がり始めると、英語力が他の能力より特段優れているかの誤解を、得点上位者がすることも警戒すべきな気がしています。
逆に得点下位者が委縮することも同じく、避けなければいけない。

スポーツはわかりやすい。
スポーツが優秀なことがまず先。それに英語も必要になってくる。しかし、どうしても英語が苦手なら通訳を雇う選択肢はある。しかし、英語がいくらできても、本業のスポーツの成績が悪ければ、英語力に何の意味もない。

これは産業界でも同じはずなのに、見落とされやすい。
英語の特に会話力の経済価値は、せいぜい年額100~250万円程度ではないかと思うことがあります。
仕事で英会話を使う頻度によりますが、それを毎回通訳を雇う対価程度に見る視点も必要。
最大額は通訳の年収を上回ることは本来ないはず。

このことは特に仕事の個人業績評価のときに忘れてはならないこと。
先のスポーツ選手のことを思い浮かべれば当然のことなのに、英会話のできる人が少なくなってしまうと、英会話能力を過大評価してしまう危険がある。

そんな人材育成をしていったら、国力は弱まるはず。
英会話が堪能だけど試合に弱いスポーツ選手が増えるようなもの。そんなことでは、結果的に国際競争に勝てない。
まずは、スポーツができるようにすること。産業力を高めることが先。
そして、ある意味、金で買える英語力も精進してもらう。それをしないと、自分がストイックに本業でがんばっているのに、その年収から数百万円が通訳費用で削られれば、それを避けるために、自分の語学力を高める動機が生まれるなら、それはそれでよいのかもしれません。

「英語ができないと世界に出ていけない」という表現には、そんな潜在的危険性があると思っています。

8月 20, 2012 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2012年1月30日 (月)

ビジョンの重要性~「孫と元気に遊べる社会」を例題に考える

最近、日本の政策に足りないのはビジョンだと思う。
手段みたいなことばっかりになってる。
これはマスコミも悪い。
ビジョンを出しても、それの実現方法をすぐに政治家に求めようとする。
ビジョンが選択され共感が得られれば、方策は行政が考えることになるし、ビジョンの実現のために国民も理解・協力しなければならない。

政治家は、マニュフェストとか綱領とか言ったりするが、文書の表題はどうでもよい。
その中身が、ビジョンになっているか否かを見極める能力が国民に問われている。

ビジョンとは何か?
普段、カタカナ言葉を使うのはよくないと思っているが、今回は、あえて、このままにしておく(笑)

そんなビジョンの重要性について、ビジョンの例を挙げながら考えてみたい。

国民はまずビジョンに共感できるかどうかの選別が、まずあるべき。
そして、それがまったく実現不可能なようなことなのかを、ある程度は確認すべき。
実現不可能なビジョンは、妄想に過ぎないのは確か。

でも、ビジョンに相当するようなことが実現可能かどうかは、やってみないと実はわからないことも有り得る。

逆に実現方法がすぐに検証できるような内容は、短期先のことでしかなくなる。
その結果、中長期、長期のビジョンが欠乏することになって、短期的なビジョンしか示されない。とすると悪いスパイラルに陥っていることになる。

ビジョンをカタカナ言葉のままにしているので、それが漠然としたままだ。
そこで、ビジョンの例を考えて、少しビジョンとはどういうことかを考えてみる。

たとえば、
「孫と元気に遊べる社会」
ということにしてみよう。

これは一見、ほのぼのとした抽象的な字句だが、実はそうでもない。
もしかしたら、辛らつですらあるかもしれない。

これの意味は・・・3点ある。

1.孫がいること。
このビジョンの社会では、子供がいて、その子供にも子供がいる必要がある。
とにかく重要なことは少子化対策だ。

2.元気でいること。
孫がいる年齢になっても、疾病への予防を心がけた生活をして健康でいる必要がある。

3.遊べること。
子の親が、自分の子と、自分の親を養う連鎖を築くことで、自分が働けない年代になったら、わが子に養ってもらう必要がある。

実現手段としては、
・医療保険での予防をより重要視し、
そして、
・年金制度を縮小する
・終末医療保険制度を縮小する
というのを、ここでは例としてちょっと考えてみたい。

今の社会保障制度を縮小するとだけ書くと、ネガティブな表現になってしまうが、
ビジョンとしては、
「孫と元気に遊べる社会」を作る。
と書いてみると、なんとなく明るいようにも見えるし、実際にも明るい社会だ。

このビジョンから導き出した実現手段を順に説明してみる。

医療保険での予防をより重要視することとは、たとえば、
定期健康診断を受けている人とそれをサボっている人に、その後の社会保障費使用の差があれば、たとえば、定期健康診断を受けているかで本人自己負担率を変えることなども考えられる。
この辺りは専門家ではないので、定期健康診断の受診が役立つのかわからない、何が具体的に有効かわからないが、何らかの予防を重要視するように仕向けるための仕掛け作りを重視することが重要だ。
こちらについては個人を( 必ずしも特定ではなく)同定することができるID管理は必要だ。
つまり、定期健康診断など何らかの事象と、その人が使用した社会保障費の相関を分析できるようになることが必要だ。

年金について。
もうじき、収入より支出が増えて備蓄がなくなり破綻すると言われているが・・・
そんな静的な話しではない。
払った分が戻らないことが確定してしまっている現状で破綻している。
現状で既に、1960年生まれで、80歳まで生きれば、元が取れる限界で、それ以降の世代は、もう元は取れない。
この状況では、今後、不払い者が増えることを抑えられなくなるのは自明。
年金を払わない人への不利益は、「払わないと年金もらえないよ」ということしかないのに、正しく払っても戻ってこないのだから、払わない人を止められない。
不払い者が増え始めると、備蓄が減る速度が加速し、ますます元が取れないことになり、いっきに誰も払わなくなっても、まったく不思議ではない。

それなら、これを抜本的に見直すこと(そうするかは別として)の検討を始めた方がよい。
いまもらっている人を減額しつつ、これからもらう人も減額して、比較的中長期のたとえば20年くらいかけて縮小することは検討の選択肢としてあってよい。
そのような縮小は、現在、年金だけを頼りに生活している方々に配慮した、長期間での撤廃とすることが必要となる。逆に言うと、そのくらいの期間でどう移行するかの検討をしないと、抜本的なことは変えられないという制約の中での議論しかできず、自ずと何も変えられない、変えないということにしかならない。

そして、終末医療にかかる保険手当てについて。
終末医療とは、回復せずに最後に死ぬまでの最後の医療のこと。
これが所得に関係なく皆保険(かいほけん)で最後まで賄われる国は日本くらいしかない。
逆に言うと、他国では、ある上限に達すると打ち切られる。
つまり、自費で払えない人は、医療を受けられない。つまり、死期は早まるということ。
延命措置を受けるためにお金を払える人は長生きできて、お金がないと受けれない。ということになる。

これは一見、惨いように思える。
だけど、これは、あくまで終末医療のこと。それは、もう回復することはない状態ということ。死を待つだけで回復はない。それが、終末医療。

この終末医療、本当に本人にとって幸せなことなのかは疑問視されている面もある。
尊厳死とか消極的安楽死とか言われたりもする。
そんな終末医療に、日本は、他国より多くの費用がかかっている。
このことも、社会保障費用の支出を増やす一つの要因になっている。

これは病気になったら死ね。と言っているのではない。
現状のように、病気になったら医療や介護を受ければよいと甘んじる前に、まずは病気にならないようにする予防にも自らのお金をかけることを最重要視するように、仕向けていくということだ。
保険会社が、そのことに多額の広報宣伝費をかけていることからも、予防にお金をかける方が経済原理としても合理的であると考えられる。

こちらも、するならば数年などの短期ではなく十分な期間をかけて縮小などしていく算段が必要。
ただ、こちらは予防にシフトできれば、むしろ支出は自然と減るのかもしれない。

では、歳を取ったらどうすればよいのか?

答えは単純で、自分の子供に面倒を見てもらうことを前提にすることだ。
子供がいなければ、面倒をみてもらえない。

この状態を数十年かけて築き上げると、少子化対策に直結する。

まず、子供を作ることは老後のために必要なことになる。
養育費は、まさに年金の掛け金代わりだ。
現状のモデルでは、若年が老年を養うということにしかならない。その点は、こちらも同じだが、それが一般論ではないことがポイントだ。
若年が老年を養うのではなく、子が自分の親を養うということに代わる。
前者より後者の方が、動機付けには有効なはずだ。
そもそも、その子は、親に養ってもらって大人になるのだから。

親は自分の親を養いながら、自分の子も養う。
親が養い損のようにも思えるが、自分が養った子が成長したら、そこで初めて、養ってもらえることになる。
その連鎖が続いていく。
だからビジョンは、「『子供』と元気に遊べる社会」ではなく「『孫』と元気に遊べる社会」とする必要がある。
そこには年金記録も年金機構も必要ないかもしれない。
子供を立派に育てたことが、将来自分が養ってもらえることの証になる。

そう。
日本に今もっとも必要なことは、少子化対策であり、それを優先するために、すべての政策が少子化対策に貢献するという全体像になることを、この例では示唆している。

そのような全体像なくしては、小手先の消費税増税とかをしても、焼け石に水だ。

(先日、知人から飲み屋で聞いたところによると)
いま、独身女性の不倫は少なくないという。
フランスが少子化対策のひとつとして、婚姻制度をやめて成功しているように、日本も、少子化対策のためなら、これまでの常識を否定してもよい。というか、そのぐらいしないと、現在の年齢別人口逆ピラミッド構成は、絶対に正常化しない。
婚姻関係が他の制度上必要なら、一夫多妻制でもよい。それでは女性が納得しないというなら、この際、多夫多妻制でまずは理解を得ることを優先して、なんでもよい。
不倫女性で子供が欲しくない人は、それは仕方ない。でも、生めるし、生みたいけれど、不倫だから生まないということであれば、その障害になっていること。生まれた子供が社会的に差別されたり不利益になるということが障害であれば、その障害を徹底的に排除して、とにかく出生率をあげるためにできることは、なんでもやる覚悟が必要だ。

さらに、単なる少子化対策で出生率があがればよいのか?
そうではない。
育て方も、親を養う努力をしようとする大人になってもらうことが、親の責任になる。打算的に言えば、親はそうしないと、子に養ってもらえなくなるから、そうするしかない。
本来は、国のこと、社会のことを考えてくれる大人になってもらう必要があるわけだが、
恐らく、親を養うことを当然と思う大人になってくれれば、その延長線上に、社会や国のことは考えてくれるに違いない。

ただ、これは全世帯が子供を生むことを強いるものではない。
そもそもそれができるのであれば、現在の制度は破綻しなかった。
子供を生むかどうかの選択肢は、それぞれにあってもよいと思う。
ただし、子供を生まない選択をした場合には、自身の老後は、健康で暮らすことになるべく努め、又は病気に備えた財蓄は自身で計画的にする必要があることになる。
その前提のなかで、子供を生むかどうかを選択することはあってよいと思う。むしろ、あるべきだ。

突き詰めれば、少子化はなぜ問題なのか。
個々人において、自ら子供を作らないと判断して、血筋を絶つと決めたなら、それは仕方のないこと。
他人がとやかく言うことですらないかもしれない。
しかし、社会保障制度が破たんするというのが、社会問題ということになる。
これは端的に言えば、子供を作らない人の老後を、他人の子供が面倒みるモデルの限界と言える。
老後の自分の面倒を、自分で備えるというモデルにすれば、その「備え」の手段として、「子供を作らず、預金を貯めて、他人の世話にならない」のか「子供を養って、その子供の世話になる」のかなどから選択するという中で、子供を作らないという選択の位置づけが決まる。
それでも、なお、本人の想定外のことに、ある程度社会が保障する制度は残ってもよい。というか残さないと社会とは言えなくなるかもしれない。しかし、そのように限られた社会保障制度であれば、あまり大きな負担とはならないはずだ。

もっと書きたいことがあるが、長文になったので、戻ると・・・

ビジョンの例としてあげた 「孫と元気に遊べる社会」は、老年向けのビジョンということになるかもしれない。
ただし、これだけだと若年向けのメッセージがないので、それも同じような方法で掲げてみたいものだ。

しかし、ここで述べたかったことは、この例示したビジョン「孫と元気に遊べる社会」を提唱することではない。
ビジョンの実現方法として書き出した方策も、それを提唱しているわけではない。

上記の具体策の例は、あえて極端な例をあげた。内容の是非を問われれば異論もあるだろう。
しかし、ここではその具体策を提案しているわけではない。(そもそも、それの専門知識はぼくにはない)
どういうアプローチで、それらの具体策を導き出すのかという流れの例として出してみた。

そのような順番で物事を考える必要があるのではないかということ。が、言いたかったことである。

「ビジョンが重要」ということ、「国民が選択すべきはビジョン」であるということが大切だと思う。
政治家が示す、「文言や選択肢がビジョンになっているのか?手段でしかないということはないのか?」を見極めるために、ビジョンに関心を持つということ。を述べたかったのである。

数十年後という長期のビジョンがなければ、その数十年後には、数十年かけないと解決できない課題が累積することになる。
数十年かかる改善は、今日始めれば、気の遠くなるような話しだが、数十年後に解決できる可能性がある。
しかし、始めなければ、百年たっても解決しないことは明白だ。

長期のビジョンを共有して、長期の課題に取り組むことが、今、求められているのではないかと思う。

1月 30, 2012 | | コメント (0) | トラックバック (1)

2011年6月12日 (日)

役人が役所言葉で書く、有識者から政府への提言書の違和感

先日傍聴した政府の有識者会合で感じた違和感を、iPadからココログを書く練習として書いてみることにする。

以下のようなやりとりがあった。後述するように、やりとりの流れを見てもらうのが主なので、内容は概略にしてある。この会合個別に意見があるものではない。

構成員「前回案では『権限』と書いてあったところが『役割』を持たすとなっているが権限のような強いものが必要なので、権限に戻せないのか。」
事務局「役所では『権限』というと法的権限を連想することがあるため、それに限らないものがよいという省意見を受けて変えました。そこで広い意味の『役割』にしました」
構成員「法的権限までが必要ないものかどうかの議論はまだされておらず、それを与える可能性もあるので、やはり『権限』という強い言葉がよいと思うがダメなのか」
事務局「これは有識者提言なので、それが必要ということならば、そのようにまとめていただくことはできます」
構成員:(言及せずに沈黙)
主査「最終的な文章については主査と事務局に一任いただきたく」

その他に次のようなやりとりもあった。

構成員「『総合調整』という表現があるが『○○権』のような明確な書き方をできないのか。調整では弱い。」
事務局「役所では『総合調整』という言葉は十分に強い表現として使われているものです。たとえば、総理大臣は各大臣に対して総合調整をする。というようにも使われる言葉ですので、弱いということにはなりません。」
構成員「『○○権』とは書けないものなのか」
事務局「これは有識者提言なので、それが必要ということならば、そのようにまとめていただくことはできます」
構成員:(言及せずに沈黙)
主査「最終的な文章については主査と事務局に一任いただきたく」

主査からは、役所にとって受け入れられやすいように、役所が使う言葉を選ぶという考え方もあるというようなことが言われた。
これらについて、主査がどういう意図で、修正文案をこの場ですぐに議論せずに預かったのかは、この後、どのような提言文書が出てくるのか次第である。

しかし、それがどうなったとしても、
このやりとりそのものに覚えた違和感を喩え話しで説明する。

たとえば、佐藤から鈴木さんへの提言というのがあったとする。
佐藤は提言案というのを書いてみて、それを鈴木さんに見せて内容について、意見をもらうことにする。
意見といっても、佐藤から鈴木さんへの提言なので、内容の是非ではなく、鈴木さんが理解できる文章になっているかについてとなる。
鈴木さんが意味がよくわからないという箇所があれば、表現をわかりやすくするなどして修正をして提言を完成させる。
その意見を聞いたときに、鈴木さんが質問をして佐藤が口頭で説明をしたことで、鈴木さんが、それならば文章の趣旨はわかったので、修正をせずにこのままでもよいですよ。と言えば、修正しないで提言を完成させることもできるだろう。

上記のやりとりに違和感はあるだろうか?
ぼくにはない。これが自然な提言というものだろうと思っている。

さて、上記は、佐藤から鈴木さんへの提言の例であった。これを、佐藤を有識者に、鈴木さんを政府に置き換えると、本来は、有識者から政府への提言のとりまとめ作業になるはずではないだろうか。

ところが、事務局である役人が提言案文を執筆して、構成員である有識者がそれにコメントをして、そのコメントを受けて、事務局が文章修正をするという作業になっている。
まるで、政府が出す報告書などを有識者がレビューするときの作業のようになっている。
そもそも、佐藤と鈴木さんの喩えでは、質問して文章の趣旨を確認するのは鈴木さんが佐藤に対して行っているが、上記の有識者会議の質疑の向きは逆転しているのである。
提言者が、提言先に対して提言文章の意図を確認して、そのやりとりが議事録に記録されれば提言者として納得するという。
いったいなんなのだろうか。
なんとなくモヤモヤした感じである。


素朴な違和感を感じたので、iPadの入力の練習にブログにしてみた。
iPadのスクリーン・キーボードではブラインドタッチがまだできないので、この入力に結構時間がかかった。
とくにこういう文章を書くときにカーソルキーがないことに、まだ慣れていないので、読み直してちょっと修正するのがやっかいだった。

6月 12, 2011 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年5月26日 (木)

はるかぜちゃん(10歳)のつぶやき

はるかぜちゃん(@harukazechan)こと、春名風花ちゃんという子役をしている小学5年生の女の子のツイッターのつぶやき内容が、とてもしっかりした文章でネットで話題になってる。

そこで過去のつぶやきとかを、いろいろ見てみたら本当に感動したのでご紹介。

はるかぜちゃんを知らないなら、まず、これ↓とか読むと、つかみとしていいかもw
はるかぜちゃん「ぼくはソウカガッカイじゃないです(ω)」

彼女のつぶやきに上から目線の大人が意見したときの返しがすごく論理的なので感心する。


そして、これ↓
10歳子役twittererはるかぜちゃんが語る 「言葉」

最後の一文とか、すごすぎるw
それは抜粋になっているけど、全文はこちら↓
はるかぜちゃんの「きちがい」論
長文だけど、はるかぜちゃんの発言は青色文字になっているので、そこだけを読むだけで、はるかぜちゃんがどう考えたかがわかる。
普通の人は涙出るかも


もともと、東京都の青少年育成条例を批判したつぶやき「都条例ぷんすか」で有名になったらしいが、それに対して大人が取った醜い行動への反応もツイートしている
『都条例ぷんすか(ω)』のはるかぜちゃん(9)のTwitter使用に、縄張り意識をあらわにするおとなユーザ

そんな、はるかぜちゃんだが、ネットでは賞賛だけされているだけではなく、中傷を受けたこともある。
はるかぜちゃんが登校前に泣いていた件。(お母さんのツイートより)
前半は中傷した人とのやりとりだが、2011-02-16 14:36:13からを読むと、ちょっと感動する。

中傷を受けることは、はるかぜちゃんにとって、常に悩みのたねのようだ。
はるかぜちゃんと乙武さん「批判と中傷について」


という、春名風花ちゃんのリアのことはITmediaの記事になってる。
3歳でブログ、9歳でTwitter 「都条例ぷんすか(ω)」のはるかぜちゃんに聞く

はるかぜちゃんの、その他のつぶやきまとめはいっぱい掲載されていて、こんなかんじ。
Togetterを「春名風花」で検索


デジタル・ネイティブという言葉があるけど、それは、小学生の頃から、コミュニケーションだけではなく
自分の考えや意見をまとめることにもネットを使いこなせるということまで含まれるということなのだろうと改めて考えさせられた。

ただ、はるかぜちゃんはツイッターがあったので、皆によく知られるようになっただけで、はるかぜちゃんがしっかりした物事の捉え方、考え方をできることとデジタル・ネイティブとは関係なくて、そういう子にとって、デジタルツールはとても有用なものになるのだろうなと、ぼくがいまちょっと頭に浮かんだだけw

そこでちょっと心配になることがある。
はるかぜちゃんは、いま小学5年生だけど、この先の義務教育は従前からの教育課程で十分なのか?はるかぜちゃんのような物事の考え方をできる子にも対応できているのか?についてちょっと心配になる。
外国では、こういう子が飛び級制度で、早く進学するのだろうが、日本にはない。
そんな日本に失望して、海外に飛び出してしまわないかと心配になる。

ただ、はるかぜちゃんは、そんな海外の飛び級をしたがる子供ともちょっと違うようにも見える。

彼女からは、「仕事は大人の世界でちゃんとするようにするけれど、だからといって学校まで早く進級したいとは思わない。小学生のうちは、小学生にしかできないことを楽しみたい。」と言われてしまいそうな気もしている。笑

5月 26, 2011 | | コメント (0) | トラックバック (2)

2011年5月 1日 (日)

国内加工基準を満たしたユッケや牛・豚・鶏のレバ刺しは存在しない

牛肉刺しであるユッケを食べて食中毒を起こす事故が報道されている。
そして、その肉が生食用ではないものを使用していたということで問題視されている。
この問題だが、もっとすごい実態がある。

馬以外の牛や豚、鶏の生食用の肉やレバは、国内にそもそも出荷実績がないのである。
焼肉店で、ユッケや牛レバ刺しは、ときどきみかけるが、国内出荷であれば、それらはすべて、生食用ではない加熱用のものを販売店の判断で生食用として提供していることについては、あまり知られていない。(輸入品や、と畜場から出荷されておらずに、加工基準を遵守して加工している可能性はないわけではないようだ)
焼肉店によっては、生食肉についての国が出した食肉処理施設基準のうち、処理作業手順の部分だけを真似て最終加工をしている店もあるようだが、その素材となる食肉が同基準に従って出荷されているという実績がないことになる。
今回の事故以後も、焼肉店が「うちは、仕入れた肉の外側をそぎ落として中心部分だけを、ユッケ用に加工しているから大丈夫」という説明が平然とTV報道されている。
このような焼肉店はまだ「まし」な方で、店によっては同基準のことをそもそも知らないことすらある可能性もある。

このことは、確認できる情報の最新が2009年度までなので、その後改善されているかも知れないが、これまでの経緯を知っておいて損はない。備えあれば憂いなしだ。

このことを最初に知ったのは、2008年3月21日の読売新聞朝刊の記事からだった。
「揺らぐ安全」という連載の第2部3号の1面記事である。

記事によれば、「O157を死滅させるのには加熱が必要で、鮮度は関係ない。牛の腸に生息する菌が肝臓に付着する危険がある。集団食中毒が相次ぎ、8人が死亡した1996年、生レバーで感染した人もいたため、国は「生食レバー」を出荷できる食肉処理施設の基準を通知した。」とあった。
2006年度、食肉処理施設である「と畜場」全国202施設ののうち、基準を満たしたのは6施設だったそうだ。
さらに国は、2007年に、牛レバーについて生食用であっても、なるべく提供しないよう通知したが、「看板メニューだ」「客が食べたがる」という反応で従わない店がほとんどだったようだ。

そして、2008年3月7日に東京で開催された討論会で、以下のやりとりがあったとのこと。

「焼肉店での生食提供に規制を設けるべき」という藤井潤構成員(九州大学准教授細菌学・当時)の発言に対して、渡辺治雄座長(国立感染症研究所副所長・当時)は、「食習慣が絡み、規制に国民的合意を得るのは難しいのではないか」と返したという。

こんなことに、国民的合意が必要なのかと記事を疑ってしまうが、このやりとりは、新聞の1面で取り上げられたにもかかわらず、その後、特に話題にはならなかったと記憶している。
結果的に、「生食提供」は規制されておらず、基準があっても無視され、実際は店の判断で提供され、食中毒が発生したときにだけ問題になり、保健所が営業停止処分などをするだけの状態が続いており、今回は、小学生が死亡するという、まさに取り返しのつかない事態にまでなってしまったわけである。

以上からすると、一応、6施設あるわけね。そうすると、高級店とか値段の高いユッケやレバ刺しなら安心なのか。
と、思ったら大間違いである。

島根県のホームページの「生食用食肉の衛生基準」というページの一部を以下に転載する。

生食用食肉の取扱状況(平成21年度実績)
(1)生食用レバーの加工基準に適合していると畜場及び出荷実績
自治体と畜場名出荷実績
新潟市新潟市食肉センターなし
福岡県県南食肉センターあり※
福岡県うきは市と畜場あり※
熊本県千興ファーム食肉センターあり※
熊本市熊本市食肉センターあり※
(注)「生食用食肉等の安全性確保について」(平成10年9月11日付け生衛発第1358号)に基づく生食用食肉の加工基準目標のうち、肝臓の処理について適合していると畜場を指す。 (※)生食用レバーの出荷実績は馬レバーのみ

(2)生食用食肉の出荷実績のあると畜場

自治体と畜場名
青森県(株)青森畜産公社津軽食肉センター
福島県会津食肉センター
郡山市(株)福島県食肉流通センター
宇都宮市(株)栃木県畜産公社
山梨県(株)山梨県食肉流通センター
長野県佐久広域食肉流通センター
長野県(株)長野県食肉公社 松本支社
高知市高知県広域食肉センター
福岡県県南食肉センター
福岡県うきは市と畜場
熊本県千興ファーム食肉センター
熊本市熊本市食肉センター
※いずれの施設も、生食用食肉の出荷実績は馬肉のみ

これを見ると、その後の2009年度には、生食用レバーの加工基準に適合していると畜場が5施設に減ったことがわかるが、さらに、※印の注釈にとても重要なことが書いてある。
(1)の生食用レバーの加工基準に適合していると畜場及び出荷実績には、
※生食用レバーの出荷実績は馬レバーのみ
(2)の生食用食肉の出荷実績のあると畜場には、
※いずれの施設も、生食用食肉の出荷実績は馬肉のみ
とある。

つまり、馬刺しと、馬レバ刺し以外の出荷実績は国内には存在しないのである。

焼肉屋で目にする、ユッケや鶏ささみ刺し、牛や豚、鶏のレバ刺しは、すべて生食用ではなく、加熱用のものを店が「新鮮だから」などの理由で勝手に、生食用に出しているのである。

このことを知ってみると、スーパーや肉屋で生食用の肉というのは、見ることが少ない。(と自分の近所のことだけで思っていたら、コメントにいただいたように、大阪では結構販売されている様子)
肉を売る際には、生食用を売る場合には、と畜場を明記することになっているらしいので、そこに嘘のと畜場名を書いてまで売るという店はないのだろう。
つまり、店に悪意はあまりなく、危険性を軽んじているか、知っていないという状態のように見受けられる。

ちなみに、ぼくは、このことを知った後も、焼肉屋でユッケやレバ刺しを食べることはある。
なので、必ずしも、生食肉の規制をすべきという立場でもないが、ただ、それらにはリスクがあることの周知はされるべきだと思っている。
知った上で、食べるのなら、本人のリスク裁量だし、仮に事故が起きれば店は食中毒を出して営業停止になるので、店もリスクを覚悟して、そのメニューを出すことになる。
一番よくないのは、店も客も、どちらも、このリスクを知らないでいることだ。
結論からすれば、この事実が広く周知されれば、リスクを取ってまでメニューに、ユッケとレバ刺しを出す店はなくなるのだろうと思う。
逆に、今後もまだ、メニューから消えなければ、周知が足りていないことを意味するのではないかと思う。

東京都福祉保健局の「ちょっと待って!お肉の生食」に生食肉についての注意のリーフレットが「保護者向け」「若年層向け」「事業者向け」が用意されているので、周知にはこれを使うのがよいようだ。
また、同じページに、以下の記述があるので、加工基準を満たした輸入品はある可能性がある。


「生食用」の牛肉、鶏肉は流通していません

厚生労働省は、「生食用食肉等の安全性確保について」の通知で、生食用食肉の衛生基準を示していますが、平成20年度にこの通知に基づいた生食用食肉の出荷実績があったのは、馬の肉・レバーだけでした。牛肉については国内と畜場から生食用としての出荷実績はなく、一部生食用として輸入されているものがありますが、その量はごく少ないものと考えられます。また、鶏肉は生食用の衛生基準がありません。したがって、牛肉、鶏肉は、生で食べると食中毒になる可能性があります。

なお、上記のいずれの情報も2009年度までの内容です。
2010年度以後の出荷実績の情報をご存知のかたは、コメントなどでお知らせいただけたら幸いです。

5月 1, 2011 | | コメント (12) | トラックバック (2)

2010年3月11日 (木)

LiteRider7

以前、ちょっとご紹介した LiteRider7 ですが、いろいろ機能を整理して、Firefox Add-on の公式サイトで公開しました。

ウェブブラウザに Firefox をお使いならば、ご参考まで。。。

LiteRider7 については、以下のホームページをご覧ください。

なお、いまのところ、このアドオンは、Windows と Linux のみで、MacOS では利用できません。

お問い合わせやご要望については、この記事へのコメントで受け付けさせていただきます。

ご注意:

ブログのコメントに書き込んでいただく際に、お名前やメールアドレスを記入した場合には、
記入内容はブログに掲載され公開されますので、ご注意ください。
公開を希望しない場合には、空欄のまま匿名で書き込んでいただくことができます。

3月 11, 2010 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年8月 5日 (水)

mixi break

ちょっと、諸般の事情で、ココログにログインできなくなっていたのですが、本日無事復活しました。
ご協力いただいた方々には、感謝申し上げます。

その報告だけでも、なんなので・・・


職場で mixi を使ってリフレッシュすることを、コーヒー・ブレークのように、mixi break と言ってみてはどうでしょう・・・
そんなとき、周囲への気遣いとして、Firefox のアドオン LiteRider7 を応用できます。


ウェブブラウザに Firefox をお使いの場合には、ご自由にお使いください。

8月 5, 2009 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年4月29日 (水)

「何」だけでなく「なぜ」が大切

今クールから、NHKで始まった新しい番組「追跡!A to Z」は興味深い。
http://www.nhk.or.jp/tsuiseki/

「無届け老人ホームの闇」の回もうまくまとめていた。
(5月16日 土曜【15日深夜】に再放送あり)

テーマからすると、無届け老人ホームの違法性を取り上げるというワイドショーネタかと思われるが・・・
そうではなくて、
なぜ、そこに入居する老人が増えてしまうのか?
という原因の「追跡」だった。

この番組はこれまでいつもそうだ。
何が起きているのか?、ということは、ワイドショーにばっさり譲って、さらっと紹介するだけで、むしろ、それがなぜ起きているのか?にも着目して追跡するということらしい。

今回の「無届け老人ホームの闇」の原因は、あまりにシンプルだった。

ある地域の現在の正規老人ホームの入居待ち人数を、年間の新規入居可能人数で割ると・・・
50だそうだ。

50ということは、
正規老人ホームに入居申し込みをすると、50年待ちということだ。。。

少子化問題に取り組み始めたのは、成人の人数が減ってからというお粗末さは記憶に新しい。
そんなことは、出生人数が減った、20年前に十分予測できるのに。。。

出生人数が減ったら、20年後に成人が減るという、引き算ができない人に、需要を供給で割るという、割り算はちょっと無理だったということか。

この国は、成人式に行ったときに、老人ホームに申し込まないといけないらしい。
ということがわかった。

いや・・・待てよ。
将来老人ホームに簡単に入れないようにしておくことで、老人ホームに入らなくても済むように子供を沢山作ろうと思わせる。という高度な政策なのか。。。

いずれにしても、
こういう番組が増えると、3バカ連鎖を断ち切るのに役立つのだろう。
バカな行政、バカな報道、バカな国民では再発は防げない

「何」だけでなく「なぜ」が大切なのだから。

4月 29, 2009 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年2月27日 (金)

テレビウィジェットコンテスト特別賞受賞

先日アプリキャストのゲームを開発したわけですが、、、


これはアプリキャストのサイトに投稿して、ソニーの審査が終わってサイトに掲載されると、無事めでたくテレビにダウンロードして使えるようになります。

ところが・・・
掲載されてから気づいたのですが、我が家のブラビア KDL-40X5000 は、ネットからのアプリキャストのダウンロードに対応していませんでした。。。

大変凹みました。
自分が開発したゲームを自分が遊べないなんて・・・

嘆いていたところ・・・
アプリキャストのテレビウィジェットコンテストにて、特別賞をいただきました。

A1_appli_special

せっかく受賞したので、自分では遊べないものの、これからもバージョンアップをしていこうと思ってますが、やはりさみしい。。。


2月 27, 2009 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年2月18日 (水)

アプリキャスト版 JewelBox

Sony のテレビブラビアを持っていない人には関係ない話しです。。。

 

ブラビアには、ミニプログラムをテレビ画面の脇で実行するアプリキャストという機能があります。
先般、アプリキャストの開発ドキュメントが「ソニー体験空間」にて、個人用にも公表されました。
ということで、何か作ってみようかな~と思いましたが、天気予報とか時計とか、役立つツールはすでにあって特に困っていないので、役立たないものでも作ってみようかと。

 

そこで、JewelBox というパズルゲームを1990年に Apollo Domain というマシン用に開発したのを思い出し。
・・・ちょっと前のことかと自分では思っていましたが、既に19年前のことというのを知って自分でも驚きました。

 

そんな思い出の JewelBox のアプリキャスト版を作ってみることにしました。

 

とはいえ、もとのソースコードは実行環境がまったく違うので最初から作ることに。
アプリキャストがミニプログラムということで、コードのサイズや全体のサイズが制限されていることから、それに収まるのか心配でしたが、ぎりぎり収まりました。
当初心配していたプログラムコードは余裕でしたが、レイアウトコードがぎりぎりで、インデントを付けるのをやめてやっと収まりました。
1日でできたので、今でもプログラマーできるかも。と思ったり。。。

 

その後、せっかくだからと、オリジナルのグラフィクスを完全復活させたら、意外と綺麗にできあがったので、ソニー体験空間に投稿しておきました。

 

テレビを見ながら、ゲームをしたいという奇特な人がいれば、ぜひお試しください。
アプリキャスト版 JewelBox

 

なお、投稿にあたっては、利用者向けのお問い合わせ先を設定しなければならなかったので、このブログをそのお問い合わせ先にしておきました。
ご意見ご要望があれば、コメントとして書いておいてください。この場でなるべくお返事します。
そのときはテレビ画面で、このページを見るという不思議な体験ができます。。。

 

ただし、ゲームをすると、テレビのリモコンの電池の消耗が早くなるという苦情はお受けできません。。。

 

2月 18, 2009 | | コメント (0) | トラックバック (1)

2008年3月 8日 (土)

ねじろぼちゃん

永く愛用しているものというのはあまりないのですが、携帯電話はそのひとつ。
DoCoMo の P501i です。もう何年になるのだろうか・・・
よく、画面背景がバスクリン・カラー(オレンジとグリーンのみ)とか言われて馬鹿にされますが、、、
これって画像がカラー表示できないの?と馬鹿にされますが、、、
着信音が昔のTVゲームみたいと馬鹿にされますが、、、
音声操作機能とかあるんです。
「○○さん」とか名前を言うと、その人に電話かけられるんです。
さらに・・・

そんなに古い機種で電池は大丈夫なの?と聞かれることがありますが、逆に古い機種は、電池が販売中止になっている代わりに、DoCoMo ショップに行くと電池は無料でもらえるんです。

機種変更する理由がみつかりません。。。
なので、永く愛用してます。

そんなご愛用の携帯電話には、ご愛用のストラップを付けてます。
金属造形家 たじまはじめ氏による、1個づつ手作りの「ねじろぼちゃん」
です。





いままで、渋谷の、ちと駅から遠いショップでしか買えなかったのが、
楽天市場の Bell Shop で買えるようになっていました。

ちとお値段張るけど、金属を溶接してできてるので、とにかく頑丈です。
使っていると、いつも持ち歩くので、金属表面がいい感じに光沢出てきます。

ご興味あれば、 Bell Shop のページをご覧あれ。

3月 8, 2008 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年8月29日 (水)

富士総合火力演習2007

先週末の土曜日、8月25日は、ここ数年恒例で見学させていただいている、富士総合火力演習に行ってきました。

小田急線を始発電車に乗って御殿場まで行きますが、楽しいイベントです。

今夏から導入したビデオカメラで様子を撮影してきましたので、掲載しておきます。

演習は、前段と後段に分けて行なわれます。
とりあえずは、前段の映像のみアップしました。

F2戦闘機
http://www.youtube.com/watch?v=51Q414mOio8

迫撃砲と誘導弾
http://www.youtube.com/watch?v=kxfyOOY5v2g

対戦車ヘリコプターと普通科火力
http://www.youtube.com/watch?v=oesimiiePgQ

90式戦車・・・この演習の主役です。
http://www.youtube.com/watch?v=iuLQVRKkIr0


後段は、いよいよ総攻撃です。
乞うご期待。。。

8月 29, 2007 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年7月18日 (水)

ぜんちゅぅのススメ

6つのポイントとともに、ぜんちゅぅのススメを提言してみました。

ぜんちゅぅのススメは、写真付きで、「溜池に食べに行け」にて。

7月 18, 2007 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月 3日 (土)

溜池に食べに行け

お仕事以外のブログを追加しました。

上のタブの5番目です。

赤坂~溜池~虎ノ門にお立ち寄りの際のお店探しにお役立てください。(笑)

2月 3, 2007 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年10月 2日 (月)

わいズすてぇしょん 開局

既に一部の方々には紹介して、ご好評をいただいておりました「わいズすてぇしょん」を一般公開させていただくことにしました。

Y's Station:わいズすてぇしょん

これまでのコンテンツは、1つのみを残して他は削除させていただきました。
今後、これまでのものについても内容を見直してから随時追加させていただきます。
RSSを設定してありますが、「わいズすてぇしょん」の更新情報は、こちらの「砂糖の甘い付箋」でご案内させていただきます。

10月 2, 2006 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年8月 2日 (火)

バカな行政、バカな報道、バカな国民では再発は防げない

アスベスト被害の報道を見ていて思うことがある。

1992年に社会党がアスベストの使用禁止法案を提出するも廃案になっていたとのことで、マスコミは、廃案にしたことをやり玉にあげて行政を批判しているが、それを見て奇異に感じることがある。

報道機関とは過去の事象を報道すればそれでよいのだろうか。
1992年に報道機関は、この件についてどれ程の問題提起をしたのかが気になる。
報道機関が然るべき問題提起をしていたにもかかわらず、それを国民が黙殺したのであれば、それは行政だけの責任なのだろうか。
行政の問題とか、報道の問題ということではなく、国民のすべてが、問題は事後になってから意識するという体質になっていないかと心配になる。
問題が発生する前に、問題発生の可能性とその問題の影響についてを考えるということが、軽視されているという気がする。
そして事後になってから、それを予見できた人達だけを批判するというのは簡単だが、それでは将来の問題発生は今後も未然に防ぐことはできないことになる。

アスベストの件ほどの規模の問題になると、結果責任として「誰の判断が悪いか」を議論することそのものには、ほとんど意味がないように思う。
議論すべきは、「その判断を知る機会を国民がなぜ得られなかったのか」そして、「どうすれば、その機会を失わないようにできるのか」なのではないだろうか。
その点においては、報道機関は、事故が起きた事後のことよりも、「現在進行中の事象」を報道するということについて大きな役割を期待される。

それを思うと、「なぜ1992年にアスベストの問題をもっと大きく取り上げて報道しなかったのか」ということについてのマスコミの反省がなければならない。
その反省に立たなければ、報道機関はこの問題の再発防止について貢献しないことになる。
このことに限らず、マスコミはマスコミ批判が苦手なようだ。マスコミに限らず組織において、特に過去の批判は、現在の上司への批判になることもあるのかもしれず、複雑な課題があるとは推察するのだが、何かはがゆい。

だからといって、マスコミだけが悪いのかと言えば、国民にも問題意識の欠如がある。
1992年に法案が提出され廃案になっていたということであれば、マスコミ以外の情報でも国民は知る機会を与えられていたことになる。
これらのことについて、多くの場合、国民はマスコミを通じて情報を得るのは事実であるが、それは情報を受動的に得ようとしていることに他ならない。知る機会とは、受動的だけに限定されるものではないので、能動的に知ろうとしないことは、知る機会を自ら放棄していると言うことができる。
この点は、マスコミへの期待と、マスコミが自らの役割を果たすかということと関係する。
マスコミが、国民の知る機会を損失させないように、報道の役割を適切に果たすならば、国民は受動的な情報取得によるだけで事足りることも多くなる。
しかし、だからといって、マスコミだけに依存してはならないはずだ。
国民は、時として、マスコミがその報道の役割を適切に果たしているかを、自ら確認しなければ、知る機会を失う。
また、その確認をしないということがマスコミを堕落させることにもなりかねない。

この種の問題の再発防止においては、「誰が悪かったかを調べることに注力して、その人を改めさせる」のではなく、「この再発防止において自分は何ができるか考えることに各自が注力し、各自が自分ができることを共に実施する」ことが必要だ。
特にマスコミについては、「現在進行中の事象を遅滞なく報道する」というまったくもって当然の役割を果たしてくれるだけでも十分貢献できることがある。マスコミ総ワイドショー状態が、この当然を堕落させているようにも思う。たとえば、郵政民営化の影響についてを報道すべきであり、自民党内の子供じみた茶番劇を報道している場合ではないはずだ。

バカな行政、バカな報道、バカな国民には再発は防げない。
今後も、「他人」の「過去」を批判するだけということを繰り返すだけになる。
これら3バカ連鎖をどこかで断ち切ることは、各人の「自分は何ができるか」への意識だけなのだろう。
それを自分自身忘れないために、ここに書いておいた。

自分でできることとして・・・
行政と国民をつなぐひとつは、立法である。
施行された法律の内容をとやかく言う前に、立法の時から意識することに注力したいと思う。
立法については、マスコミからの報道だけを期待するのはあきらめようと思う。
ちゃんと、パブリックコメント募集の有無を日々確認して、それらの内容を判断するようにしよう。
立法以外のことについてのきっかけは、マスコミの取材と報道に期待したいところではある。

再発防止について書いたが、もちろん、アスベストの件は補償問題があるので、それについては、「誰が悪かったかという過去」を調べることについては、別途並行して行なうことは重要だ。

8月 2, 2005 | | コメント (7) | トラックバック (2)

2005年7月22日 (金)

クールビズ ポイント9か条

読売新聞ぴーぷる2005年7月18日号に、「クールビズ ポイント9か条」というのが紹介されていました。
そこで採点表を作って、自己採点してみることにしました。

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クールビズ ポイント9か条
Real Cosmopolitan, Inc.代表 日野江都子氏

シャツ:
ネクタイをしめるタイプのシャツをノーネクタイで着用しない。だらしなく見えビジネススタイルとして不適切。

ズボン:
スーツのズボンは単独ではかない。スーツは上下そろいで着用する時にバランスがよく見えるように作られている。必ず単品のズボンを着用すること。

襟元:
襟元から下着が見えないように。だらしなくしまりがないイメージに(なりビジネススタイルとして不適切)。

ベルトなどの小物:
アクセントになっていたネクタイを外すと、ベルトが目立つ。キリッとした感じを出すために、通常よりも上質でセンスの良いものを選ぶこと。

靴:
スーツを着る時と同じ靴ははかない。軽装の時には重苦しくなる。服装と同様カジュアルダウンさせる。足元は想像以上に見られている。

普段着と区別を:
クールビズはあくまで仕事をする時の軽装。その姿で自信を持ってクライアントに会えることが必須。シャツをズボンの外に出すのは、だらしないイメージ(になりビジネススタイルとして不適切)。

体臭:
夏は特に汗や体臭のケアをしっかりと。どんなに素敵に装っても嫌悪感をもたれてしまうことも。

快適さを保つコツ:
毎朝のデオドラントと制汗剤の使用。日中かいた汗も携帯タイプの爽快シートでこまめに手入れを。

装いの基本:
ビジネスシーンの装いは、国際的なルールに基づいたもの。自分のポジション、会社の性質、個性、自分の専門を踏まえ、状況をきちんと判断しつつ、軽装か使い分ける。

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ということで採点表を作ってみました。

Q1 シャツ
 ネクタイをしめるタイプのシャツをノーネクタイで着用していますか?
Q2 ズボン
 スーツのズボンを単独ではいていますか?
Q3 襟元
 襟元から下着が見えていますか?
Q4 ベルトなどの小物
 通常と同じものを着用していますか?
Q5 靴
 スーツを着る時と同じ靴をはいていますか?

ぼくの採点結果:

Q1 YES
Q2 YES
Q3 YES
Q4 YES
Q5 YES

やったー!満点だぁー!・・・ん? YES じゃだめなんじゃん・・・

しょうがないから、言い訳でもしておこうっと。

Q1 YES - そういうときもあるさ
Q2 YES - ちょうどスーツのスペアがあまってるんだもん
Q3 YES - もともと白のTシャツを下着代わりにしてるので実際はTシャツですが
Q4 YES - 上質でセンスがなくて悪かったなぁ
Q5 YES - しょうがないじゃん

さぁさ、クールビズのみなさんは自己採点してみましょうね
クールビズ・オフィスの女性の皆さんは、職場の男性を勝手に採点してみましょう

7月 22, 2005 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2005年6月30日 (木)

ネチケットを学ぼう

ミスターITさんから教えていただきました。

ディズニーオンラインの「ネチケットを学ぼう!」

http://www.disney.co.jp/netiquette/

お子様向けのようでいて、大人にも十分な内容です。

何より、音と絵がかわいいですね。

6月 30, 2005 | | コメント (2) | トラックバック (0)