加藤清正 Ⅱ その800
『太閤の遺言』
「それでは、おれは関白になっても、もう天下の主にはなれないんだよだね」
ふるえる声で言い、両眼は涙に光っていた。
清正はまた胸が熱くなり、両眼にめくめくと湧いてくるものがあった。
豊臣秀頼(1593-1615年)

「恐れながら、仰せのとおりでございます。よくおわきまえになりました」
秀頼はしばらく黙っていた。
清正から視線をそらし、どこか広間の柱の一つを見ている。
秀頼の左右や、下段の間に居流れている人々の間に、静かに動揺がおこった。
その人々は、みな非難するように目を清正に集めている。
『よしないことを言い出した』
と、また思った。
『しかし、いつかはこれは通らなければならない関所だ。言い出した以上、十分におわかりいただ
けねばならない』
と、厳しく覚悟をすえ直して秀頼の顔を凝視していた。
ふっくらとした白い頬は蒼ざめ、ぴくぴくと震えていた。
その頬から涙が伝わったかと思うと、震える声で言った。
「とと様のご遺言のようにはならぬのか。ご遺言では、おれが15になれば、天下は返されること
になっていたのだろう」
知らず、知らずに、清正は平伏していた。
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<参考文献:海音寺潮五郎「加藤清正」>
「それでは、おれは関白になっても、もう天下の主にはなれないんだよだね」
ふるえる声で言い、両眼は涙に光っていた。
清正はまた胸が熱くなり、両眼にめくめくと湧いてくるものがあった。
豊臣秀頼(1593-1615年)

「恐れながら、仰せのとおりでございます。よくおわきまえになりました」
秀頼はしばらく黙っていた。
清正から視線をそらし、どこか広間の柱の一つを見ている。
秀頼の左右や、下段の間に居流れている人々の間に、静かに動揺がおこった。
その人々は、みな非難するように目を清正に集めている。
『よしないことを言い出した』
と、また思った。
『しかし、いつかはこれは通らなければならない関所だ。言い出した以上、十分におわかりいただ
けねばならない』
と、厳しく覚悟をすえ直して秀頼の顔を凝視していた。
ふっくらとした白い頬は蒼ざめ、ぴくぴくと震えていた。
その頬から涙が伝わったかと思うと、震える声で言った。
「とと様のご遺言のようにはならぬのか。ご遺言では、おれが15になれば、天下は返されること
になっていたのだろう」
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加藤清正 Ⅱ その799
『関白とは?』
「それでは、江戸内府は天下の主となるのか」
声がふるえていた。
関白・豊臣秀吉(1537-1598年)

「これまでもそうでございましたから、名が備わったのでございます」
秀頼はしばらく黙った後、
「それなら、関白はどうなる」
「関白は京都御所の官職でございます。位は天下一でございますが、天下の政治には関係なさ
いません」
「とと様は関白でありながら、天下の主でもあったな」
また声がふるえていた。
清正は苦しくなった。
よしないことを言い出してしまったなと思った。
秀頼の幼い心に動揺があり、いきどおりがあることは明らかであったが、清正は心を励ました。
「太閤様は天下の主となられましたので、関白になられたのでございます。関白であられたとゆ
え、天下の主であられたのではございません。ここのところは、よくよくおわきまえなさなければな
りません」
秀頼は口の中で何かしきりに呟きはじめた。
こちらには聞こえないが、今、清正の言ったことを繰り返しながら吟味しているのに違いない。
やがて、意味するところがわかってきたようであった。
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「それでは、江戸内府は天下の主となるのか」
声がふるえていた。
関白・豊臣秀吉(1537-1598年)

「これまでもそうでございましたから、名が備わったのでございます」
秀頼はしばらく黙った後、
「それなら、関白はどうなる」
「関白は京都御所の官職でございます。位は天下一でございますが、天下の政治には関係なさ
いません」
「とと様は関白でありながら、天下の主でもあったな」
また声がふるえていた。
清正は苦しくなった。
よしないことを言い出してしまったなと思った。
秀頼の幼い心に動揺があり、いきどおりがあることは明らかであったが、清正は心を励ました。
「太閤様は天下の主となられましたので、関白になられたのでございます。関白であられたとゆ
え、天下の主であられたのではございません。ここのところは、よくよくおわきまえなさなければな
りません」
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加藤清正 Ⅱ その798
『征夷大将軍』
「若君の仰せられるとおり、将軍とは戦の時に軍勢を率いてまいる総大将のことを申すのでありま
す。爺のようなものでも、高麗に参っていた頃には向こうの者どもから将軍と呼ばれていました。
豊臣秀頼(1593-1615年)

しながら、日本で普通に将軍と申します場合は、征夷大将軍を略して呼ぶのでございます。この征
夷大将軍も、元来の意味は、遠い遠い昔、奥州や出羽あたりにまだ多数の蝦夷がいまして、これが
色々と悪いことをしますので、それを征伐する軍勢の総大将ということでございますが、武家の世
がはじまりましてからは、そういうこととは関係なく、武家の棟梁として、公卿方にかわって、天
下の政治をつかさどる役目となったのでございます。江戸内府は、今度その役目におつきになるの
でございます」
秀頼は、まばたきせひとつせず、聞いていた。
色白の顔にかすかに血が上がって、目に光を帯びてきたようであった。
言ってはならないことを言ってしまったのかも知れない。
これまで聞かせないできたのは、もっと理由のあることかも知れないという気がしてきた。
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「若君の仰せられるとおり、将軍とは戦の時に軍勢を率いてまいる総大将のことを申すのでありま
す。爺のようなものでも、高麗に参っていた頃には向こうの者どもから将軍と呼ばれていました。
豊臣秀頼(1593-1615年)

しながら、日本で普通に将軍と申します場合は、征夷大将軍を略して呼ぶのでございます。この征
夷大将軍も、元来の意味は、遠い遠い昔、奥州や出羽あたりにまだ多数の蝦夷がいまして、これが
色々と悪いことをしますので、それを征伐する軍勢の総大将ということでございますが、武家の世
がはじまりましてからは、そういうこととは関係なく、武家の棟梁として、公卿方にかわって、天
下の政治をつかさどる役目となったのでございます。江戸内府は、今度その役目におつきになるの
でございます」
秀頼は、まばたきせひとつせず、聞いていた。
色白の顔にかすかに血が上がって、目に光を帯びてきたようであった。
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加藤清正 Ⅱ その797
『将軍』
「将軍? 将軍? 戦が始まるのか」
秀頼の様子には殆んど変化はない。
無意味なほどに無邪気な顔で問い返した。
加藤清正(1562-1611年)

しかし、人びとが意味ありげにしんとおし静まっているのを見ると何か不安になったらしい。
「将軍とは、戦の時に軍勢を率いて行く総大将のことじゃろ」
といった。
不思議なことを仰せられると、清正は一瞬とまどったが、すぐ、秀頼様は将軍と言う言葉は天下の
政治を主という特殊な意味のものになっていることをお知りでないのだと気づいた。
無理はないのかも知れない。
征夷大将軍という官名を持った者が日本の政治の主であった事実は、この30年ばかり絶えている。
元亀4年に最後の足利将軍であった義昭が信長に追われたあとは、信長公も、太閤様も、征夷大将
軍には任官なさらず、信長公は右大臣、太閤様は関白、つまり公卿の天下の主であられた。
まだ幼い秀頼様の心に、将軍という言葉が原義のままにしか受け取られてうばいのは、当然のこと
なのかも知れない。
この城内では特にそうとしか教えていないぼでのあろうと思った。
厄介なことになった。
将軍ということばの現実の意味から説明しなければならないことになった。
清正はそれをやってのけようと決心した。
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秀頼の様子には殆んど変化はない。
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加藤清正(1562-1611年)

しかし、人びとが意味ありげにしんとおし静まっているのを見ると何か不安になったらしい。
「将軍とは、戦の時に軍勢を率いて行く総大将のことじゃろ」
といった。
不思議なことを仰せられると、清正は一瞬とまどったが、すぐ、秀頼様は将軍と言う言葉は天下の
政治を主という特殊な意味のものになっていることをお知りでないのだと気づいた。
無理はないのかも知れない。
征夷大将軍という官名を持った者が日本の政治の主であった事実は、この30年ばかり絶えている。
元亀4年に最後の足利将軍であった義昭が信長に追われたあとは、信長公も、太閤様も、征夷大将
軍には任官なさらず、信長公は右大臣、太閤様は関白、つまり公卿の天下の主であられた。
まだ幼い秀頼様の心に、将軍という言葉が原義のままにしか受け取られてうばいのは、当然のこと
なのかも知れない。
この城内では特にそうとしか教えていないぼでのあろうと思った。
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将軍ということばの現実の意味から説明しなければならないことになった。
清正はそれをやってのけようと決心した。
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加藤清正 Ⅱ その796
『秀頼に対面』
翌日は、大坂城へ出頭する。
秀頼は躰はずっと大きくなっていたが、顔立ちは少しも変わらず幼げで、利発そうには見えなかった。
故太閤には似もつかず美しい目鼻立ちと色白でなめらかな皮膚をしている美少年だ。
豊臣秀頼(1593-1615年)

形の上の器量などどうでもよい。
せめて心の器量が太閤様の半分もあればと思ったが、いやいや、これで良いのだ、なまじ賢くては、
かえってお家は安泰でないと、いつもの思案がかえってきた。
「爺よ、よく来たな。しかし、今度は何の用で来たのだ」
と、秀頼は問いかけた。
家康の将軍宣下のことを少しも知らない風である。
聞かせてはいけないであろうかと疑った。
もしそういう風に世間のことなど少しも知らないよう育てているのであれば、知恵のつく筈はないと
思った。
知らせるべきか、知らせたら後でおふくろ様のお叱りを受けることは必定だと、しばらくためらったが、
やはり知らせるべきである。
知らせて、秀頼の名をもって祝儀を申し送らせるべきと思い返した。
「若様もご存じでございましょう。この度、江戸内府に将軍宣下がありますについて、祝儀を申すた
めに出てまいったのでございます」
秀頼の左右の臣、清正とともに下段に間にいる武士らは、一瞬、雷に打たれたような表情になった。
シーンとした、静粛が広間を領した。
案の定、これは秀頼には知らせてはならないことになっていたのだ。
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秀頼は躰はずっと大きくなっていたが、顔立ちは少しも変わらず幼げで、利発そうには見えなかった。
故太閤には似もつかず美しい目鼻立ちと色白でなめらかな皮膚をしている美少年だ。
豊臣秀頼(1593-1615年)

形の上の器量などどうでもよい。
せめて心の器量が太閤様の半分もあればと思ったが、いやいや、これで良いのだ、なまじ賢くては、
かえってお家は安泰でないと、いつもの思案がかえってきた。
「爺よ、よく来たな。しかし、今度は何の用で来たのだ」
と、秀頼は問いかけた。
家康の将軍宣下のことを少しも知らない風である。
聞かせてはいけないであろうかと疑った。
もしそういう風に世間のことなど少しも知らないよう育てているのであれば、知恵のつく筈はないと
思った。
知らせるべきか、知らせたら後でおふくろ様のお叱りを受けることは必定だと、しばらくためらったが、
やはり知らせるべきである。
知らせて、秀頼の名をもって祝儀を申し送らせるべきと思い返した。
「若様もご存じでございましょう。この度、江戸内府に将軍宣下がありますについて、祝儀を申すた
めに出てまいったのでございます」
秀頼の左右の臣、清正とともに下段に間にいる武士らは、一瞬、雷に打たれたような表情になった。
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加藤清正 Ⅱ その795
『徳川家の隠密』
きっと徳川家の隠密に違いないのである。
今度の将軍宣下にたいして、豊臣家が平らかな心でいる筈がないと、徳川家は思っているに違いない。
豊臣家恩顧の大名らがこれをどう受け止め、どう出るか、不安がなかろう筈がない。
自分や、福島や、浅野など、最も不安がられている筈である。
ハットリくん

おそらく、相当前から大坂には多数の隠密が各地に潜伏していよう。
特に自分ら3人の屋敷の周囲にはびっしりと伏せられて、屋敷の動静を伺っているに違いない。
金官は片桐の屋敷を出た頃からだと言うが、それどころか、船が大坂の港に着いた時から、自分の、
周りには隠密の陰険な目が光っていたと思ってよい。
『徳川家もご苦労なことをする』
と、冷笑したくもあるが、無理からぬことであるとも思う。
このような嫌疑を受けることは、いい気持ちではないが、これを着にしてかれこれしては、かえって
結果はよくない。
益々嫌疑を深めてついにはひょうたんから駒が飛び出すようなことが、世間には往々にある。
「気にすることはないぞ」
と、清正は言った。
「大丈夫でございますでしょうか」
「大丈夫、大丈夫」
ふりかえずもせず、薄月の下を屋敷に帰った。
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<参考文献:海音寺潮五郎「加藤清正」>
きっと徳川家の隠密に違いないのである。
今度の将軍宣下にたいして、豊臣家が平らかな心でいる筈がないと、徳川家は思っているに違いない。
豊臣家恩顧の大名らがこれをどう受け止め、どう出るか、不安がなかろう筈がない。
自分や、福島や、浅野など、最も不安がられている筈である。
ハットリくん

おそらく、相当前から大坂には多数の隠密が各地に潜伏していよう。
特に自分ら3人の屋敷の周囲にはびっしりと伏せられて、屋敷の動静を伺っているに違いない。
金官は片桐の屋敷を出た頃からだと言うが、それどころか、船が大坂の港に着いた時から、自分の、
周りには隠密の陰険な目が光っていたと思ってよい。
『徳川家もご苦労なことをする』
と、冷笑したくもあるが、無理からぬことであるとも思う。
このような嫌疑を受けることは、いい気持ちではないが、これを着にしてかれこれしては、かえって
結果はよくない。
益々嫌疑を深めてついにはひょうたんから駒が飛び出すようなことが、世間には往々にある。
「気にすることはないぞ」
と、清正は言った。
「大丈夫でございますでしょうか」
「大丈夫、大丈夫」
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加藤清正 Ⅱ その794
『帰り道』
やがて、清正は言った。
「どうじゃろう。祝儀の使いを出したことは、いつまでも隠しておくわけには行くまいで、わしが
明日登城した時に、申し上げようか」
「そうじゃのう。ご納得いただけるかのう。ほかならぬおぬしの申し上げること故、いくらかはい
くさつがあっても、まあ納得くださろう。そうしてくれるか」
話しは決まった。
あとは暫く閑談して、辞去した。
加藤清正(1562-1611年)

来るときは出ていなかった月が出ていた。
19日の痩せた月であった。
その薄い月光を踏んで、ゆっくりと歩を進めていると、すぐ後に従っている金官が、ふと、
「殿様」
と、ささやくように声をかけた。
「なんだ」
「おふり返りにならずに、前をお向きになってまま、お歩きを願います」
金官はきょろきょろと落ち着きがない。月光のせいだけでなく、真っ青な顔をして、少し震えてい
るようでもある。
「どうしたのだ」
「どうぞ、私の申したようにしてくださりませ」
「そうか」
前を向いて、ゆっくりと歩く。
ささやくように、金官は言う。
「少しおかしいのでございます。さっきのお屋敷を出ました時から妙な人影がついてまいります。
振り返りますと、姿を隠すのでございます」
「そうか、そうか」
思い当たるところがあった。
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「どうじゃろう。祝儀の使いを出したことは、いつまでも隠しておくわけには行くまいで、わしが
明日登城した時に、申し上げようか」
「そうじゃのう。ご納得いただけるかのう。ほかならぬおぬしの申し上げること故、いくらかはい
くさつがあっても、まあ納得くださろう。そうしてくれるか」
話しは決まった。
あとは暫く閑談して、辞去した。
加藤清正(1562-1611年)

来るときは出ていなかった月が出ていた。
19日の痩せた月であった。
その薄い月光を踏んで、ゆっくりと歩を進めていると、すぐ後に従っている金官が、ふと、
「殿様」
と、ささやくように声をかけた。
「なんだ」
「おふり返りにならずに、前をお向きになってまま、お歩きを願います」
金官はきょろきょろと落ち着きがない。月光のせいだけでなく、真っ青な顔をして、少し震えてい
るようでもある。
「どうしたのだ」
「どうぞ、私の申したようにしてくださりませ」
「そうか」
前を向いて、ゆっくりと歩く。
ささやくように、金官は言う。
「少しおかしいのでございます。さっきのお屋敷を出ました時から妙な人影がついてまいります。
振り返りますと、姿を隠すのでございます」
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