息子の落語披露と40年越しの謝罪。
今年5月の下旬に差し掛かった頃、静岡に居る息子の勇樹から安否確認を兼ねた連絡が入った。「父さん、どう調子は?」あまり体調が芳しくない時だったので「うーん、今一つ元気が出ないんだ…」と言葉を濁らした。「そうなの?7月に落語を演るから観に来てよ」「えぇ!そうなのか?」。
昨年の4月に記事として紹介済みの『オペレッタ・赤ずきんちゃん』を最後にステージには立たないと聞いていたのだが、今回は息子が経営するパソコンサロン『ゆうらくの森』が開設5週年を迎える為、それにあやかってワンマンショーをやると言う。そしてなんと落語を演じると言うではないか。これはやはり父親としてなんとしてでも観に行かなくてならないと思い万全の体調でその日を迎える為、早速コンディションの調整に入った。
そして迎えた7月22日、体重も安全圏の62キロ台を維持。この位の体重であれば階段を上ってもさほど息切れもしないし病気を意識しないで済むから実に有り難い。車窓から望む景色を愉しむため、敢えて各駅停車の新幹線『こだま』に乗り込んだ。時間に余裕を持って少し早めに静岡駅に到着。自分が住んでいた20代の頃と比べれば駅も大きく様変わりし、昔の面影は殆ど残っていない。だが、やはり故郷である。連立するビルの谷間を行き交う人々や、走り行く車の往来、景色や空気までもが自分を迎え入れてくれているようで、日記のページをめくるように沢山の想い出が一気に溢れ出して来た。
駅北口の10番線から会場となっている『アイセル21』行きの循環バスに乗り込む。忙しない都会の東京とは大違いで、バスは約20キロほどのゆったりした速度で駿府城のお堀周りをまるで馬車のように揺れながら走る。観光バスに乗った気分でお堀の石垣を見詰めていた。
目的地には開場30分前に到着。1階のラウンジに入ると既に数十人の人が開場を待っていた。開場13時30分になりホールの赤い扉が開く。それを待って人の波がホールに吸い込まれて行く。私はよく見えるようにと最前列の右端に席を設けた。次々と入場して来る観客たち。ホールは300人を収容出来、市民のイベントによく利用されているらしい。用意された席もほぼ埋まり後は開演を待つだけとなった頃、一人の中年女性がスタッフに促され最前列の左席に座った。
その女性の方に視線を投げると何処か見覚えのある顔だった。そう、それは紛れもなく息子の母親であった。その瞬間、時が止まり記憶が数十年前へと一気に遡る。ゆみ子と出会った時、彼女はまだ17歳だった。しかしどんなに時を経てもその当時の面影は鮮明に残っている。そんな彼女の事に心を奪われている事も知らずステージには着物姿の息子が登場していた。
落語を多くの人に聞かせる訳だからそれなりの出来栄えでなければならないが、着物姿のそれは既に真打ち『ゆうらく亭 勇楽』を名乗る落語家そのものであった。演目はさぁさぁお立ち会い!でお馴染みの『蝦蟇の油 口上』で幕を開けた。
会場は静寂に包まれ、皆が息子の落語に耳を傾ける。時折漏れる笑い声に誘われ私も笑みを浮かべる。蝦蟇の油は約15分ほどで終了し、それに続いて小話が2つ。地元のネタや都民ファーストなどの流行語などを交えての粋な話に会場は大爆笑に包まれる。そして約10分の休憩を挟み、本日の主題である『竹の水仙』が始まった。この落語は名人として名高い大工・左甚五郎を主人公とした噺である。
時間にして約30分、休む間もなく一気に噺を進める息子、ステージ上のその姿の迫力に圧倒されっぱなしの会場だった。演目が終わり最後に息子を中心として観客全員が集合し記念撮影。ホールを出る人々と握手・御礼を交わし、笑顔を絶やさない息子の額からは汗が滝のように流れ落ちていた。そして殆どの人が帰った後、漸く親子の時間が訪れる。そして思いもよらぬサプライズが待っていたのである。
帰り支度をしている息子の母親に女性スタッフが声を掛け、父親が来ていることを告げたらしい。そして半ば強引に息子と立ち話をしている私の所に連れて来た。見詰め合う私とゆみ子、「40年ぶりだね…」それはほぼ同時に二人の口から零れた。私はゆみ子の元に歩み寄り両手で彼女の肩を抱いた。そして彼女の耳元で小さく「ごめんね…」と呟いた。
その様子を見ていた女性スタッフが思わず「お母さん、泣いちゃう…」と言葉を漏らした。その時の彼女の大きな瞳には海のように溢れんばかりの涙で一杯だったのかも知れない。それは初めて耳にした私からの40年越しの謝罪だったから…。
そしてスッタフに促されながら親子3人でカメラの前に立った。こんな日が来ることを一体誰が予想出来ただろうか…。この時、一番嬉しく感無量だったのは息子の勇樹だった事は言うまでもない。30数年経って漸く手に入れた親子3人の記念写真だったのだから…。
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