ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

詩篇23

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

宇宙人と地球人の立場

宇宙人から、いろいろ教わった。
だが、それは、有名な宇宙人相手のチャネラーやコンタクティーを騙(かた)る連中のように、宇宙人と対等の立場で教えを受けるような嘘話ではない。
私のものは、たとえて言えば、毒蛇に近付こうとする犬を棒で叩き、近付いてはならないと教えるようなものだ。
地球人など、進化した宇宙人にとっては犬のようなものではないかと思う(全く同じではないが)。

1980年のアメリカ映画『スーパーマンII 冒険篇』で、スーパーマンと同じクリプトン星人の3人の悪党が、スーパーマンに関して、こんな会話をする。
「スーパーマンはなぜか地球人を大切にしている」
「ペットを可愛がるようなものか?」
「多分そうだ」
これは、クリプトンの3悪党の無知を表す場面として製作したのだろうが、はからずも、3悪党は、まっとうなことを述べているのだ。

それが分かれば、聖書の詩篇23をすんなり受け入れることが出来、それは、あなたにとって実に良いことになる。

◆詩篇23章
主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。
主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。
主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正しい道に導かれる。
たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。
あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け、わたしのこうべに油をそそがれる。わたしの杯はあふれます。
わたしの生きているかぎりは必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう。わたしはとこしえに主の宮に住むでしょう。
(WordProjectより引用)

海の泡
AIアート286
「海の泡」
Kay


この詩篇23章で物議をかもすのが「あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます」のところで、専門家達が、言い訳のような解説をする。
そんな言い訳が必要と思われるのは、われわれ人間は、神から対等に扱われる価値があるとうぬぼれているからだ。
我々が、羊や犬を、必要に応じてむちやつえで打ったり脅したりしてしつけるように、神は我々に理解出来ないことは強制的に従わせることがあっても、少しも不思議ではない。
しかし、神に対して従順である限り、我々がペットを大切にするように大切にしてくれるのである。
神は、我々のように、気まぐれで、飼っているペットを捨てたり殺したりしないのである。








理想社会

夢の中で、こんな場面を見た。
労働者風の中年の男が、誰のものか分からないが、自分の持ち物と一緒になってしまったものを、自分のものと、そうでないものに分別していた。
男は、自分のものを右、そうでないものを左に置いていった。
そして、男は、サイフを取り上げると、少し見て、左(自分のものでないものの置き場)に置いた。全く、さりげなく、自然に。
私は、非常にほっとした。

落とした財布が、そのまま帰ってくる世界・・・誰もが、そんな、当たり前の世界に住みたいのである。
ドアを開けっぱなしにして、机の上に財布を置きっぱなしにしても、何の心配もない世界である。

ある村では、誰も家に鍵をかけないのだという。
村人は皆、お互いを知っているし、困っている時は助け合うので、盗んだり、騙したりする動機が起こらないのだ。
だが、そんな村でも、村の因習(しきたり。風習)に従わない者を仲間外れにしたり、あるいは、積極的に排除しようとするかもしれない。
もちろん、従うべきルールはあるだろう。物質界に居る限り、利害関係は発生するからだ。
そして、新参者が知らずにルールを犯した時、古参の者達は、表面上は笑顔で寛大な態度を見せても、その目に、見下す色が混じっていれば、不和が起こる。いや、そんな場所では、隠されているかもしれないが、すでに不和は存在しているのである。

会社の中で、上司が部下に、「もっと俺を信用してくれよ」と言っているのを見たことがあるし、私も昔、上司に言われたことがある。
私は上司を全く信用していなかったし、私でなくても、そんなことを言われる者は、信用していた人に裏切られて痛い目に遭ったことがあるのかもしれない。
だが、こんな場面も見たことがある。
社長が常務に、「(この常務の部下の)部長に、あの件について配慮してやれ」と言う。
すると常務は、「部長は私を全く信用していません」と拒否する。
だが、社長は、「うん。そうだろうな。でも、配慮してやれ」と言う。命じるのではなく、頼んでいるのだった。
しかし、常務は、「だけど、それは、部長が会社を信用していないということです」と、反発した。
だが、社長が、ちょっと困った顔をしながら、「それでも配慮してやれ。俺も信用されてないんだ」と言うと、さすがに、常務は渋々従った。

理想社会とは、皆が家族と同じである社会だ。もちろん、普通に仲の良い家族だ。
誰も家族の財布なんて盗まないし、家族であれば、その者のためになることなら、面倒なことでもしてあげるだろう。
だが、今は、家族の財布は盗まないまでも、「なんで私が、あいつのために、そんな面倒なことをしなくてはならないのだ?」と言うのが普通になってしまっているかもしれない。
そして、体裁さえ整えば、事実上、財布を盗むに等しいようなこともするかもしれない。
あるいは、本当に家族に対する面倒見の良い者だって、自分の主義主張に反することを言ったりしたりした者には、家族であっても冷たいかもしれない。

アメリカ合衆国の公式標語は、「In God We trust(我々は神を信用する)」である。
つまり、こんな標語を作らないと、神を信用しない者が多いのだろう。確かに、神は、試練なのかもしれないが、自分を辛い目に遭わせることもあるように思うからね。
だが、イエスは、「神は、お前達に良いものを与えようとしている」と断言した。
それで、神をどう信用するかで、難しい哲学が生まれてしまった。

聖書の詩篇23に、「あなた(神)の杖と鞭が私の慰めです」という、不可解な、あるいは、嫌な言葉がある。
しかし、崖に向かう羊を、羊飼いが杖や鞭で打っても、羊は、なぜ自分が打たれたのかが分からない。
人間も同じだ。
神がなぜ打ったのかは分からない。
しかし、この上ない配慮によって打ったのだ。
昔、打たれたことであれば、分かると思う。






神と一体化する体験を導く言葉

法然や親鸞の念仏の教えは素晴らしいものだ。
だが、宮沢賢治は、法華経の教えには震えるほどに感動したのだが、親鸞らの教えは受け付けなかった。
だが、彼の父は偉い人だったと思う。
賢治が、父に、家の宗教である浄土真宗から、法華経の教えである日蓮宗に改宗することを迫った時、父は、「どれも根本では同じなのだ」と言ったのだ。
その通りである。
これは何も、仏教の宗派だけのことではない。
確かに、敬虔なキリスト教徒に、「キリスト教も仏教もヒンズー教も全て同じなのだ」と言ったら、納得してもらえないかもしれない。
しかし、やはり同じなのだ。
私は、聖書の詩篇91を読んだ時や、ヒンズー教の聖典『バガヴァッド・ギーター』を読んだ時、浄土門仏教の聖典である『無量寿経』、『観無量寿経』、『阿弥陀経』のエッセンスであると思われる、法然の『選択本願念仏集』や、親鸞の教えを弟子の唯円が綴った『歎異抄』などと全く同じ世界観が流れ込んでくるのを感じたのだ。
そして、賢治の愛した『法華経』も全く変わらないのである。
また、ギリシャ神話の神々への信仰だって同じことだ。
それぞれに欠けたところがある訳ではないが、やはり、全て統一して受け入れることが好ましいと思う。

聖書の詩篇91に、「彼はわが名を知るゆえに、私は彼を守る」と神が言う。
また、詩篇23には、「(神は)み名のためにわたしを正しい道に導かれる」と言う。
しかし、神の名は明かされない。
だが、神はモーセにその名を明かしている。
それは、「私は『私はある』というものだ」である。
ギリシャ語の「エゴー・エイミー」、ラテン語の「エゴ・スム」、サンスクリット語の「アハン」に近いと思う。
英語では「I AM」、日本語では、「私は在る」だ。
我々だって、ただ、「私は在る」という感覚だけを持っている時、神であるかもしれないのである。
ニサルガダッタ・マハラジは、常に、「私は在る」という感覚にしがみ付いていなさいと教えた。
尚、「私は在る」という感覚とは、朝、目が覚めて、思考がやって来るまでの感覚である。
ずっとそれを忘れなければ、神と一体化する。
それを少しやってみただけでも、身体が軽くなるのを感じると思う。
エマーソンはこれを、「神の魂が私の魂の中に流れ込んでくる体験」と言い、それは決して忘れることのできないものだと言った。
「私は在る」だけが真実である。
それを体験によって了解したなら、神の他に何もないことが分かると思う。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

世の中はうまくいって当たり前

人間は誰でも自分で働いて生活できるのに、働くことができないニートがいる。
また、若いのに、彼女や彼氏がいないだの、できないだのは異常なことなのだ。
誰だって、自分のまさに好みのタイプの異性と付き合えるはずなのに、自分には無理だと思っている人が多くいる。
おそらく、親とか学校の教師に、とんでもなく馬鹿げた観念を押し付けられたのだろう。
あるニートの男性の父親は、彼(ニートの男)が子供の頃、面と向かってではないが、度々母親に、「あの子は一人前になれるのだろうか・・・俺は心配だ」とよく言い、そのことを母親が、「お父さんが、お前が一人前になれないのではないかと心配しているよ」などと彼に伝えていた。
なんと馬鹿な父親と母親であることか!
その父親は、自分が一人前なんだから、そんなことは誰にでも、もちろん息子にもできるに決まっているとなぜ思えないのだろう?
自分にできることが、なぜ、できない者がいるという発想になるのだろう?
おそらく、その父親にとって、まだ子供で弱い息子が、自分の自尊心や優越感を満たしてくれる唯一の存在だったのだろう。そして、さらに息子を低めることで、相対的に自分を立派に感じて満足していたかったのだろう。
父親のそんな情けない心根のせいで、息子が駄目になったのである。
とはいえ、いまさら親やかつての教師を責めても仕方がない。
誰でも、自分の力で、思い通り、堂々とやっていけるのである。
金持ちになれるかどうかは星の巡りあわせの問題だが、余裕のある生活など、誰にでもいとも容易いのだ。
学校の成績が最下位だったとか、誰よりもスポーツが苦手だったとかいうのは、何の関係もない。
誰でも、自分の満足できる仕事に就き、十分に多いと感じる収入が得られるのは当り前のことだ。
そのためには、エネルギーが必要だ。理屈で何をするとかは二の次だ。
エネルギーがあれば、お金は入ってくるし、彼女や彼氏はできるし、行きたいところに行け、やりたいことができる。
では、どうすれば必要なエネルギーを得られるのかというと、無駄なエネルギーを使わないことだ。
元々、エネルギーは豊富にあるのだから、浪費さえしなければ、必要なだけは十分にある。
エネルギーを最も無駄に失くしてしまうのは、心が荒れている時だ。
怒ったり、憎んだり、妬んだり、羨んだりすると、たちまちエネルギーを失い、くたくたになってしまう。
だから、いつも心を静かに保たねばならない。
しかし、それは難しいだろう。
だが、例えば、いつも念仏を称えたり、キリスト教が好きなら、詩篇の23編か91篇を暗記して常に心で称えれば、やがて心は静かになるだろう。
すると、心は必要なエネルギーを得て、望まずとも、全ては良くなるだろう。
それが自然なことなのである。
それで私は、一番簡単な念仏を選択したのである。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

聖書の詩篇23篇、91篇は念仏と同じことを表している

聖書の詩篇23篇と91篇は共に、防御の詩篇、恵みの詩篇と言って良いと思うが、実際的で強力な力を秘めている。
ジョセフ・マーフィーの『人生は思うように変えられる』(原題:The Amazing Laws of Cosmic Mind Power)の中に、イギリスの有名な技術者・科学者であるF.L.ローソンの『人生をいかに考えるか』に書かれている、こんな話が紹介されている。

第二次世界大戦で、ウイットルゼイ大佐率いるイギリスの一連隊は、5年間戦って1人の死者も出さなかった。
再び破ることのできないこの記録は、その連隊の将校、兵隊の全員が詩篇91篇の言葉を暗記し、規則的に繰り返されることで達成された。

ところが、ベアード.T.スポールディングの『ヒマラヤ聖者の生活探求』第5巻にも、この、F.L.ローソン(この書ではロースンと記述)が取り上げられ、ローソンは第一次世界大戦で自ら数百名の部下を率い、1人の負傷者も出さずに全員復員させたと書かれている。それどころか、スポールディングは自らローソンをロンドンに訪ね、目の前でローソンの「魔法」を目撃しているのである。

詩篇91を深く読むと、その位のことは疑うこともない現実であることが分かると思う。
また、もっと短い詩篇23もまた、詩篇91と同じく、神の力の偉大さと神の心の無限の慈愛を感じるのである。
ところで、詩篇23と詩篇91には、少し戸惑う部分があるかもしれない。
それは、詩篇23の「み名のためにわたしを正しい道に導かれる」と、詩篇91篇の神の言葉である「彼はわが名を知るゆえに、わたしは彼を守る。彼がわたしを呼ぶとき、わたしは彼に答える」である。
この「み名」、「わが名」が何か分からないのである。
一説では、エホバ、ヤハウェ、あるいは、テトラグラマトンであるとも言われるが、はっきりしないし、どれも我々にはピンとこない。

ところが、詩篇23篇と91篇を読むと驚くのは、これらが、仏教の、『無量寿経』、『観無量寿経』、『阿弥陀経』と全く合致し、詩篇23篇と91篇に書かれた神が、阿弥陀如来と全く一致するように感じることである。
詩篇23篇と91篇を読むと、これらが、全く、阿弥陀如来について書かれているようにしか思えないのである。
そして、事実、その通りであると言って良いと思う。
聖書の中に仏教世界があることは、今日でも世界中にあるシュタイナー学校に名を残す偉大な教育者であり、ゲーテ研究の権威であり、芸術家(絵画、彫刻等)で、さらに、農業、医学、建築でも大きな業績を残した、霊覚者にして精神科学者であるルドルフ・シュタイナーも指摘していたことである。

「南無阿弥陀仏」の念仏の中に、詩篇23篇と91篇が含まれていると言って良いと思う。
それは、経験によって確証されるが、法然や親鸞が残した文章の数々を見て考えても明らかと思う。
私は、親鸞聖人の『現世利益和讃』を、詩篇23篇や91篇と同等か、それに優るものと考えて、全て大切にしている。

「南無阿弥陀仏」の念仏を忘れなければ、あなたも、常に無量の数の仏、菩薩に護られ、その効果は、詩篇23篇や91篇と同様であるが、それは、親鸞の『現世利益和讃』にもある通りである。
親鸞聖人や、ダビデ王(詩篇の作者)が偽りを言うはずがあろうか?

私は、『現世利益和讃』、『詩篇23と91』を、AmazonのKindle書籍と全く同じに扱える、「Kindleパーソナル・ドキュメントサービス」を利用し、スマートフォンでいつでも読めるようにしている。無論、タブレットPCや、Kindle端末でも読め、使える端末数の制限はない。Amazonアカウントを持っているなら、誰でも、無料で、このサービスを利用できる。
「Kindleパーソナル・ドキュメントサービス」の利用方法

自分で文章を作成し、作成したファイルを、Kindleサービス用に割り当てられている自分専用のメールアドレス([email protected])に送信するだけで、自分が購入したKindle本と全く同じように扱える。驚くべきサービスであると思う。
尚、書名は、ファイル名の通りになる(拡張子は除かれる)。
また、送信するメールアドレスは、Amazonに登録されたものでなければならないが、My Kindleの中で、いくつでも自由に登録できる。
文書はマイクロソフトWord形式で作成するのが便利と思うが、持っていなければ、Windowsパソコンなら、標準で付いているワードパッド(.RTFファイル)で作成することをお奨めする。テキストファイル(.TXTファイル)では、改行位置が勝手に変えられてしまったり、改行した場所で改行されないといったトラブルが起こる。
また、テキストファイルでは、フォントや改行幅の指定ができない。
縦書きにしたいなら、少々複雑な方法が必要であるが、横書きなら、ワードパッドで十分で、私も、これで簡単に作っている。
尚、ワードパッドでは、なぜか、長い文章が2行以上になった場合の行間の大きさと、Enterキーを押して改行した行間の幅が異なり、出来上がった文章の見栄えが悪い。何か訳があってこんな仕様にしているのだろうが、これでは困る。
だが、文章全体を選択し、「段落」タブの「段落」で、「段落の設定」を開き、「段落後に10ポイントのスペースを追加する」のチェックボックスを外せば、この機能をキャンセルできる。以上は、Windows7のワードパッド(バージョン6.1)でのことで、他のバージョンでは異なる部分があるかもしれないことをお断りしておく。
私が作った、「詩篇23&91」のRTFファイルを公開するので、参考にして欲しい。(ウイルス検査済みである)
このまま使用しても良いのである(著作権は切れている)。
詩編23&91のRTFファイル(ワードパッド用)

尚、『現世利益和讃』は、まさか親鸞の著作権は無いのだが、現代の文字に書き直した人の著作権があるかもしれないので、公開を控える。
わずか15首の短い歌であるので、書籍を見て自分で作成しても良いし、個人利用であれば、ネット上にしっかりしたものもあるので、それを利用しても良いと思う。
ただし、そんなlことをせずとも、ただ、「南無阿弥陀仏」を唱えれば良いことである。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
Kay Twitter Home

執筆のご依頼




最新コメント
<%==comments[n].author%>
<% } %>


月別アーカイブ
記事検索
ブログバナー&Mail


メールはこちらへ

PV since 2010/09/08
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

人気ランキング参加中
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ひきこもりへ


<% for ( var i = 0; i < 7; i++ ) { %> <% } %>
<%= wdays[i] %>
<% for ( var i = 0; i < cal.length; i++ ) { %> <% for ( var j = 0; j < cal[i].length; j++) { %> <% } %> <% } %>
0) { %> id="calendar-685115-day-<%= cal[i][j]%>"<% } %>><%= cal[i][j] %>
タグクラウド
QRコード
QRコード

'); label.html('\ ライブドアブログでは広告のパーソナライズや効果測定のためクッキー(cookie)を使用しています。
\ このバナーを閉じるか閲覧を継続することでクッキーの使用を承認いただいたものとさせていただきます。
\ また、お客様は当社パートナー企業における所定の手続きにより、クッキーの使用を管理することもできます。
\ 詳細はライブドア利用規約をご確認ください。\ '); banner.append(label); var closeButton = $('