いきのこるかに

先日ふれた松岡正剛千夜千冊の三島由紀夫「絹と明察」文中に、誤植を見つけてひとりよろこんでいるpithecantroupus。暗いなぁ。
藤井王座は大逆転。でもわざと相手のミスを誘っているような。

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みんなのミシマガジン連載の下西風澄「文学の中の生命」第13回(「戦争のさなかに踊ること─ヘミングウェイ『蝶々と戦車』」)から。
 筆者は戦争を考えるときヘミングウェイ『蝶々と戦車』という短編を思い出すそうです。スペイン内戦中にあったという酔っ払った客ががふざけて水鉄砲を撃っていたら本物の銃に撃たれて死んでしまう話です。

 極度の緊張とストレスのなかで、すべてが戦争の空気に包まれている。深刻な世界の状況に自らも深刻になるのではなく、それに反論するのでもなく、ただふわふわと蝶々のように浮遊して踊ること。それが水鉄砲の男がしたことだった。・・・
本当に恐れるべきは、権力でも反乱でもない。僕たちが真に恐れなければならないのは、思考や振る舞いの単純化と硬直化である。・・・水鉄砲の男はまさにその一様なる力に殺された。

 誰もが同じ方向を見ているときに、一人ただ別の風景を見ようとすること。それこそが真なる抵抗ではないか。賛成であれ反対であれ、一様なる振る舞いほど権力にとって利用しやすいものはない。不安と、矛盾を許せない心は不可避的に単純化する。僕たちは、それがいかに脆弱なものであろうと、逡巡を抱えた複雑な心、その結果として生まれる、わけのわからないふざけた行為、愚行、逸脱。これを許容して維持していくことが必要だ。真面目だからといって真摯であるとは限らず、愚行だからといって真剣でないとは限らない。水鉄砲の男は本気で愚かなダンスを踊ったのだから。



  曼珠沙華われひとり生き殘るかに  (塚本邦雄:流露帖)


わつとばかり

きのうの写真の植物はパイナップルリリーだそうです。また一つ賢くなったぁ。
お昼ごはんついでに写真に誘ってくれた友人に敬意を表してヒガンバナも。

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三重県松阪にある有名な駅弁屋さんから届いたメールマガジンに、「ChatGPTに聞いてみた」という記事がありました。(駅弁のあら竹- 第37回 令和6年9月29日

読むと、例のごときChatGPTの話なのですが今更のように思ったのは、「正しそうなウソ」をエビデンスもなく自信をもって答えること。
それって実在する誰かさんと同じだなぁと。


 わつとばかり曼珠沙華 われ一人だに殺せぬ論敵をあはれまむ   (塚本邦雄:魔王)

老いきはまり

2か月ぶりにお昼ごはんついでに写真。カンが戻りません。
ヒガンバナ目的でしたが、いつもの通り、よそ見してました。

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写真家の印象は最初に見た写真に引きずられるようです。
細江英公の写真を初めて見たのは、父のカメラ雑誌の口絵にのった「おとこと女」のヌード。その隣に土門拳のトラの敷皮に座る女性のヒップがありました。pithecantroupusが8歳の時でした。

 曼珠沙華うすべにに老いきはまれり   (塚本邦雄:燦爛)

とこしえにわらべ

新総裁が決まったそうです。安倍色が一番強い彼女にならずに済んでホッとしました。

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奈良原一高と松岡正剛の対談でさまざまな写真家の名が出てくるのに、細江英公が出てこないのは不思議でした。「薔薇荊」は松岡が好きそうな写真集ですし、奈良原の写真の構想力の高さは細江に共通してましたから。

しかし細江の土門拳のシッポを残したプリントは奈良原の正反対だし、松岡の千夜千冊に三島は「絹と明察」という作品一つだけです。

細江英公の写真について、岩波「日本の写真家 31」冒頭で飯沢耕太郎が書いていました。

 彼の作品の舞台設定は、見る者の度肝を扱く奇抜なものであり、モデルたちは写真家の思惑など無視して勝手に動き回っているように見える。それはむしろ狂暴なエネルギーの噴出を封じこめた、脆くも美しい器を思わせる。

 彼の写真は、言葉の本来の意味における演劇的想像力の産物である。写真という劇場に呼び寄せられたモデルたちを、細江はたぐいまれな演出家としての才能で自在に操り、その配置を定めていく。
 ただし、このドラマには、あらかじめ与えられた脚本や演出プランはない。・・・見る者の予想を裏切り、次に何が出てくるかわからないスリリングな状況を設定していくことにこそ、彼の演劇的想像力が最大限に発揮されているともいえるだろう。



 永久(とこしへ)に童女 子を生(な)し燦爛と老ゆる十六夜の曼球沙華   (塚本邦雄:燦花帖)

せいしじよう

細江英公が亡くなったニュースを朝刊記事(朝日新聞デジタル)で知ってびっくり。
亡くなったニュースが配信されたのが昨日の夕方なのに、テレビのニュースでもネットのニュースでも気づかされることなし。
文化功労者だったはずですが、やはり死ぬには遅すぎたのでしょうか。

奈良に飽きて富岡製糸場むかしむかし。

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三省堂の今は廃刊になったPR誌「ぶっくれっと」(NO.136号)の巻頭エッセイ林望「我慢の限界」から。
筆者は『このごろは著しく「小言力」がついてきた』と言って、「あげる」という補助動詞の用法をあげています。

 お年寄に向って、「肩でももんであげましょう」という風に言うのが正しい使用法で、自分の子供に向って「これ、買ってあげようか」というのは、本来的には、ちょっとおかしい。けれども、お母さんの言葉遣いとしては、まず良いことにしよう。
 またここに、幼い兄弟がいたとして、その弟に向っていうときは、母親は「お兄ちゃんに代わってあげなさい」といい、兄に向っては「○○ちゃんに代わってやりなさい」というのが正しいのだが、兄弟の何れに対しても「代わってあげなさい」というのは、認めてもいいと思うのである。

 が、最近、これはどうにもならぬ、我慢の限界を越えるという用法に遭遇した。それは、さる民放テレビのお料理番組で、まだ年若い女の先生が、シャケのホイル焼きのようなものを作ると言って、「このホイルの端のところから、二重にしっかりと『折ってあげてください』」
 私はつくづく情けないと思った。相手が人間であれば、「あげる」を単なる丁寧語として用いて構わないとはいうものの、しかし、この場合その折るという行為の相手は「アルミホイル」である。こうなると、明らかに、言葉としての限界を越えるのであって、これは明らかな「誤用」である。百歩譲って、犬や猫について「抱いててあげて」というような言い方も、これはペットに疑似的人格を与えるということで許容しよう。しかし、アルミホイルだの、シャケの切り身だのに、なにかをして「あげて」はいけない。

そして筆者は『所詮多勢に無勢、いくら小言力を発揮してもどうにもなるまい』と溜め息をついてます。


 天領をましぐらに美しき後家    (塚本邦雄:燦爛)

置いて去り

奈良県御所市なお。

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きのう村上由鶴のPOPEYE連載「おとといまでのわたしのための写真論」から引用したので、その最新記事「正しさよりも優れていること」から。
記事はパリオリンピックの話から、「正しい現実」を伝える写真と「優れたイメージ」を伝える写真について述べています。

彼女は、Instagramに載るイギリス人写真家Geoff Loweの写真が印象深いと言います。それは合成によって1枚の写真のなかに同じ競技に取り組む複数のアスリートを配置したりして、一般的なスポーツ写真とは異なるそうです。
報道スポーツ写真は、世界一を競うアスリートの超人的な姿を正しい現実として撮ることが目指されているが、Geoff Loweの写真は「正しい現実」よりも「優れたイメージ」を提示することを目指していると。
そして、それはかのレニ・リーフェンシュタールの撮影態度と同じだと言います。
村上由鶴はこのあとスーザン・ソンタグも引用して、Geoff Loweの写真にはファシズム的美学があり、それはオリンピック自体が内包するものと分析しています。そのうえで、次のように結論しています。

Geoff Loweはおそらくこれらの写真でソンタグが批判するようなファシズム的なものを賛美するつもりはないでしょう。でも、「優れた身体」を賛美する大会として存続してきたオリンピックを撮った写真が、正しいことよりも美的に優れていることを追求しているように見えることは、イメージを見ることがもたらす「すげー」という感動に、知性のブレーキが全くかからない、現在の写真(や映像)をめぐる環境を指し示しているのかもしれません。


 麥落雁一函(ひとはこ)置いて去りしとぞ刺し違へむと思ひける過去   (塚本邦雄:不變律)

言ふべからず

朝からつけっぱなしの民放TVがいつもの”エンタメ”番組を中断して津波注意報のニュースを流したので、NHKの”朝イチ”にしたらのんびりといつものごとくのような放送中。NHKは使命感がないのかと。

きのうのつづきですが、場所は奈良県御所市だったと今日の写真がいってます。
自転車好き!

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雑誌POPEYEのサイトに「おとといまでのわたしのための写真論」を連載している村上由鶴が、「写真新世紀」と「1_WALL」が終了したことを残念がっていました(写真をめぐる「・・・で?」の壁と「写真賞」)。その中で、

写真のギョーカイにおけるコンペやアワードは・・・一方で強調したいのが、鑑賞者を導くものとして、わたしを含め多くの人の写真を見ることへの入り口を作ってきたという面です。

というのも、写真作品の良し悪しについての判断は言語外の超個人的な「なんかいいよね〜」に頼っている部分がとても大きい。たとえば、美術館で見る高名な写真家の作品であっても、日常性の高すぎる身の回りのものを写した写真だと「・・・で?」ってなっちゃって、なんっにも感じられないことってちょこちょこあります。ってゆうか、ちょこちょこどころか「・・・で?」系の写真って多すぎる。

・・・「じゃあ写真を見るってなにを見ればいいわけ!?」 と、そんな戸惑いに応えてくれるもののひとつとして、コンペやアワードはあります。

と書いていました。『日常性の高すぎる身の回りのものを写した写真』というのは森山大道や須田一政のような写真かな。アンドレ・ケルテスはないよねぇ。


 皿の鮎一尾の胸にいざよひの月の色 老いを言ふべからず   (塚本邦雄:魔王)

夢たちて

神戸と平福に飽きて同じころに撮った大和盆地のどこかの写真で。葛城あたりとは思うのですが。

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 稀に來てわれと見放(みさ)くる新月の明(あか)かりし夢絕ちて生きよ   (塚本邦雄:摩󠄁多羅調󠄁)

沁むこと

平福へ行った日の神戸辺りの写真で。

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昨日も引用した「写真の時間」で奈良原があげた写真家は、
木村伊兵衛 ダイアン・アーバス ドアノー アンセル・アダムス ロバート・フランク リー・フリードランダー ウィノグラント アベドン ラルティーグ ビル・ブラント 土門拳 エドワード・ウェストン アボット 石元泰博 マーガレット・バークホワイトと、
松岡から問われて、好きな作家はアジェ、ブラッサイ、ラルティーグ、アンドレ・ケルテス、ビル・ブラント、ウィン・バロック、アンセル・アダムス、ダイアン・アーバスと応えています。
一方、松岡があげた写真家は、 内藤正敏 横須賀功光 大辻清司 森永純 北代省三  ヘルムート・ニュートン ギイ・ブルダン 山崎博 荒木経惟 篠山紀信 マン・レイ。
大辻清司と横須賀功光あたりなら奈良原と並べても許すけど。

 なまきずに周防言葉の沁むことよ    (塚本邦雄:燦爛)

いくたび白露くぐり

まだ暑いです。北陸の雨が心配ですが、水のある風景ですみません。

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きのうの奈良原の話なお。
奈良原は対談の初めから『写真家がしゃべるというのは何か変なもんですよね。(笑)』と言い、言葉へ警戒感をもっているようです。それを、

もともと言葉の分野というのは、ぼくが写真を撮っている時の状態とはぜんぜんちがう世界みたいなものでしょう。・・・
・・・言葉で考えるっていうのはなにかちがう穴の中に入っていくみたいな感じがする。切りつめて四捨五入している。だからあんまり言葉って信じてないですよ。思いようでどうにでも言える気がする。
写真というのは「そこに立つ」ということにすくなくとも犯し難いものがあって、なにかに向かっているという感じはある・・・これは写真が言葉にならない感情の正確さをぼくたちに植えつけてしまったためかもしれない、音楽みたいにね。
叫びみたいな言葉とかつぶやくような肉声はよくわかるんだけど。もんだ&ブラザーズも「ダンシング・オールナイト」で歌っていますね、「言葉にすれば嘘に染まる」ってね。(笑)


対談相手の松岡正剛が、よくしゃべる写真家もいると名前をあげるのですが、たとえ有名でも奈良原に並ぶような写真撮ってない人の名をあげるなんて。この本の松岡にはがっかり。


 かりがねやいくたび白露くぐりたる    (塚本邦雄:流露帖)

あまねし

むかし、女性の裸で陰毛はスミ塗されていたけど、あれは公序良俗に反するという道徳観の反映でした。あの知事の顔もマジックで消さなくていいのかなぁ。テレビに大写しにされると気持ち悪いけど。
官僚時代の経験が(たかりやパワハラといった)自分を正当化する根拠になっている、というニュースショウの橋下氏に納得しました。

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奈良原一高と松岡正剛の対談「写真の時間」は1981年3月の発行ですが、奈良原は一貫して写真のことを話そうとするのに、松岡は彼を言葉、文字に引きずり込もうとむなしい努力をするので、最後まで歯車がずれています。

奈良原が、
角田忠信さんが書いた『日本人の脳』を読むと、脳の右半球が音楽とかイメージとかそういう感覚を司どっていて、左半球の脳が言語的思考ですね。言ってみれば左の脳がデジタル的で、右の脳がアナログ的というようなことが示されているんですけれど、結局写真家というのはやっぱり世界を担える手続きから言えばアナログ的だとおもうんですよ。
というとき、
今年6月にNHKで放送された「フロンティア あなたの中に眠る天才脳」の話を思い出します。
番組中で出てきたジェレミー・チャップマン博士が、『一般的に、左半球は言語などの機能をつかさどり、右半球はより創造的な、芸術や音楽の才能などをつかさどっているとされています。右半球が活性化されているということは、右半球にある能力が開花していると考えられます。右半球の働きが強ければ強いほど、驚異的な才能を発揮する可能性が高まるのです。』と言ってました。


 旱天の牝牛死に絕え乳あまねし   (塚本邦雄:斷絃のための七十句)

喜劇ににつつ

まだ平福。

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 すぎゆきは喜劇に肖つつ水のあき   (塚本邦雄:靑菫帖)


言葉いまだし

藤井王座の連勝だそうです。
素人のpithecantroupusは、一年前の王座戦は藤井王座の負け戦を永瀬九段が失着した印象を持ったのですが、一年たったら藤井王座の圧勝になったと感じました。強いなぁ。

本日も数で勝負ということで。
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文化庁の令和5年度「国語に関する世論調査」結果がニュースになっていました。
さくっ、もふもふ、まったり、がっつり、きゅんきゅん、ふわっ、ごりごりといったオノマトペが意外に支持されていると感じました。
pithecantroupusは亀仙人のパフパフも調査対象にして欲しかったなぁ。
なお、ローマ字表記の調査結果には、小学校で勉強してこんだのかい。

そんなニュースのつづきで、クマのニュースになったら、「(クマの)気配が増えている」というテロップが出て、「?」。
さっそく、気配が「増す」「濃くなる」「深まる」を検索しましたが、期待した結果は得られませんでした。
濃淡だとおもうけどなぁ。

 言葉いまだし言葉いまだしわが舌に晚熟の梨とろりと甘し   (塚本邦雄:花劇)

『なぜ』ってところから物語が生まれる(村山由佳)

平福スクエアで。

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「村山由佳/朴慶南『私たちの近現代史 女性とマイノリティの100年』(集英社新書)を佐高 信さんが読む」という短文を読んで、今更に穂積五一という人が気になってwikiで検索しました。
佐高の文では『アジアからの研修生の拘束契約に反対して食を断ち、亡くなった。』となってますがwikiには肺炎と。
断食から肺炎に至ったのかと検索すると、日刊ゲンダイのサイトで「「愛国という名の亡国」安田浩一著/河出新書」の書評に佐高と同じことが書いてありました。

ところが今度は、日刊ゲンダイの記事から小池都知事の過去が気になってきます。
終わりません。

 いじめ殺されしカナリヤ下手人の晴々とさむき唄身にあびて   (塚本邦雄:歌集未収録の自筆歌稿帖1955年)

蓼の花うるさし

平福なお。数で勝負!

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母は強いなぁ。クマを蹴り上げるなんて。
しかもそのあと赤ちゃんを抱いて走って逃げることができたなんて、足も速いんだ。
クマに出会ったら走ってはいけませんなどという知恵はとっさには出ないもの。

 父は外樣大名蓼の花うるさし   (塚本邦雄:甘露)

なにゆゑに

逃走した大型犬が自ら戻ったそうです。散歩に行っただけかも。楽しかっただろうなぁ。

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塚本邦雄は緑色が好きだったと息子の靑史が言ってました。
 萬綠の毒の綠靑なにゆゑにどの山もみな男名前か   (塚本邦雄:汨羅變)

曳白

因幡街道の宿場町平福(兵庫県)へ行ったようです。記憶は怪しいけど智頭急行に乗っていきました。

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奈良原が「写真の時間」の中で松岡に言っていました。

話は少し変わるけど、ジョン・ハーシェルという天文学者がいますね。あの人はネガとかポジとかいう言葉を最初に言い出した人で、タルボットなんかと友達でもあったんですが、彼が「フォトグラフィ」という言葉の語源を作ったといわれている。当時タルポットは「フォトジェニック・トロ̃-イング」という言葉で自分の写真のことを呼んでいて、ハーシュエルは「フォトグラフト・ドローイング」のほうが妥当なんじゃないかと言って、それで「フォトグラフィ」の諸原はハーシェルだということになったらしい。

本題ではない話ですが、本を読んでいて面白いのはこんな知識に出会うこと。本屋さんも同じだけど、思ってもいないものに出会うのは楽しいです。アマゾンにはない楽しさ。

カメラがほこりをかぶってます。
 曳白(えいはく)や土藏の闇のすみれいろ   (塚本邦雄:燦爛)

稿に朱

むかし一度だけ灘へ行ったようです。お酒も飲めないのに。
酒蔵へ行く代わりに小磯良平の記念館。

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9人が9人とも夢を語る。大言壮語されるほどに言葉が軽くなる気がします。GDPがインドに抜かれ、インドネシアに抜かれ、ドイツイギリスに再び抜かれる日本にどのような未来があるのかを聞きたいのに。

 葛切苦(にが)し死者の歌稿に朱を入れて    (塚本邦雄:甘露)

ひまなく

よその国の大統領選挙だから無責任に面白い。

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中公新書ラクレ『ChatGPTは世界をどう変えるのか』を書いた著者が自書を紹介してました。(佐藤一郎【『ChatGPTは世界をどう変えるのか』執筆ノート】

さらに生成AIには偏り(バイアス)の問題もあります。例えばChatGPTの場合、リベラル寄りの文章を生成するという指摘があります。これはChatGPTを構築・運用するOpenAIは誹謗中傷を含む文章の生成を避けるために、学習対象となる文章から誹謗中傷の表現を含む文章を外したといわれます。それはリベラルではない方々が書いた文章には誹謗中傷の表現が比較的多く、その結果、リベラルではない文章の学習が減ったためと推測されています。

バイアスがかかっているとは気がつきませんでした。
著者は、生成AIでステルスマーケティングも起こりえるし、強権的国家が国民を国家にとって好都合の情報空間に閉じ込められることも可能といいます。
彼は、福沢諭吉の「信の世界に偽詐多く、疑の世界に真理多し」を引用していました。

餘花は春に遅れて咲く花。特におそ咲きの桜だそうですので、季節が間違ってますが、
 他人の死欺かむほどの閑(ひま)もなく市長吿別式餘花の空   (塚本邦雄:魔王)

二歩隔つ

あの知事は台風が来るのをまっているのかな。天災がくれば一挙に逆転。

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奈良原一高と松岡正剛の対談「写真の時間」から、また引用。
奈良原の発言からpithecantroupusの好きな犬が出てくるくだりを。

ダイアシ・アーバスが昔、犬の話をしたことがあるんです。毎日彼女のところを訪れては彼女の顔を見上げる犬がいたんですね。あんまり毎日来るので彼女もだんだん親しみを感じてとうとうその犬の写真を撮った。そんな話をワークショップでしたらそこに来ていたフランスの若い男が、彼女に犬はなぜ毎日ダイアンの所に来たか知っているかとたずねるんですよ。彼女がわからないというと、その男は「犬は写真が撮れないからだ」ってね。みんな大笑いしたけど彼は大真面目で「ダイアンは写真の中で犬に会えるけど、犬はダイアンの写真を撮れないから実物に会うしかないではないか」。

 彗星やつゆけき妻に二歩隔つ   (塚本邦雄:燦爛)

よみがえる

余裕がなくてつまらん写真だけどペタッ。

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新聞読んで、ドイツの大家族犯罪というものがあることを初めて知りました。
国家の法律よりも家族のきずなを優先して犯罪行為に走るものだそうで、移民を中心に根強く広がっているとか。
移民の母国では、家族が絶対的価値の根源という文化だそうで、西欧の民主主義とは相いれない。

移民問題についてちょっと考えさせられる以上に、そのニュースが何と遠いところにあるのかが気になるpithecantroupus。


 父の父の父の父はいかなる乳を欲し(ほ)りしたか憎しみが蘇る   (塚本邦雄:樹映交感)

人のはたらく日に

ここは山の辺の道と写真が言ってます。

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 人のはたらく日に手をつかねゐることもさびし生簀(いけす)に斜(ななめ)にさす陽   (塚本邦雄:魔王)

いくたびくぐる

マンネリです。目先をくらますにはネコ!

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昨日が「白露」だったそうで、
 かりがねやいくたび白露くぐりたる   (塚本邦雄:流露帖)

一人消ゆまた一人消ゆ

湿度は下がったけど日差しは強い日。あれやこれやの雑用の日でも。

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 「松蟲」の始め終りにありありと男一人消ゆまた一人消ゆ    (塚本邦雄:玲瓏)

政党の領袖のニュースばかりですが、ニュースが様々な人を取り上げていくほどに日本が貧しく見えてきます。
イギリスの前首相はインド系、アメリカの大統領候補はジャマイカ系かつインド系。オリンピックでも開催国フランスの人種の多様性が印象的でした。うらやましいと思いました。

忘却の技術

一昨日からの写真は、10年ほど以前に行った東京小金井、江戸東京たてもの園の焼き直し。今日も。

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 秋や星のしづくしろがねわが生に亡(う)せたる歌と生(あ)れ出でし歌   (塚本邦雄:波瀾)


きのうの奈良原一高のつづきも。もとは「写真の時間」(プラネタリー・ブックス 18)です。

それで自分のメモリーというものを、結局、写真というものの科学的な記憶にインプットしていく。記憶の部分を機械に代行させているようで、自分の記憶はどんどん消していく。
たとえば一回シャッター切りますとどうしてもその時のイメージが頭に残りますよね。しかしそれが頭の中から消えないと次のシャッターの鮮度は落ちて生き生きした写真は撮れないわけです。
言ってみれば記憶の中のイメージの消去作用というか、それはどんどんカメラの暗黒の中へ注ぎ込んで消してしまうというメカニズムが備わってないとダメなんです。

たえずフレッシュな感覚で次のものを受けとめられるという、そういう意味では写真撮影は「忘れる」という才能を育てたとおもうんですよ。写真は「忘却の技術」なんです。


忘却の技術とはいかにもpithecantroupusにふさわしい。でもその技術を使いこなす前に、脳が先に忘却するけど。

すでに斜塔

ちょっとウツ。

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 壯年すでに斜塔のごとし百日紅   (塚本邦雄:甘露)

きのう引用した本の他の部分から奈良原一高の発言を。文の校訂ミスもそのままですが。

 もともとぼくはすごく記憶力が悪い。また数学が不得手だ。もともとそうだったのが写真を撮りだしてからさらにひどくなったみたいな気がする。
 どうしてかと考えたんだけれども、写真を撮る時はたしかにコンセプトとかは前提として必要なんですが、頭を半分カラにしていないとタメだとおもうんですよ。そういう空白の部分をもっていないと、対象に起こった情報を受けとめるその受容性がない。
 「それ!」「ハッ!」と間髪入れずに注そそぎ込むもの、対象のエネルギーを吸いとるような吸血鬼的な空白がないとダメ。写真家が元気なのは対象のそのエネルギーで充電する太陽電池つきなんだから。


pithecantroupusも記憶力が悪く数学も苦手だけど、才能はその部分とは関係ないのかなぁ。

ぎょうぎょうし

先日亡くなった松岡正剛が奈良原一高と対談していたと知って、松岡の出していた雑誌「遊」の叢書シリーズの一冊を買いました。
期待通りの内容でした。

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本の中から、奈良原が関心があって見知ってもいるというダイアン・アーバスについて語った部分を。

現代作家の場合うまいへたというのは一概に決めるわけにいかないんですよ。
そりゃあアンセル・アダムスなんかの写真(プリント)見りゃ文句なしにうまいですよ。ファイン・フォトグラフィーという感じである。しかし、本来焼きというものは伝達への具体的な手がかりですから、その作家の作品の内容的要求にも基いて、マッチした条件がいいわけですよね。ですからダイアン・アーバスのプリントはダイアン白身が焼いたものがまず決定的ですね。

ダイアンのネガからいくらアンセルがアンセル流にビューティフルに焼いたってどうしようもない。ダイアンの写真にはダイアンのプリントの調子というものが生まれながらにありますからね。アンセルのプリントは清明な大気感のある、どらかというと冷黒調の印画でしょう。ダイアンはボルトリーガというアグファの温黒調の印画紙を好んで使い、人間の世界の体温や、淀みを感じさせる印画だ。

・・・プリントのその原形というのは作家の身体の中から生まれて来るのだという感じだから、プリントする瞬間の気まぐれにも支配されるのですよ。天気とか湿度とか、腹時計の具合とか、やはりこれも松岡流にいうと気の一種ですか。



 水かがみかがめばほろぶ行々子   (塚本邦雄:殘花帖)

行行子(ぎょうぎょうし)が鳥の名前とは知りませんでした。それで、よくも引用する厚顔のpithecantroupus。

懈怠たぬし

台風が行ったら秋空どころか蒸し蒸しとした日です。

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学校の先生が足りないそうです。ロボットに置き換えられず海外からの労働力にも期待できない仕事なら当然でしょうか。

以前の記事で、「昭和百年、つまり2025年には労働力が激減する。」という話を書きました。
もとになった人口問題研究所が1940年公表した文を社人研のアーカイブで検索すると、発足したばかりの研究所はイギリスなどで19世紀から蓄積されたデータをもとに昭和百年を予測したようです。

今後さらに進行する我が国の労働力激減の予兆が、今の教員不足だったと、将来記憶されるかも。


 懈怠(けたい)たぬし銅色のたつのおとしご   (塚本邦雄:燦爛)

ランゲルハンス島

毎日、TVに文句を垂れているのは老人。

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NHKのニュースでアナウンサーが「すい島細胞」といい、字幕まで「すい島細胞」と出て、いつから世の中は変わったのだろうと思ったpithecantroupus。
「ランゲルハンス島」は常識の知識と思っていたけれど、最近は学校の教科書もどんどん変わっているから、いつのまにか常識ではなくなったのかしらん。

一方で世間の常識にはうといpithecantroupusは、TVニュースでアナウンサーが「グリ下仲間」と言ったのが理解できず、ネット検索に頼りました。
道頓堀のグリコのネオンサインの下とはとても気づきませんでした。

秋だけど、目がかすむ。目ヤニで。
 まつひとの睫毛やあはれ夏がすみ   (塚本邦雄:斷絃のための七十句)

めくるめく餞

台風でなくなった途端に進路が消えて分からない。これからくるはずだったのに。

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新聞の記事をスクラップしたつもりが見つかりません。こんなときブログの記事があって助かります。


 人に老(おい)てふげにめくるめく餞別(はなむけ)をたまひて神は既に死す   (塚本邦雄:陽帝領)