モグリの医者というものについて聞いたことがあるかもしれない。
この「モグリ」とは、「法を犯し、また許可を受けないで、仕事・商売などを行うこと。また、その人。」という意味だ。
ただ、モグリの医者など、小説等、フィクションの中にだけいるものと思っている人がいると思う。
しかし、希に、実際にモグリがバレて逮捕された医者らしき者の報道があるし、実のところ、私は、結構な身分の医者だが、「あの人、モグリだよ」と教えてもらったことがある。そう言った人は、別に、そのモグリという医者と敵対している人ではなく、その全く逆で、私にそんな嘘をついても、何の得もしない人だった。
モグリの医者と言っても、元々は本物の医者で、何か法を犯すことをして医師免許を剥奪されたという場合がほとんどと思う。
だから、モグリとはいえ、医療行為は能力的には可能で、腕が良い場合もある。私が知っていたモグリらしき医者がまさにそうだった。
ところが、医学教育など全く受けていないモグリの医者の実話があり、そのモグリの医者はアメリカ海軍の軍医を務め、手術も行ったが、医者としての評判は良かったらしい。
ある意味、大したものである。
けれども、大昔だろうが、法が医者を認定しなかった時代・・・早い話が、医者なんていなかった時代があり、ひょっとしたら、今でも未開の地域で、そんな所もあるかもしれない。
しかし、正式な医者というものが存在しなかった時代でも、民間療法というものがあり、民族の長い経験の中で、病気を治すノウハウが蓄えられていたものだった。そして、そんな状況下で、病気を治すのが上手い人がいて、そんな人が医者のように扱われたのだと思う。
そのような医者は、腕が全てであるし、誰に認定されたわけでもないことから、かえって自主的に調べ、考え、経験に学び、結果、良い医者になることもあったのだと思う。
また、現代でも、モグリの医者であるからこそ、それがバレないために、懸命に勉強したり腕を磨いたりで、上で述べた海軍の軍医のように、良い医者もいるかもしれない。
西尾維新氏の小説である、『化物語』から始まる「物語シリーズ」の中で、クセはあるが普通の人間を超越した、スーパーな3人の中年男女が、同じ大学に在籍していた時、「本物と偽物はどちらが上か?」という議論をしたという話がある。1人は「本物」、1人は「どちらとも言えない」で、最後の1人は「圧倒的に偽物」と答えた。
私も、全部がそうとは言えないが、本物に負けてはいけない理由を執念めいて持っている偽物が本物を圧倒することもあるのだと思う。
武道家でも、本物は師の教えが多くを占め、それに自分で工夫したものを付け加えるのだと思うが、偽物は、本来、師が教えてくれるような根本がない弱点はあるものの、良いものを貪欲に取り入れているうちに、案外、本物の武道家を超えることもあったと思う。
私も、システムエンジニアとしてはモグリの部類だ。
大学の専門の学部や、専門の学校で学んだことはないし、企業の研修を受けたこともない。
勉強しながら、勤めていた会社で実験と実践を同時にやったのだが、そんな人は、特に昔は結構多かったと思う。
私は、そこから、まずはベンチャーの開発会社に入り、そして、大手企業のシステム開発部門に入るという経緯で、あたかも情報科学の学位でもあるような顔で、大手を含む企業で講義や技術指導もしたし、アメリカの超一流大学で講師を務める話もあったくらいで、モグリの気分を満喫していた(笑)。
まあ、コンピューターの仕事に免許はないし、大学の先生にも免許はないので、全く何の問題もないのだが。
だから、私が本当にモグリであったわけではないが、本物と、モグリの偽物との間の利点欠点も分かるように思う。
まず、やはり、モグリは、より緊張感がある場合が多く、切羽詰まった真剣さのために、覚えが速く、また、上手くなることも多いのではないかと思う。
欠点としては、基本がないことだろう。その意味で、歴史や伝統がある分野では、蓄積された基本的ノウハウを効率的に学べる本物と張り合うのは、かなり厳しい場合もある。ただし、伝統に縛られない自由な発想が出来ることが良い場合もある。
法を犯すモグリは良くないが、モグリっぽい偽物として挑戦するのは面白いことが多い。
特に、プログラミング分野は、プロと同じツールが、ほとんどタダで使える良い時代で、本物も偽物もない。
特に、ExcelやAccessのVBAであれば、あなたも今日からモグリ・・・ではないが(笑)、偽物プログラマーになれる。
そして、偽物プログラマーは苦労も多いが楽しいものであると思う。
この「モグリ」とは、「法を犯し、また許可を受けないで、仕事・商売などを行うこと。また、その人。」という意味だ。
ただ、モグリの医者など、小説等、フィクションの中にだけいるものと思っている人がいると思う。
しかし、希に、実際にモグリがバレて逮捕された医者らしき者の報道があるし、実のところ、私は、結構な身分の医者だが、「あの人、モグリだよ」と教えてもらったことがある。そう言った人は、別に、そのモグリという医者と敵対している人ではなく、その全く逆で、私にそんな嘘をついても、何の得もしない人だった。
モグリの医者と言っても、元々は本物の医者で、何か法を犯すことをして医師免許を剥奪されたという場合がほとんどと思う。
だから、モグリとはいえ、医療行為は能力的には可能で、腕が良い場合もある。私が知っていたモグリらしき医者がまさにそうだった。
ところが、医学教育など全く受けていないモグリの医者の実話があり、そのモグリの医者はアメリカ海軍の軍医を務め、手術も行ったが、医者としての評判は良かったらしい。
ある意味、大したものである。
けれども、大昔だろうが、法が医者を認定しなかった時代・・・早い話が、医者なんていなかった時代があり、ひょっとしたら、今でも未開の地域で、そんな所もあるかもしれない。
しかし、正式な医者というものが存在しなかった時代でも、民間療法というものがあり、民族の長い経験の中で、病気を治すノウハウが蓄えられていたものだった。そして、そんな状況下で、病気を治すのが上手い人がいて、そんな人が医者のように扱われたのだと思う。
そのような医者は、腕が全てであるし、誰に認定されたわけでもないことから、かえって自主的に調べ、考え、経験に学び、結果、良い医者になることもあったのだと思う。
また、現代でも、モグリの医者であるからこそ、それがバレないために、懸命に勉強したり腕を磨いたりで、上で述べた海軍の軍医のように、良い医者もいるかもしれない。
西尾維新氏の小説である、『化物語』から始まる「物語シリーズ」の中で、クセはあるが普通の人間を超越した、スーパーな3人の中年男女が、同じ大学に在籍していた時、「本物と偽物はどちらが上か?」という議論をしたという話がある。1人は「本物」、1人は「どちらとも言えない」で、最後の1人は「圧倒的に偽物」と答えた。
私も、全部がそうとは言えないが、本物に負けてはいけない理由を執念めいて持っている偽物が本物を圧倒することもあるのだと思う。
武道家でも、本物は師の教えが多くを占め、それに自分で工夫したものを付け加えるのだと思うが、偽物は、本来、師が教えてくれるような根本がない弱点はあるものの、良いものを貪欲に取り入れているうちに、案外、本物の武道家を超えることもあったと思う。
私も、システムエンジニアとしてはモグリの部類だ。
大学の専門の学部や、専門の学校で学んだことはないし、企業の研修を受けたこともない。
勉強しながら、勤めていた会社で実験と実践を同時にやったのだが、そんな人は、特に昔は結構多かったと思う。
私は、そこから、まずはベンチャーの開発会社に入り、そして、大手企業のシステム開発部門に入るという経緯で、あたかも情報科学の学位でもあるような顔で、大手を含む企業で講義や技術指導もしたし、アメリカの超一流大学で講師を務める話もあったくらいで、モグリの気分を満喫していた(笑)。
まあ、コンピューターの仕事に免許はないし、大学の先生にも免許はないので、全く何の問題もないのだが。
だから、私が本当にモグリであったわけではないが、本物と、モグリの偽物との間の利点欠点も分かるように思う。
まず、やはり、モグリは、より緊張感がある場合が多く、切羽詰まった真剣さのために、覚えが速く、また、上手くなることも多いのではないかと思う。
欠点としては、基本がないことだろう。その意味で、歴史や伝統がある分野では、蓄積された基本的ノウハウを効率的に学べる本物と張り合うのは、かなり厳しい場合もある。ただし、伝統に縛られない自由な発想が出来ることが良い場合もある。
法を犯すモグリは良くないが、モグリっぽい偽物として挑戦するのは面白いことが多い。
特に、プログラミング分野は、プロと同じツールが、ほとんどタダで使える良い時代で、本物も偽物もない。
特に、ExcelやAccessのVBAであれば、あなたも今日からモグリ・・・ではないが(笑)、偽物プログラマーになれる。
そして、偽物プログラマーは苦労も多いが楽しいものであると思う。