五月乾ける

花ばかり続くのでむかしの亀山市坂本棚田の写真で「何撮ってるの」。
フレーミングもピントもコントラストも、いったいどこがよくてシャッターを切ったのかと思うのですが。

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きのうのつづきから石原慎太郎と斎藤精神科医の対談の一部を引用します。

斎藤——・・・モノマニーがないとおっしゃいましたが、全般的に病気が軽症化してきているんですね。つまり、昔は芦原将軍のような、ものすごい狂気をもった人がいたわけですが、三十年くらい前から、あらゆる狂気が軽症化しつつあると言われるようになりました。とりわけ妄想については、昔は壮大な妄想体系を構築する患者がいたわけですが、今はほとんどいない。
・・・狂気の総量は変わらないんですが、個人に凝縮しなくなったという印象です。
石原——この頃の若い人は、作家にしても恐くないからね。僕と同じ世代の物書きは恐がられていましたよ。・・・僕のあと、開高健、大江健三郎、小田実なんかが出てきたことで、それはやはり恐がられたわけです。あの頃は、高見順が言った「時代と一緒に寝る」という、時代の変化の中で作家としての新しいシンシャリティーがあったんですよね。
 けれども、いまはもう文壇もなくなってしまって、サラリーマンの社会と同じでつまらんね。だからこそ、「こいつ恐いな」と思わせるような新人に出てきてほしいけれど、二十五年も政界にいて、その間に若い人の作品で「なかなかだな」と思って、書き手として意識したのは村上龍ぐらいだったね。


 五月乾ける癲狂院にカナリアの孵るは死するよりいたいたし   (塚本邦雄:日本人靈歌)

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