ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2019年10月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

会社に必要な人間は絶対に奴隷だけである

会社に不満を持ってる人は多いだろう。おそらく、ほぼ100%がそうだ。
それは、「あなたは奴隷になったらどう思う?」と聞かれて、「嫌だ」と言う人がほぼ100%なのと同じだ。
もちろん、「いいご身分の奴隷」なんてものがあるはずがない。
会社が必要とするのは、社長以外は奴隷だけだ。
「いや、うちの会社は、社員がクリエイティビティを発揮している」なんて言う者は少なくないが、そんなことを言う者ほど良い奴隷なのだ。
社長と言っても、会長や相談役の方が権力がある場合は、社長も奴隷だ。
アップルのCEOなんて、いまだジョブズの奴隷のようなものだ。
なぜなら、今もアップルのCEOに求められるのは、「画期的」と思い込ませるアイフォンを作ることだからだ。
マイクロソフトは大変革を遂げたなんて言われるが、相変わらずWindowsとオフィスで儲けている。

私が昔、就職しようと思った時、大学生の声を反映した就職に関する本を読んだことがある。
多分、リクルート系企業が作った雑誌的な本だった。
その中で、ある大学生が「会社の仕事に愛着を持つようになったら終り」と言ったことが書かれていたのが印象的でよく覚えていたが、やっと最近になって、それが本当だと分かった。いやはや、それを言った大学生は天才であるが、「まともな人間だった」というだけのことかもしれない。
そうだ、まともな人間は天才なのだ。

再度言うが、会社が必要とするのは奴隷だけだ。
奴隷とは、言われたことを疑わずにやる、入れ替え可能なお利口さんだ。
そして、会社の中で出世する条件は、有能であることでも、創造力があることでも何でもない。
自ら模範的な奴隷で、後輩を良い奴隷にする者だけが出世する。
もちろん、部下や後輩が、表向きは会社への愚痴を言っていても、結局は奴隷として働かせれば良いのである。
会社や上司への不満を言って「ああ、俺は優秀だ」と思い込んでいる者は物凄く多い。しかし、そんな者もちゃんと奴隷として働かされているし、いくら不満を言っても、奴隷に出来るのは奴隷だけである。

では、奴隷をやめるにはどうすれば良いか?
いや、それはそのままで、奴隷をやめる、つまり、会社を辞めれば良い。
しかし、ほとんどの者が、小さな頃から、特に学校で、「奴隷でなければ生きていけない」という観念を強烈に叩き込まれているので、会社を辞めるのは怖いはずだ。
会社をやめても安心を保証してくれる「あしながおじさん」がいない限り、「やめるやめる」と言いながら辞められない。
可愛い女の子なら、あしながおじさんも出てくるかもしれないが、それも、可愛い女の子の間だけである。

会社をやめ、奴隷をやめない限り、創造的なまともな人間にはなれない。
こんな落語を聞いたことがある。
大昔、まだ地球が丸いことが分かっていなかった時、陸や海をどんどん進んで行くとどうなるかを、庶民達が話し合っている。
「そりゃ、どんどん先に行くと、こう、ばばばーっとしてくるんだ」
「じゃあ、そのばばばばーっとしてきたのを、もっと先に行くと、どうなるんだい?」
「そりゃもう、もっとばばばばーってなってくるんだ」
「じゃあ、その、もっとばばばばーってなるのを、もっと先に行くと?」
「決まってんだろ!もっともっとばばばばばばーっと・・・」
落語家の表情や声で笑いが起こるが、これが、今でも、会社について我々が信じていることである。
会社をやめてどうなるか分かることは、「奴隷でなくなる」ことと、「どうなるか分からない」ということだけだ。
だが、圧倒的に多くの、小さい時から教育・・・というよりは洗脳されてきた者達は、「どうなるか分からない」ことより、「奴隷でいる」ことの方が安心で、それを選ぶのである。









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考えるな、そして、考えるな

私は、小学生の時だったと思うが、有名な『荒野の七人』という映画を見て(テレビでだが)、多分、ブリット(無口なナイフ投げの達人)がチコ(後から仲間に加わった若いガンマン)に言ったのだと思うが、こんな言葉を鮮明に憶えている。
「サボテンの中に裸で飛び込んだ男がいた。後で、なぜそんなことをしたのかと聞いたら・・・その時はそれでいいと思ったんだそうだ」
私はその時ですら、サボテンの中に裸で飛び込んだ男が、おかしな人間だとは思わなかった。
彼の行動は、ごく普通の、ありふれたことだった。
つまり、人間ってのは、どこかおかしいし、狂っている。
それよりも、いつも理性的である訳ではない。
いや、そもそもが、人間は自分でモノを考えるのではなく、無意識の中に何かの想いが起こり、それが意識に伝わった時、それを自分が考えたと思い込んでいるだけらしい。
ロボット工学者の前野隆司さんの本を見ると、それは実験的に確かめられているらしいが、脳医学者のベンジャミン・リベットも全く同じことを言っているようだ(ラメッシ・バルセカール『誰がかまうものか』より)。

その前野さんと、物理学者の保江邦夫さんの対談書に書かれていたが、これも実験で確認されたらしいのだが、脳は、簡単な算数の問題を解いている時は活性化するが、難しい数学の問題を解いている時(解ける人がだと思う)、ほとんど活性化しないのだという。
高度な思考をしているように見える時というのは、考えているのではなく、テレパシーで情報を受け取っているだけなのだ。
将棋の名人は、対局中、眠っているのと変わらない脳波になるというし、高僧が瞑想している時も同じと言われる。
つまり、高度な将棋は、頭で考えてどうなるものでもなく、テレパシーのようなもので、教えてもらっているようなものなのだろう。
アルキメデスの例が有名だが、天才が大発明・大発見をする時というのは、考えている時ではなく、「全く考えていない時」である。

イエスは「心配するな」と言い、釈迦は「妄想するな」と言ったらしいが、そもそもが、何も考えない方が良いかもしれない。
考えるのは、せいぜいが、小学校の算数程度のことにすれば良い。
脳が活性化していると・・・言い換えると、左脳が優性になっていると、テレパシーを受け取れないのである。
だが、感情というのは良いのだと思う。
情緒や情感といった感情である。
大数学者の岡潔もそんなことを言っていたと思うが、情緒は大切にしなければならない。
(岡潔が、「時間は間違いなく情緒です」と言っていたのが印象的だった)

天才?秀才?関係無いだろ。断然、感情任せで進め
~『アメリカ~We are all right!~』(作詞・作曲・編曲:じん。唄:IA)より~

WE CAN GLOW WITH LIGHTS
感覚に身を任せて GO
~『憧憬~DOUKEI~』(作詞・作曲・編曲:BACK-ON。唄:IA)より~

大切なのは、ハート、愛である。
川上量生さんが、「天動説が正しいことのようにこじつけたやつの頭の良さは凄い」みたいなことを言っていたと思うが、私はこう思う。
天動説を信じさせた者というのは、理屈で信じさせたのではなく、美しい情緒を伴った物語で信じさせたのだ。
それ以前に、天動説を唱えた者は、自分が、情緒的に、美しい天動説を信じたのだ。
まあ、飛行機の時代が近付き、地球が回っていることを理解する必要が生じれば、みんな地動説を信じるようになるし、ある人が言うには、天動説でも不自由ない生活をしている人は、天動説を信じて幸せなのであるらしい。
確かに、情緒が人を愚かにすることもある。
しかし、本当に何も考えなければ・・・大きな力、大きな愛に任せる気になれば、悪くなるとは思えない。これもテレパシー情報である。








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愚かであれ。ハングリーであれ。オタクであれ。

バラク・オバマが大統領時代、彼が、「アメリカ国民全てがプログラミングをマスターして欲しい」と言ったという記事を、Webでよく見た。
だが、英語の演説の内容を見ると、テクノロジーが分かるとメリットが大きいみたいなことが書かれてあるだけだったと思う。
もし、本当にオバマが「誰もがプログラミングをやるべき」と言ったとしたら、彼は馬鹿者だが、おそらく、そうではなかった。
プログラミングを学ぶとすれば、プログラミングに興味がなければならない。
アインシュタインが、「興味のない勉強を強要することは、空腹でない動物に無理矢理、餌を食べさせようとするようなもの」と言ったが、それもそうだし、もっと重要な間違いがある。
興味・・・関心と言い替えても良いが、関心とは愛なのである。
学びは、愛を持ってやるべきであり、興味のない、愛のないことをやっても、それを人々や世界のために役立てることは出来ない。
また、愛を持ってやらないと、想像力や創造力を育てることが出来ない。

大学進学を目指す高校生に「これからはエレクトロンクスだから、電子工学科に入れ」みたいなことは、いつの時代でも言われると思う。
その高校生が大学を出る時も同じことが言えるかどうかは全く分からないし、そもそも、一番大切なことは、その分野に興味があるかどうかである。
大学生だって、昔はよく、広告業が「花形」で「給料が高い」なんて理由で就職先に選んだが、インターネットの発達で駄目になってしまった。
今でも、似たような理由で就職先を選ぶ大学生も多いだろうが、馬鹿な話である。
仮に、本当に業界としては伸びていても、自分にとって興味がなければ、仕事は面白くなくて、人生そのものが暗くなる。
昔、大手リクルート会社の役員に、「大学まで出て塾の先生になる者って、落ちこぼれなんですよ。だって、やることは分かってるじゃないですか?要するに、先の分からない世界に飛び込んで冒険をする勇気のない連中なんです」と言われたが、その頃、私は塾業界に関わり始めたので、試しに塾の先生に、「なぜ塾の先生になったの?」と尋ねたら、曖昧な答が多かった。後に出世したある先生は「自分が通っていた塾の先生が良かった」みたいな理由を挙げていたが、それが一番マシな答だった。
個人的には、塾や予備校のどこにも興味はないが、彼ら(塾の先生)も実は同じではないかと思う。皆、安定性や安心に興味があるだけなのだと思う。
そもそも、塾や予備校そのものに興味がある人は滅多にいない。

数年前、初音ミクさんのお父さん、クリプトン・フューチャー・メディアの伊藤博之社長の講演会に行った時に、伊藤さんのお話をタブレットPCでメモした中に、
「仕事じゃなく、楽しいからやる」
という言葉があった。
「皆さんが喜んでくれるからやる」
というのもある。
人を喜ばせるのは楽しい。そして、それが自分の好きなことなら最高である。

ただ、楽しいからと言って、飲食の楽しさ、優越感を満足させる楽しさ、性愛の楽しさは、我の楽しさであるから、あくまで予備的にやるべきである。
そういうことを、アインシュタインと梅宮辰夫さんが強調していたのを覚えている。
梅宮さんは、ライフル、剣道、料理、釣りと趣味が多く、非常に熱心であったらしいが、結果、仕事によく生きていると思う。
アインシュタインは、「物理学は趣味で、別に大したものとは思っていない」と言っていたが、要するに、とても楽しい趣味なのである。
チームラボの社員募集の要項のトップに「オタクであること」と書かれていたことがあったが、今は書かれていないとしても、それが普遍的に大切なことである。
何かのオタクでない人間には大したことは出来ないし、人生の意義も見出せないだろう。
オタクでない人間は反省しなければならない。
スティーブ・ジョブズは「愚かであれ。ハングリーであれ」と言ったが、これは、オタクが好きなものを求めることを言ったのであることは間違いないと思う。









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時代劇に見る真の愛

このブログも、いよいよ愛というテーマにたどりついた。
笹沢佐保さんの時代劇小説『木枯し紋次郎』に、素晴らしい愛の例がある。
紋次郎は、刀を折り、至急、新しい刀を必要とし、腕の良い刀鍛冶師がいるという山に行く。
確かに、天才的な鍛冶師がいて、丁度、新しい刀が完成間近で、それは素晴らしい名刀であり、しかも、紋次郎の鞘にぴったりだった。
だが、鍛冶師は、丹精込めて鍛え、仕上げつつあるその名刀を、紋次郎には売らないと言う。
当たり前である。紋次郎は乞食同然の流れ者。それに、売ってくれるとして、紋次郎に払える額とも思えない。
だが、紋次郎は、すぐにでも刀を手に入れないと命がない。大勢の敵に追われていたのだ。
そこで、紋次郎はどうしたか?
鍛冶師が、その名刀を仕上げるべく、朝から仕事を始めると、紋次郎は、やや離れた場所から、鍛冶師の仕事を見ていた。
時間が経過し、鍛冶師は熟練の技と研ぎ澄まされた心で仕事を続ける。それを、紋次郎は静かに見ている。片時も目を離さず。
そして、夕刻に、ついに刀が完成する。
すると、鍛冶師は静かに紋次郎に近付く。鍛冶師は黙って手を出し、紋次郎は黙って自分の折れた刀を渡し、鍛冶師は黙って受け取ると、それを持っていき、柄から折れた刀を外すと、完成したばかりの刀をはめ込む。
鍛冶師は黙って紋次郎に刀を渡し、紋次郎は黙って受け取る。
「御代は要りません」
紋次郎こそ、この名刀の持ち主だった。
小説には、これ以上は書かれていない。

では、なぜ、紋次郎は、この刀を手に入れることが出来たか?
また、なぜ、鍛冶師は、こんな大切な刀を紋次郎に譲ったか?
それは、紋次郎が、鍛冶師を、鍛冶師の仕事を、じっと見ていたからだ。
じっと見るというのは関心を示すが、紋次郎は実際に、鍛冶師とその仕事と彼が作る刀に対し、言葉で言うことも出来ないような深い関心を注ぎ続けた。
関心とは愛なのである。
マザー・テレサが、愛の反対は無関心と言ったように。
そして、人間の愛は、人も全ても動かすのである。

コリン・ウィルソンの『右脳の冒険』に、こんな実話がある。
心神喪失の妻を、何日も観察し続けた男の話だ。
妻が心を取り戻すのを願い、そして、心を取り戻した時を逃さないために、男は片時も離れず、妻を見続けた。
妻は奇跡の回復をしただけでなく、男は賢者になった。
これが愛の力である。
そして、無論、関心の力である。

46歳で亡くなったミュージシャン、村下孝蔵氏の、沢山の人がカバーした名曲『初恋』の、こんな一節を覚えている。
「遠くで僕はいつでも君を探してた」
「探してた」は「見ていた」でも良かったが、意識を向け続けること、関心を持ち続けることが愛である。
この歌は、「愛という字書いてみてはふるえてたあの頃」で終わる。

関心を自己から切り離し、対象に向けた時、それが真の愛なのである。
『バガヴァッド・ギーター』では、「五感を外界から切り離して自己の内部に向けよ」とある。
それは、内なる神にのみ関心を注げという意味で、神を愛せよということである。
ただし、全ては神の現れでもある。神として見る限り、何を見ても、内なる神を見るのと同じだ。
だから、本当に好きなものを、神聖な目で見れば、それは神を愛することである。

尚、最初の話は、『木枯し紋次郎』の何巻の何だったか分からない。









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アインシュタインやテスラは普通に見れば自閉症

アインシュタインが言ったとされる言葉で覚えているものがある。
それは、
「私は優秀じゃない。1つのことを長く続けただけ」
というものだ。

プログラミングがマスター出来ないと言う人がいる。
どれだけの期間やったのかと聴くと、3ヶ月とか1ヶ月とか、ひどいのになると1週間とかもいる。
別に、何年も毎日3時間勉強しろなんて言う気はない。
アインシュタインやニコラ・テスラならやったかもしれなが、あいつらは変わっているのだ。
ここは、合気道家の藤平光一氏的にやればいいと思う。
彼は、算数嫌いの小学生に、1日1度でいいから、必ず、算数の教科書を開いて「算数が好きだ」と言えと指示したらしい。
すると、その子は、一番算数が出来る子になったらしい。
十分、納得出来る。
物理学者で合気道家でもある保江邦夫氏は、小学校時代、授業中、ぼーっとしていたが、先生に指名されたら、必ず正解を答えたらしい。
ぼーっとしてたから良かったのだと思う。
それで、宇宙の英知とテレパシーのようなもので通じたので、勉強しなくても分かるのだ。

藤平氏は「好き」と言えば「氣」が出ると言ったが、氣かどうかはともかく、「好き」という言葉に力があるのは本当と思う。
「愛している」はもっと良い。
ベアード.T.スポーリングは、「愛」より「神」という言葉の方がずっと大きな威力があると言う。
そうかもしれないが、「愛する」という言葉と、それによって起こる意思の力は計り知れない。
実質、愛していることである「好き」を算数に向ければ、出来るようになって当たり前だ。
アインシュタインや、ニコラ・テスラは、別に苦労も努力もなく、毎日長時間、光や電気について考えたが、彼らはそれが好きだったのだ。
今朝も言ったが、愛するとは興味を持つことだ。
彼らは、光や電気に長く好奇心を持ち続けたのである。

1日中、スマートフォンを見ている人は多い。
しかし、彼らはスマートフォンそのものを見ていない。だから、スマートフォンの本当のことを何も知らない。
彼らは決して、「スマートフォンが好きだ」とか「スマートフォンを愛してる」とは言わない。
スマートフォンに、本当の意味で興味がある訳ではないのだ。
「スマートフォンが好きだ」言えば、スマートフォンは、あなたの能力をエンハンスト(拡張)する道具になってくれる。
それは、スマートフォンでなくても、辞書でも、プリズムでも、水晶球でも同じだ。

外国の人のことは知らないが、日本人は「お金が好きだ」と言い難い。
だが、ぼーっとして、1日1回、「お金が好きだ」と言えば、抵抗がなくなる。
嫌なら、「豊かさが好きだ」とか「富が好きだ」でも構わない。
要は、長く続けることだ。
お金に困らないくらいにはなるのではないかと思う。

私は、今年の6月23日から始めた四股は、毎日500回になり、休みの日は千回以上、昨日は1400回だった。
四股が大好きなのだ。
おかげで、身体がすっかり若返り、強くなった。

別に、実用的なものを愛することが大事な訳ではない。
ぼーっとして、空が好きとか、生きるのが好きとか、初音ミクさんが好きと言っていれば、運が良くなる。
「愛している」ならもっと良い
アインシュタインは、子供の時からぼーっとする天才だった。
ニコラ・テスラもそうだったらしい。空想の世界に親しい人が沢山いたと言うほどだから。
普通に考えれば、ただの自閉症だが、何かに興味を持ったのが幸いだったのだ。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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