自己肯定感と言うと、親の育て方の問題とされることが多い。肯定されて育った人と、否定されて育った人では違いがある。だが、それ以上に、生まれつきの差が大きいように思える。わかりやすいのがボクシングの亀田兄弟である。亀田興毅は本当に気が強いが、亀田大毅は強そうに見せているだけである。兄弟だから、兄と弟で親の扱いは違うにせよ、あの二人は、生まれつきの気質が違う。父親の影響で威張っていても、亀田大毅は威張りきれていない。だいたい気の強い人間は筋肉質で目付きが鋭かったりするので、男性ホルモンと関係がありそうだが、亀田興毅は他人への恐怖がまったくない。亀田大毅は他人を恐れている。兄への恐怖心が原因で(後天的に)気が弱いという類の説明も可能だが、わたしには先天的な問題に思える。犬や猫でも、物怖じしないタイプとかビビリとか、そういうのはある。さて、ここまで「気の強さ」と「自己肯定感」を区別せずに話しているのだが、さして区別する必要はない。他人への恐怖の有無が大問題であり、それ以外はたいした話ではない。自己肯定感が低い人は、他人への恐怖感が強い。自分に自信がないという場合、それは他人への恐怖が正体である。自己肯定感の話になると、「親が悪い」という論調になりがちだが、ある程度は生まれつきであり、図太い人間は図太い。自己肯定感が低いという悩みがある人は、他人への恐怖の問題、と考えてみたらどうか。他人への恐怖というのは、(人間所詮はハッタリなので)現実ではあるが幻想でもある。幽霊はいるのかいないのか。気質は変えられないにしても、自分はハッタリに弱いのではないか、と自覚することで多少は変わるはずである。







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