ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2022年08月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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真の願望と偽の願望

真の願いは、天・・・というか潜在意識から来るので、何もしなくても叶って当たり前である。
しかし、人間は、エゴの願いを追い求め、惨めな人生を送る。

アメリカ初代大統領ジョージ・ワシントンは、元々は地位と名誉というエゴの願望を追求していた。
時には汚い策略を巡らして出世し、上流階級の未亡人(?)と結婚し、金とコネの力で功績も経験もないのに軍の高い地位についた。
だが、ワシントンは軍で、愚かな軍事作戦を遂行し、多くの兵士に悲惨な苦しみと死を与えた。ワシントンは、本当はそんな罪人だった。
だが、それでワシントンは、真の願いに目覚めた。
そして、潜在意識の無限の力で独立戦争に勝ち抜き、アメリカ合衆国を建国したのである。

あなたのその願いは真の願いだろうか?
「夢がないんです」と言う人も多い。エゴが強過ぎて潜在意識の声が聞こえない人だが、エゴの願いを自分の本当の夢と思っている者よりはマシかもしれない。
自分には夢があると思っていても、それをいったんリセットしてはどうだろうか?
ワシントンのように、絶望を味わってから真の夢に気付く愚かな真似をする必要はない。
一切の想念を止めてしまえば、潜在意識は、本当の願いを教えてくれることだろう。
そして、それに取り組めば、万能の潜在意識が味方なのだから、奇跡だって起こり、願いは叶うのである。
「人生に目的なんてない」と言う人がいる。エゴの立場からすればそうである。
だが、潜在意識の中には、人生の真の目的がある。
尚、裕福になるとか、素晴らしい恋人を得るというのも、潜在意識の願いである。だが、特定の職業で成功したいとか、特定の種類の恋人が欲しいといった場合には、エゴの願いである可能性が高い。
自分では何も望まず、想念を起こさずにいれば、必要なものは、どんなものでも自ずと与えられるのである。








自分が生きたい世界に移動する

インドの聖者ラメッシ・バルセカールは、人生というものは、全て完全に決まっていると断言した。
人生で起こる、あらゆる出来事、そして、起こす想念すら全て、どんな細かいことも・・・たとえば、髪の毛1本の動きすら最初から決まっている。
バルセカールは、こんな話をした。
誰かが、インドの聖者ラマナ・マハルシの前で、床に扇子を置き、「私が今、こうすることも、私が生まれる前から決まっていたのですか?」と尋ねた。
マハルシの答は「もちろん」だった。

私は、バルセカールの話に納得した。
映画『ターミネーター』シリーズでは、運命は決まっていない、変えられるという主張があった。
多くの優れた賢者達も、運命というものがあることは認めながら、それは変えられるという考え方をしていた。
しかし、賢者達の考えは、バルセカールやラマナ・マハルシに比べ、「甘っちょろい」感じがした。
確かに、運命が完全に決まっているというのは面白くないが、バルセカールの論の方が説得力があったのだ。
ただ、バルセカールは、並行宇宙については知らなかったのかもしれない。
彼が亡くなったのは2009年であるから、並行宇宙に関する理論である、量子力学の多世界解釈はすでに知られていたが、バルセカールは知らなかったか、留意しなかったのかもしれない。
確かに、1つの宇宙に関しては、運命は細大漏らさず決定している。
しかし、無限に存在し、さらに、生まれ続ける並行宇宙(パラレルワールド)には、あらゆる世界が存在する。
そして、人間は並行宇宙を移動出来るという考え方がある。
仏教の経典では、それを暗示する不思議な話が、多数語られているのである。

並行宇宙について分かり易いのは、筒井康隆の短編小説『果てしなき多元宇宙』で、角川文庫の『時をかける少女』に収録されている。
この小説の中で、高校生の暢子(のぶこ)が、ある事情で、並行宇宙を簡単に移動出来るようになってしまう。
暢子は、自分が美少女であることを自覚していたが、一重瞼であることを残念に思っていた。すると、ある時、鏡を見たら美しい二重瞼になっていたので驚いたが、周囲の人達は、「元々そうだったじゃない」と言う。
また、暢子は、歌が得意ではなく、半音階が無くなればいいと思っていたが、ある時、ピアノを見たら、黒鍵盤がなくなっていた。
暢子には史郎というボーイフレンドがいた。彼は優等生で人格も素晴らしかったが、暢子は、「もっと男らしくて強かったら」と思った。
すると、2人で歩いている時に3人の不良に絡まれると、それまでの史郎なら、全く無抵抗だったはずが、その不良達を軽くノックアウトしてみせた。
さらに、別の日、暢子が1人で歩いていると、また、あの3人の不良に遭ってしまうが、不良達は、なぜか極めて礼儀正しく、そして、遠慮がちに暢子に声をかけると、「サインをして下さい」と言う。
周囲にいる他の人達も、暢子に気付くと、皆、集まって来る。暢子は人気タレントだったのだ。
このように、暢子が望む別の世界に、暢子はどんどん移動していってしまう。
この小説では、暢子は、元の世界に帰りたいと思うが、このような並行世界移動を受け入れれば、望む自分に瞬時になれる。
そして、引き寄せとは、実は、そんなことが起こっているのだという説があり、それは、やはり、量子力学の考え方が基本にある。
別の宇宙に移動しない限り、ラメッシ・バルセカールが言う通り、生まれてから死ぬまでの運命は完全に決まっている。
しかし、この世界が気に入らないなら、別の世界に移動してしまえば良い。
たとえば、片思いの彼氏がいれば、その彼氏が自分にぞっこんの世界に行ってしまえば良いのである。
そして、それをやった人の体験談も沢山ある。
英国の作家コリン・ウィルソンが崇拝した、同じ英国の偉大なSF作家H.G.ウェルズのことは、アメリカの作家カート・ヴォネガットも最高の作家と称賛していた。
そのウェルズの自伝小説『ポリー氏の人生』の言葉を、ウィルソンは座右の銘としている。
それは、「人生が気に入らばいなら、変えてしまえばいい」だ。
これも、並行宇宙論で言えば、「この世界が気に入らないなら、別の世界に行ってしまえば良い」となる。
ウィルソンも、中卒の工場労働者から、一夜で世界的作家になったのである。おそらく、別の宇宙に移動してね(?)。








2人の大聖者の教えを一言ずつで言えば

ラマナ・マハルシとニサルガダッタ・マハラジが、それぞれ、「これだけをやれ」と言ったことがある。

マハルシのものは、「『私』以外の想念を持つな」だった。
こう言われたら、どうやったらいいか分からないが、ある時、マハルシは「私」をマントラとして唱えよと言っている。
つまり、やることはただ1つ。
「私」と唱えることだ。心の中で唱えるのである。声に出す必要はない。

マハラジのものは、「存在の感覚にしがみつけ」だった。
これもまた難しいように思う。
ただ、「存在の感覚」とは「私という存在の感覚だ」ということをはっきりさせておく。
そして、マハラジもまた、「私は在る」を真言として唱えよと言ったのだ。
この「私」は、「私の意識」である。
よって、「私の意識がある」というつもりで「私は在る」と唱えれば良いのである。
もちろん、心の中でだ。こちらも、声に出すものではない。

これらをやった結果、何が起こるのか?
それは、両方とも同じで、一般的な言葉で言えば、「悟りを開く」であり、それが唯一の成果ということになっている。
しかし、現代人が、それでやる気になるはずがない。
ただ、彼らの時代は、まだカースト制度(インドの世襲の身分制度)が根強く社会に残り(実際は今もだが)、庶民に下手な願いを持たせるわけにはいかなかったという事情もある。
だが、現代であれば、「心に浮かんだ願いは何でも叶う」と言って間違いないのである。
だが、ここで、誤解してはならないのは、叶う願いは、「考えた願い」ではなく「心に浮かんだ願い」だ。
実際は、両者は、同じである場合も多い。
しかし、特に現代人は、自分の本当の願いでもないことを、自分の願いであると勘違いしている場合が、あまりに多い。
本当の願いとは、自分で勝手に決めたり、誰かに押し付けられるものではない。
それは、自然に浮かぶもので、潜在意識から与えられるものなのだ。
裕福になりたいとか、健康になりたいとか、あるいは、素晴らしい恋人や伴侶が欲しいと願うのは、自然な願いであり、潜在意識から与えられたものと言えると思う。
しかし、金メダルを取りたいとか、議員になりたいなどというのは、不純な願望である場合が多い。
いずれにしても、本当の願いであれば、悟りに近付けば、どんどん叶っていくのである。

マハルシと、マハラジのやり方は、「私」と唱えるか、「私(の意識)は在る」と唱えるかの違いであるが、実は、原理的には同じである。
「私」か「私の意識」という想い以外の全ての想いを消し、最後は、それらの想いも消してしまい、一切の想念を消すのである。
想念が消えれば、潜在意識の万能の力が、いかなる願いも叶えるのである。








想念を消すための一般的な注意と工夫

人間は、想念を消せば、自然に起こる願望を全て叶えられるようになっている。
だが、想念を消すことは、自分の意思で行わないといけないことは明らかだ。
つまり、健康な脳の状態のままで、想念を消さなければならない。
簡単に言えば、アルコールや覚醒剤の使用、事故による脳機能障害、催眠術による強制思考停止、睡眠薬・鎮静剤・麻酔の使用、老衰による脳機能低下といったものでは、想念が停止しているように見えても、潜在意識の無限の力は、その人間を中心に発現しない。

また、適度には知性を高めておくことが良いことであることが自然に推測される。
しかし、試験の成績を上げることだけが目的の学校の勉強は、かえって知性を損なう可能性がある。

潜在意識の力を発揮するのに、年齢は関係ない。いくつでも創造的でいられる。
ただし、長い悪習慣(飲酒や粗暴な行動習慣等)で、脳機能が低下してしまった場合には、見込みがないということもある。もちろん、そんな者でも更生する意思があれば大丈夫ではあるが、いったん低下した脳機能を元に戻すのは厳しい道となる。
偏った宗教やプロバガンダに染まってしまった者も駄目な場合がある。そのような思想的偏りは、脳機能も阻害するのである。

よって、我々は心身を健全にするよう工夫をする必要はある。
心と身体は一体であるので、身体だって、ある程度はいたわらねばならず、そのためには、適度な量のなるべき清らかな食事や、適度な身体活動が必要である。
だが、かなり悪い条件下にあっても、自分の意思で想念を消す気品ある志があれば大丈夫である。

まず、無駄なこと、下らないことを考えない意思は持つべきだろう。
自分の悪い条件を嘆いたり、自分を憐れんだり、愚痴を言ったり、他者や環境に文句や不平を言いたくなったら、そんな想いを止めなければならない。
そして、害のある想念を起こさせる最悪の思考が言い訳であることを自覚しておいた方が良いだろう。
そもそも、愚痴や不平といったものは、言い訳と一緒に現れるものである。
ヴァーノン・ハワードの本にも書かれていたが、「人間は何をしても許される。言い訳を除いては」という通りなのである。

だが、あれこれ細かいことを考えなくても、想念を消す方法はある。ただし、最低限の修養が出来ていればだが、健全な社会では15歳か、遅くとも、18歳には出来ているものである。しかし、現代の日本ではそうではない。
そこで、どうしても、仕事などを通じ、慎みのようなものを学ぶ必要がある。
ラマナ・マハルシのように、原因は分からないが、ごく若い時に強い啓発を受ける場合もあり、マハルシは16歳で想念を消す術を掴んだ。彼は、それまで、裕福な家庭で育った活発で聡明な普通の高校生だった。
まあ、働くか、働かないかは、運命によるものでもあり、働かなくても、高貴な意思があれば、想念を消し、潜在意識の力を発揮させることが出来る。ただし、普通の人では難しい。
実際は、なぜ社会で鍛えられることが必要かは、現代においては、学校やテレビに押し付けられた愚かな思想を削ぎ落すためである。
社会や権威に文句を言うだけなら馬鹿でも出来るが、社会や権威の影響を脱すためには修養も必要なのである。

ある程度の修養が出来れば、自分で意思し、想念を消せば、あらゆることに勝利出来る。
その補助としてなら、マントラ(真言)を唱えることが役に立つ。
良いマントラは魂に良いリズムを持ち、簡単に想念を消してくれる。どんなものが良いかは、自分で感じ取れば良い。つまり、自分が気に入ったものを選べば良いのである。
ただし、「このマントラが良い」という理屈を押し付ける話は信用しない方が良い(「アジマリカン」や「トホカミエミタメ」でそんなものが多い)。マントラに理屈は不要である。
選ぶのに困ったら、マハルシが「第1のマントラ」と言った「私」を使うのが良い。
修養が不足している場合でも、何かを熱心にやれば、救われる道は開けるものである。








天の音楽を聴く

私が知る人生の唯一の法則は「無になり切れば(想念を消し去れば)不可能はない」だ。
これについて、2400年前の中国の賢者、荘子が、非常に美しい論を展開している。
それを、荘子が書いたそのまま(誌的で美しいが誤解し易い)ではなく、普通の言葉で書くと次のようになる。

音楽には、自然の音楽と人間の音楽がある。
自然の音楽とは、風が起こす様々な音だ。たとえば、ゴゴ―とか、ヒューとか、ザザザザとか表現されるような音だ。
人間の音楽とは、人間が楽器を演奏する音だ。
だが、これらを超える音楽がある。
それは、天の音楽だ。
自然の音楽や人間の音楽は、耳が聴こえれば、誰でも聴ける。
しかし、天の音楽を聴くことが出来る者は滅多にいない。
(ちなみに、天の音楽は、耳が聴こえなくても聴ける)
天の音楽を聴くことが出来れば、高次元の世界に入り、不可能はなくなり、全て思うがままだ。
では、天の音楽を聴くには、どうすれば良いのだろうか?
それは、いっさいの思惟を去り、虚心になり切ることだ。
思惟(しい。しゆい)とは、「思うこと、考えること、思考」で、哲学では「感覚、知覚以外の認識作用。分析、総合、推理、判断などの精神作用」のことだが、単に、「考えること」「想念」と言って良いだろう。
つまり、想念を消し、虚心になれば、天の音楽を聴ける。
そして、天の音楽を聴くとは、万物があるがままに調和した世界に入ること・・・現代的には、高次元の世界に入ることだ。
そうなれば、不可能はなくなり、全ての望みが叶う。
ただ、賢い人なら、こういうことに気付くかもしれない。
「思考を消したら何も望まないので、望みが叶うも何もないのでは?」
いや、そう尋ねる者は、世俗の人間としては賢い・・・つまり、小賢しくても、本当に賢くはない。
なぜなら、本当の願いとは、考えるものではなく、想念を捨てた時、自然に起こるものであるからだ。
想念を消した時に起こる願いは、いかなることでも叶うのである。

尚、「田舎荘子」とも言われる『猫の妙術』は、荘子のエッセンスをうまく捉えていてお奨めである。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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