五月尽

お昼ご飯の後でハナショウブとササユリ撮りにつれていってもらいましたが、出来が悪いので数で勝負ということで。

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e.zuiko 8mm fisheye
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e.zuiko 8mm fisheye
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tokina 300mm reflex
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e.zuiko 50mm 2.0 macro
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e.zuiko 8mm fisheye

 書かずうたはず初夏(はつなつ)の日々ものうきに忽然として裂帛の百合   (塚本邦雄:黄金律)

こする、ちびる、へる、おおわれる、こびりつく、ひびわれる

郷愁なお。

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72歳になった鶴見俊輔が「もうろく帖」という日記ともスクラップブックともつかないノートに有元利夫を引用していました。

風化したものは、僕にとっていつも美しく物語のある空間です。こする、ちびる、へる、おおわれる、こびりつく、ひびわれる・・・こんな風化の美しさが画面に出てこないかなァと思ってやっています。(有元利夫「もうひとつの空」)

鶴見も同感したんだろうなぁ。
いや、風化したのは自分自身、こする、ちびる、へる、おおわれる、こびりつく、ひびわれているのは自分だという自覚で引用したのかも。それならこちらも同感するなぁ。

”ふうか”でなくてちょっとなまってますが、
 風雅集尾(び)より首(しゆ)へ諳(そらん)ずるあいついつそ褒め殺してやりたいが   (塚本邦雄:詩魂玲瓏)

棚田で

なお郷愁の坂折棚田。

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坂折の”坂”で、
 坂は照る星降るこころざしこそ水無月(みなづき)の空に煌(きら)めけ   (塚本邦雄:靑雲帖)


山崎努「柔らかな犀の角」から何度目かの引用を。(『ドキュメンタリーと「どんぶらこ」』)
 TVドラマ「キルトの家」撮影に際して、「津波」に襲われた若者の体験談を聞く場面で、演技にもかかわらず、冷静に聞きとめる役割だった山崎が思わず涙と鼻水にまみれ、思わぬ展開になったがそのまま収録したと書いたあと、

『プランは所詮プランに過ぎない。生理まで管理したらロボットになってしまう。』
『確固たる発見があって表現するのでなく、手探りの表現のなかに発見があるということ。』


何でも写真の話にするpithecantroupusは、写真を撮るのも先にプランを決めることよりも現場でシャッターを押すことの方が大事なんだと理解するのでした。(汗)

おろかなる今日

むかしとはいえ季節物なので今のうちに。
ここは岐阜県恵那市坂折だったようです。

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 おろかなる日本といへど葉櫻のゆふべたまゆら泪の膜   (塚本邦雄;波瀾)


重信房子出所はもっと大きく取り上げれると思っていたのですが今更日本赤軍ではないのかなぁ。時間程おそろしい物はないなぁ。

心配な夢が

むかし話なお。

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 母にも妻にもとほき地獄に薄陽さしわれらの葵色の乳暈(にゆううん)   (塚本邦雄:水銀傳説)


見た夢が心配です。
ビジネスシーンでつかうキャスター付きの椅子が、なぜか3つつがっているひとつに座ったpithecantroupusは、
陥穽に設置された段のない螺旋階段、つまり陥穽の中で螺旋を描く急坂を滑り落ちて、
これから地獄に行くという夢でした。

急坂を滑り落ちながら『地獄行きということは死ぬのかぁ』と突然気づくのでした。

アナ

きのうのつづきです。

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NHK”読むらじる”に「くらしのアナキズム」(ミシマ社)を書いた文化人類学者松村圭一郎インタビュー記事があって、かれが鶴見俊輔を引用していた部分を孫引きして、

 思想家の鶴見俊輔さんが、アナキズムについて定義しているんですけども、アナキズムというのは「権力による強制なしに人間がたがいに助けあって生きてゆくことを理想とする思想」とおっしゃっています。何となく私たちは、秩序というのは、国家のような大きなものが作ってくれる、誰かが秩序を用意してくれると思ったり、あるいはそういう大きな力が失われてしまうと、混乱してしまう、無秩序になってしまうと捉えていると思うんです。でもむしろ、「自分たちで秩序っていうのは作り出せるんだ。普通の人がくらしの中で隣の人と一緒に作り出していくんだ」という視点から、この本ではアナキズムというものを捉えたんですね。

このごろ倫理感が老化しつつあるpithecantroupusはアナキーに憧れの気持ちが強くなっていますが、pithecantroupusのアナキズムに”破壊”は欠かせないのですけれど。

 憲法第一千條の餘白には國滅びてののちの論功   (塚本邦雄:汨羅變)

右翼てふつばさ

先月に白馬のむかし写真を貼ったのこり物はなぜか妻籠でした。帰途に寄道したようです。

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今月初めに2回にわたって引用した石原慎太郎のインタビュー記事からまた引用します。
対談の相手は精神科医でもある斎藤環筑波大教授です。

石原——僕と同世代の作家で三島さんに強烈なコンプレックスを持ったのは大江だよ。だからあえて僕の前で、「日本は西欧の周辺国です」なんてことをくり返して言うんだね。・・・もう一つ江藤の死に対する発言だけは許せないね。「ああいう死に方をするのは脳梗塞で倒れてリハビリしている人たちに失礼だ」なんて、そんなことを死んだ人間に対して言うメンタリティは、本当に情けないよ。・・・あいつは沈黙ということのイミがわからなくなったんだね。
斎藤——ある種の天才的な「愚かさ」がある方だとは思いますね。
石原——いや、彼も頭のいい男ですよ。それにとても政治的なところもある。江藤はそれをいちばん嫌っていたけどね。ただ、僕にはよくわからないけれども、何か不思議なコンプレックスがあって、・・・
斎藤——それは相当あると思いますよ。大江さんは、紛うことなき分裂気質の作家でしょう。私が「愚かさ」があると言いましたのも、それがあるゆえに自己イメージを超えた作品が書ける人だと思うからです。三島由紀夫ほどは自己演出されませんし。・・・


石原の追悼でアップされた記事だったのですが、
きのうテロを書いたので大江健三郎が気になって引用しました。

まだ六月ではありませんが。
 右翼てふつばさあらむに水無月のなにを今歌ひ惑ふことある   (塚本邦雄:不變律)

どんより

またゴミ箱の底からひと月前の写真でお茶を濁します。

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dg elmarit 200mm 2.8
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7artisan 50mm 0.95
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7artisan 50mm 0.95

先日穂村弘から引用したのは「テロ」という言葉に引っかかったからです。
村上龍が、テロを非難しつつも、

 若年層の間でテロが具体的に話題にならないのは、ほとんどの若者が本気で変化を望んでいないからではないだろうか。
(今の若者は上の世代が実力で社会を変えるのを見ていないが、歴史から学ぶことはできるにもかかわらず)変化の必要性が叫ばれ続けている割には、誰も変化を望んでいない。それが現在の閉塞感の源ではないかと思う。(「テロという選択肢」)

歳をとると脳の一部が青年期以前に戻るのか、pithecantroupusもアナーキーになりつつあります。


 どくだみ刈るやルカ敎會の横丁がどんよりとして革命的なり   (塚本邦雄:波瀾)

血液銀行へ

むかしのアルバムから引き剝がしてペタ!
先日の飛騨金山のつづきです。

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pinterestを見ていたら「O型の特徴」という画像があって、次のように書いてありました。

 嫌なことも寝たら忘れ
 考えるよりも行動し
 熱しやすく冷めやすく
 まわりが見えなくて
 計画を立てても
 その通りにいかず
 いつもギリギリまで
 やろうとしない
 うっかりミスが多いのに
 変なことは覚えていて
 意外とプライドが高く
 現実的なのが
 真のO型


pithecantroupusは寝なくても忘れるけどなぁ。
でも大体当たっているかな。いつもギリギリまでやろうとしないなんてピッタリ。


 血液銀行への道たづねたるのみの無緣の處女(をとめ)、瑠璃と名告(なの)りき   (塚本邦雄:詩魂玲瓏)

うかうかとわすれ

ひと月前の写真をゴミ箱の底から拾いましたので、ホコリをパンパン払って。

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laowa 25mm 0.95

歌人の穂村弘の読書日記が連載されているサイト(『本から顔をあげると、夜が』)から引用します。

 図書館の外にある椅子で、『テロリストのパラソル』(藤原伊織)を読んでいたら、作中に短歌が出てきて、おっと思う。
  殺むるときもかくなすらむかテロリスト蒼きパラソルくるくる回すよ
 テロリストが楽しそうに蒼いパラソルを回している、人を殺す時もこんなふうにするのだろうか、というほどの意味だろう。・・・小説などの中に短歌が出てくると嬉しいのは、知っている街やお店が出てくると嬉しいのと同じ理由かもしれない。つまり、短歌というジャンルは、歌人である自分が住んでいる街みたいなものか。
 ・・・日本のミステリーには、しばしばわらべ歌や短歌が登場する。謎めいた言葉の中に事件を解く鍵が隠されているのだ。


 雨霞雨霞(うかうか)と書きて萬葉假名ならむ 蝙蝠傘(かうもり)をまたおきわすれ來つ   (塚本邦雄:獻身)

熟るる五月

場所は飛騨金山だったと写真が言っているのですが記憶にございません。(笑)
14年ぐらいむかしであったとこれも写真が言ってます。

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きのう、おとついと言葉のことを書いたので。
 鷗外は「だつた」を嫌ひ「であつた」を選びき 茘枝熟るる五月   (塚本邦雄:風雅黙示錄)

羞とは、はじ/はじる/はずかしく思う/すすめるなどの意味

毎日同じような写真ばかりでわれながら消沈していますが、ほかにないので。

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きのう言葉のことを書いたので、別のところ(「本の窓」)から言葉の違和感の話を引用します。(若松英輔「学びと勉強」)

 足掛け四年勤務した大学を辞めた。・・・
 それは、今日の大学教育に関する根本的な違和感で、それを象徴するのが「人材」という一語だった。国際的な人材、優秀な人材、独創的な人材など、「人間」ではなく、「人材」という言葉が、文字通り跋扈していた。
・・・大学以外でも人材という言葉は用いられている。ことさらに騒ぐ必要はないではないか、という意見もあるかもしれない。・・・

 しかし、教育機関が追究するのは、利益でもなければ生産性でもない。人間の可能性である。そして、このときの「人間」は、個人を意味するだけでなく、人と人の間を含意する「人間」でもあるはずだ。自分だけのことを考えるのではなく、自分以外の他者と共にどう生きていくのか。こうした問いを根底に据え、さまざまな研究を行うのが「大学」という場所だろう。・・・「人材」という言葉の背後には、材料のように代わりはいくらでもいるという空気がある。(「光であることば」より)


渦中では考えることもなかったけれど、そこから離れて10年もたつと悔悟ばかりです。
恥ずかしさにじっと座っていられません。横断歩道の真ん中でスッポンポンで立っているような。

羞恥の羞で、
 檸檬(レモン)割いて唾あふるるを羞(やさ)しめりこの友わが手もて殺さずば   (塚本邦雄:靑き菊の主題)

ねがうのは贅沢なのか

季節感に欠けるむかしなつかし写真がつづいたので、むかしでも季節感のある写真を撮ってたよという証明を。

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テレビで「コロナがおさまる」という音に「収まる」という漢字のテロップが出て気になりました。
言葉では毎度お世話になっているNHK放送文化研究所のサイトへ行ったら、「おさまる」の替りに「しゅうそく」が載ってました。
収束と終息の違いが解説されていて分かりやすかったのですが、もうひとつすっきりはしませんでした。

”終”で、
 終末を視むてふねがひ過差(くわさ)にして昨日(きぞ)西方に海芋咲きたり   (塚本邦雄:されど遊星)

同じような写真ばかり

なお答志島。なお郷愁。なお恍惚。

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先日上田義彦を引用した写真新世紀サイトで、これもまた好きな写真家柴田敏雄のインタビューから、

 まず世界的な趨勢のお話として、どの展覧会を見ても、同じような写真ばかりが展示されるようになってしまったと思うんですね。たとえば、ベッヒャー系のトーマス・ルフやアンドレアス・グルスキーの作品なのかなと思ってクレジットを見てみると、作家は違う人だった、ということが多いのです。つまり、いくつかの確立された分野があって、そこにあてはまるものしか出てきていないという印象がある・・・

AIでますます写真のワンパターン化が進むような気がします。pithecantroupusもlightroomでプリセットに頼っていては先は暗いなぁ。
インタビューの終わりに彼が『どこにでもあるようなものを被写体にしても、新しい写真は撮れるんじゃないでしょうか。』と言った言葉を励みにします。

”同”で、
 同牀のダヴィデ否とよはつなつは負(ふ)の電流のはしる半身   (塚本邦雄:星餐圖)

渇いて候

ブログの開設以前に撮ったことは確かですが、ブログの過去記事で使った写真かもしれません。
RAW現像は最新(きょう)ですから広い心で大目に見てほしい。(汗)

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港千尋「写真という出来事 クロニクル1988-1994」(河出書房新社)にチェコの写真家クーデルカの言葉が引用されていました。

・・・「どうしてこんなに黒いのか」という質問に対し、「それほど黒いとは思わない。チェコにいた時は今よりずっと硬いプリントを作っていた。写真家が人生の流れのなかで、そのプリントの調子を変えてゆくのは自然なことだと思うよ」と答え、「良い写真とは時が経てば経つほど良くなる写真のことだ」と言う。

同じ写真でも「人生の流れのなかで、そのプリントの調子を変えてゆくのは自然なこと」という言葉を信じて、むかしブログに使った写真でも許してください。
アッジェもアボットが焼き直したから巨匠になったに違いありません。


 渇いて候 夏百日の遠景に眞紅のチェッコスロヴァキアの變   (塚本邦雄:黄金律)

むかし答志で

花ばかり続いているので、むかしむかしを。
むかしむかしおじいさんは島へいったとさ。せまい路地をうろうろして怪しまれたとさ。

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 潮騒の絕ゆるは夢の沖にしてくろがねの漁夫われを越えたり   (塚本邦雄:摩多羅調)

さむき花季

残りものなり。

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nokton 60mm 0.95
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m.zuiko 20mm 1.4
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nokton 60mm 0.95

 傳道館うらの濕路につくりばな散りゐき 街はさむき花季(はなどき)   (塚本邦雄:透明文法)

ケシも

シャクヤク撮りに行ってケシ。

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helios 85mm 1.5
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laowa 4mm fisheye
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helios 85mm 1.5

写真家上田義彦が言ってました。

(質問者) 数々の作品を手がけられていらっしゃいますが、シャッターを押す瞬間というのは、どのような感じなのでしょうか?

(上田)自分の眼と身体が喜んでいる、その瞬間に思わずシャッターを押しているようです。多摩美で教えている学生たちには、ガンマンが早撃ちでドンと撃つように、それを「From the Hip」と呼ぶのですが、撮るときは一切考えないで撮る、選ぶときに徹底的に考えよう、と口を酸っぱく言っています。自分の考えなどに追いつかれる前に撮ってしまえということです。考えている間に奇跡の瞬間はどこかに消えて無くなってしまいますから。写真新世紀インタビュー

「奇跡の瞬間」はどこにあったのかなぁ。
いつも考えずに撮っているけど、それは写真を撮る以外も同じ。何か考えるなんてもう無理だから。(笑)

 
 罌粟抱くわが聖母なりたましひの岸浸さるる夕暮にして   (塚本邦雄:歌集未収録)

雑草だけど

きょうも変り映えなしです。らしく、雑草とシャクヤク。

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laowa 25mm 0.95
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helios 85mm 1.5

 父の日の空の錫色父にしろ望んで生まれて來たのではない   (塚本邦雄:魔王)


テレビが山梨県の行方不明になった女児のニュースを流してましたが、画面には、その子のお誕生日のホームビデオが映し出されました。今日が誕生日だそうですが、テレビは何と残酷なことをするのでしょうか。

やうにきしむ

変り映えしないけど。

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helios 85mm 1.5
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helios 85mm 1.5
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laowa 4mm fisheye

きのうにひきつづき「八日物語」中の「透明文法」未収録歌で、
忘られし軍歌また彈かされるとき、柩のやうにきしむセロたち   (塚本邦雄:八日物語中「透明文法」未収録)

雑草好き

きのうのシャクヤク畑、なお。雑草も好きですよ。

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helios 85mm 1.5
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laowa 25mm 0.95
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laowa 25mm 0.95

 五月、そのにほへる夜はいつよりか人坐らせぬ電氣椅子錆び   (塚本邦雄:八日物語(おくためろん)中「透明文法」未収録)

シャクヤク畑ふたたび

先日行ったばかりのシャクヤク畑へまた友人が誘ってくれましたが、いつものアマノジャクの虫が。

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m.zuiko 60mm macro
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ttartisan 25mm
茶の新芽です。茶に黒いシートをかけて渋味を抑える「かぶせ茶」の生産が盛んです。
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m.zuiko 60mm macro

 芍藥の蒼き蕾の百莖ぞ糶(せ)らる きみ神隠しにあはば   (塚本邦雄:閑雅空間)

立夏さむく

残りものにも賞味期限があると思うのでいそいでアップ。

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7artisan 50mm
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7artisan 50mm

 水眠るべしや立夏の初夜(そや)さむく一枚の齒のいたみを鎭め   (塚本邦雄:されど遊星)

五月乾ける

花ばかり続くのでむかしの亀山市坂本棚田の写真で「何撮ってるの」。
フレーミングもピントもコントラストも、いったいどこがよくてシャッターを切ったのかと思うのですが。

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きのうのつづきから石原慎太郎と斎藤精神科医の対談の一部を引用します。

斎藤——・・・モノマニーがないとおっしゃいましたが、全般的に病気が軽症化してきているんですね。つまり、昔は芦原将軍のような、ものすごい狂気をもった人がいたわけですが、三十年くらい前から、あらゆる狂気が軽症化しつつあると言われるようになりました。とりわけ妄想については、昔は壮大な妄想体系を構築する患者がいたわけですが、今はほとんどいない。
・・・狂気の総量は変わらないんですが、個人に凝縮しなくなったという印象です。
石原——この頃の若い人は、作家にしても恐くないからね。僕と同じ世代の物書きは恐がられていましたよ。・・・僕のあと、開高健、大江健三郎、小田実なんかが出てきたことで、それはやはり恐がられたわけです。あの頃は、高見順が言った「時代と一緒に寝る」という、時代の変化の中で作家としての新しいシンシャリティーがあったんですよね。
 けれども、いまはもう文壇もなくなってしまって、サラリーマンの社会と同じでつまらんね。だからこそ、「こいつ恐いな」と思わせるような新人に出てきてほしいけれど、二十五年も政界にいて、その間に若い人の作品で「なかなかだな」と思って、書き手として意識したのは村上龍ぐらいだったね。


 五月乾ける癲狂院にカナリアの孵るは死するよりいたいたし   (塚本邦雄:日本人靈歌)

医書は遺書

在庫不足につき一枚だけで。

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dg elmarit 200mm

先日、石原慎太郎の記事を引用したので、また別の記事から引用します。
20年以上前に石原が精神科医の斎藤環とした対談だそうです。(週刊朝日別冊「小説トリッパー2001年秋季号)

斎藤——ドイツの精神科医クレッチマーによると、・・・要するに人間の気質というのは「分裂気質・てんかん気質・循環気質」の三つに分類されるんですね。つまり、分裂気質は分裂病で、てんかん気質はてんかん、循環というのは躁うつ病に対応するんですが、これは田中真紀子さんの発言での「軍人・凡人・変人」と見事に対応しているんですよ。変人が分裂気質、軍人がてんかん気質、凡人が循環気質になる。石原さんについては軍人、イコール、てんかん気質というカテゴライズですが、これは中心気質とも言います。失礼ながら表現する人には稀な気質を持っていらっしゃるのではないかと。・・・ただ、てんかん気質といっても非常に幅が広い。

と分析しています。斎藤が『「中心気質」というものがあって、ちょうど子どもの天衣無縫にして純真爛漫な心性が大人になっても維持されている』と続けて、同じ気質に北野武や長嶋茂雄がいると指摘すると、石原は『僕は江藤淳から「おまえは無意識過剰だ」と指摘されたことがある』と応じて、医学的な駆使した分析ではありませんが石原本人も納得して話が進んでいるようです。

 月光の書肆に少女らむらがりて醫書探す不吉なるみのりかな   (塚本邦雄:水銀傳説)

ケシ畑に

シャクヤクを撮りにいって罌粟を撮ってきた件。

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s.nokton 29mm
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m.zuiko 20mm
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s.nokton 29mm

 罌粟畑に葱まじりつつ實りをり死するまで處女なりける老婆   (塚本邦雄:綠色研究)

うつつなきある日

棚田を撮りに行ったはずですがいつものごとく雑草ばかりのpithecantroupus。へそ曲がり!

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dg elmarit 200mm
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dg elmarit 200mm
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7artisan 50mm
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dg elmarit 200mm

立夏だそうです。もう夏だなんて、ちょっと早すぎる気がするのですが。
 立夏過ぎたる亂(らう)がはしさやうつつなきある日ドミンゴの「衣裳をつけろ」   (塚本邦雄:波瀾)

悦ぶふりして

ご近所にシャクヤク畑があって季節には人出を目当てにテントも張られますが今年は来週からのようです。
まだ蕾の多い畑をきのう覗いてきました。

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s.nokton 29mm
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s.nokton 29mm
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m.zuiko 20mm

 芍藥切つてよりはや二十日(はつか) 遠方の祝言悅ぶふりして十日   (塚本邦雄:約翰傅偽書)

あきてあつ

劣化した脳で撮ったと分かります。

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7artisan 50mm
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7artisan 50mm
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7artisan 50mm

 写真家川内倫子があるところで、「『自分のカラーはなんだろう』と試行錯誤していた時期、35mmから4×5、中判でもハッセル、ローライ、ブロニカ、マミヤなど、様々な種類のカメラを試しました。そのなかで相性が良かったのが、ローライフレックスです。ビジュアルも可愛いですし(笑)、その時代にローライを使っている人は見当たらなかったので、個性を出しやすいかなとも思いました。もともとローライに出会う前も、レンズは柔らかいものを選んでいたし、シャープなものよりもソフトに映るものを好んでいました」と言ってました。

そういえば写真家の誰かが言った「デジタルの二眼レフが欲しい」にpithecantroupusもはげしく同意します。

二眼レフの”眼”で、マスクの奥でポカンと口を開けてるpithecantroupusの自画像。
 眼帶の奥に目あきてあつき飯啖(くら)ふ 母さへ革命ねがふ   (塚本邦雄:水銀傳説)

昨日の今日

新しく撮った写真が何を撮ってるのか分からんのに比べてむかしの写真はテーマが明快な気がします。
おつむの劣化が進んでいるとしか思えません。

まず最新版。
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7artisan 50mm
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nokton 60mm

むかしむかしの方はこれ。
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メーデーのニュースをあまり見かけなかったのはこちらのアンテナが低くなったのか、折れてしまったのか、どちら。
 五月祭(メーデー)昨日の今日をめし屋に酢蓮食ふ顏赭き群、痕跡無し   (塚本邦雄:日本人靈歌)

あとをたち

10年以上も前から進歩なしの証明写真。

きのう亀山市坂本で。
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7artisans 50mm
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7artisans 50mm
10ウン年前坂本で。
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うみがめのスープという遊びがあることを知りました。
ある男が、とある海の見えるレストランで「ウミガメのスープ」を注文した。
スープを一口飲んだ男は、それが本物の「ウミガメのスープ」であることを確認し、勘定を済ませて帰宅した後、自殺した。一体、なぜ?


ネット検索するとよく知られた話らしいのですが、『水平思考』などと名をつけたり、自己啓発的な意味付けには違和感を感じます。単に面白がっていればそれですむ話だと思うのです。

うみがめのスープの答は、
むかし仲間と一緒に海で遭難し無人島に漂着した男が、食料が無くなって力尽きて死んだ仲間の肉を「ウミガメのスープ」と騙されて飲んで生き延びることができたが、港へ戻った男はレストランで飲んだ「本物のウミガメのスープ」とかつて自分が飲んだスープの味が違うことから真相を悟り、絶望のあまり自ら命を絶った。

 昭和盡きむとしつつ花冷え靑葉寒(あおばざむ)朗々の歌あとを絕ちたる   (塚本邦雄:不變律)