高野耀子のビーフシチュー
かつおの天ぱく
どしゃ降りの中向かったのは、三重県志摩市大王町。
ここに古式製法でカツオブシを造る名人がいるという。 切り立った崖の上に燻し小屋はあった。 眼前に広がる太平洋は、なじみの海とは違う。 巨大なうねりに圧倒されてボー然と、ただ砕け散る波を見おろしていたところ、「今日はまだ静かなほうです」と天白氏は現れた。
(more…)禁キムチ鍋
キムチ鍋を作らなくなったのは、子供ができたからだ。 カミサンと二人で暮らしていた頃は、ピェンローよりも頻繁につついた鍋だった。 何しろ彼女は辛いものが好きで。
長男が三つぐらいの時一度軽めのキムチ鍋を作ってみた事があったが、ひとなめするや顔を真っ赤にし、後が大変だったことを覚えている。 だからどうしてもキムチ鍋を食べたいと言われた時は、別メニューとして小鍋仕立てで出すよりほかなかったのだカミサン専用として。
次男は昨日ポツリと「キムチ鍋を食べたい」とつぶやいた。 なんでまた唐突にと聞けば、園の先生が大好物だと話してくれたらしい。 先生を愛すが故のリクエスト。 やめておけばと言っても聞かないので試しにドンと本気で作ってみた。
(more…)超えたい
この時期になれば週一ペースで仕込んでいるのがピェンロー。 長女の好物であり、彼女はこれが食べたいがために毎年冬を心待ちにしている。
いらん事をしないのが旨いピェンローを作るコツだが、キャリア10年を過ぎた今でも、呑み呑み、白菜をつまみながら、どっか手を入れる隙はないかと窺っているわけで。
(more…)料理ことはじめ
近頃何が楽しいかと聞かれれば、娘(6歳)との料理と答える。
この間までは、お菓子作り(ドーナツやらガトーショコラ)だけにしか興味を示さなかったものの、いつのまにかディープな料理の世界に魅了されてしまったらしい。
夕食を仕込んでいると近寄ってきて「私もやりたい!」と言う。 はじめのうちは、野菜の水洗いや鍋に材料を入れる役目、素材をかき混ぜる事などを担当してもらっていたが、それだけではすぐ事足りなくなり、ついに包丁を握ることになった。
娘は包丁を恐れる様子もなく、ニンジンやキュウリを上手に筒切りにしていくが、見ているこちらとしては不安でならない。 時折力みすぎて包丁が進みすぎてしまった時などはギクリとする。
「包丁を握っている反対側の手は、猫の手だぞ猫の手!」と何度も注意をする。 娘は少しうるさがりながら「大丈夫だって!」と答える。 しかし、馴れてきた頃が一番危ないのだ。 一瞬の気のゆるみが事故になることだってある。
先日、麻婆豆腐用の木綿豆腐をさいの目切りにしてもらっていたときのこと、包丁を豆腐へ横一文字に入れてもらっている際、つい勢いあまって包丁が豆腐からすっぽ抜けてしまいヒヤリとしてしまったことがあった。 豆腐の柔らかさと力の入れ具合がつりあっていなかったのだ。 あぶないあぶない。
(more…)鍋奉行論
5人くらい集まり鍋を囲むと、どこからともなく現れるのが、鍋奉行である。
初顔合わせで、一見おとなしそうな人物だったのに、いざ鍋が始まると目が煌きだして、鍋奉行へと変身する人の話をよく聞く。 一方、鍋がはじまる前から鍋奉行だということがバレバレの人もいる。 このような人は、鍋に限らず大体どのような事柄に対してもやかましいのが通例である。 だから鍋奉行というよりも奉行そのものである。 経験上、9割がた男性だ。
このように鍋を取り囲む人々は、鍋奉行と、そうでない人におおきく分けられる。 がしかし、ここにもうひとつの人種がいることをご存知だろうか。
(more…)すり鉢豚汁
鯛の兜汁
鯛の頭を真っ二つにして塩を振り、しばらく置く。
熱湯をぶっかけて、小さなウロコや汚れを洗う。
黒胡椒を振り、小麦粉を軽くはたく。
フライパンに胡麻油を引いて、長ネギの青い部分を並べる。 その上に鯛の頭を置き、さらに上からネギの青い部分をかぶせる。 そしてフタをして蒸し焼きにする。
八割がた火が通ったところで頭を取り出し、ネギと油は捨ててしまう。
一度フライパンをきれいに洗ってから、再度油を引き、鯛の頭を投入、両面こんがりと焼く。
別途、長ネギの白い部分をオーブンで焼いておいて、それを器に並べる。
白ネギの上に焼いた鯛の頭をのせて、カツオだしを張る。
白髪ネギを乗せてはい「鯛の兜汁」のできあがり。
(more…)レタシャブ
この前つくったつけ麺のチャーシューは、東海林風だった。 東海林風は豚肉の塊を茹でて、それを醤油に浸しただけで作れる手軽さがウリだ。
(more…)クロクチガイの味噌汁
近所に住む仲良しの婆ちゃんが歩いてきた。 袋を提げている。 たぶん、また何かくれるのだろう。 おとといはソラマメを頂いたばかりだ。 いつもありがとう。
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