GACKT自身が女性から痴漢を受けたという体験を持っているらしい。
たしかに、痴漢の加害者は男性が圧倒的大多数という統計的な事実がある。
したがって、「加害者は男(だろう)」というのは決めつけではなく、ある程度妥当なリスク認識に基づいたものだと言える。
(補足するが「加害者は男に間違いない!」と言い切るような言説は決めつけであり不適切だが、実際には「加害者には男しかいない!女が痴漢するわけない!」という極端な主張をしている人は少数だろう。少なくとも大多数ではないだろう。したがって、このGACKTの書き方から、「加害者は男(に違いない)」は除外し、「加害者は男(だろう)」という意味で捉えることにした)
ただGACKTが全面的に悪いのかといえば、それは違うかもしれないと感じた。
GACKTは、女性から痴漢を受けるという圧倒的少数派の個人的経験と、世間の「痴漢は男がやるもの」という社会的通念の間で認知的不協和を起こした可能性がある。
この認知的不協和を解消するために「痴漢加害者は圧倒的大多数が男」という統計的現実を丸ごと無視したのではないだろうか。
その上で認知的不協和を解消するために、「痴漢は男がやるものというのは決めつけだ」というジェンダー論に結論を見出した。統計的事実を受け入れるよりも、「性別で語る事自体が問題だ」という方向に思考を移したのかもしれない。(しかしこの転換は因果が逆転しているため、正しくない)
この認知の歪みは誰にでも起こりうる。
もしこの仮説が妥当だとすれば、GACKTの思考の歪みを生み出した最大の原因は痴漢という加害行為そのものではないだろうか。元を辿れば痴漢が悪い。
痴漢の被害に遭ったという経験それ自体は深刻なものだ。しかし、それを根拠にして一般的なジェンダー認識を否定するのは、論理として成り立っていないと考える。
痴漢の被害に遭ったという経験に寄り添うことと、事実誤認を正すことは矛盾しない。ここは分けて考えるべきで、問題の出発点である痴漢加害者という元凶の存在を忘れることなく、被害に寄り添いつつも、誤った言説には冷静に反論する姿勢が必要だろう。
それと同時に、GACKT個人に対して、単に人格を否定するような批判や揶揄で終わらせてしまうのは建設的ではない。思考の誤りは正されるべきだが、個人攻撃とは切り離すべきだ。
繰り返すが、この歪みの原因は痴漢という加害行為と加害者にある。責任はあくまで痴漢にある。
この仮説が間違っていないのであれば、GACKT本人が自らの認知的不協和を自覚し、見つめ直さない限り、性暴力を取り巻く社会的構造を正確に捉えるのは難しいだろう。その結果として、加害者の大多数が男性であるという統計的事実や、被害者の大多数が女性であるという現実に適切に向き合うことができない。どれほど本気で思考を重ねたとしても、その答えは歪み続け、女性被害者の視点に立つことも難しい状況が続く。本気で思考すればするほど答えが歪んでいくのは、本人も苦しいのではないだろうか。
結論としては、性別を問わず、痴漢という行為自体を根絶する方向に社会が進むことを願う。
被害の大小や男女論によって語られるのではなく、加害行為そのものを許容しないという認識が求められる。
ネットには様々な人がいるので補足しておくが、私は「男性が奢るべき」という考え方については否定的だ。
「奢りたい」という気持ちは男女問わず本人の自由であり行動に移す権利は本人にあるが、性別に根差した「べき論」には激しく疑問を感じる。