初期車(1・2次車)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 10:17 UTC 版)
「札幌市交通局7000形電車」の記事における「初期車(1・2次車)」の解説
第1編成(1次車)は試作車として開業の1年前に完成し、東西線で試験運転を実施した。しかし第2編成以降(2次車)も同様の設計・形状となったため、1・2次車の相違はない。塗装はベージュに近い色をベースに、東豊線のラインカラーであるライトブルーの帯が腰部と車体上部に配されている。6000形同様、先頭車両に行先表示器が設置されていない。この形式は札幌市交通局の地下鉄車両では最後のものとなった。2016年1月14日をもって第1編成が廃車されたことにより、7000形試作車が消滅した。なお、この日は記念プレートを添えての廃車となった。同年6月25日にさよなら運転を行い、営業運転を終了した。最後に運用に充当したのは第15編成であった。
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初期車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 07:25 UTC 版)
当初はクモハ165形・モハ165形・モハ164形・クハ165形・サロ165形・サハシ165形の6形式が製造され、これに加えて線区の事情に応じた派生区分や派生形式も製造された。2等車は1963年度から1967年度までの製造車が非冷房で、1等車は1963年度から1968年度までの製造車のうち1964年度以降に製造された車両が冷房新製車で落成した。本グループでは以下の車両が該当する。 クモハ165-1 - 122(122両) モハ165-1 - 17(17両) モハ164-1 - 80(80両) モハ164-501 - 514(14両) モハ164-801 - 845(45両) クハ165-1 - 155(155両) サロ165-1 - 129(129両) サハシ165-1 - 12(12両) サハ164-1・2(2両) また、製造途中で以下の設計変更も行われた。 クモハ165-56 クハ165-46以降:雨樋を運転室上部まで延長。 クモハ165-60 モハ165-6 モハ164-44・809 クハ165-59 サロ165-29以降ならびにサハ164形:台車をベローズ式空気ばねのままで耐久性向上ならびにボルスタアンカー強化かつ車軸径を増大したDT32B形・TR69B形に変更。 モハ164-69・836以降:空気圧縮機を従来のMH80A-C1000形2基からMH113A-C2000M形1基に変更。 1967年以降の新造車 :水タンクを鋼製からFRP製へ変更。 サロ165形では冷房化計画により以下の設計変更を実施。 29:冷房準備車で落成。 30以降:新製冷房車でAU12S形分散式冷房装置6基と容量40 kVAの自車給電用MGを搭載して落成。 163系・167系はすべて本グループでの落成であるが、モハ166形は1966年製の5以降が空気圧縮機をMH80A-C1000形2基からMH113A-C2000M形1基へ変更するなど165系同様の設計変更が行われた。 サロ163-1 - 7(7両) モハ167-1 - 15(15両) モハ166-1 - 15(15両) クハ167-1 - 22(22両)
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初期車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/09 07:53 UTC 版)
初期の5編成10両は、1967年11月に登場した5261 - 5262, 5263 - 5264の2両×2本を皮切りに、神戸高速鉄道開業後の1968年5月に登場した5269 - 5270まで、2両×5本が武庫川車両工業で製造された。 車体は7801・7901形1次車を踏襲し、裾部にRのない切妻スタイルとなっている。前面は切妻に貫通幌付の貫通扉を備えた3枚窓で、端部には雨樋が露出していた。客用扉は普通系車両共通の幅1,400mmの両開きドアを装備した。側面窓配置はd1D3D3D2(d:乗務員扉、D:客用扉)である。 パンタグラフは偶数車の連結面に1基搭載され、屋根上には従来の箱形通風器に変えてグローブ形通風器を搭載していた。また、屋根のRが300mmと小さく、幕板の幅も広いことから、他形式と併結されると高さに差異が出るため、凹凸がよく目立った。 台車は5231形と同様に住友金属工業FS-343を装着し、駆動装置も中空軸平行カルダンが採用された。歯車比も74:13で変更はなく、主電動機は5231形と同じ出力75kWの東洋電機製造製のTDK-814Bを各車4基搭載するが、制御器は1C8M対応の東芝製MM-27Aを偶数車に搭載した。 5269 - 5270の編成では、電子部品を多用した完全無接点式の制御装置を採用した。この装置は東芝と共同開発した東芝ME2-Aで、5270に搭載した。この制御器は他系列との併結に備えて、他車のMM-27Aと制御回路の動作が共通になるよう設計されていた。 起動加速度および減速度も、試作車以来の起動加速度4.5km/h/s、減速度5.0km/h/sを維持している。
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初期車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/21 06:48 UTC 版)
前述のように電動車(モハ)が17 m級車体、中間付随車(サハ)が20 m級車体と車体長こそ異なっているものの、いずれも屋根板および内装部分が木造とされた片側3扉構造の半鋼製車体である。モハはモハ311形と、サハはクハ1411形とそれぞれ外観上の類似点を多く有するが、窓上下の補強帯(ウィンドウシル・ヘッダー)が内部に埋め込まれてノーシル・ノーヘッダー構造となったことが主な相違点である。 モハの前面形状は当時の流行を取り入れる形で、国鉄80系電車に端を発する湘南型デザインが採用された。すなわち、前面を縦横中央部で折り曲げて後退角を設け、左右2枚の前面窓と中央上部に埋め込み式前照灯を備えるもので、各社に多数存在した湘南型の亜流デザインを採用した車両の中でも、本系列のそれは比較的オリジナルに忠実な設計とされている。ただし、標識灯が露出型の引っ掛け式とされた点や、オリジナルデザインでは前面向かって左側窓上に存在する運行番号表示窓に相当する設備がない点が異なる印象を与えていた。また、前面窓下中央部には行先種別表示板受けが設置されている。 この前面形状は前面窓を連続窓風に改めた551系、前面行先表示幕設置に伴い前照灯を腰部に移設し同部分にステンレス製の飾り板を設けた701系といった具合に後継形式にもアレンジを加えつつ脈々と受け継がれ、1984年(昭和59年)から1987年(昭和62年)にかけて新製された3000系まで、実に30年以上にわたって西武の通勤形車両の標準仕様であり続けた。 客用扉は1,100 mm幅の片開扉で、扉窓がHゴム固定とされたプレス扉である。側窓は鋼製サッシの二段上昇窓で、戸袋窓は開閉可能窓に合わせた二段窓形状である。窓配置はモハがd1D4D4D2(d:乗務員扉, D:客用扉)、サハが2D5D5D2と、車体長の差異からサハは扉間の窓が1枚ずつ多いほか、各部吹き寄せ寸法も両者で異なる。連結面は切妻構造で、800 mm幅の貫通路と貫通扉を有する。ベンチレーターはガーランド形を採用し、モハは5個、サハは7個搭載する。また、車内換気装置としてファンデリアが設置されたことから、ファンデリア直上のベンチレーター(1両あたり2個)は大型の特殊形状のものとされている。 車内はロングシート仕様で、床面および壁面は木製である。内装は壁面がピンク系塗装塗り潰し、シートモケットは深紅色と当時の国鉄の特別二等車(特ロ)と同様のカラースキームを採用し、運用開始当初は特別料金を必要とする車両と勘違いされたというエピソードが残る。また、車内放送装置と蛍光灯照明を西武の車両として初めて採用し、前述のように車内換気装置としてファンデリアを1両あたり2基搭載した。 501 - 509編成(初代)は同一形態で新製されたが、1956年(昭和31年)に増備された511編成(初代)より屋根および雨樋が鋼製化され、屋根の仕上げもキャンバス張りからビニール張りに変更された。鋼製雨樋は木製のものに比べて上下寸法が細く、設置位置も若干低くされたこととあいまって、従来車とは異なる印象を与えるものであった。
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初期車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 07:05 UTC 版)
「JR東日本キハ100系気動車」の記事における「初期車」の解説
1992年度(1993年2月)に製造されたグループで、キハ110形のみ10両 (201 - 210) が制作された。同100番台と比較し、車体はドアが引き戸式とされたため、側扉出入口の高さを従来の1,036 mmから970 mmに変更している。この側扉開閉機構の変更の関係で便所ユニットの位置、座席配置が100番台から変更されており、定員は118名となっている。
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初期車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 13:32 UTC 版)
初期の大型ノンステップバスはホイールハウスの張り出しやエンジンなどがある車体後部のデッドスペースが多く、在来タイプと比べて収容力の減少が顕著となり、ラッシュアワーにはノンステップバスを使用しないバス事業者もあった。
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