私事で恐縮ながら先日、Twitterの公開アカウントでの更新をやめた。サービス開始当初から使い続けて7年、最後は1万2000人近い方からフォローをいただいていた。そう考えればもはや、「私事」とは言えないのかもしれない。

 決断に至った経緯の委細は割愛するが、やめること自体は1年以上前から考えていた。かつてはTwitter上での交流が、楽しく有意義と感じる時期もあった。しかし最近はその手間やコストを負担に感じていたのだ。

 実際そう考える向きは私だけではないようだ。Twitterの内外で様々な反応をもらったが、少なからず「実は私もやめどきを探っている」という声が寄せられた。

「スルー力」がなければ使いこなせない

 それにしても、どうしてこれほどTwitterは居心地が悪くなってしまったのだろうか。

 多くの方から指摘されたのはTwitterの「大衆化」である。日本社会に広く普及したがゆえに、ノイズやあらがいの絶対量が増加した。それらが大きく増幅されるようにもなった。

 Twitterの仕様からフォローの有無にかかわらず、公式リツイートなどで様々なデマや罵詈ばり雑言が自分のタイムライン(TL)に挿し込まれてしまう。さながら絨毯じゅうたん爆撃のような「カスケード」をもたらすこともある。最近のTwitterは、そうしたノイズを積極的に無視する「スルー力」がなければ、まともに使いこなせない状況だ。

 しかし、自分のTLに流れ着いた文言や反応を、字義通りの意味で解釈するのは、人として自然で素直な反応だ。スルー力は一種の能力であるが、ひねくれた特殊能力でもある。それが必須というなら、Twitterというツール自体に何らかの重大な課題があると考えるべきだ。