作品と略歴
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()内は作詞者。-は不明、無しは荒木自身が作詞。 1924年10月15日 福岡県大牟田市の三池炭鉱社宅で10人兄弟(兄4人、姉4人、妹1人)の三男として生まれる 1930年 三井鉱山で働いていた父が解雇。以降苦しい子供時代を送る 1939年 三川尋常高等小学校を卒業。三池製作所に就職 1945年5月 海軍に徴兵され横須賀海軍工作学校に入隊 1945年8月 終戦。その後復員。この頃に自らの心境を多くの短歌にして詠んでいる 1946年 職場の混声合唱団での活動を始める。ハーモニカやヴァイオリンを独学で学ぶ。 東京藝術大学音楽部同声会(同窓会)の通信教育などを受けてこれらの楽器を学ぶ。ちなみに、この通信教育は日本で通信教育が始まったばかりのもの。 1947年3月 ビルマで戦没した兄の安夫の妻・荒木ヒサエと結婚 1947年5月 バプテスト教会の洗礼を受ける 1949年 作曲活動を開始。大牟田混声合唱団や三池製作所混声合唱団に入団 以下の最初の三曲は宮沢賢治の童話を元にしたオペレッタ「ひのきとひなげし」の挿入歌。「啄木よ」は死後に見つかったもので、題名は付けられていなかったため、(仮題)となっている。 ひとつ星のうた/うたおうよおどろうよ/落日のうた(後藤安男)/この人を守れ(吉開某)/啄木よ(仮題) 1950年 労働者を励ます歌を作り始めるのはこの頃から 炭鉱ばやし(淀川正)/採炭のうた(坂本茂雄)/選炭情歌/地底建設のうた(-) 1952年 青年団を主体としたうたごえ運動を起こす 1953年 113日間の闘い。蛮声会を結成。第1回九州のうたごえに参加 7月 炭婦協行進曲 1954年 うたう会の設立。久留米医科大学(現在の久留米大学)病院で胃を手術。退院後は設計課に異動 10月 おやすみ仲間たち 12月 大牟田うたう会のうた 1955年 第3回九州のうたごえに参加 3月 春のうたごえ 4月 新さくら音頭 12月 心の中に(-) 1956年 大牟田センター合唱団を結成 1月 そとは北風 3月 燃やせ闘魂 4月 星よお前は/希望の沖に(堤洋子) 5月 せんぶりせんじのうた 9月 仲間の顔(湯浅僖規) 10月 沖縄を返せ(全司法福岡高裁支部) 11月 労働者はまだ(後藤安男)/夜明けだ 1957年 日本のうたごえに参加。地元で開催される全日自労全国大会に向けて作曲 10月 憎しみの中から(全日自労大牟田分会)/手(竹下八重子) 1958年 勤務評定反対運動に参加し、「組曲・子供を守るうた」は勤務評定反対の歌 1月 人工衛星行進曲 9月 組曲・子供を守るうた(上野博子) 1959年 製作所分離に際して闘いを本格的に開始し、また炭鉱を巡る闘いを励ます歌を作り、社宅公演を行う1月 三井鉱山が三池労組に対し6000人の希望退職や製作所の分離を含む会社再建案を提示。組合は強く反発 5月 日本共産党に入党 8月29日 会社側が4580人の人員削減案を発表 10月24日 製作所分離に際し製作所支部が三池労組を脱退。荒木は三池労組に残る 12月2日 会社側が1492人に退職を勧告 12月3日 会社側が退職勧告に応じない1278人を指名解雇 1月 大行進のうた(全日自労大牟田分会作詞グループ) 9月 どんと来い 11月 どんづまりのうた(森田ヤエ子) 1960年 三池争議の中で多数の曲を作って「うたごえ統一行動」を進める。曲はいずれも労働者を励ましたり、争議中の妻や子供たちを歌った歌1月25日 会社側がロックアウトを通告。三池労組は無期限ストに突入 3月17日 三池炭鉱新労働組合(三池新労、第二組合)を結成 3月25日 以降、三池労組の組合員の約半分が三池新労に加わってストから離脱 3月28日 三池新労が就業して生産が再開される 3月28日 久保清が暴力団員に刺殺される 7月7日 ホッパーへの組合員立ち入り禁止とする仮処分を福岡地裁が下す。ホッパーの攻防戦が始まる 8月10日 中央労働委員会は斡旋案を発表。炭労と総評も受け入れる方向で動く 9月6日 炭労臨時大会。三池労組は条件付きで斡旋案の受諾を決定 10月29日 会社側と組合との交渉が妥結。生産再開に関する協定を調印 11月1日 ロックアウト解除 11月11日 三池労組は無期限ストを解除 12月1日 生産完全再開 1月 みんなでみんなで敵をうて(三鉱創作グループ) 4月 おれたちの胸の火は(森田ヤエ子)/三池の主婦の子守唄 5月 みんなニコニコ(三鉱創作グループ) 6月 がんばろう(森田ヤエ子) 7月 団結おどり(森田ヤエ子)/守れホッパー(井手信義) 9月 闘いの火を(前原桃枝) 12月 ひびかせろ(三川うたごえ行動隊)/仲間のうた(大江将精)/花をおくろう(森田ヤエ子)/月見草(森田ヤエ子) 1961年 三池争議敗北後の中で励ます歌を作り続け、うたごえや創作曲の後進の育成を進める。また他地域の活動家とも交流をする 1月 田植えうた(田植歌)(森田ヤエ子) 3月 宇部興産炭鉱労働者のうた(花田克巳)/三池でもやした火を燃やせ(花田克巳)/よろこび(森田ヤエ子)/炭郎くんと炭子さん(投野一隆)/おい仲間たち(森田ヤエ子) 4月 炭鉱社宅のおかみさん/こぶし固めて(上野信幸) 5月 心はいつも夜明けだ(永山孝) 7月 黒潮の歌(森田ヤエ子) 11月 新島と板付と(森田ヤエ子)/組曲・地底のうた - まわそう機械を(-) 1962年 三池争議を描いた構成劇「不知火」をまとめる(九州各地で公演)。板付基地問題より反基地運動に関わる。3月25日 板付基地包囲事件。これに際して「この勝利ひびけとどろけ」などを作曲する。 5月 久留米医科大学病院で胃を再び手術 7月28日 米の山病院に入院 10月26日 午後2時に、米の山病院で胃癌によって死去(享年38) 1月 ひざっこぞうの唄(門倉さとし) 2月 アメリカ帝国主義をたたき出せ/ふるさと(森田ヤエ子) 3月 筑紫野に春を/春まつり音頭(森田ヤエ子)/春と夜明けと若者たち(井上明)/真っ赤な花はみんなの意気だ(橋本輝雄) 4月 この勝利ひびけとどろけ/こうず(平川さよ子) 5月 五月のうた(森田ヤエ子) 6月 平和と軍縮を(新宿合唱団) 7月 この道を行く(門倉さとし)/おれたちは太陽(門倉さとし) 8月 わが母のうた(森田ヤエ子) ※遺作 制作年不明 沖縄かがやけ/ミイ・ニシ/夢を紡ぐもの
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