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ダークツーリズムとか、ずいぶん無理があると感じている人は多かったに違いない。何を言ったところでこじつけという印象しかなかった。東は原発問題を語る思想的な取っ掛かりがなかったのだと思う。それでも首だけ突っ込みたいから、ダークツーリズムという奇を衒っただけのアイデアに飛びついたのである。福島原発を思想的課題として扱うセンスが東にはなかったので、こうなった。思想的ひらめきがなかったのに、無理矢理関わったのである。哲学をやるより、あちこち手を広げて、薄く広い支持を集めるのが東浩紀の手法だから、哲学的な関心がない原発問題に取り組んだのだ。

そもそも原発が思想的課題になるはずがない。交通事故や飛行機事故と同じ文脈の話だから、思想として語る要素がない。哲学は人間性という観点から世界を紐解いていく学問である。犯罪であれば故意なので人間性の問題に繋がるが、事故だと哲学的なテーマにならない。韓国の旅客船セウォル号が沈没した事件なら、逃げた船長に注目して、責任感という問題を哲学する余地があるが、福島原発の東電の責任は哲学的課題になりそうにない。福島を通して人間について哲学するのは無理である。

社会時評を哲学にまで高めるのがそもそも難しいのだが、東は普通の哲学さえ出来ないので、限界がわからないのだろう。たとえば、あさま山荘事件とかなら、これを通して思想的に語りうることはあるだろう。福島原発は事故であるから、人間とはなんぞやという問題にならない。原発問題から文明論を語れないこともないが、文明論なら原発以外を題材にした方がいいだろう。

東浩紀は筑駒で五番以内とか秀才エピソードはたくさんあるのだが、5月9日生まれである。神童エピソードがある人はだいたい4月~6月生まれだ。同じ学年でも早生まれより一歳年上なのだから、成績がいいに決まっている。人生は前半で勝負が決まるので、これはかなり有利である。東浩紀も普通の人生ならエリートとして勝ち逃げ出来たのだが、中年になっても実力が問われるとなると、5月生まれというアドバンテージなどない。

東浩紀は、人間とはなんぞやという哲学的関心が低く、よろず評論家でしかない。若い頃は人生に悩んで哲学書を読み漁ったらしいが、これは青年期の一過性の流行病である。悩みをこじらせて長患いしているような人間こそ哲学に向いてるのに、簡単に快癒してしまったから、中年以降は漫然と生きており、日常性に埋没しているのである。「自分の思想の核を探す」というが、素顔は子煩悩なお父さんである。哲学者の多くは生涯独身である。幸せな家庭のパパが人間とはなんぞやと懊悩するのも不自然であり、ふかふかのソファーで葉巻をくゆらせながら人間に絶望してみることも出来まいし、人間の根源的な問題を問う内的必然性があるわけない。東が原発に興味を持った理由の一つは、それが平和な日常を脅かす外敵だったからである。幸福な家庭の日常を守りたいという父親として真っ当な考えが、人間存在の根本に疑問符を突きつける衝動に繋がるわけもなく、曖昧な日常を漠然と肯定することで終わる。

そもそも「存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて」のような純然たる哲学はとっくの昔に捨てているし、アニメやエロゲーについて語ることで評論を読んで貰うという売り方をしていたから、つまらないアニメを消化することに長大な時間を費やし、博覧強記とは程遠いし、碩学の人というイメージもない。今後も、社会現象にかこつけて駄文を書くというスタンスは変わらない。突然変異したマージナルな存在ではなく、平凡な日常の円環に組み込まれた存在なのである。







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