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ビーチサイドの人魚姫

俊樹

2019年9月Nikon D700で一眼レフデビュー。カメラは独学。2020年4月、Nikon D810へアップグレード。いつか写真展を開く為、日々精進。勿論、詩、小説、エッセイ、作詞は継続中。2021年夏、Nikon Z7Ⅱへと更にアップグレード。2022年10月、3回目の心臓手術に耐え抜き現在に至る。2023年8月ペースメーカー植え込み。

 貧困は、時に子どもの心を傷つける。わたしはそれを子ども時代にうんざりするほど味わって来た。昭和30年代にクリスマスプレゼントの慣習が日本に存在したか知らないし、記憶として残ってもいないが、唯一それらしい出来事を今になって思い出す。 泥酔しきった父が真っ赤な顔をして「とし坊、土産」と差し出した小さな白い箱の中身は、酒臭いイチゴのショートケーキだった。 わたしはそれが嬉しくてたまらず、涙を浮かべなが...

 ハロウィンを分かり易く説明すれば、日本でいうお盆。宗教が変わっても、霊に対する慈しみは変わらない。日本の場合は玄関に砂をまいておくと、帰って来たご先祖さまたちの足跡が残ると言う。まあこれはわたしの住んでいた藤枝の風習だったが。 仏壇のある家は竹を二本用意して飾りを付け、茄子やきゅうりに割り箸を刺して、動物に例える。そしておはぎやら果物、飲み物を供え精霊たちが道に迷わないように迎え火を焚く。 日本...

 そんな訳ありません。心臓病のわたしがボクサーになれる訳がないですよね。このボクシンググローブ、実はわたしの父の形見の一つでした。  父がボクサーだった訳ではなく、父(極道)の舎弟分がバンタム級のプロボクサーだったんです。その彼が練習用に父に預けた物です。  父は喧嘩がかなり強かったので、殴り方などよく教えてくれました(いじめの記事を参照)。街中で昼間から喧嘩に借り出されることしばしば。揉め事を収め...

 2005年10月、綿菓子を溶かしたような白い秋の雨が降りそぼる頃だった。東京都済生会中央病院に、中央聖書教会の牧師「石原先生」が入院しておられたので、早速お見舞いに行った。小雨の中、傘も指さずオーバーヒート気味のわたしの身体には丁度よい冷たさだった。 わたしの場合、多少の雨であれば傘を指さない。雨に濡れるのが好きな少し変わった所がある。雨も天の恵みに変わりなく、わたしにとっては心地良かった。 術...

 わたしが散髪によく行っていた理髪店が店内改装だった為、数十年振りに美容院へ行った。20代の頃は美容院で髪をカットしてもらっていたが、この歳になって美容院へ行くのもと思ったが、良さそうな理髪店が思い浮かばず、立ち寄ったのが瑞江駅ビル内にある美容院だった。 担当は「望月君」と言ってまだ30そこそこの若者だった。 「5月に新聞社のインタビューを受けるから恰好よくカットしてよ」などと言う会話を交えながら...

 1945年(昭和20年)1月9日、神戸信夫(父13歳)は、自宅近くにある蓮正寺の境内で日向ぼっこを楽しんでいた。 戦時中の正月がどのようなものであったか定かではないが、食料の配給下では満足に腹を充たす事など皆無ではなかったかと思う。 藤枝では有数の資産家だった神戸家にとって見れば、戦争の影響による衣食住に困窮する事は全く無かったが、家族二人が南方へと出兵し帰らぬ人となっている。この二人の戦死は後...

 人類最大の過ちが広島を一瞬にして焼き払った原子爆弾が投下されてから、今年で67年という歳月が流れた。 実際に原爆の犠牲者となった人たちは大量の放射能に晒されながら、現在でも生存しておられる方々も年々少なくなって来ているのが現状である。 あの日雲一つない快晴の空に銀色のB29が悪魔を連れて飛来した。広島市の朝はいつもと変わらず平常通りの通勤風景や一日の始まりに、忙しい朝を迎えていた。  夏休みを満...