経営やITマネジメントの分野で「見える化」が注目され始めて,もう2~3年経つ。いまだに大きな関心を集めているようだ。

 先週,「見える化」「現場力を鍛える」などの著書で知られる遠藤功氏(早稲田大学ビジネススクール教授,ローランド・ベルガー日本法人会長)の講演を聞きに出かけた。400人ほど収容できる会場は満杯。現場力や見える化をテーマにした講演に,参加者が熱心に耳を傾けていたのが印象的だった。

 講演で興味深かったのは,「間違った見える化」として取り上げられた,あるソフトウエア会社の事例である。このソフトウエア会社では社長が旗振り役となり,熱心に見える化に取り組んだという。最初に手掛けたのは,個人の負荷状況の見える化だ。ある人が仕事を抱え込んでパンクしそうになっているのを,タイムリーに助けてあげるための仕組み作りである。ここで大きな成果を上げ,この会社は見える化の取り組みを広げていった。

 ところが「何カ月か経って訪ねてみると,こんな状況になっていた」。遠藤氏は1枚の写真をスクリーンに映し出す。そこには掲示板いっぱいに数多くのグラフ類が張り出され,ごちゃごちゃとした状況が示されている。一生懸命に取り組んでいるのはよく理解できるが,「情報が多すぎる。見える化というのは,情報がありすぎると『見えない化』になる」。遠藤氏はこう指摘した。

 見える化に取り組む企業は,「あれもこれも」とつい何でも見える化してしまいがちになる。しかし,情報が多いほど「潜んでいる問題の兆候」に気付きにくくなる。問題の兆候に気付かなければ,次のアクションにもつながらない。見える化に取り組む企業は往々にして,こうした状況に陥りやすいと遠藤氏は話す。

BIや情報共有で昔から存在する課題

 遠藤氏の話を聞いて,「情報が多すぎて問題が見えづらい」という状況が,ITの利用現場全般に広く当てはまるのではないかと筆者は感じた。

 振り返ればビジネス・インテリジェンス(BI)の分野でも,「膨大な経営データから問題の兆候をいち早く見つけ出し,現場レベルで意思決定して次のアクションにつなげる」という考え方自体は10年くらい前からあった。BIソフトは豊富なレポーティング機能と多次元のデータ分析機能を備え,その気になれば取引データを1件単位で調べられるドリルダウン機能も持つ。

 しかしBIソフト・ベンダーらが啓蒙活動を繰り広げたにもかかわらず,定着したとは言えない状況が現在でも続いている。その大きな理由が,膨大な情報を前にして「どんな指標を設定すべきか」という点を詰め切れなかったことにあると,筆者は考えている。BIソフト・ベンダーは各種の分析テンプレートを提供しているが,多くは汎用的すぎて,利用現場に密着した指標を設計するための参考にはならなかった。

 企業内の「情報共有」も似たような状況にある。全社で共有している情報は山ほどあるのに,たくさんありすぎて「どれを見ればよいか分からない」「そもそも見る気が起こらない」といった課題が出てくるのだ。企業ポータルやエンタープライズ・サーチなどを利用すれば,社員がアクセス可能な情報は格段に増える。しかし,ツールがあるだけでは見える化に結びつかない。

情報の受け手が自ら別の情報を求めていくような仕組みを作る

 先のソフトウエア会社の例で遠藤氏は,掲示板に張り出す情報を一番重要なものだけに絞り,それ以外の情報は別の掲示板を使うか,ITを使って情報共有するように指示したという。これだけで情報の見通しが良くなる。実に単純なことだ。

 では,「一番重要なものだけに絞る」とは具体的にどう考えればよいのだろうか。講演の最後に,参加者から質問が出た。

 これに対し遠藤氏は,見える化の原点であるトヨタ自動車の「アンドン」を例に挙げた。アンドンは組み立てラインの生産状況を示す掲示板で,組み立てラインで作業しているすべての従業員から見える場所に設置されている。何か異常があれば,それを見つけた従業員がすぐにアンドンのスイッチを押し,黄色いランプを点灯させる。

 ここで唯一見えるのは,「点灯した黄色いランプ」だけである。これだけでほかの従業員は何らかの異常があることに気づき,そこから考え,行動するようになる。最終的には作業内容を変更するなどの“カイゼン”にもつなげられる。そういう「アラーム」のたぐいの情報に絞り込むことが,見える化の第一歩になるという。

 「人間は,何か異常が起こっているなと思えば,自分から情報を求めていく。その一方で,アラームに反応していない人にいろいろな情報を与えても,何の役にも立たない」と遠藤氏は語る。この言葉は,見える化に取り組む際のポイントとなるばかりでなく,BIや情報共有など,ITの利用現場全般に共通する考え方だろう。