「議事録や提出資料の内容を、スルガ銀行にとって都合がいいように変更するよう求められた。『日本IBMが悪かった』という表現を議事録などに織り込むようにも迫られた」。日本IBMの金田治副会長は3月4日午後2時40分、東京地裁の411号法廷で証人尋問に臨み、こう主張した。
この証人尋問は、スルガ銀行がシステム開発の失敗で被った損失など111億600万円の支払いを日本IBMに求めた裁判についてのもの(表)。2008年3月にスルガ銀行が日本IBMを提訴してからちょうど2年。裁判は非公開での弁論準備手続が続いていたが、この2月から3月にかけて、3回の証人尋問が公開形式で行われた。
日本IBMからはプロジェクト当事全社の営業責任者を務めていた金田副会長、スルガ銀行からは乾精治常勤監査役のほか、両社の開発現場における責任者を務めていたメンバーが出廷した。
今回の証人尋問で注目されるのは、現役の日本IBM幹部である金田副会長が、スルガ銀行が提出していた証拠資料について、「事実と異なる」と真っ向から否定したことだ。「日本IBMは再三にわたって、要件定義における要件の絞り込みが不十分であるとスルガ銀行に伝えていた。このままでは大幅な予算超過を招くとの危惧を何度も報告していた」と証言するなど、対立姿勢を鮮明にしている。
金田副会長の証言によって、裁判は新たな局面に差し掛かったといえる。証言が事実なら、スルガ銀行のこれまでの主張の一部はその前提を失う可能性があるからだ。スルガ銀行のこれまでの主張とは、「日本IBMは要件定義がうまく行かなかったことの責任を全面的に認めていた」「プロジェクトの途中で、日本IBMが何の前触れもなくスルガ銀行に追加費用の負担を求めてきた」といった内容である。
「怒鳴られ、軟禁された」
金田副会長は両社のやり取りについても詳細に説明した。日本IBM側の弁護士から「なぜ言われるままに謝ったのか」「なぜ議事録などの変更要求に従ったのか」と問われると、「我々が頭を下げることでプロジェクトが前進するならいくらでも謝ろう、プロジェクトの成功のために我慢しよう、と考えていた」と述べ、「現場のメンバーにもそう伝えていた」と続けた。
その理由について、金田副会長は「何らかの問題が発生したとき、日本IBMがその解決策を提案すると、スルガ銀行に必ず怒られた。まずお詫びをしてからでないと話が進められなかったからだ」と説明した。
証言によれば、日本IBMのメンバーは、スルガ銀行の責任者や担当者に大声で怒鳴られることが珍しくなかったという。「厳しい叱責を受けるのはしょっちゅうだった。提出した資料をその場で放り返されたり、都合のいい答えを返すまで会議室に軟禁されたりしたこともあった」(同)。新幹線の終電の時間にも帰してもらえず、「東京から(スルガ銀行の開発拠点がある静岡・三島に)通っていたメンバーは、三島駅近くのホテルに宿泊せざるを得ないことになった日もあった」。
金田副会長は、「プロジェクトが失敗した原因はスルガ銀行にあり、日本IBMは最善を尽くした」との日本IBMの主張に基づき、スルガ銀行のプロジェクトに臨む姿勢について次のように表現した。「スルガ銀行は日本IBMを常に業者として扱い、両社は主従関係にあった。システム開発プロジェクトを成功させるには、お客様とITベンダーが対等な関係を構築することが欠かせないし、そうした関係を目指したが、そうはなれなかった」。金田副会長は「たいへん申し訳ないが」と断った上で、「本当に特殊なお客様だと思った。その感想は最後まで変わらなかった」と述べた。