外食はいつも病気と隣り合わせ。
元日の初日の出を拝み忘れていたので、それは丁度よいタイミングだった。1月2日、青い海のように果てしなく続く空と、そして連立するビル群の隙間から差し込む陽射しが眩しい。天を仰ぎながら、眩い輝きを放つ神に一礼する。
例年同様、今年も川崎市在住の友人と秋葉原にある居酒屋『天狗』で新年会を兼ねた会食。男二人だけの新年会は寂しいものではあるが、彼とは養護学校時代からの知り合いで、40年以上に渡り自分の家族よりも長い付き合いとなる。
相手の長所・短所そして人生の浮き沈みまでお互いに知り尽くしており、気心の知れた間柄で、おそらくこの関係は命のある限り続いて行くのだろう。長いようで短い人生において、このような喜怒哀楽を分かち合える友人に巡り合えた事は運が良かったとつくづく思う。
付き合った友人が悪かったため、酒に溺れ人生の歯車を狂わせてしまった父のように、人生を大きく踏み外してしまう人も多い。その点私は友人に恵まれており、波乱万丈な人生ではあるが、それでも様々な障害を乗り越えて今に至る。病気もその一つであるが、その病気によって助けられている部分も少なからず存在する。
厳しい食事制限のある中で、私にとっての外食は自分の病状を左右する極めてリスクの高いギャンブルのようなものである。だから料理の品を選ぶ時はどうしても慎重にならざるをえない。それには外食の前日から体調を整える必要があり、出来るだけ空腹の状態にしておき、水分はギリギリまで控える。
そうやって外食と言う大きなリスクの伴うイベントに臨むのである。そんな事までして何が楽しいのか?料理を心底美味しく味わう事が出来るのか?と言った疑問を抱く人もいるだろう。然し、厳しい制限があるからこそ、一つ一つの料理が色鮮やかに際立って来るのである。ビールやサワーなどのアルコール飲料も同じ事が言える。
1日1リットルしか許されないのであれば、出来る限り好きな物を飲みたいと思う。勿論、身体を労るのは当然であるが、許容範囲内で妥協するのである。外食はいつも病気と隣合わせだが、私にとってはスポーツと同じだと思っている。