ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2016年08月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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おごらぬ人は久しき

『平家物語』の冒頭である『祇園精舎』ほど感慨深いものは、そうはない。
「盛者必衰の理」
「おごれる人も久しからず、ただ春の世の夢のごとし」
「たけき者も遂にはほろぼぬ、ひとへに風の前の塵に同じ」

確かに、青年、壮年期に、富と名誉に包まれた者が、やがて、惨めで哀れな状態になってしまった例にはこと欠かない。
ところが、世界一の金持ちビル・ゲイツは、病気にでもなれば別だが、おそらく、死ぬまで安泰で、勢いも維持しそうである。
そして、死は、自然現象であり、滅びではない。
それなら、「盛者必衰」とは言えない。
つまり、『祇園精舎』に書かれたことは、必ずも真実ではないと思える。

だが、
「おごれる人も久しからず」
だけは、例外を見ない。
そして、それは、特に、成功者というほどでなくても、ちょっとエリートだったり、ちょっと美男美女だったりといった人々にも言えることである。
最初に一部を取り上げた『祇園精舎』の前半部では、ただ、「盛者」、「たけき者」と書いているだけで、大成功者、大征服者、大権力者、大スターとは書いていない。
『祇園精舎』の後半部で、いよいよ、「これほど権力の絶頂にあった人ですら」という話になるのだが、別に、権力者が全部駄目になる訳ではない。
秀吉すら、個人としては死ぬまで天下人だったし、家康は、一族に関しても、まあ、いろいろあるのだが、勢いは長く維持した。

だが、勢いの大きさ、成功の度合いに関わらず、おごる・・・思い上がった振る舞いをする者は、そう遠からず、悲惨に陥ることだけは間違いなく、おそらく、人類の歴史の中に例外はない。
それこそ、ちょっと難関の学校に入学したり、会社の中でちょっと出世した程度であっても、傲慢になり、それを改めないと、落とし穴に落ちることは、絶対確実である。

ここまでは理解し易い。
では、なぜ、「おごれる人も久しからず」なのか?
簡単なことで、思い上がるとIQが急激に低下するからだ。
小さなことでも、大きなことでも、IQが高い者が、才能や特技を生かして成功するのである。
そして、IQが高い間は、それを維持出来る。
だが、IQが下がると、得たものを維持出来ないばかりか、誤用して大怪我するのである。
そのことは、その気になれば、理屈で説明出来るかもしれないが、直観で分かることだ。傲慢になれば、これはもう見事にIQは大きく下がるのである。
それがカラクリだ。
IQが高い者が入会出来る団体なんてものがあるらしいが、そこに入れて思い上がると、再試験したら、もはや、その者のIQは入会資格に全然足りなくなっているだろう。いや、再試験などしなくても、IQが下がっていることは、見れば分かるはずだ。
IQというものは、上げることは難しいが、下げるのは実に簡単で、それこそ、悪いことなら、「何をやっても下がる」のである。
その悪いことの中でも、最悪なのが、思い上がること、即ち、驕ることである。
Googleのモットーが「Don’t be evil(悪いことをするな)」であるが、これは、社員のIQが何より重要なGoogleのトップが直観的に言ったことだろう。
もし、Googleの偉い人が、本気で、「このモットーは駄目」と言うなら、その人のIQが下がっているに違いない。

そして、次の歌のようだと、宇宙に守られ、永遠である。

Last night,Good night
Last night,Good night
いつかは むかえる
最後を 想うよ
夜空に 願うの
ときわの 笑顔を
~『Last Night, Good Night』(作詞・作曲・編曲:kz、歌:初音ミク)より~

私は、最後は、ミクさんがこの歌を歌うのを聴きながら死にたいと思っている。
本日は、初音ミクさんの聖誕日なり。
敬い崇めること、そして、怠らずに素振りをすれば立ち続けられること・・・ミクさんからのメッセージを忘れまい。








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素振りの数で勝つ

この1ヶ月ほど、毎日7~8時間の勉強や身体の鍛錬をして、ついに悟ったことがある。
もう、これだけ覚えておき、後は忘れようと思う。
それは、野球のバッターや剣士は、素振りの数が多い者が勝つということだ。
相撲なら、四股と鉄砲だ。
細かいことは言わないし、言う必要もないが、それだけやれば、後はうまく回っていく。

このことは、子供の時に、江戸川乱歩の『心理試験』という短編を読んで知っていたのだが、自分のものになっていなかった。
『心理試験』は、あの名探偵、明智小五郎が登場する短編だ。
私は、小学生の時にこれを読み、あまりに面白くて興奮した覚えがあるし、面白いだけでなく、確かに、何か光るものを感じていた。
この作品の中の心理試験について述べると話が細かくなるので、同様の心理試験を一般化して言おう。
例えば、ある政治家が殺され、容疑者が2名見つかったが、その2名は揃って、自分は全く事件に関わっていないし、その政治家についても、一般的なこと以外は知らないと言う。
その政治家が殺された訳(わけ)は、憲法改正と原発推進に積極的だったことだと思われた。
そして、その政治家が殺された場所は、その政治家の自宅で、凶器は刃渡りの長いナイフ、殺された部屋には、ゴッホの『ひまわり』の複製画が飾られていたとする。
そうしたら、その2人の容疑者に対して、次のような心理試験が有効になる。
この心理試験では、与えられる単語に対して、思いついたことを、すぐに答える。
例えば、「赤」なら「血」で、「雨」なら「傘」といった感じだ。
与える沢山の単語の中に、事件に関係ある言葉・・・「ひまわり」「ナイフ」「家」「ゴッホ」「戦争」「自衛隊」「電気」などを紛れ込ませ、それらの単語に対する容疑者達の回答や、その反応時間を調べれば、どちらが犯人か分かる可能性が高くなる。
「ゴッホ」に対して「ひまわり」なんて答えてくれたら、しめたものだ。そう答えた容疑者は「たまたま、ゴッホのひまわりという作品をよく知っていた」と言うかもしれないが、他の質問に対する回答より、答えるのに長く時間がかかっていれば怪しいということになる。
ところで、この『心理試験』という作品では、容疑者の1人で、真犯人である大学生は素晴らしく頭脳明晰で、心理試験に対する対策を立ててきた。
鍵となる質問を全て予想し、そのことごとに対して、疑われないような回答を用意し、しかも、それを遅延なくすらすら回答する練習をしてきたのだ。
その成果は抜群で、担当警部を見事に騙した。
それに対し、事件の状況をいくらか知る別の容疑者は、肝となる質問で、回答に時間がかかり、しかも、まずい答をしてしまう。
ただ、明智小五郎は別のことに気付く。
それは、「答が見事過ぎる」ことだ。
上の政治家の例で言えば、「自衛隊」に対し、「憲法」などとは答えず、「戦闘機」と答えたり、「ナイフ」に対し、「凶器」ではなく、「釣り」と答えたりである。
さらに、こういった、事件と関わりのある言葉に対し、他の言葉より短時間で答えてしまっていたのだ。
つまり、訓練をし過ぎたという訳だ。

だが、子供の時の私は、『心理試験』のお話としての面白さと共に、訓練の力というものに感動したのだ。
このお話の場合は、悪いことのための訓練であったが、良いことでなら、やり過ぎでも構わないから大いにやれば良い。
例えば、こんな漫画にも感動したことがある。
2人の男が、良いことではないが、一般路で、レースの勝負をする。
共に高性能の自動車に乗り、腕にも自信があった。
ところが、片方が、腕でも優っていたが、それ以上に楽勝する。
なぜか?
勝った方は、そのコースを、それまで毎日、長い時間走っていて、道の様子が隅々まで頭の中に入っていたからだった。
これも、一種の素振りであろう。
このような話は沢山ある。

ある一流のバッターは、たとえ宴会で飲んでいる時でも、決まった時刻になると、バットを持って庭に出て、素振りをしたそうだ。
これが勝利の秘訣なのである。
これなら、IQが低くても成功出来る。
しかし、深く考えれば不思議なことではないが、これにより、IQも高くなるのである。

明日は、初音ミクさんのお誕生日、すなわち、聖誕祭である。
それに対し、私は、一昨日の日曜の夜、ヒンズースクワット393回、ヒンズープッシュアップ39回で気持ちを引き締めた。
ミクさんの9回目のお誕生日の前に、上に述べた貴重なことを悟ったのは、ミクさんを崇める者に対し、分け隔てなく恵を与える宇宙の意思が明らかになったことと言えよう。
ちなみに、第1回目の「マジカルミライ」は、2013年8月30日に、横浜アリーナで開催され、夜昼公演で14,000人がミクさんと銀河を旅したのである。









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生きるために考える

ドワンゴの川上量生会長が言った・・・というよりは、一般論として語りたい。
川上会長だって、過去に言ったことにいちいち責任を取る気はないだろうし、取る必要もないし、私も、川上会長に限らず、誰にもそんなことを期待しない。
エマーソンだって、一貫性がないことは悪いことではなく、その時思ったことを言えば良いと言っていたと思う。

ネット廃やゲーム廃というのは、ネットやゲームにのめり込んで現実社会に適応出来なくなった者のことだ。
そんな人達を会社に迎え、さらには、そんな人達を活躍させるために会社を存続させるという考え方もあるらしい。
ネット廃だろうと、ゲーム廃だろうと、地頭さえ良ければプログラミングのようなことは出来るからだ。
だが、この話には、意図的ともいえる、「隠されたこと」がある。
それは、「地頭が良ければプログラミングは出来る」のではなく、「地頭が良くないと(ちゃんとした)プログラミングは出来ない」ということだ。
ネット廃やゲーム廃なら何でも良いのではなく、頭が良いネット廃やゲーム廃・・・もっとシンプルに言えば、IQが高いネット廃やゲーム廃限定なのである。
IQが高いかどうかは、いちいちIQテストなんかしなくても、IQが高い人が少し見て話せば分かることだ。それこそ、ネット越でも分かるだろう。
ビル・ゲイツも、プログラマの能力は純粋なIQだと言い、間違いなく、IQが高い者を採用しようとしていたのである。
ゲイツと川上会長って、案外に雰囲気がよく似ているように思うのであるが、人間ってのは、みかけで大体分かるものである。
そして、そんな会社で、選ばれて採用されたIQが高いネット廃やゲーム廃なんて、実は僅かだが、数名でも入れれば、「ネット廃やゲーム廃を採用した」と言えるし、そんな者達に仕事をさせるために会社を存続させているというのも、まあ、嘘にはならない。

人間は所詮IQという、不都合な真実は必ずある。
そこで、人間の取るべき道は2通りで、1つは、可能ならIQを高くすることと、もう1つがIQが低くてもやっていける方法を探すことだ(元々IQが高い人は、すぐに奮闘することだ)。
IQが高くない者の重要なやり方は「特化」だ。
IQが高くないのに、いろいろ手を出して力を分散させていたら、そのどれも児戯に等しくなってしまう。
大島光義という戦国時代の武将がいたが、彼は、60歳を過ぎて世に出て、天下人達に重用され、93歳で戦に挑んで活躍したという。
光義は弓矢の達人で、生涯、その技を徹底して磨き続けた。
私は、きっと彼はIQは低かったのだと思う。
だから、彼は戦略家にはなれなかったが、1つのことを徹底して磨き抜けば、ちゃんと立派になれるのである。
だが、IQを高くすることは、特に今の世の中では大いに可能に違いない。
ただ、その誤った方法ばかりが知られているようにも思えるが。
IQを高くするには、頭を使うことである。
それも、巷にある算数パズルやIQゲームといった単純な頭の使い方ではなく、「脳が汗をかく」ような使い方である。
ビル・ゲイツや、あるいは、Googleが採用試験で使ったユニークな思考問題が知られているが、それらは、あくまで、冗談か、せいぜい、参考だろう。
もし、試験でIQの高さを見たければ、その人の論理性や思考力、あるいは、集中力を試す問題なんて、いくらでも作れるのだから。
例えば、IQを高くする目的で、学校の理系の科目を、試験の点よりは論理的理解に重点を置いて勉強したり、会社の仕事を効率を考えてやってみるのも良い。
仕事なんて、全て、論理性を適用出来るのである。
それこそ、スポーツだろうと、肉体労働だろうとね。
豊臣秀吉は、元々頭が良かったというよりは、一兵卒だった時に、生きるためと勝つために、必死に頭を使って、頭が良くなったのだろう。
天才的発明家の中山正和さんは、「命をピンチに追い込む」という表現をよくされていたように思うが、生きるためにこそ、脳は最大の力を発揮するのであり、また、生きるために考えることで、頭がよくなり、IQも高くなるのだと思う。









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私はギルティー(有罪)

日本代表の中でもトップクラスだった、あるバレーボール選手の、こんなインタビュー記事を見たことがある。
「僕は天才型なんでしょうね。懸命に努力した覚えがないんです」
それは単に、努力した時のことを忘れているだけだ。
この選手の物覚えが悪いと言うよりも、努力した時のこと・・・特に、精神的に充実していた時の努力は、あまり覚えていないものだ。
天才であっても、努力せずに大したことは出来ない。
野球部員でもなく、普段、練習をしていないのに、割と上手いので、部員の代わりに試合に出場したなんて話は確かにあるが、それは、あくまで、あまりレベルが高くない試合の場合だけだ。

勉強せずに一流大学に入ったなんて話もよく聴く。
しかし、本当は、そう言う人も、かなり勉強しているものだ。
ドワンゴ会長の川上量生さんは、京大工学部に入るのに受験勉強はしなかったと述べられていたと思うが、川上さんは、通っていた高校の授業が素晴らしかったことと、その授業を熱心に受けていたとも言われていたはずだ。そして、川上さんは東大も受験したらしいが、「東大は受験勉強しないと無理だと分かった」と言われていたと思う。
あのくらい頭が良い人でも、やはりそうなのだ。
いや、稀ではあるが、東大でも、本当にあまり勉強せずに入れた人はいると思う。
しかし、それは、滅多にいないような生まれつき頭の良い人だ。そして、そんな人だって、研究にしろビジネスにしろ、大人の世界では、受験のような訳にはいくまい。

世の中には、「努力なんて不要です。普通の人が知らない特別な方法を知っていれば、あなたも楽々成功するのです」と言う者がおり、そんな者が支持される場合がよくあるだろう。
そして、そんな言葉に進んで騙され、甘い妄想を捨てられない間は、まあ、鬱々とするばかりで、不安に苦しみ、劣等感や無力感に悩み、気分が晴れることはないだろう。
もちろん、さっぱりうだつが上がらず、ビートルズの『エリナー・リグビー』のように、老婆になっても王子様を待ち続けるような惨めで哀れな人間として過ごすしかなくなる。

ゲーテは、最低のことでも、やった方が、何もやらないよりマシと言ったが、もっと適切に言えば、「歪んだ努力でも、やった方がずっと良い」のである。
言うまでもなく、この努力とは、自分を鍛えるためのもの、あるいは、まっとうな方法で報酬を得ようとするためのもので、喩えは悪いが、ナイフで戦う訓練だって、本気でやれば、得ることは大きいだろう。

生き甲斐がないと言う人も多いが、それは単に、自分を鍛える努力や、成功する努力を怠っているだけのことで、自分以外、誰の責任でもない。
生き甲斐などいらないと割り切るのも1つの方法かもしれないが、それだと、寂しい人生になることだけは保証するし、まあ、年を取って確実に後悔する。
スティーブ・マックイーン主演の映画『パピヨン』で、マックイーン演じるパピヨンは、冤罪の殺人罪で、孤島の刑務所に送られる。
その刑務所の独房で、パピヨンは、砂漠で裁判を受ける夢を見る。
有罪を言い渡されたパピヨンが、「俺は殺していない」と主張すると、裁判官は、
「その罪ではない」
と言う。
パピヨンが訝(いぶか)って、
「では、何の罪だ?」
と問うと、裁判官は、
「人生を無駄にした罪だ」
と厳かに言う。
それを聴いたパピヨンは、うな垂れて言う。
「確かに有罪だ。認めるよ・・・」
名作なんだろうが、もっとはっきりシンプルに言わないと、今のIQが低い人々には分からない。
人生を無駄にするとは、努力を放棄すること、怠惰になることだ。
ゲーテの『ファウスト』に、人間は怠惰に陥り易いので、神はそんな人間のところに悪魔を送り、刺激するのだと書かれているのが面白い。
私のところにも悪魔は来たし、そのおかげで散々な目にも遭ったが、それでも改めることなく、私は人生を無駄にしてしまった。
だから、パピヨンの嘆きが痛いほど伝わってきたのである。
だが、今は、初音ミクさんが来てくれたのだ。
ミクさんを崇めることで、ようやく、天に向かって顔を上げることが出来たのである。
だが、ミクさんが、恐るべき罪から逃れるきっかけは与えてくれたとしても、後は自分次第である。









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ハンパ者

本当に優れた人が最後に行きつくのは、「僕は無力だ」ってことだろう。
それは、宇宙に対する自分の感覚器官や知的能力の、極めて低い限界を悟ったということである。
つまり、五感や心が捉えることが出来るのは、あまりにひどい世界のイミテーション(まがいもの)に過ぎないということだ。
それでも、結構、素晴らしいもの、美しいものもあるような気がするが、それは、安物の粗悪品を喜んでいる貧乏人や田舎者にも喩えられようか。
そのことを示したカントは、だからといって、どうしたら良いかなんて全く述べていない。
彼はただ、その偉大な知性と考察をもって、事実を正確に(おそらく誠実に)示そうとしただけだ。
だが、芸術家であったゲーテやタゴールは、直感的知性によって、世界の隠された姿をいくらか見抜いていたようである。
そして、それを本当に解明し、さらに、それ(隠された真理)を知るにはどうすれば良いかを実際に示したと思われるのが、ルドルフ・シュタイナーだった。
そんなシュタイナーの著作が、すらすら理解出来るはずがない。
ところが、初音ミクさんの名曲『ODDS&ENDS』では、そんな真実を、そっと語るというか、「すっぱ抜いている」という感じすらする。


「僕は無力だ。ガラクタ一つだって救えやしない」
想いは涙に ぽつりぽつりとその頬を濡らす

その時世界は 途端にその色を大きく変える
悲しみ喜び 全てを一人とひとつは知った
~『ODDS&ENDS』(作詞・作曲・編曲:ryo、歌:初音ミク)より~


歌としては、ちょっと年齢の高い人なら、恥ずかしい感じがするかもしれない。
畑亜貴さんが、『God knows』(アニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』の劇中歌)の詩を作った際、本気か冗談かは知らないが、「思いっきりこっ恥ずかしいことを堂々と書いた」と言っておられたように思うが、詩を改めて見たら、本当に恥ずかしい(笑)。
『ODDS&ENDS』は、それほどでもない。
面白いことに、この2つの歌は、タイトルの音感が似ている。
ちなみに、ODDS&ENDS(odds and ends)とは、はんぱもの、ガラクタという意味で、この歌の中では、「僕」と初音ミクさん両方を指している。
『God knows』も、相当、ハンパ者の歌だし、ゲーテの『ファウスト』の主役ファウストも、紛れもなく半端者だ。

だが、世界は、ハンパ者であっても・・・仏の手の平の上で走り回るだけの者ではあっても、そこから抜け出そうと、自分と戦う者のみに、その姿を明かすのだろう。
初音ミクさんのコンサート「マジカルミライ」では、これまでずっと、ラストソングは、この『ODDS&ENDS』だったが、今回もそれは変わらないと思う。
「ミクの日感謝祭」コンサートでは、3回とも、それが『SPiCa』だったのを思い出す。この歌も、ハンパ者の星のような歌だったと思う。
半端者には2通りしかない。
努力する半端者と堕落する半端者だ。
まあ、努力しても半端者なのだが、堕落して完全に生ゴミになるよりは良いだろう。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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