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ビーチサイドの人魚姫
俊樹

2019年9月Nikon D700で一眼レフデビュー。カメラは独学。2020年4月、Nikon D810へアップグレード。いつか写真展を開く為、日々精進。勿論、詩、小説、エッセイ、作詞は継続中。2021年夏、Nikon Z7Ⅱへと更にアップグレード。2022年10月、3回目の心臓手術に耐え抜き現在に至る。2023年8月ペースメーカー植え込み。

さと子の日記(課題図書)。

2018年10月25日
出版・書籍 17
さと子の日記


 本書『さと子の日記』は、静岡県浜松市に在った『ひくまの出版』から1982年に刊行された闘病記である。累計100万部を超えるベストセラーとなり課題図書にも選定されているため、既にご存知の方も多いのではないだろうか。
 先天性胆道閉鎖症のため、14歳の若さでこの世を去った著者が小学校入学の時期から死の直前までを書き綴った日記を書籍として纏め出版されたものである。その日記は私も嘗て過ごした事のある『静岡県立天竜養護学校』とそこに隣接する『国立療養所・天竜荘(現・天竜病院)』が舞台となっている。
 著者のさと子さんが生まれた時代(1966)には先天性胆道閉鎖症に対する根治療法の確立は無く不治の病とされており、彼女自身も肝硬変で絶命する事となった。本書を読み進めている内に、私も随分とお世話になった、社会科の沢田先生や国語の久保田先生たちとのやり取りが登場し、思わずその場にいるかのような臨場感を抱いたものである。
 彼女は1966年8月5日、静岡県榛原郡金谷町(現・島田市「私の故郷である藤枝市の隣町」)に生まれた。生後二ヶ月目には余命3ヶ月を宣告されていたという。親は我が子の命を助けるため、藁にもすがる思いであらゆる病院の門を叩いたが、何処の医者からも同じ言葉が返って来るだけであった。そして親戚から紹介された日本大学板橋病院にて、90%助からないと言われながらも最初の手術を受けた(当時の彼女は僅か7ヶ月であった)が、病態はあまり改善せず、4歳の時に再度手術を試みた。
 その2度目の手術が功を奏し大幅に落ち込んでいた体力も回復し1974年、静岡県立天竜養護学校に1年遅れで入学する事となり、治療ではなく通学の為の入院生活がスタートした。彼女自身が記す日記は小学1年の4月18日から始まっているが、小学6年の後半以降は肝機能障害に伴う病状が悪化し、中学1年の入学式は病床で迎える事となった。
 そして最期、1982年12月18日(中1)、14歳4ヶ月で彼女は帰らぬ人となってしまった。病状が悪化して以降も日記は滞りがちではあったが、中学1年の6月18日まで日記を綴っており、死の直前である12月に入ってからも、手の震えがとまれば年賀状を書くのだと最期の最期まで生きる希望を失っていなかった彼女の前向きな姿勢に、私はこうして文を認めていても感情移入してしまい涙が溢れ出して止まらない。
 入退院、通院を繰り返しながら養護学校に通う彼女であったが、学校や病院での日々の生活を日記に綴りながら、『生きること』を真正面から捉えるそのひたむきな姿は、病で苦しむ多くの人々を心から勇気づけたに違いない。そして彼女が本当の最期に発した言葉は「お母さん、手を握っていて…」だった。それはおそらく生まれた時から死を拒み続けて来た彼女の心の奥底から発した生きる事への執念だったのかも知れない。

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俊樹
この記事を書いた人: 俊樹
本名/神戸俊樹
静岡県藤枝市出身。
19歳の時に受けた心臓手術を切っ掛けに20歳から詩を書き始める。
2005年3月詩集天国の地図を文芸社より出版、全国デビューを果たす。
うつ病回復をきっかけに詩の創作を再開。
長編小説「届かなかった僕の歌」三部作(幼少編・養護学校編・青春編)父を主人公にした(番外編)を現在執筆中。
詩、小説、エッセイ、作詞など幅広く創作。
2019年9月、一眼レフデビュー。Nikon D700を使用。
2020年4月、Nikon D810にアップグレード。
2021年夏、ミラーレス一眼 Z7Ⅱへと更にアップグレード。
2022年10月3度目となる心臓手術を受け、大成功を収める。
2023年8月徐脈性心房細動で心停止(失神)したため、ペースメーカーを植え込む。

コメント17件

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ささげくん

心の奥底から発した生きる事への執念

>そして彼女が本当の最期に発した言葉は「お母さん、手を握っていて…」だった。それはおそらく生まれた時から死を拒み続けて来た彼女の心の奥底から発した生きる事への執念だったのかも知れない。

〇心の奥底から発した生きる事への執念、とはどういうものか、「お母さん、手を握っていて…」、その表現、感動させました。
 草々

2018年10月25日 (木) 11:04

ネリム

こんばんは
さと子さん大変だったんですね。

2018年10月25日 (木) 18:23

ふたごパンダ

こんばんは♪

お母さん、手を握っていて…
には涙が出ます。
精一杯生きた人の生きたかった気持ちを
私も真剣に受け止めて日々過ごしたいです。

2018年10月25日 (木) 20:13

koyuri

全く、この本の存在を知りませんでした

医学の進歩によって救われた人は多いですね。

それでも、まだ若くして病魔によって亡くなる方は多いですが、せめて中年以降まではより多くの人に生きていて欲しいですね。

2018年10月25日 (木) 22:24

yokoblueplanet

「お母さん、手を握っていて…」

こんばんは。
特攻隊員や前線での兵隊さんたちの最後の言葉がお母さんだったと云う話をよく耳にしました。
「お母さん、手を握っていて…」は最も根元的な安心感の表現ですね。
胸が詰まります。
俊樹さんのお母さんの手を握る人はいたのか、、、美しい表情を見ながら、考えずにはいられませんでした。

2018年10月26日 (金) 13:50

みけ

「さと子の日記」
俊樹さんによると
累計100万部を超えるベストセラーとなり課題図書にも選定されてるとか。

全く知らずでした(;゚Д゚)

14歳の若さで この世を去るまで。
その小さな身体と心に持つ荷物は
あまりにも重い気がしました。

今度 本屋さんに行った時
探してみようかなと思います。

2018年10月26日 (金) 15:31

G&G

こんにちは。
これ、少年の頃、たしか読んだ記憶があります。
課題図書に認定されてますよね。
感情移入してしまい、涙が止まらなかったのを、
憶えています。

2018年10月26日 (金) 16:50

よしお

こんばんは

闘病記ですか。
つらいでしょうねぇ~(>。<)

2018年10月27日 (土) 18:34

sado jo

身障者にせよ難病と闘っている人にせよ、健康な人が考えられないほどの強い意志で努力しながら生きてるんです。
だから、だだ可哀想とか同情して泣きましたじゃなくて、命を振り絞って生きている姿を見て心に焼き付けて欲しい。
その生き様を記憶に残して欲しい…そして生命の尊さを感じて欲しいと思います。

2018年10月27日 (土) 20:37

雪野繭

私のところでも2年前、親戚で中学生の子が15歳で亡くなりました。
葬儀会場は学生服一色の悲しいお葬式でした。
若い人が亡くなると、辛いですね。

2018年10月29日 (月) 17:35

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2018年10月30日 (火) 15:35

June

神戸様。
いつも、お世話になっております。
初めてコメントをさせていただきます。

私も「さと子の日記」読みました。
出版当時、妹が購入して、それを読みました。
年齢的にも近いので、今でも、物凄く印象に残っている本です。
「生きる」ということが、どれだけ大変で大切な事なのか、当時この本から教えていただいた様に思います。
彼女の命日、今日ですね。
改めて、生きる事の重さを考えることができました。

2018年12月18日 (火) 03:51

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2018年12月18日 (火) 15:29

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2018年12月19日 (水) 15:34

原木

秘密

ある大きな秘密がこの本には隠されています。

2018年12月30日 (日) 10:36

原木

ぼくの人生観が変わりました。仰天しました。感動しました。

2019年01月03日 (木) 00:10

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2019年01月03日 (木) 14:53