モーツァルトのK545のソナタをグールドで聞く。YURIKAMOMEさんがとりあげておられ、久しぶりに思い出して(授業では時々思い出してちょっとだけ弾いたりしているが)疲れのたまっている土曜の朝には良いかなと聞き始めた次第。
第1楽章の第1主題。グールドの演奏は実に奇妙だ。何が?原典ではどうだったか憶えていないけれど、一般に流通している楽譜は次のようになっている。 左手にはレガートとなっていて、私の知るほとんどの演奏はレガートで演奏しているのだが、グールドはスタッカートで演奏していて、極めて歯切れがよい。それに右手と左手のバランスもほとんど差がなく一体化して聞こえる。 この部分が受け入れられるかどうかが、この演奏についての試金石となる。受け入れられない人は、グールドとは縁がなかったと思ってもらう方が良い。無理してつき合っても険悪になるだけだから。ちなみにグールドはモーツァルトの楽譜を自由に改変しているのではない。彼はそうしたことはほとんど行わなかった。そうではなくレコードで何度も聞かれることを前提に、作品を通して表現の可能性を極めようとしていたのだと私は思う。それは作品をねじ曲げるというのではなく、作品に対して向かう、彼なりの真っ直ぐな思いであったはずだ。でなければ、こんなに多くの人の共感を得られることはない。 ちなみに、私のかつて通っていた大学のピアノの先生はおしなべて彼のことを悪く言ったものだ。ピアノの先生から評判が悪いのは、ただ単にお手本にならないかららしい・・・。ヴァイオリニストのイヴリー・ギトリスもそういう傾向が顕著であるようだが、こんなこと言ってるから彼らの演奏がつまらないのだと思う。ちょっと脱線してしまった。 第2主題は次のようなものだが、これはメロディーの方がずっと小さく、伴奏の方が目立つように弾くという全く常識と逆を行っているのだが、華やかな効果はよく出ていると思う。これには第2主題をグールドがあまり重要に考えていなかったからだと思うが、私はこの考えに同意する。 第2主題は、第1主題の逆行で作られた、極めて即席の簡単なものだからだ。調性を同じにして次にあげておこう。 このように第1主題の前半を逆行して第2主題の前半を、続いて後半を逆行して第2主題の後半を作っていることがわかる。リズムも半分になているだけで、これでは同じ調性でやってしまうと誰の耳にもバレバレになってしまう。 モーツァルトの天才はその程度のことはもちろんわかっていた。だから、再現部の冒頭をヘ長調ではじめて第2主題を主調に戻すという変則的なことをしたのだ。 こうした作例は古典の時代にはシューベルトの第5交響曲の第1楽章ぐらいしかしらない。 グールドはこのことを当然わかっていてやっているのだろうが、それ以上にこの演奏の面白さはこういう主題の部分にあるのではない。 実は、この楽章は主題部分以外は全てアルペジオとスケールで出来ている。だから昔から練習曲として取り上げられてきたのだと思う。私も左手のスケール(特に再現部冒頭のヘ長調のスケール)でイヤ〜な想い出を持っている。(笑) そのスケールとアルペジオをグールドはとてもよく歌うのだ。そして、主題部は素っ気ないほど簡単に弾いてしまう。こう考えるとこの演奏の逆転の発想の面白さが浮かび上がってくる。ヘブラーやリリー・クラウスなどの演奏は、このアルペジオとスケールの部分を音楽的に弾いてはいるが、グールドのように大切にしているとは思えない。しかしこのアルペジオとスケールが大半を占めるこの楽章ではそれではどうしても平板になる。グールドは逆にしてみたというわけだ。それで全体がなんと生き生きとしてくることだろう。繰り返しは行わない。サラリと楽章を2分弱で弾ききっている。 第2楽章は次のような主題で始まる単純な三部形式の楽章。 このテーマを多くのピアニストは慎重に、そして優雅に歌い上げる。しかしグールドはまるで違う。第1楽章の第1主題と同じように左手のアルベルティ・バスをスタッカートで右手を軽いノンレガートで弾き始めるのだ。 実はこの楽章の第1楽章の第1主題との関係は極めて深いものがあり、グールドはその関連を意識しているようだ。その二つを並列したものを次にあげておく。 こういう背景があって、第1楽章とアーティキュレーションを揃えたのだと私は思う。 それにグールドのとったテンポは極めて速い。私の好きな内田光子さんの演奏は七分ほどかかっているのに対して、繰り返しをしていないなどのことを考慮したとしてもグールドが2分あまりで駆け抜けるのはもの凄いテンポであると言えよう。疾走するグールドは、この楽章にクラウスやヘブラーが与えてきた優雅で美しい表現は一切無視し、細やかな情感を表しているところはト短調に転調した中間部から再現にかけてのあたりだけである。考えてみれば、ゆっくりとしたテンポでは冗長となってしまっていたはずで、テンポがこの表現を選んだとも言えよう。 第3楽章は、拍子は2/4拍子ではあるが、第1、第2楽章の主題と深い関係によって出来ている。主題を次にあげておく。 グールドは明らかにこの楽章に重心を置いている。それは、モーツァルトの書いたこのソナタの中で、この楽章のみが入念な主題の展開が行われていることにもよるのではないだろうか。というよりもロンドの挿入句が新しい素材でなく、冒頭の主題そのもので出来ており、ここに第1楽章の素材や第2楽章の素材が絡まっていくように出来ているのだ。 その部分を次にあげておく。 モーツァルトの他の傑作に比べれば、なんということもない展開ではあるが、魅力的なメロディーと響きの中で、音楽が見事に息づいていて、それがしっかりとした背景統一、形式感の中にまとめ上げられていることは言うまでもない。そしてグールドはこの楽章に重心を置くことで、この楽曲の構造を明らかにしている。 おそらく表面的には内田光子さんなどの名演と対極に位置していることは間違いない。とは言え、これも立派なモーツァルト像であることは間違いない。モーツァルトの書いたものを素直に音にするというより、それをどう表現したら新しいモーツァルト像が表現できるかというところに位置しているのだ。 私は楽譜を勝手に改変したりしていることと、このグールドの演奏は違うと考えている。作者の手を離れた後、作品は様々な解釈にさらされ、新たな成長を遂げるのだ。その中にグールドの演奏がある。 「正しい演奏」という訳のわからない話で、グールドを誤解してはならない。当たり前のことだが、これでもグールドなんて聞いてはいけないと言う先生はいるのだ。聞いて真似するなと言うのならわかるが・・・。
by Schweizer_Musik
| 2005-10-08 12:04
| 授業のための覚え書き
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