回答(10件)

連合艦隊司令部の意図は「とにかく死んでこい」だったのですよ。昭和天皇は特攻隊の報告を受け、「飛行機ばかりなのか。軍艦は無いのか」と言った。そう言われた海軍は大和を出さざるを得なくなったのです。

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あなた様の勘違いです 当時20機の護衛戦闘機が派遣されています 12時、任務時間が終わったから帰っちゃいました 交替の戦闘機隊が到着した時には沈没していました これが真相です

燃料の問題を度外視しても、九州の基地から飛んで行っての護衛という話なら、99%不可能。もしやろうとすれば、膨大の数の零戦と空戦の出来る搭乗員が必要(特攻隊の搭乗員は、大半が何とか操縦できるレベル)。 また、敵の攻撃(航空機による攻撃だけでなく、潜水艦の脅威もある)で右往左往する大和の位置を、零戦隊に正確に伝える複数の観測機と無線機等、伝達手段の完備も全軍に必要です。 九州→沖縄間は、約700km。この間、大和周辺に常時50機の零戦を貼り付けておこうと思えば、九州からひっきりなしに交代の零戦を飛ばし続けることになります。 距離が近いうちはいいですが、500km離れれば、零戦の巡航速度で1時間半以上、700kmでは2時間以上かかります。 そして、遠距離になればなる程、大和周辺に留まれる時間は短くなる。 大和を本気で航空護衛しようと思えば、周辺に零戦だけを搭載した空母を何隻も配置するしかありません。 まず、2~3隻では足りないでしょう。少なくとも5~6隻。 それを取り巻く巡洋艦、駆逐艦も大量に必要。 如何に大和の航空護衛が、実現困難だったかという話になると思います。

大和自体が生還を期さない特攻だからです。少数の護衛機を出しても犠牲者を増やすだけです。

まぁ、先の解答にもあるように最大限努力したんですよ、でも大和以下第二艦隊の出撃は敵艦隊の目を第二艦隊に集めて航空特攻の突入を容易にするという部分もあった訳で、当然航空特攻の菊水一号作戦に組み込まれていました なので護衛をつけるにしても航空特攻隊であって、囮の艦隊に付ける護衛はないと言う考えの航空隊司令官も多く存在しました 特攻隊では無いですが、特攻を拒否した事で有名な夜襲部隊の芙蓉部隊は同様に大和の護衛任務を拒否しています