2021/01/30
きのうは数か月ぶりの野暮用でした。
昼休みにこっそり撮った写真をアップしてみたものの、我が家の庭で撮った雑草写真とちっとも変わらなかったので、きょうこそは花を目論んだのですが、花の盛りはもう終わってました。
nokton 60mm 0.95
先日知っていること知らないことについて引用しましたが、きょうは写真家石川直樹の言葉を、
このごろ、時間について考えることが多かったんです。たとえば昨年2020年は、コロナ禍のために無為に消費されていく時間がたくさんありました。若い頃は時間が流れるのが遅く、年齢を重ねるにつれてどんどん時間が矢のように過ぎ去っていくのはなぜなのか。心理学的にもそう言われているようですが、実感としてもそうですよね。子どもの頃は、一年が早かったなあ、なんていう感慨はなかったので。赤ちゃんの頃は、いろいろなことに日々驚いて、手で触ったり、投げたり、舐めたり、いろいろなことをしながら世界を知覚しています。そのように世界と向き合っていたら、一日が早く過ぎ去るなんてことはない。
子どもたちにとっては多くのことが初めての経験だったりして、それは羨ましくもあり、できれば歳をとっても初めて出会う世界として目の前の風景を認識できたらいいなあ、と思うことがあります。むしろそうでなければ、あらゆることに反応できなくなってしまうし、シャッターも切れなくなってしまいますので、常にいろいろなことに驚いていたい。
そのためには「知っているつもり」にならないようにしたい、と心がけています。知っているつもりになって、いろいろなものを切り捨てていっちゃうと、何も反応もしないまま時間が過ぎ去って、いつのまにか年老いて、写真も撮れないし、つまらないなあと。
僕は、自分が出会ったときの驚きや反応でシャッターを切っています。それは山へ行ったときも都市でも人物を撮影するときでも、変わりません。どんどん変化していく東京も、人間が作りだしてきた風景であり、極めて人工的な環境です。それを拒絶するのではなく、受け入れるというか、ひたすらしつこく見続けることが必要ですね。見続けながら、言葉にならない出会いや発見を繰り返し、知ってるつもりにならずに世界を知覚し、どうにかシャッターを切り続けたいと思います。(Real Sound
写真家・石川直樹が見つめる、”東京”の変化 「いまこの写真集を出すことに意味があると思った」より)
「知ってるつもり」になると、写真は撮れなくなってしまうそうです。東日本大震災を理由に大きな写真賞授賞式を欠席した人らしいと思いました。
われら知らぬ濃き愛の日日つぐなふと囚徒らの脚險しく細し (塚本邦雄:水銀傳説)