2013/10/17

「頑張れ」の功罪

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「頑張れ」という言葉は相手を励まし、勇気づける言葉としてしばしば用いられますが、
時と場合をわきまえて使う必要があると思います。

例えば、震災で肉親を亡くして悲しみのどん底に打ちひしがれている、あるいは長期間にわたって
心の病に苦しんで気力を喪失している人などに対して「頑張れ」という言葉はタブーです。

なぜなら、このような頑張れなくて頑張っていない人に対して「頑張れ」という言葉を使うと、
頑張ったからといって肉親が生き返ってくるわけでもなく、辛い辛い心の病が簡単に治癒する
わけでもなく、一体どうすれば良いの?これ以上何を頑張れというの?という返事が返ってくる
でしょう。

ですから、このような人に対して「頑張れ」というのはお門違いというか、無責任というか、
あまりにも身勝手な他人事のような言い方なのです。

この場合、「頑張れ}ではなく、ただそばに座ってその人の手に自分の手を重ねて黙って
一緒に涙をこぼしているだけの方がどれほど良いか知れません。

まず相手の苦境を理解し、共感することが大切なのです。
その意味で、上述のように体全体で「共感」の意を示した後に優しい言葉がけをしてあげれば、
相手にとっては砂漠の中のオアシスになるのではないでしょうか(T)。



2013/10/10

親がなくても??

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巷では親はなくても子は育つとよく言われます。
確かに子は育つでしょう。

しかし、親が離婚したために片親の中で育てられた子供、再婚した新しい親のもとで育てられた子供、
里親に引き取られて育てられた子供、そんな子たちは沢山の心の傷を背負って生きていくのです。
永遠に消し去ることのできない心の痛手を・・・・・
生みの親に一目でいいから会いたいと思う一方で、自分を見捨てた生みの親が憎いという複雑な思い
を胸に秘めながら生きて行くのです。
その子たちが大人になり、結婚して人の子の親となったとき、果たして問題なく子供を育てていく
ことができるでしょうか。難しいでしょうね。

なぜなら、そのような環境で育った子供たちというのは自分の生みの親を信じることができなくなって
いるだけでなく、広く人間を信じることも困難になってしまっています。

その結果、自分中心的な考え方に陥って、頼れるのは自分しかいない、どんな場合も自分が正しい、
悪いのは相手と思うようになりますから、親となっても自分の子供に対しては自分の思う通りに
育てようとするために、何かにつけて親子間で摩擦が生じ、挙句の果てには家庭の中がバラバラに
なって、そこからいろいろな問題がでてきてしまうのです。

このような暗闇状態に陥らないように、子供は両親のもとで育てられなければいけないのです。
結婚というのは軽々しく考えてはなりません。
そして一旦結婚したら、自分勝手な都合で離婚してはなりません。
母親は子供たちに全力で愛を投入し、子供たちを裁かずに許し、全ての原因は自分にあると反省
しながら、先ず自分が変わっていくように努力しなければならないのです。
これは親としての責任というものですね(C)。
2013/10/07

5人に1人

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長い人生において、人はだれでも平等に幸せ半分、不幸せ半分を経験するといいます。

しかし、日本では国民の5人に1人が一生の間に心の病気にかかるといわれる時代になりました。
現在は、国民の11人に1人が心の病気を患っているといわれ、
うつ病の患者数はここ10年で2倍にもなりました。
さらに、過去10年以上、毎年3万人以上の人が自殺によって命を落としていて、
この内の75%が心の病気を患っていた人であるといわれています。

もはや、心の健康の問題は私たちにとって極々身近な問題になってきています。
そして心の病気を患っている人は、日々辛い辛い思いをしながら苦しんで生活しているのです。
加えて、心の病気は外見上では判かりにくいために、症状についての周囲の理解を得るのが難しい
ことが多いという問題があり、
その結果、対人関係において様々な誤解や支障が発生したりします。

このような心の病気にはいろんな種類があります。代表的なものをあげるとうつ病、統合失調症、
パニック障害、発達障害、性同一性障害、強迫性障害などです。

うつ病には人口の7~10%の人がかかるといわれており、気持ちが落ち込む、やる気が起きない、
集中力が低下する、夜眠れない、食欲がない、頭痛や吐き気がする、自分を責める気持ちが強まる、
死にたいと思ってしまう等の症状に苦しみます。

一方、統合失調症には人口の約1%の人がかかるといわれています。
患者さんは、実際には無いものが聞こえたり見えたりする(幻覚)、事実ではないものを確信してしまい、
修正できない(妄想)、これらの症状に関連してとても不安になったり、興奮して暴力を振るって
しまったり、人とのコミュニケーションがうまくとれなくなったり、うつ病と同じようにやる気が起きなく
なったり、気持ちが落ち込んだり、夜眠れなくなったりします。

またパニック障害は人口の2~3%の人がかかる病気です。
この病気では、脳の中枢の不調と不安な気持ちとの悪循環によって動悸や息苦しさが主な症状として
現れ、時に発作につながると、このまま死んでしまうのではないかという恐怖心におびえると共に、
このような発作がまた起きるのではないかという不安に曝されるため、日常の行動が制限されることに
なったりします。

発達障害は、先天的なさまざまな要因によって主に乳幼児期に現れ始める脳機能の発達に関係する
障害で、人とのコミュニケーションが困難になって、生活に支障をきたす病気です。

性同一性障害は、自らの性別に違和感や嫌悪感を持ち、生活上のあらゆる状況において、その
性別で扱われることに精神的な苦痛を受ける病気で、自己の意識に近づけるために手術によって
性転換を行う場合があります。

強迫性障害は、手の汚れが気になり、手や体を何回も何回も洗わないと気が済まない(不潔強迫)、
外出の際に家の鍵やガスの元栓を閉めたか気になり、何度も戻ってきて確認する(確認行為)、
車の運転をしていて、気が付かないうちに人を轢いてしまったのではないかと不安になる(加害強迫)、
などの症状があります。

では、心の病気といわれるこのような精神障害を患っている人達に対して私達はどのように接すれば
良いのでしょうか。

最も大切なことは、精神障害は「気持ちの持ちようでなんとでもなる」というような精神論的なこと
ではなく、あくまでも「心の病気である」と理解して接するようにすることです。
(1)障害者も健常者も同じ人間であることを忘れずに。
   障害者は好きで障害者になったわけではないのだから。
(2)傾聴し、共感する(必ずしも同意ではない)ことによって、相手を安心させる。
   相手を受け入れ、歩み寄り、相手が何を思っているのかに意識を向け、家族は味方であるという
   メッセージを送り続ける。
   自分の考えを押し付けない。自分の考えは最後にいう。
(3)相手の今を認め、良いところを見つけてほめる。
   相手は怠けているのではない。励ましは逆効果。   
   焦らずに静養させながら、回復の希望を持って接する。
(4)暴言を吐かれても穏やかに対応して鎮静化するのを待つ。
(5)「死にたい」という言葉がでたときは、絶対に自殺しないという約束を交わすようにする。
   毎日がへとへと状態で生きているのだから、生きているだけで立派。
などなど(T)
2013/10/01

真(まこと)の愛(4)

20040502縄が池4aca


核家族化が急速に拡大した1970年前後、世の中の夫は外で働き、妻は家で家事を分担して
いました。
私も、子供が生れてからは外で働くことは殆どしませんでした。
夫に家事を手伝ってほしいと思ったこともありませんでした。

しかし、最近の若い方は外で働きながらの子育てですから、本当に大変だと思います。
夫に家事を手伝ってほしいと思うのは当然でしょう。

ところで、夫に仮に手伝う気持ちがあったとしても、夫はきっと毎日、外で沢山のストレスを抱えて
帰ってくるのですから、そんな夫に家事を手伝ってとまではいえないですね。
夫の母親が「女性は結婚したら家事に専念して家を守る役割があるけれども、夫は家族を養うために
外で働かなければならず、外で働いている中で常に7人の敵に囲まれているので、精神的に大変な苦労
をしているのです」と言っていました。
ですから、夫が仕事から帰宅したら、家はくつろいでストレスを発散する場として考えてあげなければ
ならないのです。

そこで、前のブログにも書きましたように、三世代同居家族の形態が重要になってきます。
妻は、人生経験豊富なおじいちゃん、おばあちゃんに家事全般を助けてもらいながら、「知・情・意」を
教えていただいて成長していくのです。

そんな訳で、妻は夫を支えながら、おじいちゃん、おばあちゃんに感謝しなければなりません。
また夫婦でいい争ったり、喧嘩をしたり、悪口を言ったりするところを絶対に子供に見せたり聞かせたり
してはなりません。
子供が大人になってからも同じです。自分の悩みなどは決して言わないようにしましょう。

妻は、このようにしておじいちゃん、おばあちゃんに感謝しながら夫の為に尽くし、子供のために
尽くし、周囲の人々のために尽くしして「為に生きる」を実践することが大事です。

人の為に生きることができる女性はどんなに素晴らしいことでしょう。
そのように輝いている女性が沢山いることも私は知っています。

ここまで、恰好の良いことを書いてきて、あたかも私がこのように実践してきたかのようですが、
前にも少し書きましたように、私は子育ては上手にはできませんでした(C)。