1945年8月
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 15:27 UTC 版)
11月に予定していたオリンピック作戦の前に日本に残存する航空戦力を減らすため、日本側が東北地方へ集結させていた飛行機を破壊するため9~10日にかけて爆撃を実施した。 8月1日 水戸空襲 B29・99機。死者242人。負傷者1293人。罹災人口5万605人。 8月1日 八王子空襲 B29・169機。死者445人。負傷者2000人以上。焼失家屋14,000戸。罹災人口77,000人。 8月1日 長岡空襲 B29・125機。死者1486人。焼失家屋11,986戸。 8月2日 富山大空襲 B29・174機。死者2737人。負傷者7900人。焼失家屋24,914戸(市街地の99.5%)。罹災人口109,592人。広島・長崎の原爆を除けば地方都市として最大の被害。 8月4日 艦上戦闘機グラマンによる豊後森機関区空襲 8月5日 前橋空襲 B29・92機。死傷者1323人。 8月5日 佐賀空襲 8月5-6日 今治空襲 B29・約70機。死者454人、重傷者150人、被災者34,200人、市街地の80%が焼失。 8月6日 広島原爆 8月7日 豊川空襲。豊川海軍工廠が空襲で壊滅。死者2477人。 8月8日 福山大空襲 B29・91機。死者354人、負傷者864人、焼失家屋数10,179戸、被災人口47,326人(福山市民82%が被災)。同年6月にはグラマンF6F艦上戦闘機によって福山海軍航空隊への機銃掃射が行われていた。 8月8日 八幡大空襲。B29・127機。死者2952人、焼失家屋数14,380戸。このときの火災による煙が、翌日の原爆の投下目標を小倉から長崎に変更させる一因となった。 8月9日 長崎原爆 8月9日 大湊空襲。死者129名、負傷者300名以上。敷設艦常磐などが大破。 8月9日 釜石艦砲射撃。2回目。少なくとも死者301人。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}爆音は秋田市まで響いたという。[要出典] 8月10日 花巻空襲、熊本空襲 8月11日 久留米空襲。日中、B-24が市街地を空襲し、久留米駅が全焼。死者約210人。焼失家屋4,506戸。 8月11日 加治木空襲 ダグラスA-20爆撃機18機による2回目の空襲。死者26人。役場をはじめ、諸官庁、学校がほとんど焼失。送電線・電話線も焼け、ラジオも聞けなかった。 8月12日 阿久根空襲 日中、ロッキードP-38爆撃機が阿久根市中心部と市街地を空襲。死者14名、負傷者多数、被災家屋850戸以上。市街地が壊滅状態となり行政機関や阿久根駅も全焼。 8月13日 長野空襲 長野市、上田市に艦載機62機による空襲。 8月14日 岩国空襲 この空襲の帰りに光にも空襲があった。 8月14日 山口県光市 光海軍工廠空襲 死者738人。 8月14-15日 熊谷空襲 B29・89機。死傷者687人。 8月14-15日 伊勢崎空襲 B29・93機。 8月14-15日 小田原空襲 死者30-50人。伊勢崎と熊谷を空襲したB29が帰路に余った爆弾を投下した。 8月14-15日 土崎空襲 B29・132機。死者250人超、製油所全滅。 8月22日 豊原空襲 樺太の戦いにおいて、ソ連軍機が南樺太の豊原市街を爆撃。民間人死者100人以上、焼失家屋400戸以上。
※この「1945年8月」の解説は、「日本本土空襲」の解説の一部です。
「1945年8月」を含む「日本本土空襲」の記事については、「日本本土空襲」の概要を参照ください。
1945年8月
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/08 03:27 UTC 版)
製鉄所ではなく八幡の小さな鉄工所で「無敵特攻服」が製造される。
※この「1945年8月」の解説は、「キタキュウマン」の解説の一部です。
「1945年8月」を含む「キタキュウマン」の記事については、「キタキュウマン」の概要を参照ください。
- 1945年8月のページへのリンク