前回のエントリーの続きである。
年末は物騒。やたらと偉そうな爺さんと駅で喧嘩。

やたらと気が強そうなジジイ(たぶん60歳代後半か70歳くらい)と揉めて、わたしはそいつを駅で追いかけ回した。爺さんは強いオスという感じだが、わたしには通用しないので、完全に追い詰めた。しかし、ジジイがトイレに逃げ込んで、清掃員の若者に「警察を呼べ」と命令して、その若者がイエッサーと走り出してしまった。たぶんこれは、若者ならではの行動である。もしオッサンの清掃員だったら「警察を呼べ」とジジイに命令されても反応しない。偉そうなジジイにカチンとくるだけだろう。たまたま清掃員が若者だったので、ジジイの犬笛に反応した。やはり若者は、親は偉い、教師は偉い、高齢者は偉い、と教え込まれている。若者の周囲は偉い人だらけなのだ。親としても、自分を尊敬させるために、年長者全般を敬え、と言うかもしれない。親個人を尊敬するということだと、親個人をじっくり見て「この親は尊敬に値しない」という結論がありうるので、(ひとりひとりを審査せずに)年長者全般への尊敬が必要である。どういう人かしっかり見たうえでの尊敬ではなく、問答無用の、全体イメージへの尊敬なのである。新型コロナで若者がおとなしく自粛していたのも、高齢者への尊敬である。ジジイをウィルスで死なせる最高のチャンスを逃した。若者が高齢者を馬鹿にしたりするのは教育上よろしくないので、尊敬を強いるのかもしれないが、年を食うと立派な人間になるということはない。わたしのようなオッサンになると、ジジイはただの赤の他人であり、駅でジジイに喧嘩を売られたら応戦しているが、もし若者だったら不敬罪というか、タブーに触れる感じである。前述したように、高齢者への尊敬が義務付けられているのもあるし、シンボル的なものへの感受性の問題もある。年を取るとアニメを理解できなくなるのと同じだ。記号がただの無味乾燥な記号になり、シンボルを担えなくなる。若ければジジイの背後に人類の歴史や叡智を見ていたかもしれないが、オッサンからすると、ジジイはただのジジイであり、どのようなシンボルも体現しておらず、ただの腐臭がする肉体である。







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