2025-08-17

都会にあり地方に無いのは、文化ではなく「人生選択肢」だ

ここで言う「都会」は、東名阪札仙広福といった大都市圏に、電車や車で30分以内で行ける距離感を指している。

一方、私が育ったのは人口数万人程度の地方都市

振り返ると、そこに足りなかったのは単なる文化や娯楽ではなく、「人生選択肢」そのものだった。

選択肢の乏しさ

 文化部や帰宅部という発想自体が無かった。今ではもっと部活が減っているらしい。

 社会勉強としての「働く経験」を選べる余地も無かった。

 近所に大卒大人すらいなかった。


大人になって残った「心の傷」

特に大きかったのは、中学文化部が存在しなかったことだ。

音楽美術に触れる機会がほとんど無いまま、成長してしまった。

大人になってから楽器演奏できる人や、趣味で絵を描く人に出会うたびに、強い憧れと同時に「自分には選ばせてもらえなかった」という喪失感が蘇る。

これは単なる劣等感ではなく、子供時代選択肢の欠如が心に残した傷だと思う。

都会との違い

都会で育った人は、感受性の豊かな0歳〜20代前半の間に、さまざまな文化や進路の選択肢に触れられる。

実際に選ばなかったとしても、「知っている」こと自体人生の幅を広げる。

一方、地方にはその「知る機会」すら与えられない。

からこそ、地元に残っていたら私は工場勤務か派遣で一生を終え、同僚とはパチスロや車か、せいぜいソシャゲの話に没頭していたと想像できる。

地方創生への提言

いま地方過疎化しているのは当然だと思う。

そこにはパン仕事)もサーカス文化)も無い。

もっと正確に言えば、子供に「人生選択肢」を提示する仕組みが欠けている。

もし本気で地方創生を考えるなら、雇用企業誘致だけでは不十分だ。

子供の頃から多様な文化や進路に触れられる場を整備し、人生選択肢を数多く示すこと。

その積み重ねが、地方に残る人を増やし、帰ってくる人を呼び込む唯一の道ではないだろうか。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん