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大そうじへの備え
d-sakamata.hatenablog.com
もはや旧聞になってしまうけれども、今月1日、『笑っていいとも!』の「テレフォンショッキング」のコーナーに24年ぶりにビートたけしがゲスト出演した。タモリとの久々のツーショットもさることながら、たけしが自分にも『いいとも』の司会の打診があったことを明かしたりと、両者のファンやお笑い好きにはたまらない“秘話”が続々と出てきて、ネットでも結構話題になった*1。 トーク中にはたけしの青年時代のバイトについても話題にのぼった。タクシーの運転手や羽田空港(東京国際空港)でバイトをしたというのはファンにはわりとよく知られた話かもしれない。ただ、羽田でのバイトに関して『いいとも』でたけしは、のちに作家となる中上健次と一緒に働いていたというような発言をしていたが、いくつか資料をあたるかぎりこれは事実とちょっと異なるように思う。 まあ芸人が話を面白くするために、多かれ少なかれ誇張するなんて当たり前のことなのだ
すでにこの週明けには並んでいた書店さんもありましたが、一応本日が発売日ということで、あらためて告知させていただきます。 新幹線と日本の半世紀―1億人の新幹線‐文化の視点からその歴史を読む (交通新聞社新書) 作者: 近藤正高出版社/メーカー: 交通新聞社発売日: 2010/12/01メディア: 単行本購入: 1人 クリック: 56回この商品を含むブログ (10件) を見る 今後、訂正や補遺等はこのエントリに随時追加していくつもりです。どうぞよろしくお願いいたします。 ■ 上記リンク先では書影がまだ上がっていないようですが、カバー&帯はこんな感じです。 (2010.12.17追記) 帯の拡大写真です。 交通新聞社のサイトからも注文できるようになりました。 023 新幹線と日本の半世紀 | 新書 | | 交通新聞社オンラインショップ (2010.12.20追記) ゲームデザイナーの米光一成さん
今月15日に発売予定の拙著『新幹線と日本の半世紀 1億人の新幹線――文化の視点からその歴史を読む』(交通新聞社新書)の目次が確定しておりますので、参考までにUPしておきます。 このうち終章に関しては、執筆しているあいだにも次から次から新しい動きがあって、それを一所懸命に追いながらまとめました。ただそれでも不確定要素が多く、すでに一件、よりにもよって責了してから結構大きな動き*1があって頭を抱えているところです。ま、そのあたりはこのブログででも随時、補足・訂正していければと……。 はじめに 序章 ドキュメント・女王陛下の新幹線 第1章 新幹線のルーツをもとめて――まぼろしの計画から東海道新幹線へ 1.直系のルーツとしての「弾丸列車」計画 2.東海道新幹線が実現するまで 第2章 情報社会の到来を告げた新幹線――東京オリンピックから大阪万博へ 1.東海道新幹線開業とテレビ時代の本格化 2.新幹線
Twitterで、「専門学校のゲーム科の新入生に聞いてみたところ、堀井雄二の名を知ってる生徒がゼロだった」というツイートがちょっとした話題になっていた(まとめはここ)。 堀井雄二がどんな人物かについては、5年ほど前に『ウラBUBKA』というサブカル雑誌のドラクエ特集号ですこし書いたことがある。調べてみたら、ドラクエ以前に、雑誌ライターの仕事で家を建てたというすごい経歴の持ち主だったと知っておどろいたことを思い出す。 そんなわけで、せっかくの機会なので、くだんの原稿をここに再掲載しておきます。 ■ ●ライター稼業で家を建てた男 『ドラゴンクエスト』の生みの親である堀井雄二がもともとフリーライターだったことは、ファンにはよく知られた話だろう。『ドラクエ』に出てくる短いながらも、機知に富んだセリフの数々は、やはり彼がライターだったからこそ生み出せたのだと評価する向きも多い。彼自身、セリフだけで物
先週出た『週刊アスキー』(8月18・25日合併号)の「私のハマった3冊」のページに寄稿しました*1。同ページに書くのはこれで3度目。 今回とりあげた3冊は、皆河有伽『小説手塚学校』第1巻(講談社)、古田尚輝『「鉄腕アトム」の時代』(世界思想社)、中川一徳『メディアの支配者』上・下(講談社文庫)。『小説手塚学校』は執筆当時はまだ1巻しか出ていなかったのだけれども、すでに第2巻も発売されていた。 この3冊のなかでもいちばんとりあげたかったのは『「鉄腕アトム」の時代』である。朝日新聞に載った唐沢俊一による書評では、テレビアニメ版『鉄腕アトム』が破格の制作費でつくられたことについて本書が新説を提示していることがもっぱら評価されているが、僕にいわせればそれは本書全体の一挿話にすぎない。本書のキモはむしろ、人々の娯楽の主役が映画からテレビに移ったという歴史的な変化を、映画とテレビ、それからアニメーショ
今月5日より、城山三郎原作のドラマ『官僚たちの夏』がTBSの日曜劇場の枠で始まった。その第1回の題材となっていた通産省の「国民車構想」について、気になったのでちょっと調べてみた。 「国民車構想」とは、1955年、通産省が国内の自動車産業育成のために提示したものだ。その草案は、「国民車」の条件として《(1)4人乗り(または2人乗り100キログラム以上積み)、(2)最高時速100キロメートル以上、(3)平坦(へいたん)路を時速60キロメートルで走った場合1リットルの燃料で30キロメートル以上走れること、(4)大修理なしで10万キロメートル以上走れること、(5)月産2000台の場合15万円以内でつくれること、材料費10万円、工数70時間以内、エンジン総排気量360〜500cc、車重400キログラム以下》(高島鎮雄「軽自動車」『日本大百科全書』小学館)を掲げるとともに、各メーカーの参加を募り、審査
野球界における企業の棲み分けについて書いたおとといのエントリには、思いのほかブックマークをつけていただき、いささか驚いております。 あのエントリをUPしてから、製造業のなかでも例外的にプロ野球に参入した食品会社……ヤクルト、ロッテ、日本ハムについて、なぜ球団を持とうとしたのか、その理由をあれこれ考えてみた。 ヤクルトに関していえば、単に食品製造業というだけでなく、「婦人販売店システム」*1と呼ばれる独自の販売システムを確立していることからもあきらかなように、流通業という側面も持っている。とすれば、販促として球団を持つという発想が出てきてもおかしくはないだろう。 ロッテにとっての球団というのは、少々失礼な言い方をすれば、お菓子とオマケの関係を踏襲しているように思われる。ようするに、お菓子の主要な顧客である子供たちを、プロ野球を餌に釣ろうという考え方だ。 ロッテが初めてプロ野球に参入したのは、
先日、某社の編集者氏とプロ野球各球団の歴史や親会社の話をしていたときのこと。NPB所属のプロ球団の親会社に、ヤクルトや日本ハムといった食品会社をのぞけば製造業……たとえば、日本の輸出産業をリードしてきた鉄鋼や自動車、電機メーカーなどがないことに気がついた(広島東洋カープにはたしかにマツダ[旧・東洋工業]が出資しているものの、親会社ではない)。歴史を振り返ってもほぼ皆無に等しい。 そのかわり、大手メーカーの多くは社会人野球のチームを持ち、都市対抗野球大会に出場している。たとえば、山田久志や野茂英雄などを輩出した新日鉄しかり、古田敦也を輩出したトヨタ自動車しかり、落合博満を輩出した東芝しかり。 これに対して、プロ野球球団の親会社の多くはいわゆる第三次産業(小売業やサービス業、それからときには「第四次産業」に分類される情報産業も含む)に属する。プロ野球黎明期にあいついで参入し、いまでは阪神と西武
夜中、ネットのニュースでその訃報を知る。TBSテレビでの第一報を伝えた安住紳一郎が、忌野「セイシロウ」と読んでいたのには少々憤慨したが、その横でビートたけしが、売れる前にはRCサクセションの前座を務めたこともあるといった話をしていて、興味深かった。 ビートたけしと清志郎といえば、こんな映像がYouTubeにUPされていた。画質はよくないが、「つ・き・あ・い・た・い」を歌う清志郎のまわりに、たけしのほか、糸井重里、坂本龍一といった当時のカルチャースターが勢ぞろいしているのがうかがえる。曲の途中で、清志郎をアントニオ猪木が肩車するという超レアなカットも。おそらく、NHKの若者番組『YOU』の正月スペシャル(1983年放映)での映像だと思われる。 世間の常識に反抗するというのが従来のロッカーの常識だったとするなら、その手の「ロッカーの常識」に反抗したのが清志郎だったのではないか。たとえば、テレビ
日経ビジネスオンライン連載「日刊新書レビュー」に、僕の書いた小林竜雄著『久世光彦vs.向田邦子』(朝日新書)の書評がUPされました。ご一読いただければ幸いです。 ■ この原稿を書くにあたって参考のため、『ムー一族』など久世光彦の手がけたテレビドラマのDVDを何本か見た。『ムー一族』では、主役一家の長男役の清水健太郎と恋仲になるのが「一条さゆり」(同姓同名のストリッパーがいた)だったり、郷ひろみのガールフレンドが「里中マチコ」(漢字こそ違え少女マンガ家と同名)だったり、さらには左とん平の役名が「野口五郎」だったりと、そのネーミングセンスにまず笑わされた。 そういえば、新御三家のうち、西城秀樹は『寺内貫太郎一家』、郷ひろみは『ムー』『ムー一族』というぐあいに久世光彦の手がけるドラマに出演しているのに、なぜか野口五郎だけは出ていない。ただし、野口は同時期のバラエティ番組『カックラキン大放送』で、
日経ビジネスオンラインの「日刊新書レビュー」にて、霜月たかなか『コミックマーケット創世記』(朝日新書)をとりあげた(ここから読めます)。 レビューでとりあげた以外にも、本書には興味深い記述がいくつもあった。たとえば、批評集団「迷宮'75」結成にあたり「運動理論」を論議する場で著者が書き残した〈我々は、主体的にマンガに関わりかつ、コミュニケートを求める者にその場を解放する!!〉という走り書き(この文はレビューでも引用したが)。こうしたアジ演説めいた文面について著者は次のように説明している。 まるで学生運動の立て看板のような文面と思われるかもしれないが、実際はくだけた会話をしていても文字にするとこうなってしまうのは、何か行動を起こす時の方法論として学生運動のなかで確立されたそれが、それなりに使い勝手がよく、有効だったためである。 1970年代という時代のなかで僕も亜庭じゅんも米やん(米澤嘉博―
これからお知らせする件については、昨年末以来、どのタイミングで公表するかちょっと考えあぐねておりました。 が、今月7日配信のソフトバンクのメルマガ「週刊ビジスタニュース」にて、「年末に起きたあるできごとをきっかけに、今年は生活する環境も仕事をする環境も大きく変わりそうです。これについてくわしくは、このメルマガが配信されるころには、ブログででもお伝えできるかと思います」と書いたことですし、遅ればせながら手短にご報告させていただきます。 実は、僕の母親が昨年12月中旬より右足骨折のため入院中です。昨年末早めに帰省し、年明け後もしばらく(10日まで)実家に滞在していたのもひとえにそうした事情がありました。帰省中は毎日見舞いに行っていたのですが、僕ら家族が驚くほど回復は早く、ひとまず安堵しているところです。ただ、リハビリの必要もあり、完治にはもうしばらく時間がかかるものと予想されます。 こうした事
きのうようやくゲラのほうが責了し、目次のほうが確定いたしましたので、とりいそぎUPしておきます。なお、全部で288ページとなりました。 『私鉄探検』近藤正高著 (ソフトバンク新書、6月17日発売予定) まえがき 第1章 「キャラクター文化」のルーツを求めて――西武鉄道 笑う電車、デビュー/西武ライオンズとレオマークの誕生/マンガの神様と西武の意外な関係/なぜ手塚治虫は西武沿線に住みつづけたのか?/日本のアニメーションの発信源――上井草・大泉学園/トトロとナショナルトラスト/スマイルトレインよ「ゆるキャラ」たれ 私鉄探検ガイド――西武鉄道 第2章 「帝都」はどこへ消えた?――京王電鉄 ニッチ商法で稼ぐ井の頭線!?/長いあいだ路面電車だった京王線/東京オリンピックをきっかけに生まれ変わる/新宿駅が現在位置に移った「とほほ」な理由/「景気づけ」に沿線へ墓場を誘致/副業に支えられていた戦前の京王/
きょうは手塚治虫の命日(十九回忌)でした。 ところで、きのう埼玉県に初下車した私は、浦和の書店で『球界地図を変えた男・根本陸夫』(浜田昭八・田坂貢二著、日経ビジネス人文庫、2001年)という本を買いました。根本陸夫という人は、西武ライオンズやダイエーホークスでいまでいうGMとして活躍した人物です。で、彼の評伝であるその本をパラパラ読みながらふと思ったのですが、西武ライオンズの球団マスコットはなぜ、手塚治虫の生んだキャラクターであるレオ(一部にはパンジャじゃないかという意見もありますが、それはひとまず置くとして)なのでしょうか? いや、もちろん、ライオンズというチーム名から、多くの人が親しみをもってくれるようなキャラクターは何かを考えた結果、レオが選ばれたということは容易に想像できます。手塚治虫が亡くなった際の新聞記事でも、球団マスコット選定の経緯が次のように紹介されていました。 西武は球団
http://www.jiji.co.jp/jc/c?g=soc_30&k=2007020600861(ウェブ魚拓) 渡辺氏といえば、つい最近創刊された『BUBKA時代』という雑誌で「渡辺和博のこんな時代」という連載をはじめたばかりで、そのプロフィールに『キン・コン・ガン!――ガンの告知を受けてぼくは初期化された』という近著があげられているのを見て、「え、ナベゾがガン告知された!?」と驚いていたのですが、まさかこんな早くに亡くなられるとは……。 哀悼の意を込めて、以前、私がミニコミ紙『サブカル評論』の企画「天使の辞典・サブカル淑女紳士篇」に書いた、渡辺氏の項目を転載します。 渡辺和博【わたなべ-かずひろ】①経済学者。1984年、同じ職業でもライフスタイルは所得の違いにより異なるということを、マル金・マルビ(マル経にあらず)という分類法を用いて証明。同年、第1回新語・流行語大賞(流行語部門金
夕方、たまたまテレビのチャンネルをNHKにまわしたら、綿矢りささんが、今週、3年半ぶりに新刊を発売するのを前にインタビューに答えていました。綿矢さんのテレビ出演はひょっとすると、3年前、前作『蹴りたい背中』で芥川賞を受賞して以来ではないでしょうか。 ただ、出演したのは夕方の、しかもローカル番組だったため、ファンのなかには見られなかった人も大勢いるのではないでしょうか(一応、ウェブ上のテレビ番組表には告知されていましたが)。そこで参考までに、ここにインタビューの模様を録画テープからベタ起こししてUPしておきます。私もあわてて録画したので、冒頭が少し欠けていますが、インタビューの流れはだいたいつかんでいただけるはずです(それでも不正確なところもあるかもしれません。その点を御了承の上お読みください)。 以下、枠内が録画テープからの起こしです。インタビュアは内藤裕子アナウンサー。カギカッコ内は綿矢
先日『タイアップの歌謡史』を上梓されたばかりの速水健朗さん(id:gotanda6)が、今年の目標は鉄オタになることと書かれていましたが(http://d.hatena.ne.jp/gotanda6/20070105/houfu)、たしかに今年は「鉄」が来そうな雰囲気ではあるかもしれない。先々週、先週と続いた『タモリ倶楽部』の京浜急行の車両基地ツアーもすばらしいできだったし、この年頭より華々しくはじまったドラマ『華麗なる一族』も「鉄」がらみではないですか。あ、いや、あれは鉄は鉄でも、鉄道ではなく、製鉄会社の話ですが*1。 それでも、私はあのドラマの出演陣を見て、なんとなくピンとくるものがあるのです。ええと、このドラマには万俵家の長女と次女(鉄平の妹)の役として、吹石一恵と相武紗季が出演していますね。思い出してください。吹石さんは奈良県香芝市出身で、大阪近鉄バファローズの選手・コーチだった吹
昨日更新した5月27日付の日記(id:d-sakamata:20040527)で滝田修(竹本信弘)氏の処分をめぐる京大内での騒動について書いたところ、浅田彰氏からメールにて次のようなご指摘をいただきました。 私、浅田彰が竹本信弘について否定的な意見を述べたことは事実です。アントニオ・ネグリ同様、「革命的自然発生」に期待を寄せるあの種の人たちは、おっちょこちょいでどうしようもない事件に巻き込まれがちである(訴追された事件について彼らが有罪だと言っているのではありませんが)。とはいえ、それ以前に、私が大学の4年間(とくに経済学部の2年間)を竹本処分反対運動に費やし、大学当局や民主青年同盟との不毛な闘争に多大なエネルギーを注ぐことになったといういきさつがあるので、「やれやれ、全面的に支持できない人物を擁護するのにこんな苦労をしなければならないとは」という苦笑(多分に自嘲的な)をまじえて竹本信弘へ
栗原裕一郎さんの昨日の日記(http://d.hatena.ne.jp/ykurihara/20040116)のコメント欄で、10年ぐらい前に何か文学界に美少女がトラウマになるようなできごとがあったのだろうか? ということが話題になったのだけれど、トラウマということでよくよく考えてみたら、坊っちゃん文学賞での女子高生の連続受賞(91年度・93年度)以前に、バブル期における椎名桜子現象にたどり着くということに気がついた。 思えば彼女の「処女作準備中作家」という肩書きは画期的だった。だって、作家の容姿と実力のギャップなんて問題以前に、肝心の作品よりもキャラ先行だってことを堂々と宣言しちゃったんだもん。そんなことは日本文学史上(いや、きっと世界文学史においても)空前にして絶後だろう。あれもバブル期だから許されたんだろうな、きっと。 そういえば高橋源一郎が10年ほど前に毎日新聞に発表した「史上最強
映画『戦場のメリークリスマス』(1983年)のラストシーンで、ビートたけし演じる日本軍軍曹のハラは、第二次大戦後、戦犯として処刑されることになる。処刑を翌日に控えたハラのもとへ、戦時中ジャワの戦線で彼の率いる隊の捕虜となった英軍中佐ロレンスが面会に赴く。その別れ間際ハラがロレンスに向かって、「メリークリスマス、ミスターローレンス」と笑みを浮かべるカットは、同時に流れ出すエンディングの坂本龍一のテーマ音楽とあわせてこの映画を非常に印象深いものとしている。 『戦メリ』のハラ軍曹にとって、クリスマスは人生の最期を迎えようという日となったわけだが、彼とは逆に戦犯容疑をかけられながらも起訴を免れ、クリスマスに新たな出発を迎えた人物がいる。 一枚の写真がある。頭を丸坊主にした貧相な男が、かたわらの、恰幅のよい男からもらった煙草をいかにもうまそうに喫っている。貧相な方が岸信介。恰幅のよい方が弟の佐藤栄作
サーヤが結婚して、黒田清子という名前になったという記事を見て、ふと似たような名前でエチオピア王室に嫁ぐ予定だった女性がいなかったっけ? と思い、ちょっと手元にある『現代日本朝日人物事典』で調べてみた。ああそうだ、黒田雅子という人だったっけ(しかしこの名前、いまの皇室とどこか奇縁を感じさせる名前である)。 千葉の久留里藩の旧藩主・黒田広志子爵の次女として生まれた彼女は、1933年にエチオピア皇帝、ハイレ・セラシエ1世の従弟であるリジ・アリア・アベベ王子*1が妃に日本女性を望んでいるという朝日新聞の記事を見て、両親に無断で応募。翌年、第一候補に選ばれている。しかしこの縁談は、当時エチオピアに覇権を伸ばしていたイタリアの干渉や当時の宮内省の消極的な態度で結果的に破談となってしまった。やがて日本はイタリアと同盟を結ぶことになるわけだが、この縁談が成立していればもう少し状況は変わったのだろうか。 英
速水健朗さんの「犬にかぶらせろ!」でリンクしていただいたおかげで(http://mirror-ball.net/2005/10/10/)、ぼくが以前つくった「少女作家25年史年表」(id:d-sakamata:20040117)を新たにブックマークに追加してくれた人もちらほらいるみたいですね。実はあの年表はその後少し手を加えて、今年の夏に出した個人誌『Re:Re:Re:』Vol.3に増補版を収録しているのですが、いい機会なので、さらに2005年分を追加し、タイトルも「少女作家27年史年表」とあらためて改訂版をUPしておきます。 ■ 1978年 ●中沢けい(18歳)「海を感じる時」で群像新人賞受賞 ●松浦理英子(20歳)「葬儀の日」で文學界新人賞受賞。同作は芥川賞候補にもなる ●新井素子(18歳)第一作品集『あたしの中の……』(表題作は前年度奇想天外SF新人賞佳作入選作)刊 【関連事項】橋本
上記コメント欄にて栗原さんから、椎名桜子よりも《篠原一(1993年文學界新人賞)を第一次美少女作家ブーム(とか勝手に命名しますが)のキーパーソンと見るに100ワタヤ》という指摘を受ける。ぼくとしては椎名桜子と坊っちゃん文学賞を両者ともマガジンハウスがらみということで系統だててみたつもりだったのだが、よく考えたら椎名桜子はデビュー時にはすでに美「少女」ではなかったわけだから、今日の状況の直接的な起源はやはり篠原一のデビュー*1に求めたほうが適切かもしれない。 とそんなことを考えていたら、ちょっと近年の少女作家の系譜を整理したくなって、不完全ながら以下のような年表をつくってみた。 1978年 中沢けい(18歳)「海を感じる時」で群像新人賞受賞 松浦理英子(20歳)「葬儀の日」で文學界新人賞受賞 ※90年代半ばにコギャルブームの中核をなす世代が誕生 1979年 ※川西蘭(19歳)『春一番が吹くま
現在発売中の『ユリイカ』8月号に寄稿した「みーんな投稿欄から大きくなった♪――サブカルチャー雑誌・投稿欄盛衰記」では、投稿雑誌『ポンプ』に高校時代の岡崎京子が熱心に投稿していたことに触れ、さらに《そのイラストには当時よりファンがおり、ほかの読者による「岡崎京子論」と題する投稿まで掲載されるほどだった》ということも紹介した。本文中ではとりあげなかったが、せっかくなので、くだんの『ポンプ』読者による「岡崎京子論」をここに転載しておきたい。おそらくこれは、岡崎京子を論じたものとしては、もっとも古いものではないだろうか。 岡崎京子論 ――あるいは、触覚のある少女について――京子の描く少女は「昆虫」である。昆虫にまつわる特質的イメージは、「本能」である。本能とは何か。それは「掛け替えの無さ」あるいは「ただそれだけのモノ(、、)」である。 京子の描く少女は、よく笑う。しかし少女は決して笑っていない。口
『ユリイカ』4月号の「ブログ・ガイド@2005」で、小川裕夫さんのブログ「たった一人のライター修行」(http://www.mypress.jp/v2_writers/writerism/)を紹介させていただいたのだが、それに対して以下のような指摘を小川さん本人から受けた。 話は逸れるが、今月号の『ユリイカ』にて私のblogが近藤正高氏に紹介されていることは、すでにこのblogでも書いた。ただ、少し気になったのは、私の日雇い労働について「肉体労働」と形容されていることだった。というのも、私を含め、日雇い仲間の連中たちに肉体労働に従事しているという概念はまるでない。試しに5人ほどに聞いてみたのだが、うち2人はサービス業、さらに2人が怒られる仕事、もう一人は、なんだろうねぇ……と頭をひねっていた。私もこのblogで日雇い労働と書きこそすれ、肉体労働と書いたことはない。 ―「たった一人のライター
先日、四ッ谷駅のホームに大きく『電車男』の看板広告が出ているのを見かけました。版元の新潮社がいかに同書の販促に力を入れているかがうかがえます。しかし一方で『電車男』に対しては、あんなもんネットの内容をそのまま紙に移しただけじゃねーか! という声も聞きます。実はかく言うわたしも、この本を初めて手にとった時は、「これは出版の敗北だ!」「ついに出版界もネット界の前にひざまずいて足を舐めてしまった」などと思ったクチです。しかし、ここは一つ、ポジティブに考えてみましょう。 現在、出版が斜陽産業になりつつあるということは厳然たる事実でしょう。たしかに今年は100万部以上売れたベストセラーも何点かあり、出版界全体でも少し書籍の売り上げが上がったとのニュースもありました(参照)。けれども、それはようするにトヨタなど大企業の業績が上がったがために全体としての景気も底上げされるのと同じで、一部のベストセラーを
ウェブサイト「cakes(ケイクス)」が2012年に開設されて以来、2022年にクローズするまで10年にわたって私が連載した「一故人」の全記事のタイトルと公開日をここにリストアップしておきます。そのときどきで亡くなった著名人の生涯を振り返った同連載は、2017年4月にスモール出版より単行本化されました。リスト中、単行本に収録した記事は「収」、未収録の記事は「未」で示しています。 2012年 タイトル 公開日 単行本収録 浜田幸一――不器用な暴れん坊のメディア遊泳術 9月11日 収 ニール・アームストロング――月着陸30年を経て明かされた真実 10月1日 未 樋口廣太郎――「聞くこと」から始めたアサヒビール再建 10月26日 収 春日野八千代――宝塚男役という「虚構」を生きた80年 11月2日 未 ノロドム・シアヌーク――「気まぐれ殿下」がカンボジアにもたらしたもの 11月30日 未 宮史郎
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