「頑張れ」の功罪
「頑張れ」という言葉は相手を励まし、勇気づける言葉としてしばしば用いられますが、
時と場合をわきまえて使う必要があると思います。
例えば、震災で肉親を亡くして悲しみのどん底に打ちひしがれている、あるいは長期間にわたって
心の病に苦しんで気力を喪失している人などに対して「頑張れ」という言葉はタブーです。
なぜなら、このような頑張れなくて頑張っていない人に対して「頑張れ」という言葉を使うと、
頑張ったからといって肉親が生き返ってくるわけでもなく、辛い辛い心の病が簡単に治癒する
わけでもなく、一体どうすれば良いの?これ以上何を頑張れというの?という返事が返ってくる
でしょう。
ですから、このような人に対して「頑張れ」というのはお門違いというか、無責任というか、
あまりにも身勝手な他人事のような言い方なのです。
この場合、「頑張れ}ではなく、ただそばに座ってその人の手に自分の手を重ねて黙って
一緒に涙をこぼしているだけの方がどれほど良いか知れません。
まず相手の苦境を理解し、共感することが大切なのです。
その意味で、上述のように体全体で「共感」の意を示した後に優しい言葉がけをしてあげれば、
相手にとっては砂漠の中のオアシスになるのではないでしょうか(T)。
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