暴力団員
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 08:57 UTC 版)
1944年(昭和19年)に布施市に生まれる。松田組系村田組・大日本正義団の初代会長の弟として活躍。日本の覚せい剤の9割を売買していたと言われる。23歳にして豪邸を建てる。 1975年(昭和50年)に大阪日本橋の路上で、大日本正義団の初代会長で実兄の吉田芳弘(当時36歳)が、山口組系佐々木組組員2人組に射殺される。急遽、兄の後を継いで、二代目会長になる。 佐々木組の上部組織である山口組三代目組長田岡一雄に復讐をするために、3年間もの間、田岡の行きつけの京都のナイトクラブ「ベラミ」に部下を派遣し偵察させ、ベラミの近くにマンションを借りて殺害計画を立てる。 1978年(昭和53年)7月11日、35歳の時、ヒットマンの鳴海清が田岡組長に発砲する(べラミ事件)。田岡は一命を取り留めるが、吉田と鳴海は山口組の復讐から逃げるために潜伏する。事件後しばらくして隠れ家から気晴らしに出かけた鳴海は行方不明になり、六甲山中で惨殺死体になり発見される。 吉田は3か月後の10月に神戸で警察に逮捕。1979年7月5日、鳴海を匿った犯人蔵匿及び証拠隠滅の罪などで懲役5年の実刑判決が言い渡され、札幌刑務所で5年間の独房生活を送った。 刑務所への収監中から、山口組系の受刑者より何度も命を狙われた。しかし、1984年に山一抗争が勃発し、矛先が変わったことで、事なきを得る。 詳細は「大阪戦争」を参照
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