娘のカレーは母親ゆずり?
昨年12月上旬の事、娘が約1週間ほど私の所に滞在する機会があった。子どもと一緒に数日を過ごすのは離婚して以来7年振りとなるため、若干緊張したがやはり嬉しいものである。
私の部屋は狭く、シングルベッドが置いてあるので、誰かが泊まりに来ても寝るスペースを確保するのが難しい。狭いながらも楽しい我が家(古過ぎて知らないか)ではないが、それでも収納スペースは意外と広く、2階がロフトになっているためそこに就寝してもらう事にした。
私が12月を意外と元気に乗り切ることが出来たのは、やはり愛猫タラの時と同じで、最愛の娘と同じ屋根の下で過ごせたことが大きな要因となっているのは言うまでもない。離婚を二度も経験しているので偉そうなことは言えないのだが、家族に恵まれなかった子ども時代を振り返ると、如何に家族の大切さや必要性が身に染みて分かるのである。
親にとって子どもは自分の分身だから、娘や息子の姿を通して自分自身を見詰め直すことが出来る。父親として自分は十分過ぎるほどの愛情を子どもに注いで来ただろうか?子どもたちは親の意外な部分を鮮明に覚えていたりするもので、「え!そんなことあった?」などと言う会話も少なくない。
「今日の夕飯はカレーを作るからこれ買って来て」そう言って渡された紙切れに、ニンジン・パプリカ・玉ねぎ・キノコ・鶏むね肉・茄子・牛乳の文字が無造作に書かれてあった。「パプリカって何?」「ピーマンみたいな野菜で赤とか黄色の」「ジャガイモは?」「私、ジャガイモ嫌いだから」こんな会話をした後に近くのスーパー『アコレ』まで買い出しに出掛けた。
娘が作ってくれる料理を食べるのは初めてだったので、「母親の味に似ているだろう」と思っていたが、それは全く見当外れで、食材の段階で既に母親のそれとは異なっていた。狭いキッチンにブツブツ文句を言いつつも、手際よく野菜の皮を剥きサクサクと包丁を入れて行く。私は娘の後ろでその様子を感心しながら見詰めていた。
業務用の大きな鍋にカットした野菜などを入れ、油で炒める。立ち上る白い湯気の中に家族の温もりが見える気がした。水を少し加えた後に牛乳を500㏄入れる。「私、牛乳をたっぷり入れたクリーミーなカレーが好きだから」「ふーん、そうなんだ…」。それはまさしく母親のものでなく娘オリジナルのチキンカレーであった。
気の利いた食器があればもう少し美味しく見えるのだが、男の一人暮らしだから、100均で買った安っぽい食器しかない。娘と向かい合わせに座り、小さなテーブルに並んだカレーを見て食事は一人より二人、二人より三人…、そうやって家族で囲んで食べるのが何よりの幸せだとつくづく思った。
甘口のカレーが、娘の優しさを代弁しているかのように口の中一杯に拡がり、身体中が娘とそして家族の味に充たされて行くようだった。