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ドイツでは過去最大の感染者を記録してるし、日本で感染者が激減したのは、あくまで一息ついた程度と考えたほうがよさそうだが、飲食の協力金バブルはあまりにもふざけていたと思う一方で、この業界の立ち位置を考えると致し方なかった。わたしは外食自体を元から好まないから、飲食店が潰れてくれると助かったと思うだけだが、世間の平均人からすると、日常生活に密着した顔の見える産業である。家庭環境の悪い人が飲食をやるイメージであり、彼らは召使いという立ち位置であるから、潜在的にギルティ・コンシャスがある。われわれはご主人さまとして、召使いのために決起する必要があったのである。飲食への逆差別政策は避けられなかった。繁華街にありがちなボロボロのスナックは終戦後のドサクサの産物であり、空襲で焼けたところにバラックを建ててああなったのだが、1945年の時点で店主が20歳であるとすると、2021年では96歳であるから、終戦直後に始めたようなひとたちは大半が死んでるであろう。その少し後あたりはまだかろうじて生きているかもしれないが、絶縁するのにちょうどよいタイミングとも言える。昭和の頃、路上に寝転がり物乞いをやっていた片輪の傷痍軍人と同じ文脈でもあるのだが、平成どころか令和になってまで続けていたらおかしいし、渋谷のスナックなどはもはや無関係の若い人がやっているとも聞くので、敗戦からこれだけ時間が経過すると、ボロボロの建物に居座っている理由がわからない。協力金バブルは昭和の飲食店への手切れ金と思うしかない。同情されなくなるほど注ぎ込んだおかげで、感染が落ち着いた現在において、飲食店を助けようと馳せ参じる客も防げている。これだけ感染者が減っても夜の客足はそんなによくはない。わたしが街を歩いて観察している感じだと、若者のグループや、男女混合のグループはいるが、中高年のスーツ姿の男性が連れ立っている姿はとても少ない。このままいくと、中高年男性をターゲットにしている飲み屋はかなり潰れそうだが、法外な協力金のおかげで人々の胸も傷まないであろう。規模に関わらず協力金が同じという批判に答えて、最近は駅チカの路面店の小綺麗な店に協力金を積み増ししていたが、これはなんとも言い難い。好立地のキレイな店は、ボロボロの飲食店とは歴史的な立ち位置がまったく異なる。とはいえ、これについても、同情の回避という意味では、協力金のバラマキは悪くなかったと思っている。もし飲食へのバラマキをやってなければ、同情で飲み食いをするという動機が膨れ上がっていたはずで、その芽を摘み取れたのはいいことであった。
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