妻のがん治療を続けてきたが、どの治療も効果を上げることができず、先月から自宅で終末期の緩和ケアを行っていた。
訪問看護の助けを借りながらも、落ち着かない日々が続いていたが、とうとうその時が来たようだ。
妻とは二人暮らしで、お互いの家族とは遠距離に住んでいるため、すっかり疎遠になっている。
妻ががんと診断されてからは、毎回診療に付き添い、できる限りの支えを続けてきた。
しかし、治療の甲斐なくがんの進行を抑えることができず、病状が急激に悪化して入院。その後、自宅で緩和ケアを行うことになった。
自分は毎日、家事と妻の介護をこなしながら、訪問看護師の対応や手伝いに追われる日々を送っていた。
毎日数回、看護師が来るという生活は思いのほか慌ただしく、自分も妻も十分に休むことができず、心身ともにしんどい日々だった。
それでも、クリスマスには少し奮発して豪華な食事とケーキを楽しみ、年末は年越しそばを作り、正月には鍋物を作ってあげたりした。
しかし、次第に妻が眠る時間が増え、食事も少ししか摂れなくなり、次第に水や果物だけが頼りの生活になっていった。
この頃、自分も妙に疲れてしまい、看護師が来る時間以外は寝てしまうことが多かった。
起きている時は二人でYouTubeを見たりして、わずかな時間を過ごしていた。
妻のアレフガルドに来たばかりのプレイ中のドラクエ3HD2Dを起動したままで。(ラーミヤがもっさりし過ぎて数日やめなかったらクリア出来ていただろうか?)
世間は長い連休だったようだが、その休みが明けた頃、妻との意思疎通が急にできなくなった。
がんが脳に転移して、その症状が出たのだろう。
それ以降は水分補給も難しくなり、弱っていく妻を見守るしかなかった。
1日に数秒だけ、言葉を理解しているように見える瞬間があるが、意識が覚醒するたびに「体が痛い」「苦しい」という訴えが繰り返される日々だった。
最後に妻が口にした食事は冷凍の果物だった。意思疎通があやふやな状態でも少しだけ食べることができたのだ。
水はもう飲めなくなっていたが、氷や冷凍果物はなんとか口にできた。
氷を口に含ませながら、「これで水分補給ができるね」と話していたことを思い出す。
その夜、冷凍みかんと冷凍イチゴを用意すると、妻は「おいちい、おいちい」と嬉しそうに食べていた。
「ごちそうさま、もういい」と言うので冷凍庫に片付けたが、戻ってくると妻は手をテーブルに置き、「もうない、残念。もっと食べたい。残念」と哀しそうにつぶやいた。
「まだまだあるよ、食べる?」と聞くと、妻は「もっと食べたい。眠い。1時間後に食べる。起こして」と言って眠りについた。
しかし、1時間後に起こした時には意識が朦朧としており、氷を食べるか尋ねると「食べたい」と答えたものの、嚥下が難しくなっていたため、すぐに口から取り出した。それ以来、意識がはっきりすることはなかった。
今思い出しても悲しくなる。すぐに果物を出していっぱい食べたと言わせるべきだった。今も冷凍庫の中にたくさん残っているというのに…。
その後の日々では、意識が覚醒するたびに体の痛みを訴える妻に麻薬を追加投与する生活が続いた。機械のボタンを押せば投与できるのだ。
さらに、痰が詰まる苦しみが加わり、ひどくなった時に看護師を呼んで吸引器で対応してもらったが、妻はそれをとても嫌がった。苦しいし気持ち悪いし辛いと言うのを前に入院した時に聞いていたので良く分かるが、それでも少しでも痰を取り除くしかなく、その間、妻の苦しむ表情を見るのがつらかった。
そんな日々でも、一日の中でほんの数秒でも、言葉を理解して反応してくれる瞬間があったことは、ささやかな救いだった。
そんな日々に何もできない自分が悔しくて、泣きながら「苦しませてごめん」と謝るしかなかった。
それに「愛してるよ」「大好きだよ」と元気なうちに最も伝えるべきだったと後悔した。
麻薬の効果が十分ではなく、体の痛みを完全にコントロールできない中、昼夜を問わず追加投与する日々が続き、自分もほとんど寝られなかった。
心身ともに追い詰められる中で、先日、点滴で眠らせるような薬を追加することになり、ようやく妻は安らかに眠れるようになった。
その穏やかに眠る姿を見て、久しぶりに自分も体を休めることができた。
妻の脈は次第に弱くなっていき、今日か明日にも…と医師から告げられた。
子供はおらず妻が居るからと生きてきた数十年。自分はこれからどう生きたものかな。
よく分からないや。
疲れてしまったのでここまで。
他に、家族に容体を伝えたこと、妻の友人に伝えたがちょっと迷惑な反応で心労が溜まったこと。看護師さんの何気ない言葉が妻をひどく悲しませたこと。終活の準備が全然出来ていないことなどを書くつもりだった。
元気や機会があれば書くかもしれない。
長文書ける人ってすごいな。
追記:
みなさん、本当にありがとうございました。
日々の看護おつかれさま 長文が書けないのは、一生懸命看護して疲れているせいもあるかもよ 文体なんて気にせず、書きたいことをのこしておけばいいよ その時の記録はその時に書く...
石破じゃなければ妻ももっと長生きできたのにな
自民党は疑う余地なき売国奴だけど、 日本は税金の使徒が世界最悪の途上国並みに不透明で 何に税金使っているかまるで見えない独裁国家だが、 それでも医療費には過剰なまでに死ぬ...
おまえら、頭おかしいんちゃうか? 人の死でオナニーはじめるとか、正気を疑うわ
うちも40代子なし夫婦だから、読んで泣いてしまった。 元気なうちに言いたいことを伝えます。
創作に感動するとはねぇ
全米が泣いた
本当にお疲れ様です。 自分も3年前に妻を肺がんで亡くしたのですが、最後の状況は全く一緒でした。 苦しみながら段々意思疎通が取れなくなっていく妻を見ていて本当に辛い時期でし...
心から愛した人が衰弱し、苦しむ様を見守り、そして見送る悲しみは筆舌に尽くしがたい。想像するにもまだ足りない。 それでも、増田がいたからこそ、奥さんは幸福に感じる時間がた...
お気持ちお察しします.号泣しました
来たる時が来ても、しばらく忙しい日が続くだろう。今は身体を休めてほしい。 身内が癌治療しているから他人事には思えないよ。 肉体が疲れていて考えることも億劫になるなか、細君...
看取りってのも大変だな
へー配偶者の死の間際に長文書く余裕はあるんだ こういう創作って何がおもろいの?
アンタと冗談のセンスが違うだけだろ、センスねーな🙄
相談する人がいなくて吐き出す先がない人が吐き出す場として増田があってもいいじゃん
緩和ケアに入った時点で殺せるようになれば良いのにな と、間質性肺炎で寝たきりでウンコすら行けないまま半年くらい「苦しい」とだけ言い続けてくたばった母を思い出しつつ 俺はど...
家族が苦しみ弱っていくのを見続けるのはとても辛いですよね。色々やることはあるけど、無力感に苛まれます。
書いた後疲れて寝てて起きたらブコメでコメントいただいて嬉しかったです。 優しい言葉に泣いちゃった。本当にありがとうございます。 自分のメモにもなるので、ここに今思ったこと...
気の利いたこと書けないけど 増田は凄いよ よく頑張っているよ 辛い泣き言はここで吐き出せばいいよ
妻はまだ健在ですが、バイタルは徐々に弱くなっていくのがやっぱりつらいです。 みなさんの反応は読ませていただいています。参考にしていますし、優しい言葉に励まされてます。 ...
増田毎日お疲れ様、気の利いたコメントは到底できそうにないけど せめて穏やかに、後悔のないように行くことを願っているよ 辛かったらここで吐き出してな
同じ40代です。読ませてもらっています。去年の夏に妻ががんになり冬には母ががんと診断を受けました。2人とも根治治療を進めてますのでこれから先を見ていますが、治療が上手くい...
皆さんのアドバイスのおかげで、妻にたくさん話しかけながら見送ることができたと思います。 本当にありがとうございました。 私が見守る中、妻は眠ったまま静かに旅立っていきま...
くだらない嘘松でブクマ貰って嬉しいねえ
君が死にそうな時誰も相手してくれなくなるよ
当たり前の1日1日をもっと愛そうと思いました。
お二人ともお疲れ様でした。 奥様は待ってくださると思いますから、まずは身体を休めて ゆっくり人生を謳歌してから数十年後迎えに行ってあげてください。
ここからまたいろいろ手続きが忙しいなか報告ありがとう。二人三脚の人生がおわっても一人で歩く人生はまだまだ続く。いろんな人の支えで倒れないように気をつけて進め
これからだよ 思い出が襲いかかってくるから 覚悟しとけよ そして、さっさと捨ててしまえ 誰よりもお前の妻が愛したお前のためだ
そういう大事な記憶をこんな掃きだめに残さんでもな。
実名やったら他の遺族にわやわやいわれて、看護不十分損害賠償遺産分割めんどくせ~ってなる気持ちは、わいも父を見送ったからよくわかるやで
anond:20250113152328 うちも先月がんで40代の夫を看取りました。 在宅勤務しながらどんどん悪化する夫を介護して3ヶ月...うちの場合は末期の時期は短くあっという間でしたが、できるだけ一...
関係ないんだけど、 「インターネットは明るいニュースだけ見たい」 とか言ってた人けっこういたけど、こういう増田も目障りだったりするんだろうか
うん