2024/09/30
いきのこるかに
先日ふれた松岡正剛千夜千冊の三島由紀夫「絹と明察」文中に、誤植を見つけてひとりよろこんでいるpithecantroupus。暗いなぁ。藤井王座は大逆転。でもわざと相手のミスを誘っているような。
みんなのミシマガジン連載の下西風澄「文学の中の生命」第13回(「戦争のさなかに踊ること─ヘミングウェイ『蝶々と戦車』」)から。
筆者は戦争を考えるときヘミングウェイ『蝶々と戦車』という短編を思い出すそうです。スペイン内戦中にあったという酔っ払った客ががふざけて水鉄砲を撃っていたら本物の銃に撃たれて死んでしまう話です。
極度の緊張とストレスのなかで、すべてが戦争の空気に包まれている。深刻な世界の状況に自らも深刻になるのではなく、それに反論するのでもなく、ただふわふわと蝶々のように浮遊して踊ること。それが水鉄砲の男がしたことだった。・・・
本当に恐れるべきは、権力でも反乱でもない。僕たちが真に恐れなければならないのは、思考や振る舞いの単純化と硬直化である。・・・水鉄砲の男はまさにその一様なる力に殺された。
誰もが同じ方向を見ているときに、一人ただ別の風景を見ようとすること。それこそが真なる抵抗ではないか。賛成であれ反対であれ、一様なる振る舞いほど権力にとって利用しやすいものはない。不安と、矛盾を許せない心は不可避的に単純化する。僕たちは、それがいかに脆弱なものであろうと、逡巡を抱えた複雑な心、その結果として生まれる、わけのわからないふざけた行為、愚行、逸脱。これを許容して維持していくことが必要だ。真面目だからといって真摯であるとは限らず、愚行だからといって真剣でないとは限らない。水鉄砲の男は本気で愚かなダンスを踊ったのだから。
曼珠沙華われひとり生き殘るかに (塚本邦雄:流露帖)