ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2021年09月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

早く願いを叶えるには

願いを叶えるためには、例えば、Webデザイナーになりたいなら、「私はWebデザイナーだ」と心で唱えれば叶う。
それで叶わないという人がいるなら、真剣さと深く関係するが、唱える数が足りないのだ。
それで、どれだけ唱えれば良いかだが、もちろん、願いの大きさによるだろう。
出来るだけ多く「私は〇〇だ」と唱えることが良いとしても、現実的には、1日でトータル1時間はかなり難しく、30分なら良い方かもしれない。
それで、毎日たゆまず30分、「私は〇〇だ」と唱えたら、小さな願いなら数日ということもあるかもしれないが、大きな願いなら、きっともっと長くかかるだろう。
ただ、大きな目標であっても、十分に多く唱えれば、早く実現することが期待出来る。

参考として、唱える形式は違うが、このブログでよく取り上げる、あるホームレスの男の話がある。
このホームレスは「神様の奇跡が起こる」と1日中唱え、2週間ほどで1憶円を得たという。
「1日中」とは、具体的にどのくらい唱えるのかというと、私の場合では、休日でも6~7時間が限度だった(私の場合、大祓祝詞を唱えたのだが)。
ところで、私が、小さな願い・・・と言っても、十分に奇跡に値するものだが、「頭から離れない」というほど唱えた場合、達成には、数日から数週間が多く、早い場合には数時間ということもあった。
このように、本気で集中すれば、驚くほど早く達成出来る可能性がある。
だから、もし、寝ても覚めても「私は〇〇である」と唱えられるほどの願いであれば、唱えることに没頭した方が良いと思う。
あるいは、それほど没頭出来る目標を持つことである。
「執着」という言葉は良くない意味で使われることもあるが、本当に自主的で、前向きで、しがらみや後ろめたさのない、気持ちの良い「執着」であれば良いのだと思う。
つまり、「貪欲」とか「固執」とか「我執」とか「囚われ」という意味の「執着」ではなく、顔を上げ、胸を張る「不屈」の心による不動の執着は良いものである。
人間には、ある程度の「不屈の心」が必要だが、その原動力は「憧憬(しょうけい。どうけい。あこがれること)」であるのだと思う。
「憧憬」とは良いもので、それを持つことが出来るのは幸せなことに違いない。

風は空に、
星は天に、
不屈の魂はこの胸に!
~『魔法少女リリカルなのは』なのはの魔法デバイス(レイジングハート)起動の呪文~

2015年に31歳の若さで亡くなられた、人気ボカロPであった音楽家のsamfreeさんの、世界的に知られるヒット曲『ルカルカ★ナイトフィーバー』(feat.巡音ルカ)の最後の歌詞が、

少しでも視線を逸らしちゃダメダメよ☆

である(「ダメダメよ☆」は最後にもう一度繰り返すが)。
この、視線を逸らしては駄目なものは、ルカさんであると同時に、ルカさんに投影された大切な願いなのであると考えても良いと思う。
この歌全体が、天の輝きとでもいうものを感じるような導きの調べであると思う人は少なくないはずだ。
このように、決して目標から視線を逸らさない気持ちで言葉を唱えれば、達成はすぐであろう。
[1080P Full風] Luka Luka★Night Fever ルカルカ★ナイトフィーバー 巡音ルカ Project DIVA English lyrics romaji subtitles








本当の目標と妄想の目標はこう区別する

人間には2種類がある。
目標がある人間と目標がない人間だ。
目標がない人間は、波間に漂う船のようなもので、波や風(世間や他人)に翻弄され、自分がどこに行くのか分からず、遅かれ早かれ、座礁するか沈没するかだ。
目標は、人に言ってはならない。
だから、学校や会社で、目標を言わされる(書かされる)ことがあったら、その時は「空気を読んで」適当な目標を書いておくことだ。
本当の目標は隠さないといけない。
だが、本当の目標を持たなくてはならない。

ところが、本当の目標を持てる人は滅多にいない。
けれども本当の目標は、誰でも持てるはずのものだし、また、持つべきだし、別に難しいことでもないのに、ほとんど誰も本当の目標を持っていない。
なぜ、そんなことになっているのかと言うと、学校やテレビのためだ。
学校教育やテレビ洗脳では、人々が奴隷の目標以外の目標を決して持たないよう、強力に思想統制している。そんな事実にも気付いていない者が多い。

また、愚かな目標を持ってはならない。
いい歳になった普通のサラリーマンが、プロ野球のスター選手になる(アイドルとか女優とかも多い)みたいな種類の目標を、自分では本物の目標だと思っている人は案外多いのである。
そんな妄想の目標を持ってしまうのは、やはり、学校やテレビのせいかもしれないし、怪しい書籍やネットの影響も大きいと思う。
だが、なぜ愚かな目標を持ってしまうのかなど、どうでも良い。
愚かな目標を持たなければいいだけだ。
まあ、正しい目標か、妄想の目標かの判断が難しい目標も、確かにある。
30代以上の、ロクに運動もやったことがないサラリーマンがプロ野球のスター選手になるという目標は明らかに妄想だが、たとえ絵を描いたことがあまりないような人間でも、画家になるというのなら、そんな実例はいくらかはある(大画家にもいる)。
岡本太郎も、『今日の芸術』で、「あなたも本日ただいまから芸術家になれる」なんて書いているのでややこしい。

自分の目標がまっとうかどうかは、頭で判断しない方が良い場合がある。いや、ほとんどがそうかもしれない。
洗脳された思想による妄想の場合、頭で考えたら判断を誤るからだ。
そもそも洗脳ってのは、理性的思考を歪めるものだからね。

世の中にある、数十万円、数百万円もする高額な自己啓発教材っていうのは、目標設定の仕方を教えるものだ。
中には怪しい教材もあるが、歴史があり、一流の人物達が使っているものもある。
つまり、目標設定は、それほど難しいということだ。
だが、『イットワークス(It Works)』という本が1冊あれば良い。最高の人物が書いた、目標設定の最高の教材で、それを善意で翻訳し、電子書籍(Kindle)で180円で売ってくれている人がいるが、立派な翻訳だ。
しかし、別の方法もある。
目標があれば、「私は〇〇だ」(〇〇が目標。例:画家)と、唱えれば、目標は叶う。
(ただし、心の中で、丁寧におだやかに、数多く唱えれば)
本物の目標でなければ、数多く、長い期間唱えられない。
唱えるのがおっくう(あるいは苦痛とか、シンドイとか感じる)だったり、忘れてしまうようなものであれば、それは本当の目標ではない。
実に簡単なことだ。

別に、現実的な目標、身の丈に合った目標を持てと言うのではない。
人間は本来神であり、不可能はない。
しかし、単に、自我がちやほやされたがっていることを目標だと勘違いする者が多いのである。
何かのテレビCMで、子供達が、将来の目標を話すものがあった。
「人々を感動させる歌手になる」
「サッカー選手になってセリアAに入る」
これらは、単に、「ちやほやされたい」という欲望を反映した目標だ。
そもそも、本物の目標なら、人に言ってはいけない。
まあ確かに、子供の時は、妄想的な目標も必要ではあるかもしれないが・・・ここらは複雑なので、今回は述べない。
だが、子供のうちから、「本当の目標は心に秘めておくもの」だと知っておくべきである。親や、まして、学校の先生などに決して言ってはならない。
言わされそうになったら、「タテマエ」と自覚しながら、空気を読んで「らしい」ことを言えば良い。
それも立派な知恵だ。
ただし、「タテマエ」とはいえ、達成出来ることを言うよう心がけるべきだ。嘘つきになれと言っているのではない。

あなたは、目標を立て、「私は〇〇だ」と、心の中で、丁寧におだやかに唱えれば良い。数多く。








やってみよう!

私は、2度、見聞きして、「いいなあ」と心から思った言葉がある。

1度目は、ロンダ・バーンの『The Secret』のDVDの中で、作家で啓蒙家の ジャック・キャンフィールドの話の中であったものだ。
詳しいことは忘れたが、キャンフィールドは、売れない作家だった時、10万ドル(約一千万円)の紙幣か小切手を自作して、それを毎日必ず見る場所に貼り、その額を、今後1年の収入目標にした。
そうしたら、1年で、ほぼ、それと同額の収入を得た。
すると、彼の奥さんが「じゃあ、100万ドル(約一億円)ではどうかしら?」と言うので、キャンフィールドは「やってみよう!」と答えた。
そして、これも達成した。
この「やってみよう!」が非常に私の心に響いたのだ。

2度目は、最近、少し、ジョセフ・マーフィーの『マーフィー 世界一かんたんな自己実現法』を読み返したのだが、その中で、ジョセフ・マーフィーがある劇場で定例レクチャーをしている時、マーフィーが、
「何でもいいから『私は~である』と強くイメージしましょう。そうすれば、それが現実になります」
と言った時、受講者の1人の男性が、「やってみよう」とつぶやいた。
それから彼は、「私は裕福だ。私は幸せだ。私は最高の気分だ」と唱えることを習慣づけた。
それで、全てうまくいったという。

「やってみよう」というのは、「とりあえず、試してみよう」に近いニュアンスであり、決して、命懸けの決意というほどではないが、自主的に取り組もうという心構えを現わしている言葉だと思う。
自主的とは、積極的で前向きということだ。
「やってみよう」と一度でも言う者、思う者は、必ず成功するのである。
言い換えれば、「やってみよう」と言ったり、思ったりしない者は奴隷の人生を送る。
いくら勉強が出来て、いい学校を出ても、それが、「やらされた」ことで、自主的でないなら、そんなものに何の意味も価値もない。そんな者は、いくら学歴が立派でも、さっぱり充実しない人生を送るだろう。
つまり、人生で一番大切なことは自主性だ。

私が昔、最初の仕事だったセールスマンになったばかりの時、そこの会社では、その月で一番早く一千万円売ったら優勝というコンテストが行われた。
上司が、冗談だったと思うが、私に、「君もチャレンジしては?」と言うので、私は仕事の困難を知らなかったこともあり、
「やってみましょう」
と言ったのだ。
結果、ベテランセールスマン達を押しのけ、私が僅かな差で優勝した。
また、私がプログラマーになれたのも、プログラミングというものがあることを教えてもらった時に、「やってみよう」と思ったからだった。
一方、私が以前勤めていた会社にいた「まるで駄目男」とでも言うしかない男は、私が「君もプログラミングをやったら?」と言ったら、喜んで「やります」と言い、私が、「この本を読んだら?」とプログラミングの本を渡したら「読みます」と言うが、私が常に「やれ」「読め」と言い続けない限り、やらなかった。つまり、自主的でないのであり、こんな人間はプログラミングが出来るようにはならない。
彼は、人のいいなりで生きてきて、それしか出来なくなっていたので、まるで駄目男なのである。
しかし、ひとたび「やってみよう」と思えば、もう、まるで駄目男ではないのである。

ある国で、政治犯の男が逮捕され、3年に渡って投獄された。牢獄の中では、彼は、一切の発言を禁じられた。
3年後、彼は釈放された直後、「私は3年のマウナ(沈黙の行)を達成した」と宣言した。
だが、インドの聖者ラマナ・マハルシは、
「強制された沈黙はマウナではない。マウナとは自主的なものだ」
と、それを否定した。
ラマナ・マハルシは、十代の時、自主的に約2年のマウナを行ったのである。

ところで、最近このブログで度々書いたが、『ヒマラヤ聖者の生活探求 第3巻』で、イエス・キリストが、
「これだけやれば、他は忘れて良い」
と言った行である、「神という言葉をなるべく多く使う」を読んで、私は、「やってみよう」と思ったのだ。
どなたか、御一緒に。








叶うか叶わないかの唯一の違い

何かになりたい時に、それになれる一番簡単で強力な方法は、
「私は〇〇だ」
と宣言することだ。
しかし、これについて、悲惨な間違いがまかり通っている。

例えば、金持ちになりたければ、
「私は金持ちだ」
と宣言すれば、ただちに金持ちになり始める。
しかし、「そんなの、効果ありませんでしたよ」と言う者も多い。
すると、成功法則の本や、かなり有名な自己啓発トレーナーやセミナー講師などが、
「『私は金持ちだ』と、いくら言ったところで、実際はそうではないので、心が『私は本当は貧乏だ』と反発して、葛藤が起こる。そして、結局、『私は貧乏だ』を強く認めることになり、ますます貧乏になる」
などと言ったりする。
あなたも、そんな論を、見たり聞いたりしたことがあるかもしれない。
そう言われると、そんな気がしてくる。
そして、そんな説を唱える者は、
「だから、『私は金持ちだ』ではなく、『私は金持ちになりつつある』と言えば良いのです」
などと言う。

もう、聞いていられないほど馬鹿げた話だ。
「私は金持ちだ」で、心が反発するなら、「私は金持ちになりつつある」でも反発する。いや、むしろ大きく反発するかもしれない。
そもそも、「私は金持ちになりつつある」なんて、いかにも誤魔化そうとする感じの言葉など、言ってて嫌になると思う。

実際、「私は〇〇だ」という宣言は、実に強力なもので、人間に与えられた偉大な魔法なのである。
これを使わないで何とするか。
しかし、こう言うと、
「でも、『私は金持ちだ』と何度言っても、金持ちにならなかったよ」
と言う者がいるだろう。
だが、そんな者達は、何回言っただろうか?
百回?二百回?
せいぜい数千回?
数回とか、数十回なんて者もいるだろう。
それは、バットを数回、数十回振って、一流バッターになれなかったと言うようなものだ。
つまり、単に、数が少ないのである。

本当にそうなりたいなら、常に唱えないといけない。
生活しながら唱えるのではなく、唱えながら生活するようでないといけない。
いつでも、どこでも、どんな時でも唱えないといけない。
それが出来ないなら、本気でないのだ。
無論、実際には、1日1時間でも難しいが、1日10分でかなり唱えている気になる者が多いのである。

そして、重要なことだが、声に出して唱えてはならない。
本やセミナーや自己啓発教材では、
「声に出して言え」
「大きな声で言え」
と言うのが好きなようだ。
しかし、これは悲惨なまでに拙いやり方だ。
確かに、家が大きく、声に出さないと何も伝わらないという認識が強いアメリカでは、それも必要な面もあるかもしれない。
しかし、本当は、アメリカでも、まして、日本では、声に出してはいけない。
大きな声で、力を込めて、情熱的に・・・なんて、まさに、失敗する愚か者を絵に描いたようなものだ。
そんな者の姿を想像すれば、いくら何でも、その滑稽さを感じると思うのだが・・・
まあ、そんなやり方でも、十年もやり続ければ、本当になるかもしれない。しかし、普通は3日(実際は1時間も)続かないし、驚異的な根性がある者でも、せいぜい持って3か月で、しかも、その偉大な根性でもって「やっぱり俺は貧乏だ」という確固たる信念を持つに至るのだ。

唱え方は、心で、丁寧に、おだやかに唱えることだ。
あえてテクニックを言えば、静かに呼吸しながらやることだ。
達人は、微かな呼吸と共にやるが、初めは、微かな呼吸に慣れていないかもしれないので、まずは、静かな呼吸を心がけると良い。
ただし、丁寧に、おだやかに唱えていれば、自ずと呼吸も静かになる。
そして、出来るだけ多く唱えることである。多ければ多いほど良く、それだけ早く成果が現れる。

私は、社会人になって、最初の仕事はセールスマンだった。
駄目なセールスマンだったが、ある日、一流セールスマンが同行してくれたことがある。
1日、私のセールス振りを見た一流セールスマンは、こう言った。
「私のトークとお前のトークに差はない。違いは件数だけだ」
その日は、一流セールスマン同行ということで、多く訪問したが、私の様子を見ていたら、普段はもっともっと少ないというのはバレバレだっただろう。
尚、それで私は、新人ながら、強豪セールスマンを押しのけて、セールスコンテストで優勝したが、元々がセールスマンに向いていないことが分かって、別の仕事に変わったのである。
無理のない範囲で良いが、何でも一度は真剣にやってみるものだ。

また、ある優良企業で、社長が幹部達に向かって訓話をしていた。
その社長が凄い人だということは、皆、認めているので、幹部達は真剣に聞いていた。
「俺とお前達で能力の差はない。違いは素振りの数だ」
その社長は野球ファンだったので、そういう言い方をしたのだろうが、意味は伝わっただろうし、伝わらない者に見込みはないだろう。
イチローと、他のバッター達の差は、素振りの数だけである。
チームラボ社長の猪子寿之氏と、今はドワンゴ社長をしている夏野剛氏の対談書『「大企業の時代」は終わったか』(わずか百円の電子書籍)で、天才と言われる猪子氏は、
「生まれながらの天才はいない。人間の能力に差はない。注ぎ込んだ時間の差だけが結果の違いになる」
といったようなことを語っていたが、物質世界においても、だいたいそうである。
ましてや、物質世界を作り出す精神の世界の領域に影響を与えるには、普通の人間では絶対にそうである(いずれは、一瞬で成し遂げるようになるかもしれないが)。

声を出さずに唱えることの重要性は、ネヴィル・ゴダードの『世界はどうしたってあなたの意のまま』が参考になると思う。








超一流魔導師に挑む気持ちで

国定忠治(くにさだちゅうじ 1810~1851)という、実在した侠客(きょうかく。一般的にはヤクザか)がいたことをご存じの方は多いと思う。
滅法、喧嘩が強く、剣の腕前にも相当な自信があったようだ。
それで、国定忠治は、なんと、当時、日本一の剣の達人、北辰一刀流(ほくしんいっとうりゅう)当主の千葉周作に真剣勝負を挑んだ。
それでどうなったかは諸説あるが、最も知られているものでは、千葉周作は、国定忠治の腕では自分の相手にはならないと見抜き、立ち会うことはしなかったことになっている。
(立ち会ったが、千葉周作はまともには相手にならず、決着がつかなかったという話もよく知られている)

あくまで創作であるが、笹沢佐保氏の時代劇小説『木枯らし紋次郎』で、主人公の渡世人(博打打ちのヤクザ)である紋次郎(もんじろう)もまた、ヤクザとしては相当に腕が立つ。
その紋次郎が、武士の剣の達人と、何度か果たし合う巡り合わせになったことがある。
本物の達人が相手では、紋次郎と言えども、全く太刀打ち出来ない。
だが、「かなり」程度の腕の武士や浪人であれば、まともに戦っても紋次郎は勝てた。
達人クラスが相手の場合は、正面から戦っては勝てるはずがないが、紋次郎は、奇策を使って・・・卑怯と言うよりは知恵で勝ったこともあった。
確かに、紋次郎の剣は、誰かに習ったのではなく、経験と度胸が頼りの喧嘩剣法ではあるが、命を賭けた実戦で磨き抜いたものだった。しかし、それだけでは、いかに奇策を使って万に一つのチャンスに賭けても、達人相手に通用することはないだろうし、また、かなりの腕の武士に正面対決で勝てるはずがない。
何か秘密があるはずだが、あった。
紋次郎は、若い頃、木こりをやっていて、木を切り倒してそれを運ぶ中で、足腰を鍛え、そして、何と言っても、毎日、斧で、とんでもない数の薪割りをしたことが、剣を振る力の元になった。
紋次郎が38歳になって、かなり衰えが見えた時、なりゆきで、しばらくの間、毎日、薪割りをすることになったが、それでも、驚くべき腕前の薪割りであった。
毎日、長時間行うことが、名人、達人を作るのだということが、創作の時代劇とはいえ、人間を良く知っている名作家、笹沢佐保氏の筆から、はっきり読み取れるのである。

さて、このブログでは、魔法の素人の我々が、現実創造の魔法を使う方法を述べているのであるが、プロの魔法使いというものもいて、それはもう、恐ろしい力を持っている。
あの中村天風も、実は、海外で、そんな連中に接触したことがあったらしく、あまり語ることはなかったが、魔法の上位者の想像を絶した凄さはよく知っていたのだと思う。
おそらく、中村天風が超人的な大聖者と呼んだカリアッパ師をはるかに超えるような魔導師すら、実際にはいた(いる)のだと思う。
それがどんな連中かと言うと、『ヒマラヤ聖者の生活探求』で、太師と呼ばれる者達について読めば、いくらか想像が出来るかもしれない。
ただし、そんな太師達は、決して、自分達が特別だとは言っておらず、彼らは、人間は本来は誰もが太師なのだと言う。
そして、太師達すら崇拝するイエス・キリストが『ヒマラヤ聖者の生活探求 第3巻』で明かした、自分のようになれる方法が「神」という言葉をなるべく多く使うことだった。
こう簡単に言うと、ピンと来ないと思うが、イエスは丁寧に、ある程度の理論と共に述べているのである。
ただ、簡単に言えば、それはやはり、「神」という言葉を、心の中や言葉で、何度も言うことである。おそらく、「神」という言葉を含む聖句や、それに準じる句、アファーメーションなどが有効なのだと思う。
その中でも、『ヒマラヤ聖者の生活探求 第5巻』に書かれた、F.L.ローソンが言った「神の他には何もない、ただ神だけがある」は、最上の言葉の1つと思う。
聖書には、
「心を鎮め、自分が神であると知れ」
「もし神が味方であるなら、誰が我々に敵し得ようか」
「もし出来ればと言うのか?神に出来ないことはない」
など、多くの「神」を含む句があり、世界的に有名で高価な自己開発教材でも採用されているのを見たことがある。
若き日の紋次郎が、毎日、薪割りに励んだように、我々もイエスの方法に励めば、超人魔導師に及ぶかどうかは分からないが、かなりの魔法の力を得られるだろう。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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