1936年生まれ。建築家。原広司+アトリエファイ建築研究所主宰。
(最終更新:2009年3月31日)
[論考]
序─低い声 四本の柱が立ち、そこに屋根を架けた小屋は住宅の原型なのだろうか? [〈それ〉溝は作動している]あるいは、一本の柱が太古の平野に立てられた瞬間に構築が...電子へのパラダイムを象徴的に示した言葉には、原広司の「住宅は住むためのエレクトロニクス装置で...
『10+1』 No.05 (住居の現在形) | pp.130-145
[インタヴュー]
1──「構造設計への道」、「都市デザイン」、「日本の都市空間」 日埜──『日本の都市空間』は都市デザインやアーバン・プランニングが注目を浴びた六〇年代から七〇年...ちの宮脇檀を中心としたデザイン・サーヴェイや原広司の集落調査と実体的には似た対象を見ているよ...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.187-199
[論考]
...においても言えるのではないかと思うのである。原広司が均質空間論のなかで、機能を口にしないもの... ...との連絡のための孔をもった被覆」★九、これが原広司の有孔体のモデルである[図10]。 原の提出し...
『10+1』 No.28 (現代住宅の条件) | pp.100-109
[キーワード]
...オニールによる「スペースコロニー計画」★8や原広司の「地球外建築」★9は、どちらも月と地球との重... ...発信されているのは偶然ではないだろう。例えば原広司は「500m×500m×500mプロジェクト」(1992)において...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.68-87
[現代建築思潮]
...も日本の住宅が輝いていた頃、六〇─七〇年代の原広司や伊東豊雄の住宅作品などに適用されています... ...可能性に触れる部分なのです。 今井──例えば原広司自邸(一九七四)や伊東豊雄《黒の回帰》(一九...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.47-62
[自然─環境]
...蜃気楼といった自然現象とアナロガスである。 原広司「多層構造・場・構成の廃棄などについて」 (... ...〇世紀において支配的となったこの空間概念を、原広司は〈均質空間〉と名付けた★二。説明不足を承...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.160-164
[論考]
...れている。 アショク・バロートラによる計画案原広司「未来都市500m×500m×500m」 この500m×500m×500mの立方... ...ー・ウォーカー) ▲「未来都市500m×500m×500m」(原広司) ◆「セビリア新国際空港ターミナルビル」(...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.97-105
[現代住宅研究 6-2]
...水なども穴ということになる。 《伊藤邸》(原広司、一九六七)[図5]は、建築の空間単位を、閉じ... ... 立面部分 4──東孝光《勝見邸》 パース5──原広司《伊藤邸》 断面図 平面図 縮尺1/400かくて、...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.23-28
[現代建築思潮]
...界には批評がないとよく言われますが、磯崎新、原広司のように、その言説によって建築をリードして... ...今村──ここ二週間ほどの間に、穂積信夫さんと原広司さんとに続けてお話しする機会があったのです...
『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ) | pp.32-42
[現代住宅研究 1-3]
...いうことを意味するわけではない。 《原邸》(原広司、一九七四)[図9]は、細長い切妻のヴォリュ... ...とができないわれわれがいるだけなのだ。 9──原広司《原邸》断面図、2階平面図 縮尺1/50010──篠原...
『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) | pp.107-110
[ラディカリズム以降の建築 1960s-1990s 7]
...崎の開発に匹敵する九〇年代の建築家の作品は、原広司の《京都駅》(一九九七)ぐらいだろう[図9]... ...かしい卒業設計を思い出させたのだろう。 9──原広司《京都駅》(1997) 筆者撮影10──日本設計+大...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.221-231
[現代住宅研究 6-1]
...トル(七七坪)のコンクリート造の《粟津邸》(原広司、一九七二)[図3]は、急な斜面の雑木林にめ... ...法ぬきで直接的に扱うことは無理である。 3──原広司《粟津邸》 平面図 縮尺1/400寸法と建築型 仮に...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.19-23
[現代建築思潮]
...言っていることに注目しています。それは僕には原広司さんの「部分から全体へ」という言葉と重なっ... ...住宅』という本も出していました。というのも、原広司先生はつねに三〇年後、五〇年後を想定して話...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.24-28
[論考]
...やかな準備作業としての論考である。 建築家・原広司は、現代までの空間は二つしか存在していないと... ...と、あるいはまったく別の位相を提示すること。原広司はその概念としてディスクリート(離散位相)...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.100-101
[都市/メディア]
...(エディフィカーレ同人、1991─1996) 東京大学原広司研究室出身の南泰裕と太田浩史が大学院時代に始... ...を務める雑誌。都市を新鮮な切り口で表現する。原広司や菊竹清訓へのインタヴューも。テクノ風の文...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.116-119
[制度─都市]
...地の狭小化に帰結するであろう。また、その昔の原広司の指摘──敷地が狭いと「外的因子」の影響が... ...ニシヤ出版、二〇〇〇]二二七頁)。 ★八──原広司『空間「機能から様相へ」』(岩波書店、一九八...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.132-135
[日本]
...言語表象による分析や批評とは直接関係しない。原広司が『建築に何が可能か』(一九六七)の冒頭で... ...中央公論美術出版、一九九一)参照。 ★三──原広司『建築に何が可能か』(学芸書林、一九六七)一...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.174-180
[インタヴュー構成]
...二年一月号)で載りました。その後も篠原一男、原広司、象設計集団、伊東豊雄、磯崎新さんなどから... ...しその分、完成写真より重圧を感じます。 1──原広司《梅田スカイビル》2──黒川紀章《山形ハワイ...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.62-82
[論考]
...の願望を満足するように建築や集落をつくれ」(原広司『集落の教え一〇〇』彰国社、一九九八)とい... ...がある。 地形を増幅している典型的な例 出典=原広司『集落の教え100』彰国社、1998周囲と異相な低層...
『10+1』 No.42 (グラウンディング──地図を描く身体) | pp.58-61
[住居の視点、住居の死角 1]
水槽に藻やカタツムリ、微生物を閉じ込めた「ミニ地球」を無重量空間にもっていったらどうなるか──こんな実験が日本とアメリカ、ロシアの協力で始まる。今年の七月にスペ...『群像』一九九四年)で中村雄二郎に語っていた原広司のはなしが印象に残っている。それは五〇〇m×...
『10+1』 No.06 (サイバーアーキテクチャー) | pp.40-42
[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 6]
野蛮ギャルドの住宅 それは大地に「映える」のではなく、大地から「生える」建築だった。数年前、建築史家の藤森照信氏が設計した《神長官守矢史料館》を見に行ったとき、...のだ。世界の集落調査から普遍的な原理を導く、原広司にもこれと近い態度を認めることは可能だが、...
『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) | pp.205-216
[論考]
Uchida who? 最近のインタヴューで、レム・コールハースに対して磯崎新が「彼がもう少し長く生きていれば丹下健三の最大のライヴァルになったであろう」と語っ...のだろうか? 白井晟一が磯崎をはじめ川添登や原広司によってライヴァルとされたように、内田もま...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.114-120
[座談会]
宇宙建築? 松村秀一──全体をざっと読んでみたのですが、結構面白い特集になったと思います。宇宙建築というものは宇宙開発全体のなかに位置づけられているということも...なものを実現したいという欲求が当然ある。昔、原広司さんが、「砂漠で建てる建築が一番美しい。な...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.68-77
[インタヴュー]
中谷礼仁──まずはタイトルの「トレーシング・ザ・藤森照信」について若干説明しておきます。私たち三人も藤森照信さんと同じ建築史という分野から自らの活動を始めました...迫ったようにして、建築の本質に迫ろうとした。原広司さんから学生時代に教えられて、ずっと二〇世...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.54-77
[論考]
一 近代アジア調査術の誕生 一九八五年、『東アジアの近代建築』という一冊の本が刊行された★一。これは、村松貞次郎退官記念として、藤森照信の主催で行なわれた同名の...を妙に言うと必ず火傷する」と述べる(磯崎新+原広司+布野修司「アジア建築と日本の行方」(『建...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.134-141
[ルポルタージュ]
藤森照信《高過庵》 多くの人たちと同じく、僕も《高過庵》をはじめて知ったのは建築雑誌によってであったが、こうした少し突飛な建物を実現する藤森照信という人に対して...、かつて篠原一男が「住宅は芸術である」とか、原広司が「住居に都市を埋蔵する」などと述べたよう...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.52-63
[論考]
離れ、散らばること 一九九七年五月発行の『10+1』No.9において、私の初めての論考「観測者のランドスケープ──離散性、あるいは不連続性と『形式』の問題」を寄...の「ヴォイドの戦略」との〈出会い〉は、当時、原広司のもとで「離散型集落」に関する修士論文を提...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.134-135
[現代住宅論 7]
前回の「建築的無意識」では、ヴァルター・ベンヤミンの「複製技術時代の芸術作品」からヒントを得て、建築空間が身体化・無意識化され、さらに、それが形による働きかけを...の理論とデザイン』 (石原達二+増成隆士訳、原広司校閲、鹿島出版会、一九七六) フラーのヴィジ...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.277-285
[ゼロ年代の建築・都市 3]
建売住宅から学ぶこと 家型という視点から眺めていくと、一九八〇年代の建築は基本的に七〇年代の延長にあり、記号的な表現をさらに展開し、思考を深めている。 石井和紘...開した。象設計集団の《宮代町立笠原小学校》や原広司の《那覇市立城西小学校》は、土着性や共同体...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.33-34
[万博という問題系 3]
丹下研究室の浅田孝 五十嵐──磯崎さんと万博の関わりを整理しておくと、まず大阪万博の現場でテクノロジーの最前線におられたと同時に、反博のアーティストらとも交流を...で、僕が全体の構成をやらされて、建築家からは原広司が入ってた。あとは、グラフィックと美術と音...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.96-111
[プロジェクト]
スキャンデータあり 未アップ ...
『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ) | pp.89-108
[技術と歴史 7]
グリッド批判 伊藤毅──都市にはインフラストラクチャーや都市計画などいろいろな技術がありますが、超時代的に存在してきた都市のかたちはグリッドです。グリッドは時代...くて、退屈なところだったわけです。 建築家の原広司さんは平面グリッド、三次元グリッドという近代...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.213-224
[技術と歴史 2]
今日は構造家の立場から、主に空間構造の歴史と私が現在考えている構造の方向性について話をしたいと思います。 空間構造にみる構造合理主義の系譜というテーマをもとにし...令を与える。実際にこんなものはないのだけど、原広司さんが青森でやった《しもきた克雪ドーム》は...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.208-219
[現代建築思潮]
オランダ現代建築紀行 今村創平 オランダ人の友達がチューリップ畑を見たいかと聞いた。内心僕はチューリップ畑などまったく見たくなかった。赤、黄、白、紫といったた...がらも、お互いにネットワークで結ばれている。原広司は、離散的配置を自分の理想とする空間モデル...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.39-46
[現代建築思潮]
セシル・バルモンドの『informal』を読む 今井──前回、オランダ建築の話をするなかで離散型に関する話題が出てきました。そして連続ではなく不連続、コンクリー...ギャラリー間のシンポジウム「この先の建築」で原広司さんの話を聞く機会がありました。原さんは「...
『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.45-52
[現代建築思潮]
海外建築情報の受容と読解 今村創平 今村──今回は「海外建築の受容」というテーマを取り上げてみたいと思います。まずは建築の文脈からは離れますが、資料として配りま...を見事に予測することになる。 [本間健太郎] 原広司『集落への旅』(岩波書店、1987) 1970年から世...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.47-54
[ブック・レヴュー 1]
宮内康(一九三七─九二)は批評家、建築家、教育者として精力的に活動し、六〇年代末から七〇年代の言説活動を中心に根強い支持を得ている。六二年に東大建築学科を卒業し...い。 そこで肝腎の論考である。彼は磯崎新氏や原広司氏と交友があり(後者は高校の一年先輩で、彼の...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.44-45
[批評]
ル・コルビュジエが白い服をたえず褒めたたえたのはもちろん、色彩の過剰を攻撃していたからである。『今日の装飾芸術』で彼は白く塗りつぶすことを実に熱心に宣伝し始めた...・バンハム『第一機械時代の理論とデザイン』[原広司校閲、鹿島出版会、一九七六年])、三三二頁...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.95-112
[建築家的読書術]
五年前、はじめて大学に研究室を持つことになったとき、研究室の方向性を明確に示すために「難波研必読書二〇」をリストアップすることにした。大学生にはちょっと無理かも...気に視界が開けることを指摘しておこう。本書は原広司さんが校閲しているが、原さんの解説を読んで...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.86-88
[建築を拓くメディア]
コンペが現代建築史で果たしてきた重要な役割については、あらためて強調するまでもないだろう。それは勝者だけの歴史ではない。《シカゴ・トリビューン社屋》でのグロピウ...ューに立ち会うことができた。その後大学院では原広司研究室での《バスティーユ・オペラ座》の手伝...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.111-113
[建築を拓くメディア]
カタログと建築|田中陽輔建築展覧会という形式 建築展覧会という形式が存在する。そして、世界各地の近現代美術館の重要なコンテンツとして確立されている。ただし、あ...史』、また同様の形式では、小論ではあるけれど原広司による「Discreet City」展のカタログ等が例に挙げ...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.146-149
[鼎談]
建築と書物の親和性 永江朗──「建築家はどのように書物と関わるのか」というのがこの鼎談のテーマです。最初に素朴な感想をもうしますと、芸術家のなかで建築家ほど書物...ることはなかったですね。その手に比較すれば、原広司さんの有孔体の理論のような科学的構えをとっ...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.54-70
[自然─環境]
春もまだ始ったばかりの頃、東京大学の駒場リサーチキャンパスを訪れる。夕刻少し前、雲ひとつない空は蒼く高く抜けている。北側の正門から、右前方に少し進むと端正な佇ま...。キャンパスは、設計者小嶋一浩の師匠にあたる原広司による新たなマスタープランが策定され、すで...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.148-151
[都市史/歴史]
都市史における五つの潮流 一九九〇年代の都市史関係の文献を回顧すると、それには大きく分けて次の五つの潮流があるように思われる。まずひとつめは新たな都市権力論の登...集落調査★五から始まった。これは一九九三年に原広司『建築・集落からの教え』(「NHK人間大学」、...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.120-123
[論考]
メディアがユニット派を注目する 今年の後半、飯島洋一による「ユニット派批判」の論文が話題になった★一。ユニット派とは何か。アトリエ派の建築家が強いカリスマ的な指...をもたなくとも、メディアを大いににぎわせた。原広司のような建築家も、二〇代半ばで設計組織RASを...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.134-145
[取材構成]
一九九〇年代末から現在にかけて、建築雑誌をにぎわせている建物の外皮デザインを強引に分類すれば、次の二つにまとめられる。ひとつはガラスの面をルーバーなどの装置で覆...檀さんたちが集落のデザインサーベイをしたり、原広司さんが集落調査に出たりと、当時はそういう時...
『10+1』 No.28 (現代住宅の条件) | pp.86-99
[対談]
八束はじめ南泰裕八束──今回の南さんの論文を読んで、かなりの部分で見解が共有されているな、という気がしました。特に南さんが、湾岸で起きているさまざまな現象を必ず...ていたというのはあるんですか。 南──原研(原広司研究室)では、フィールドワークについては完全...
『10+1』 No.07 (アーバン・スタディーズ──都市論の臨界点) | pp.86-91
[批評]
1 風景の使用法 ランドスケープとは「風景」を示すが、そこには習慣的に「自然環境」あるいは単に「自然」との観念的な結びつきが前提とされている。「自然」への耽美...一三◯頁。 ★一三──建築に関する文献では、原広司「空間の基礎概念と〈記号場〉」(『時間と空間...
『10+1』 No.09 (風景/ランドスケープ) | pp.100-111
[批評]
1 いま、ここにある現実にたしかな違和を感覚する者が、そこを超え出ようと意志し、おのれの可能性を彼岸に向かって投企しようとするならば、その意志はおしなべて境界の...が出来していることは明らかである。 ★九──原広司「境界論」、『空間〈機能から様相へ〉』所収(...
『10+1』 No.11 (新しい地理学) | pp.188-191
[対談]
湾岸の風景 若林──今日のテーマは、いま都市あるいは東京を語るとはどういうことか、さらにはまた東京をどのように語ることが可能なのか──言い方を換えれば、「東京論...ゃった根拠がゼロだという話に関連して言うと、原広司さんが一九七五年に発表した「均質空間論」と...
『10+1』 No.12 (東京新論) | pp.62-79
[対談]
1 コンパクトシティ論の背景 南——最初に、なぜメガロポリスやメトロポリスという大都市ではなく、コンパクトシティやスモール・シティといった中小規模の都市を...ージを提出しました。今回特集に収録されている原広司の「500M×500M×500M -CUBE」(本誌八九頁参照)も、...
『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ) | pp.58-72
[批評]
「二〇〇一年宇宙への旅」に抽選で五名様を御優待! それは空想ではなく、現実の体験です。本物の宇宙旅行です。二〇〇一年より出発予定の人類最初の民間宇宙航行プログラ...代の理論とデザイン』(石原達二+増成隆士訳、原広司校閲、鹿島出版会、一九七六)。 ★九──レイ...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.242-248
[批評]
自覚的に、というよりは自意識的に、と記述する方が正確なのだが、批評という形式のもつ危うさと困難さを最もきわだった形で素描し続けたのは言うまでもなく小林秀雄である...はこの論文の存在を、ミステリーの文脈を通じて原広司に教わったのだが、すでに批評の文脈を通じて...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.88-89
[批評]
1 一九四二年、イタリア 一九四二年一一月、ソ連軍は独ソ戦始まって以来のはじめての大がかりで組織的な反撃を展開する。戦史に有名なスターリングラード包囲戦の始ま...・バンハム『第一機械時代の理論とデザイン』(原広司校閲、鹿島出版会、一九八一年)、三○○─三...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.154-170
[論考]
1──図版出典『ゴジラ』(昭和二九年作品) ©東宝株式会社南洋の未開の島からマンハッタンに連れていかれ、そこで壮絶な死を遂げる『キングコング』以来、怪獣ものの映...。ついでながら大阪では、大阪駅の後ろにできた原広司の西梅田スカイビルもまた六○年代アヴァンギ...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.180-185
[インタヴュー構成]
建築と写真の「共犯関係」 近代建築と写真は、ほぼ時を同じくして生まれたとの説がある★一。その当否は別として、建築と写真が強い結びつきをもっていたことは間違いない...九九一年二月号、彰国社)。 ★一三──設計=原広司+アトリエ・ファイ建築研究所。 ★一四──★八...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.77-82
[論考]
1 なぜ八〇年代なのか リヴィジョニズム リヴィジョニズム=re-vision-ism、という言葉を聞いたことがあるだろうか。ちょっと耳慣れない言葉かもし...ていた。具体的な経緯はわからないが、おそらく原広司の集落論はこうした議論に負うところがあった...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.78-92